少女の眠りを阻むもの
うっすらと暗い木々に囲まれた山の中。
荒れた山道を歩いてきた夏実とハイネは、目的の場所に辿り着くと目の前に広がる不可思議な建物を見回した。
見た目は大きな洋風の館、といった感じだが、館をぐるりと囲うように鋭い刺の付いた大きな蔦が幾重にも絡み付いていた。それは、屋敷のを囲う鉄製の柵にも。まるで、外からの訪問者を拒絶するような…そんな印象を受ける。
そんな怪しげな雰囲気の洋館の入り口の前で、二人は思ったことを口にする。
「トゲ付きの蔦に覆われた館……お城じゃないのね」
「なっちゃん、城だったら本当にいばら姫の再現みたいだけどね」
「いっそ王子様を連れてくればよかったんじゃない?」
そうしたら魔法のいばらも解かれて、屋敷に入れるようになるね。と茶化したように魔女が呟く。
夏実の頭の中で、爽やかな学園の有名人である同級生の顔が浮かぶ。それはハイネも同じだった。
「そうね。アイツ帰さなきゃよかったかもしれないわ」
「しくったか…」
「残念そうにするな」
割と本気で、はあ、とため息をついているハイネ。白髪のゆるいウェーブの髪が、少し萎んでいるのは雨のせいだけではなさそう。そんな少女の側に、赤髪のポニーテールにメイド服を着た小人が冷静にツッコミを入れた。
『レディ、ふざけている場合では』
「ハイ、ゴメンナサイ」
ふう、と息を付いたメイド服の小人、ウルディは、『…さて。このいばら、どうしましょうか』と二人に訊ねる。
「植物なら、火で燃やすとか。……でも外で燃やしたらいけないんだったっけ」
「……紅炎の章、第10項」
「ちょっ!」
夏実の思いつきの台詞に、ハイネは魔道書を手にしたまま頁を捲り、銀の杖をいばらに向けると、杖の先に魔力を込めた。
「火炎の息吹!」
杖の先から灼熱の炎が生まれると、いばらに向けて放射された。炎に触れたいばらは、みるみるうちに炎に包まれて燃えていく。
夏実はぎょっとしたまま、ハイネを見る。まるで、アニメや映画で見る魔法のようだ。
「…あんた。炎も使えるの」
「だって魔女だもの。……めんどくさいから機関には言ってないけど」
けろっとした様子で舌を出す魔女に、やっぱりコイツ底が知れないわ、と夏実が思っていると。
『……否。レディ、夏実様。いばらの蔓が再生しています』
ウルディが彼女達に注意を促す。
二人が冷静に炎を当てた付近を見ると、いばらの蔦が燃えた先から淡い緑色の光が発せられ、しゅるしゅると新しい蔦が伸びていくと、玄関先の鉄格子に巻き付いていく様子だった。
教育番組でよく見るような、植物の成長する様子をスピード再生して見ているような光景だった。
「簡単にはいかないか」
「げ。……怖っ」
ふう、とすんなり受け止めているハイネに対して、夏実は再生する様子を見て引いている。
「入り口まで来たはいいけれど、これじゃあ入れない。参ったね」
『なら、力業でどうでしょう?』
力業とは?と首を傾げる夏実に、ウルディは夏実を見た。
『レディにもう一度いばらを炎で焼いてもらい、蔦が再生する前に夏実様の〈時操り〉の力で周りの動きを遅くすればいいのでは』
言っていることは、解る。
ただ…夏実は少し考えながら頭を押さえた。
「ガチの力業じゃん…」
「ちょっと反則っぽくない、それ」
『緊急時ですから。目的が果たせれば良いと思いますよ』
静かに冷静に、大胆なことを言ってのけるウルディ。確かに、少し強引ではあるが…と夏実は思う。
「…待った。使うのはいいけど……」
そんな二人の後ろから、聞きなれた声が響く。
「…部長!ハイネ先輩!」
「やっと来たか」
夏実達の所にやって来たのは、二年生の航星と白い狼の壱狼、青い小鳥の精霊ことクラウディア、それと水の鳥籠に捕まっている沈香だった。
あれ、と夏実は焦げ茶色のボブを揺らして首を傾げる。
割と喧嘩っ早い後輩と、幼い後輩の姿が見えないからだった。
「…おや。一年生達がいなくない?」
「ああ…あいつらは訳あって先にこの中に居ます」
「……はあ?!」
何してるのあいつらは!
