現実探索:3匹の狐を探せ
[断章]魔女の状況報告
遠き過去の記憶の底で、
光を失った瞳の少女が嗤う。
深淵の底を映した深い夜の色が此方を見つめて。
ーー詠え、ーーーーーー。
薄汚れた少女は煤けた建物の側で座り込んでいた。戦禍の名残で争いの絶えない中で、ただぼんやりと。
心も感情も何処かに置いてきたかのように。
“おい、ちっこいの。こんなところであぶないぞ”
ふと、どこか懐かしい音がした。
振り向けば、そこにはぼろぼろの刀を携えた男性が立っていた。
茶髪に灰色の瞳の、こんなガラクタまみれの場所に似つかわしくない晴れた太陽のような。
“…そうだ君。良かったら娘達の妹になってくれないか?俺の子達は少しやんちゃだが、きっと仲良くなれるよ”
そう言って、小さく痩せ細っていた私の体をひょいっとだっこした。
“名前はない?……そうだな、それなら君は……”
異国の地で出会った、日本人からすれば髪も目の色も正体も知れないわたしを拾ったその人は、
“…。君は魔女じゃない。ここは燃え尽くされて灰になった。また一から始めるんだ”
******
『飲ミ込ンデヤル。我ノ邪魔ヲスルノガ悪イ!』
降りしきる雨の中。
白髪の少女、ハイネは大きな体躯の黒い獣へと姿を変えた妖怪と対峙していた。ギラリ、と牙をむく獣…
「………」
さて、そろそろ頃合いかな。
少女こと…わたしは瞳に魔力を集中させる。真紅の目に、朝焼けの様な菫色と冷ややかな青の光が灯る。
「〈吹き荒べ〉
〈燃え尽きた灰の反響音〉
〈時廻る渡り鳥〉」
一詞、二詞、三詞と唱える。
わたしの周りに温かな光が集まってきた。
まあ不本意だが、借り受けることにしよう。
いつか何処かの…ここではない世界の
わたしではない、私の。
ーーかつて何処かの世界を飛んでいた、いつか精霊となる運命の片割れ、だったモノ。
『……マテ、キサマ…異端………、ダト?!』
わたしの周りに淡い光を帯びた羽根が舞い散る。
白い髪が魔力の風を受けて羽根のように広がった。
「いいや、わたしは魔女だよ」
にやりと笑って、銀針に風と羽根を纏わせて大きな杖に変化させた。杖の先に鳥と雷を模したシンボルを形作ってみた。
『魔女ナラ…ココデ、クタバルガイイ!』
即座に杖を構え、黒い獣の突進をガードして押し返す。直ぐに腕を引き、魔物の体に蹴りを入れて相手から距離を取る。
「そこっ!」
向こうが数秒怯んだ瞬間、雷を纏った杖を地面に突き立てる。派手な光と音が鳴り響く。
バリバリと音を立てて、稲妻が獣の背中へと落とされた。
『……ギャアッ!!』
獣は雷が直撃して動きを止めていた。
空を仰ぎ見れば、ゴロゴロと雷が鳴っている。……丁度いい頃合いかな。
「…さてと」
借り受けたし、やりますか。
わたしは、これでもウルディを傷つけられたことにムカついていた。だから柄ではないが徹底的にやることにする。
わたしは小人に戻ってしまったウルディの体をそっと掬いあげる。
自分のせいで傷ついてしまった、ごめんね。
ーーーいま、元に戻してあげるから。
「……我らは記憶、揺らめく灯りも煌めく光も。
我は燃えた灰の残響音。
故に総てを記憶せし者」
少女の体を淡い青の光が包んでいく。
手の中の小さな精霊の周りから、ぱりぱりと電気が弾ける音が鳴る。
なんとなしに白檀をみれば、先程の雷にうたれて痺れているのか、此方を見て只唖然としていた。
『何故ダ、タカガ人間ノ小娘ゴトキガ…』とでも言いたげだった。きっと気付いたのだろう、今まで纏っていた少女のそれとは違う圧力に。
……まあ、もっと早く気付けば良かったんだろうけれど。
「……汝は過去、古き記憶の残滓。
故に我は問う。
ーーー顕現せよ我が精霊〈ウルディ〉」
それは、鮮烈なる天の咆哮。
ポニーテール姿の小人の姿がハイネの手のひらから掻き消えた。
ビッシャーーーン!
