チョコレートと先輩の難儀な関係



茉莉は悩んでいた。

地域郷土研究部の部室。学年末テストの勉強をしている同級生の刹那と鈴歌の横で、ノートを開いてシャーペンを持ったまま考え込んでいる少女に気付いた二人は、顔を見合わせた。


「なあ鈴歌、三角は何かあったの?」

「わかんないよ。調子よくないのかなぁ?」


二人は普段から部室で勉強会をやっている。主に鈴歌が授業で分からなかったところを刹那が教えているのだった。

部室でテスト勉強をしているのは、オウマガトキを待っている時間が暇だから。

最近はたまに茉莉が、二人と一緒に予習をやるのが当たり前になっていた。

なのだけど…少女のノートはまっさら。真面目な彼女が勉強に手がつかないのは、珍しい。


「茉莉ちゃん、大丈夫?」

「ひゃっ!」


鈴歌に声をかけられた茉莉は、大袈裟に肩をびくりとさせていた。


「あ、……ごめん、ぼーっとして」

「今日寒いし、あまり具合良くないのか?」


空調のエアコンはかかっているが、体調がよくないのなら話は別である。

けれど、心配そうな彼らに対して茉莉は、少し考えるような素振りをする。

少しの間を置いて、口を開いた。


「えーと…。二人なら言ってもいいかな…」

「わたし聞くよ、隣の幼馴染もね!」

「……まあ、聞くだけなら」


鈴歌は至極当然のように刹那を巻き込むつもりで返事を返している。何か思うことはあるが、ツッコミも面倒だった刹那は、少女にあわせて頷いた。

茉莉は、二人の返事に少し考えながらも

、おずおずと話を始めた。


「そろそろバレンタインがあるでしょ」

「ああ、節分過ぎたしな」


2/14日はバレンタインデー。

主に恋人や好きな人にチョコを贈る日。日本では女性から男性に贈る事が多いが、最近は友達に友チョコを交換しあったり、男性が贈ることもあるので、割とカジュアルに楽しむ人も増えている。

通りがかりにバレンタインコーナーを見るだけでもかわいいので、楽しい期間である。


「好きな人にチョコ渡す日だ」

「そうそう」


そういや村田が、やたらクラスの女子にアピってたな…と刹那は思い出した。

村田には森永さんという彼女がいるのに、不思議である。

例え義理でも、チョコが貰えると単純に嬉しくなるのは分かるが。

かくいう少年は、毎年ほぼ母親から一つ、たまにクラスの女子が一つか二つ(たぶん義理)くらいしか記憶にない。

あと、入院する前の幼馴染からも貰った記憶がある。と言っても、友チョコの余りだったが。


「でね、私も先輩にチョコを渡したくて」


茉莉が話している先輩は、千草先輩の事だ。彼女のお隣の家に住む先輩で、幼い頃から憧れている相手である。

刹那達から見ても、もう付き合えばいいのに、と言いたいくらいには両片思い状態の雰囲気なので、今更何を悩んでいるのだろうか。


「先輩は喜ぶんじゃねーかな」

「だけど…」

「?」


茉莉は、少し言いにくそうにしていたが、キッと眉間に力を込めた。


「……先輩、毎年沢山チョコ貰うの。手提げがいっぱいになるくらい!」

「わあ、漫画みたいだね」


わたしにもチョコ一つ分けて欲しいなあ、と鈴歌は真面目にぼやいている。

千草先輩が学園内で人気がある事は、大体の生徒は知っている。ファンクラブがあったくらいの有名人だ。

だからといって、いくらイケメンでもそんなに貰っている奴は見たことないし、聞いていても現実感がなくてぽかんとしてしまう。


「…ちょっとしたアイドルみたいだな…」

「そうなの!嫉妬するの通り越して引くくらいで!」


大人しくて清楚を地でいく茉莉が、珍しく大きな声を出していた。

びっくりしたがよっぽどなんだろう、と刹那は思った。


「だからね、チョコレートばかりだと飽きるかなと思って、…チョコ以外のお菓子の方がいいのかな、とか考えてるうちに迷ってきちゃって」

「むむ、恋する乙女の悩み事だね」


茉莉は相手が沢山貰ってくる事を知り、あれこれ悩んでいるうちに何を贈れば喜んでくれるのかが分からなくなってしまった、ということだった。

それに、訳知り顔でうんうんと鈴歌が頷いている。

意味解って無さそうだ、と刹那は息をつく。恋と友情を一緒の感情で考えている小さな幼馴染は、本当にそれが解るのだろうか?