と言いたそうな先輩達に「待って下さい説明します」と航星が二人を宥めている。
その横では、青い小鳥がウルディに詰め寄られていた。彼女の手には、何処からともなくいくつものナイフが握られている。
『クラウ。貴女がいながら何をしているのですか……?』
『おぅ…怖いよウル姉。あたしだってあれは読めないって!』
「ウルディ、怒るのは後」
『…はい、レディ』
そんなやり取りの後に、航星は簡単にかくかく然々と説明をした。
おかしな霧の中に突っ込んでいった鈴歌を刹那が追いかけ、すぐに何処かへ消えた事。
霧の中で迷った二人は〈夢渡り〉の能力者の力で洋館の中に連れてこられた事等々。
「…結果的に〈夢渡り〉に救われたってか」
「つくづく悪運強いね、二人して」
『けっ、…白檀様にやられてしまえばいいんだ』
無事ならいいか、と言う彼女達に対して……沈香だけが、ぷいとそっぽを向く。彼が航星達に捕まっているのは、不本意なのではあるが……。
夏実は怪訝そうな顔をして航星へ言葉を投げた。
「相楽、コイツの息の根を止めてもよかったんじゃないの?」
「生かさなくても良かったっすね」
「どうどう。落ち着こうか二人とも」
狐を相手に殺気を振り撒く夏実と航星に、ハイネはまあまあと割って入る。
それよりさ、と彼女はにこりと沈香へと語りかける。
「…沈香、君は白檀がああなった理由を知ってるね?」
『……知らない』
「ほんとうに?」
『はっ、人間風情が魔女だと?異世界の竜などと偶々契約出来ただけの下等な小娘が、白檀様に刃向いやがって』
狐はしゃあしゃあと魔女に吠える。
「そのわたしの精霊に捕まえられて、意気がってる君こそ滑稽だけどね」とハイネは淡々と呟くと、少し考えてから……にこり、と悪い笑顔を浮かべた魔女は、くるっと後輩の方へ振り向いた。
「セイくん、出番だ。沈香に喋らせろ」
「了解です」
そして、頷いた航星の方も、同じように悪い笑みを浮かべて眼鏡に手を掛けた。
その二人の行動に、夏実は呆れながらため息を一つ。
「……十分えげつない事しようとしてんじゃんよ」
『全くだわ。やめたげなさい、魔女に魔眼の少年』
キン、と凛とした声が辺りに響いた。
喧しい彼らの側に、硝子の蝶々が舞い降りてきた。
******
洋館の中を巡り…ようやく辿り着いた。
いかにも、といった大きな部屋へと続く扉にやって来た刹那と鈴歌の二人。
「よし、慎重に…」
「たのもー!」
隣の鈴歌の掛け声に刹那がぎょっとしているうちに、鈴歌が大きな扉を開く。
そこには、大きな天涯つきのベッドと、部屋を望むように大きな庭の見える窓が後ろに見えた。
庭には、刺の鋭い蔦がそこらじゅうに生えていた。ちょっとした凶器だな、と刹那は息を飲む。
鈴歌はキョロキョロと何かを探すような仕草をしてから、相棒の名前を呼ぶ。
「エリカちゃん!」
するとベッドの方から、ふわふわと浮かぶ小さな物体が見えた。ピンク色をしたてるてるうさぎのぬいぐるみが彼女の方へと飛んで来るのが判った。
『遅い!もう、あんまり待たせるんじゃ…』
「五月蝿い」
ざあっ、視界を遮るように大きなベッドの方が黒い霧に塗りつぶされた、と思えば。
エリカの後ろに、大きな影が迫っていた。
『ギャッ!?』
「え…」
「エリカ!」
一瞬だった。
エリカの体が裂かれ、てるてる坊主の胴体から白い綿が溢れて、その場にぺしょっと落ちていく姿だった。
咄嗟に狭霧をそのまま刀の姿…心眼に変えて握る。前に出ていた鈴歌の手を引いて、庇うように前に出た。
しかし、ぼろぼろになっていてもエリカはむくりと起き上がると、悪態を付きながらこちらに飛んできた。
『……ったいわね、ああもうこれだからこの体は…』
「お帰りエリカちゃんー!」
『きゃっ!……あーあー、バカしたのね鈴歌……たくっ』
