惑いの影が踊る



艶やかな紺碧がふわりと舞う。鮮やかな手袋にすらりとした得物を携えて。

長い黒髪の少女の幻影が、影色の生き物へと躍りかかる。

影色の生き物は、少女に近づいた瞬間に動きを止められて、糸の切れたマリオネットのように、その場に崩れ落ちていく。

ーーその様は、円舞曲ワルツを踊るかのような軽やかさ。


和服に袴に、長いブーツを履いた…所謂ハイカラと呼ばれていたファッションに身を包んだ少女……百年前の祭姫の活躍が、こじんまりとした部屋の中で再現されていった。


「すげー!カッコイイ」

「華麗だけど、目が回りそうだよ」


洋館の内部を調べていた刹那達。

部屋の扉を開けて入ると、さっきの光景が部屋の中で再現されていたのだった。

ジオラマを見ている感覚というやつか。


「格好的に百年前…大正時代か」

「ふーん、着物可愛かったね」

「…え、そっちか」


洋館の内部を調べている合間に、鈴歌には今日調べていた事ーー百年前の話を伝えていた。

百年前にも祭姫……厄災と化した白檀を鎮めて封じた、彼のひめさまと同じ名前の女性がいたことも。


「同じ名前だとごっちゃになりそう」


そもそも、どうして同じ名前を名付けるんだろう。呼びにくくないのかな。と鈴歌は不思議そうに顔をしかめている。


「さあな。ご先祖にあやかって付けてたんじゃないか」

「うーん。歌舞伎役者さんみたいだね」

「…あれは芸名だし」


まあ、偉大な功績の先代達の名を引き継ぐのだし、似たようなものかもしれない。

ご先祖にあやかって子供や孫に同じ名前を付けることは、古今東西ままあることであるが……現在の日本はそういう感覚は薄れつつあるし、なんなら名前一つ取ってもキラキラネームやシワシワネームと言われる昨今である。

正直なところ刹那にもぴんとこない感覚だ。


「ここも外れだったね」

「他の部屋の中も同じように記憶を見せてきたな」


これまで、幾つかの部屋の扉を開けていた二人だったが、そのどれも別々の人の記憶の断片を見せてくる。

共通点は、暗い緑がかった黒髪の女性で、三角に似通っていること。名前も同じ『まつり』という呼び名。

それから、彼女達は何かしらの悪霊退治を生業にしていたような場面が多い。

恐らく彼女達は代々の三角家に生まれた能力者、だと思われる。


「…茉莉ちゃんは普通の人なのに、不思議だね」

「三角本人が気付いていないだけで、異能を扱う素養はあるかも…」


よく考えてみれば。

何も異能の素養もない奴が、無自覚に無意識集合領域ラプラスから夢を介してオレに助けを求める、という事が少しおかしかった。

そもそも、異能を使う人がみんな機関に入る訳でもなし、隠そうとしているなら尚更そうだろう。


「力を持っていても、普通に過ごしてる人もいるもんね」

「異能も一歩間違うと危険だしさ、隠したい人もいるよ」

「…それもそっか」


じゃあ、続いて次の部屋に行ってみようか!と、鈴歌が切り替えるような感じで話したが、何だか微妙な顔付きになった。


「……うーん。エリカちゃん居ないとしっくりこない」

「そうか?煩いのが一人減って楽だけど」


楽だけど、居なかったらそれはそれで少し物足りなさもある、ような。

と思ったが、口にはしなかった。

それをエリカに聞かれたら、鼻で笑われる気がしたから。


「何か、頭がふわふわしてるや」

「いっつもふわふわしてるじゃんか…」


主に言動とか。

見た目のせいか、鈴歌の言動は子供っぽいし、空気を読むのもあまりしないし。


「んー、じゃあもっとふわふわだね!」

「……止めろよな。変に突っ走ったりされたら危険だし」

「大丈夫。わたしはエリカちゃんと茉莉ちゃんを助けに来たんだから」


任せて、目的忘れてないよ!