「また解ってないのに頷いてるよ…」

「えー、そんなことないよ。わたしも何作ろうか迷ってるんだ」

「ふーん……は?料理出来たのか?」


鈴歌はやたら元気に「やれば出来るよ、キット…!」と言っているが、少年は怪訝そうな顔をしていた。


「鈴歌も迷ってるの?」

「わたしも友チョコ交換してみたい」

「そうだよね、交換するのも楽しいよ」

「数が余ったら刹那くんにもあげるよ!」

「…それはどうも」


と返したが、正直貰いたくないな、と刹那は思った。変なもの食べたくないし、せめて初心者にも優しいレシピのものにしてほしい。

(ん?お菓子……レシピ……?)

ふと少年の頭の中で、ある光景が頭をよぎった。

昔、ある場所でその人が出してくれたお菓子。千草先輩が喜んでいた事を思い出して。


「…ああっ!」

「ひゃっ!!」

「びっくりした…!」


二人にごめん、と謝ってから、少年はスマホを取り出して画面をタップし、何かを検索し始めた。

鈴歌と茉莉は、どうしたのかと困惑していた。


「これだ。多分あってる筈……」

「何してるの」


と鈴歌に聞かれた刹那は「レシピ検索」と答える。


「思い出した。昔、道場の大師匠が出してくれたんだ。千草先輩がいつも喜んで食べてたおやつだった」


千草と同じ道場に通っているのだが、そこの先代の師範代…大師匠は、太陽のように眩しい笑顔を振りまいて、子供達にお手製スイーツを振る舞ってくれる事があった。

大師匠の趣味の一つだったのだ。


「これ、フォンダンショコラ?」

「中からとろーりチョコレート…」


画像を見るかぎり、美味しそうだ。

小さなケーキのようで、切り分けた断面からチョコレートソースが流れている。レンジで温めてから食べるといいので、アイスや生クリームを添えても美味しそうだ。


「うん……挑戦してみようかな」

「えっ、これを作れるの?」


驚いている鈴歌に、茉莉は昔からママとお菓子作りしてたからと、答えていた。


「やっぱり渡したいし、頑張って作ってみるね。他の人から貰うとか…気にし過ぎてたかもしれないし」

「うん、それがいいよ!」


茉莉は刹那からスマホを借りて、レシピの内容をメモしていく。

自分でも調べてみる、と話す彼女からは、さっきまでの迷いは無くなっていた。


「鈴歌たちと話したら、少し気持ちが軽くなったかも。ありがとう」


聞いてくれたお礼に、上手に出来たら二人にもおすそわけするね。と少女は、はにかんでみせた。



………………。


そんなこんなで月日は過ぎて。

バレンタイン当日、その放課後。

部室に顔を出した茉莉は上機嫌だった。


「朝、登校前に渡して来たの。さっきLINEでお礼も来て…」

「わあ、よかったね〜!」


千草先輩は三年生なので、今は登校しない期間である。

茉莉は「学校に来ていたら、千草先輩に感想を聞けたんだけどね」と少し残念そうだったが、先輩は喜んでくれたそうだ。


「何故か私に…先輩に渡して、ってチョコを渡されたけど……」


茉莉は困ったように大きな紙袋に入ったチョコを持って苦笑いを浮かべている。


「うわ、三角に頼む猛者がいるんだな」

「その子達からファンだから!と念押しされました」

「今日は茉莉ちゃん、下手な男子よりも貰ってたよね」


にこにこと笑っていたが、「分かってたけど複雑…」とぼそりと呟く茉莉の目に不穏な火が宿っていた。

二人はどうどうと彼女を宥めた。あのままだと炎でチョコを燃やしそうな…そんな表情だった。

そうそう、と何かを思い出した茉莉は、パッと表情を戻すとバッグからかわいいラッピングの包みを刹那に差し出した。


「はい、約束したおすそわけです」

「えっ、…いいのか?」