体当り気味に鈴歌に捕まったエリカは、呆れ気味に呟いてから刹那の方に言葉を投げた。
『大方あんたがヘマしたんでしょ』
「うるせえよ。そっちの体で良かったな。スプラッタにならなくて」
『けっ、残念だったわね』
二人の会話は相変わらずである。
だが、エリカはハッとして声を荒らげた。
『……じゃなくてベッドよ、茉莉がまた眠って…!』
黒い霧の向こうに、ゆらりと伸びる背の高い人の姿が、ベッドを背に見えていた。
『ここは部外者の来る所ではない筈だが?』
「白檀…!」
黒い影に包まれた銀髪の青年姿の白檀は、此方を見て鼻で笑った。
金色の目が鋭く彼らを見据えている。
『ほう、自力で起きたのか。子供の姿の癖に中々やるではないか』
街の人々には眠らせる術式が掛かるように雨に細工したのだがな、と白檀はやれやれと嘆息した。
鈴歌はいつになく真剣に、白檀に目線を向けた。
「白檀さん、わたしの友達を返して!」
『それは聞けぬ』
「なんで!茉莉ちゃんは、祭姫さん本人じゃないんだよ」
『ひめさまはひめさまだ。……例え、そのものでなくても、記憶が戻れば』
「……記憶?」
どう言うことだ、と刹那は考えていた。
すると白檀が、ふっと笑った。
『ここは、そのための揺りかご。ひめさまの記憶を守るための場所』
ここは、彼女達の記憶が集められた場所だ、と白檀は語る。
刹那はそれを聞き、これまでの事が合点がいった。祭姫達の記憶が、洋館の部屋で再生されていたのは、そういうことだったのだ。
『本来なら無意識集合領域の奥深くに沈んでいて、現実へ出てくることは叶わぬが…周辺に異界の雨を降らせ、境界をずらせば…』
この通り。と口の端を上げた白檀。
刹那は更にぎょっとして声を荒らげた。
「じゃあ、ラプラスにあるものを呼び寄せたって言うのか!?」
つまり…異界の雨を降らせて、三月町を異界の浸食させたのも、この館を現実……此方側に呼びだす為の細工だった、と言うことだ。
刹那の横では、「ラプラスってなに」『雑に言うと、色んな人々の記憶や夢が集まる精神世界』と鈴歌とエリカが話し合ってる。
そして、白檀の目的は…
『ひめさまの意識は、未だここに眠っている。それを魂が同じ少女に移せれば、ひめさまは復活する!』
「……こいつ…!」
ひめさまに固執し過ぎて、狂っている…刹那は率直にそう感じた。
妖怪へとなったとき、意思や感情を持つはずなのだが、こいつは一つの感情に振り回されている、と思えた。
静かだった鈴歌は何かを考えた後に、ぽつりと問いかけた。
「…なら、茉莉ちゃんはどうなるの」
『知らぬよ。ひめさまと混ざるか、それとも意識が消えるか』
「……っ!」
さっ、と鈴歌の顔が青くなる。
エリカと刹那も、その言葉に顔を見合わせた。
「……コイツ、最初から三角の意思は見ていない感じがしたけど…!」
『…本当に、茉莉の心はどうでもよかったのね……!』
ショックを受ける少年少女達に、銀髪の青年は不敵な笑みで口を開いた。
『我は今度こそは彼女の側で御守りしてみせる。望まぬ婚姻などさせぬ』
ハハハ、と彼らの前で高飛車に笑い始めた青年に、青ざめていた鈴歌は、何かを思い出したように言葉を紡ぐ。
「……なんで。妖怪は人と結婚出来ないのに?」
鈴歌は真顔のまま、白檀へと言葉を放った。先程までのショックは吹っ飛び、心底不思議だと言いたげだった。
『何を言う、小娘?』
「異形は……怪物はね。人間とずっと一緒にはいられない、生きられないよ」
そんなの当たり前だよ。と言いたそうに。
鈴歌はにこりともしないまま、淡々と白檀へと語りかける。
『知ったことをいうな』
「だってね。…怪物は人間と同じ時を重ねることも出来ないんだよ。それなのに、今の茉莉ちゃんをあなたに縛り付けるの?」
わたしはそんなのイヤだよ。だって哀しいよ。なんで、そんなことが出来るの?