そこでどや顔されても反応に困るんだけどさ。


「……じゃあ、エリカの居場所は」

「部屋を一つずつ開けていけば何処かにいるよ」

「わかんないんじゃねーか!」

「ここに来てから、エリカちゃんの気配が散らばってて分かりにくい!」


はあ、仕方ないか…。オレは半分呆れながら、続く廊下を進むと次の部屋の扉を見つけた。


「今度は誰かな」

「地味に疲れんだよな、見るの」


ドアノブを回し、扉を開ける。

……そこには。


「……?!」


今までのジオラマのようなものとは違った。部屋の中には、暗い色の鬼が佇んでいた。

そして、ドアを開いた二人を見るやいなや、鬼の紅い唇の端が歪につり上がった。

直感的にヤバイ、そう思ったオレは咄嗟にポケットから符を掴み…


「下がれ鈴歌!」

「……ひっ!」


次の瞬間、溶け出した鬼の影に覆い尽くされ、視界が影の色に塗りつぶされていた。



……………………。


仄かに暗い奥底で、いつかの記憶が閃いた。

今と同じくらいの姿のわたしが、掌に小さな黒い生き物…トモダチに話掛けていた。

この黒い生き物の怖さも何も知らなかったわたしは、ただ無邪気に、不思議ですごく面白いと思っていた。

その日もわたしは、お部屋でこっそりその子に話し掛けていた。


ーーねえ、どうしてあなたはお話出来るの?


……わたしは君のトモダチだからだよ。


ーーねえ、なんであなたの事を周りに見せちゃ駄目なの?


……わたしを見たら、皆がびっくりしちゃうからだよ。


ーーねえ、なんで大きくなったの?


……わたしがここまでなれたのは、君のお陰だよ。

…ねえ、トモダチだよね、鈴歌。

お腹が空いたの、君を全部


え?とトモダチを見つめると、

ばあ、と真っ暗で大きな口が開いた。

視界が、私の体がくらい何かに覆われる。

いやだ、こわいよ。

助けて…!

叫びも感情も、広い暗闇の中に沈んでいく。

深淵の底に落ちて、溶けていく。


………………。


「……っうう」


真っ暗な鬼が影色の霧へと姿を変えて、目の前にいた幼馴染の少年を飲み込んでいく。

急に頭の中に入り込んできた過去の記憶と、現在の光景が重なって、鈴歌はその場にへたりこんだ。


「……うあ……」


その間にも、少年の周りは暗い影に覆い尽くされていく。


頭が痛い、こわい、まって、だめ。

助けなきゃ、影が、やめて、沈んで

様々な感情が、ぐるぐると頭を駆け巡る。

……やがて、ぱちん、と一つ。

鈴歌の中で、何かが弾けた音がした。


何も知らない影は、その手を離せ。

寄らないで、誘わないで、それは……


!」



………………

………。


刹那は仄かに暗い空間の中にいた。

こぽこぽと、辺りを空気の泡が漂う。

まとわり付くような気だるさと、仄かに温かいこの感覚は、よく覚えがある。


「……ここは」


無意識集合領域、ラプラス。

ふわふわと体が浮かんでいるような感覚は、海の中にいるようだ。

鬼に襲われて影に飲まれた筈だったが、どうしてこの場所に…と考えてから、硝子の蝶々こと璃湖姉の言っていた事を思い出す。

様々な境界線がぶれているのでは、と。


足の先…遥か底から、泡が上に浮かび上がってくる。人の感情や記憶、夢が泡の形になって漂うこの場所で。

ゆっくりと浮かび上がる泡が、昔の記憶を見せた。


『……お前が気にする必要はない、不慮の事故だったのだから』


過去の…父親はそう言った。

それは本当に君の望んだことなのか。

あの子は、もう元には戻らない。

ずっと一緒には、いられないよ。


「……それは」


親父は、お前は気にするな。もう忘れなさいと言う。…そんなの分かってる。

けれど、すぐに割り切れるほど大人じゃないし、嫌でも気にするさ。

幼い頃、大人しくて周りに馴染めなかった自分に、怖いもの知らずの鈴歌は臆する事なくやってきて。


「じゃあ、私と遊ぼう!」


そう言って声を掛けてくれた。

最初は、少し鬱陶しかったけど、嬉しかったのも本当で、初めて友達になれた。

それから他の子とも馴染めるようになって、他にも何人か友達が出来た。

けれど、相変わらず彼女とはよく遊んでいた。

そんなある日、彼女は面白い友達を見つけたの!と話してくれた。

違和感を感じたのは、夕暮れの帰り道での事。


「今度、見せてあげるね!」


鈴歌の近くに、影の気配がしたのを。

どうして大人にすぐ伝えなかったのだろう。そうすれば、あんなことは起こらなかったのに。


それから、数時間後。

ばたばたとうちの神社に駆けて来た鈴歌の姉、織葉は傷だらけで泣いていた。


ーーたすけて!