「鈴歌にも同じのあげているし、お礼だから」


茉莉は今までお世話になっちゃったしね、と笑うので、「なら、遠慮なく」と刹那は茉莉から、フォンダンショコラのおすそわけを貰った。

味は先輩のお墨付きであるし、気兼ねなく貰えるのは有り難かった。


「そういえば、女子にチョコ渡されてたってミキに聞いたけど、本当?」


茉莉が話題をさくっと切り換えて、刹那に訊ねてきた。ぴたり、と少年が動きを止める。

なんて言おうかな、と少し考えてから口を開く。


「あー、クラスの女子から」

「?…あれ、喜ばないの?」

「殆んど話したことない女子だから。喜びづらいし、急に告られても困るだろ」

「ほほう。へー……ん、何て?」


鈴歌が首を傾げているが、茉莉は驚いたまま目を輝かせた。ここで、茉莉の中の乙女な部分がすぐに反応した。

刹那はぎょっとして、ちょっと引いた。


「それで?返事は何て返したの!?」

「面倒だから、丁重にお断りした」


女子二人は、さらりとお断りした少年に、何とも言い難い表情を浮かべた。


「……女子が勇気を振り絞った告白をばっさり…」

「ひどいよ刹那くん!女の子に冷たいことしてると、いつか愛想尽かされるんだよ!」

「二人には関係ないだろ!よく知りもしない相手に期待持たせるの良くないし」


思ってたのと違った展開になったのか、鈴歌と茉莉は少年をがっかりしたように見ていた。

恋の予感を少年はあっさりスルーしたのだ。これが小中学生だったら、後日カースト上位の女子に呼ばれて「○○ちゃん泣いてたのよ!」と詰め寄られそうなやつである。


「だったら、お友達からでよくない?」

「もう終わった事だし、いいんだよ」


小さな幼馴染は不思議そうな表情で見つめていた。それからぼそりと「……彼女出来てくれたら嬉しいのになぁ」心底残念そうに呟いていた。

まあまあ、と茉莉は鈴歌をよしよしと宥めがら、少し不思議そうに苦笑いを浮かべていた。


それからすぐに、茉莉は先輩の家に届けなくちゃだからと帰っていった。

見送った後で、鈴歌はとても微妙な顔付きをしたまま、目の前で両手を合わせた。


「どうか、今日幼馴染に告った女の子に幸せがありますように…あと刹那くんは箪笥の角に足の指をぶつけて苦しみますように」

「おい」

「……て、エリカちゃんが言ってる」


あのバカうさぎは後で戦うしかないな、と少年が密かに考えていると


「今日友達とお菓子交換が出来て楽しかったー!」

「そりゃよかったな」

「中身は何かなぁ、暫くおやつに困らないね」

「子供か」


どうやら楽しかったらしく、ほくほくしながらバッグの中身を眺めていた鈴歌は、思い出したような顔をした。


「あっ、そうだ。余ったからあげるよ」


鈴歌はバッグから小さな包みを出した。クッキーだよ。とりあえず食べれるよ。と主張してくる。

家で母親が手伝ってたのは知ってたし、何なら味見役させられたので、申し訳ないがあまり感動がない。


「どうせ試作品と同じだろ?」

「チョコチップマシマシにした」

「へー」

「お砂糖もマシマシにすればよかった」

「絶対に止めろ」


食べれるのはわかってるが、やっぱり、あまり嬉しくないかもしれないと少年は思った。

そんな鈴歌はにこにこしていた。

まあ、それはともかく。


「先輩、茉莉ちゃんからチョコの山を渡されたらびっくりするだろうね」

「色んな意味でびびるだろうな…」


きっと千草先輩は今頃、茉莉にあのチョコレートの袋を渡されて困惑しているんだろうな、と二人は思った。










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