鈴歌は真顔のまま淡々とそう続けて、白檀の事を問い詰めていた。
悪意のない純粋な疑問は、白檀の心を焦らせるには充分だったようで。
青年は表情を怒りの形相に変えると、鈴歌の事を長い尻尾を使って軽く払った。
「あうっ!」
『…黙れ、小娘には関係ない!』
鈴歌の体が軽く宙を舞う。驚いた刹那は思わず「鈴歌!」と叫ぶ。
すぐに床に少女が飛ばされた衝撃が伝わる。少し離れたところで、派手に倒れた鈴歌が痛そうに立ち上がっていた。
……鈴歌は意外と無事そうだった。
「……う。怒らせちゃったや」
『ほら準備!』
エリカに急かされて、鈴歌は水晶の付いたペンダントヘッドを握ると、「『かがみよかがみ、貴女の本当の姿はなぁに?』」と唱える。
瞬きの間に、エリカの姿は赤いフード付きケープを被った鈴歌そっくりの少女へと変化した。
『いい、狩人は獣を刈り取るって相場が決まってるのよ』
とエリカが言うが、状況は明確に危険だ。
相手の白檀の側には、意識を失っている三角が横たわっているベッドがそばにある。
下手に攻撃したら、彼女にも被害が出るかもしれない。暗にそう言っているような感じだった。
『ひめさまには指一本触れさせぬ』
「オレ達は三角に怪我をさせるつもりはない」
『だが、我とひめさまを引き裂こうとしているだろう』と、白檀は鋭く吠えると、火の玉を作り出して此方へと飛ばしてくる。
刹那は心眼を使って火の粉を振り払っていたが、数が多いのでポケットから人形の形の紙を取り出した。
「…式神召喚、…守れ!」
目の前に踊らせて手で印を組み唱えると、それは透明な壁となって彼らを狐火から守った。
「……白檀は、そんなに祭姫が大事だったの?」
鈴歌の問い掛けに、白檀は当たり前だ!と叫ぶと、目を閉じて続けた。
『ひめさまは我を救った恩人だ。なれば、彼女が苦しい時に助けるのは道理だろう。……彼女はあのときのひめさまと同じ境遇。なおのこと…我が、助けなければ』
「同じ境遇…?」
『好きでもない者の元には行かせぬ!我が…』
『……はあ、馬鹿じゃないの』
盛大なため息を一つ。
赤いケープを纏ったエリカが得物の鉈を握って駆け出した。心底どうでも良さそうに言葉を吐き出す。
『そう言ってるあんただって、そうじゃないのよ!』
エリカは狐火の攻撃を掻い潜って、大振りの鉈で青年の脇腹をどつく。
『な……?!』
衝撃で少し怯んだ青年に、エリカは鉈を振り回しながら台詞を投げ掛けた。
『あんたの愛しのひめさまは、あんたが好きかもしれない。けれど』
「茉莉ちゃんの好きな人は、きっと貴方じゃない!」
エリカの後方から、鈴歌の声が話を引き継ぐ。白檀の中の時が、止まったように固まった。まるで、今まで思いもしなかった、と言わんばかりの顔をしていた。
「だって茉莉ちゃんは、祭姫さんとは別人だもん。それに…!」
『……だ、……だまれ!』
白檀が僅かに焦り出していた。
その時だった。茉莉の眠る大きなベッドに、ぼんやりと火の玉が見えた。
「……!」
白檀の飛ばす狐火の火の粉が飛んだのだろうか、その火はすぐにベッド全体に広がると、煌々と燃える炎がいばらの蔦を燃やしていた。
「……なっ!」
「消化を……!」
『……ひ、めさま…?!』
驚く刹那達と同様に、白檀もぎょっとしている。白檀の意思ではないなら、一体なんなんだろう、と彼等は思った。
茉莉の回りが炎に包まれていく。その炎は周りのベッドに巻き付くいばらだけを焼いていた。
その炎はいばらが燃え尽きると大人しくなっていった。まるで炎が意思を持つように。
そうして、ベッドを囲ういばらが焼き付くされた頃。
「………。」
彼女はゆっくりと目を覚ました。
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