パパとママが、妹が……っ!

真っ黒いなにかが…!


その姿を見て、部屋の隅で夕暮れの事がよぎった幼い自分は、かたかたと肩を震わせていた。


「……なんで…」


嫌な事を思い出してしまった。

ぶるぶると頭を振るう。するとごぼごぼと、口から空気の泡が溢れる。

仄かに暗い空間に一人放りだされる感覚は怖い、けれど。


(……このまま沈んだら、どうなる?)


ラプラスの底には、何が待ち構えているのだろうか。けれど、別にそれでもいいかもしれない。

深淵の方へ、ゆっくりと

沈め、沈め……



………………。



「……刹那!」


ぱちん、と視界が瞬時に切り替わった。

何かに手を引っ張られて、此方側に戻されたような感覚。

膝をついていた刹那の腕を掴む、少し小さな手が見えた。

え、なんで。


「……っ、うわっ」

「…よ、か、ったぁ!」


よろめいていると、引っ張っていた鈴歌の顔が目に映る。

少女の顔を見て、刹那はぎょっとした。


「す、ずか?……目が」

「刹那くんが無事で、よかった…」


目に金色の光が灯り、僅かな影が彼女の周りに漂っている。それから、ビリビリするような奇妙な圧力を発している。

……ヤバい、術式が緩んで暴走しかけてる。

とにかく、コイツを落ち着かせるのが先だ。


「鈴歌、こっちむけ」

「え?……あうっ」


ポケットから、少し厚いお札を出して少女の額にぺたっと貼り付ける。

すると、さっきまでの奇妙な圧が消えて、目の色が茶色に戻っていった。

纏っていた影も、しゅう、と霧散していった。


「……。……あ、あたまがいたい」

「封印の術式が緩んだんだよ。応急手当だけど」


緊急時の術式の綻びや緩みを直す用の護符を鈴歌に使った。

暴走しかけてたようだから、これで少しはましになるだろ。


「あ、記憶…思い出して、刹那くんが影に…それで…」

「とにかく、終わったから落ち着け」


うん。と頷いた鈴歌は、我に返ってぴたりと止まった後に、無の表情に変わって引っ張られてた腕を離した。


「腕痛かったよね。大丈夫?」

「平気。…ごめん、オレが油断したから」

「違うよ!付き合わせてるのはわたし」


固い表情のまま、彼女はぽつりと


「……わたしのせいだ……」

「違う、最初に三角の事に関わったのはオレだし」


でも、と何かを言おうとしてる鈴歌の言葉を遮って、なるべく何でもないように続けた。


「友達と相棒を助けるためだけに妖怪の居場所につっこんできた奴が、今更言うな」

「……むむ」


ぱちん、と目の覚める音が響いた。

鈴歌は自身の頬を叩いて、「うん」と頷いた。


「早く二人を助けて、帰るんだ」


やっと少し元気が出てきたらしい。


「ほら、立って。大丈夫だよ、わたしがいるから」

「いや心配しかないんだけど…」


さっき暴走しかけた奴の台詞ではないと思うんだが。鈴歌が半ば強引にオレの手を取った。ゆっくりと起き上がると、ようやくいつもの調子が出てきた。


「……さっきわたしが刹那くんを助けたのに!」

「暴走しかけたんだしプラマイゼロ!」


それに、幼女に守られてる男子高校生の図はなんか悲しくなる。

「分かったよもう、行こう!」と言って、鈴歌は駆け出していく。

当然、鈴歌と手を繋いだままのオレも引っ張られる形で走る羽目になった。

………自分よりも大きな人間を引っ張る握力、コイツにあったか?と、不思議に思ったが、この特殊な空間だ。

応急手当をしたとは言っても、術式はすぐにぶれるのだと思う。

さっきのような油断をしないように、と

刹那は式神の狭霧を呼び出した。


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