次の瞬間、バケツをひっくり返したかの様な光の洪水が、漆黒の狐と化した白檀を襲った。
『グ…ウ……!』
街を覆う分厚い雲から、ヌッと巨大な爬虫類の足が、どすんと降りた。
ずしん、と少し地面が揺れる。
鱗に覆われたそれは、パリパリと微量の電流が駆け巡っている。
この世界では、一般的に空想上の生き物とされ、人目に触れることはない。
神に仕える者や精霊と同じく、幻想種と言われているものだ。
『竜…ダト!?』
「相手が悪かったね」
ウルディの真体は雷を帯びる雷竜、その力の残滓である。
普段は真体を出すことは出来ないが…外に雷が鳴っていたりと、今日のように条件を満たせば真体になることがある。
いわゆる奥の手のようなものだ。
ま、こっちも想定外だったから奥の手を出したのだけれども。
『人ガ幻想種ヲ従エル訳ガ…』
雷雲の中から、激しい金の閃光がこちらを鋭く刺している。
それは、怒号のように吼えた。
〈獣ごときが我らに挑むなど…笑わせるな〉
ウルディは、ひとしきり吠えながらあちこちに雷を落としていく。
黒い狐が怯んでいたところで、彼女は前足を振り上げると、狐を易々と切り裂いた。
続けて、大きく息を吸い込むと…地上に向けてブレスを吐きだした。
『……!』
煌めく光と音、電流の混ざった吐息。
それは、雨を巻き込み雲を生み出し、大気を震わせた。
狐の黒い体を雷雲が包み込んでいく。
もうもうと雲が霞のように立ち込め、ハイネは腕で顔を覆った。
「まって、ウルディ。やりすぎだ!」
慌てて彼女のブレスを止めさせる。
程なく雲が晴れると、黒い獣の姿は忽然と消えていた。
「うーん。逃げたか」
呻いていた子狐…
……大方、痺れから回復した彼女が白檀を連れて逃がしたのだろうか。
〈残念でしたね、レディ〉
「まあ、傷を負わせたし…時間稼ぎには十分でしょ」
また能天気な、と呟く雷竜。
そりゃね、わたしの目的は後輩達が頑張ってる間の安全と時間稼ぎをすることだからね。
それに誰も、はじめから白檀を倒せとは言ってないんだから。大それたことは、機関の大人たちがやってくれるでしょ。
「……ふあっくしゅ!」
ああ、そうだ。
雨で服がやられてたんだった。
さっきから体が冷えきってるの、このせいだわ。
******
ーー後日。
部長の
話を終えたばかりの白髪の少女、ハイネは少しだけ咳をしつつ、こう締めくくった。
「ーーこれが、先日の交戦時の詳細」
「…そ。報告ご苦労様。それにしても……」
特等席の椅子に座ってハイネの報告を黙って聞いていた夏実は、まず第一声に
「…せめてあたしにLINEしなさいよ」
いや、そう言われても。
そんなにぷりぷりされても、緊急性があったから後回しにしてしまったんだよね。それに…
「なっちゃん、連絡してもすぐこれないと思うな」
もう夜になっちゃってたし、と夏実に伝えると、彼女は言いにくそうにぶつぶつ言い出した。
「…それは、父も母もうるさいだけで…」
「普通は夜遅くに喜んで自分の娘を出歩かせないからね」
うちがまともじゃないだけでさ。「なっちゃんの家は普通だよ。仕方ないでしょ」と、そう言えば、「あんたの家はいいの?」と返される。
…わたしの家、
それを伝えると彼女はふん、とそっぽを向いていた。
「……あっそ!」
「それで、機関の方は今回の事件に何て言ってた?」
少しめんどくさそうに、夏実は腕を組んだ。
「……そうね。被害者周りに警戒を強めると言っていたわ。妖怪が絡む以上、機関の方でその白檀について調べますって。
それから…あたしらは、もう首を突っ込むなって」
「まあ、そう言うでしょうね」
「大体想像が出来ていたけどさ」
二人して、つまらなさそうに嘆息をする。
ああそうだ。肝心な事を聞くのを忘れる所だった。
「……あれから、
なっちゃんの話は、こうだ。
今の所は目立った外傷もないし、あれから少しずつ眠れるようになったそうだ。
それに例の夢をみていない、と。
どうやら後輩達は、上手く悪夢を祓ってくれたようだ。
「今は異能力者を診てくれる病院で、検査入院という名目で保護してもらってるって」
「
「まだ妖怪は諦めてないんだし。対処しやすい所に保護した方がいいでしょ」
それはそうかもね。
だが、彼女を狙っているのは妖怪である。機関の退魔師が何処までやれるのか…。
「それと、被害者の身辺で一つ…」
わたしは目の前の部長に、声のトーンを落とした声で告げた。
「ビンゴだったよ。…茉莉嬢は『冬』の始祖家の内の一つ、
おまけに、何故か彼女は生まれた本家から親戚筋の夫婦に養子に出されており、
その出自は意図的に隠されていた。
何だか奇妙だったので、姉づたいにこの辺に詳しい
彼曰く「幼い頃に『冬』の集まりで見たことがある」とのこと。
あの家も『冬』の始祖家に連なる家系の一つだ。
「『冬』は確か…結界と治癒に特化した能力者が多いんだっけ」
「…日本で広まっている陰陽道を使うから、陰陽師の子孫が多い。刹那くんも符を使ったり式神を使うからね」
その代わり、と言っては何だが…『冬』は古くからの血を守ってきたせいか、その血統に拘る一族が多い。
所謂、純血主義と言うところか。
異能力者であることを誇りに思うが故に、親兄弟が普通の人間だったり、一代限りの異能力者を軽んじる傾向がある。
後天的に異能を身につけた夏実や、拾われ子のわたしはいいイメージを持たれてないので……正直『冬』の重鎮の方々は苦手だ。
「三角家はどんな能力の一族なのよ」
「結界と護符。それから…彼らは遠い祖先が狐を助けたそうで、天狐の加護を持っている、とか」
ぴくり、と彼女の形のいい眉が動いた。
「……ここでまた狐、ね」
調べれば、まだ何かしら出てきそうな気がするので、もう少し知り合いに調べてもらうつもり。と彼女へ伝えると
そうだわ、と、ぽんと手を打った。
「だったら
「うーん。先生、変な所で機関寄りだからねぇ、逆に怒られそう」
「……はは。そうだったわ」
そもそも、あの人のことだからやんわりと止められそうな気がした。
喜多先生も結構、ほっとけない気質の持ち主なんだから。
「……後は〈アリス〉の動向に注意して観察を続けろと。この事件から遠ざけろと言及してたわ」
なるほどね。あっちもそれなりに危険だと判断したのかな。
「あちらからしたら、なるべく触れさせたくないんじゃない?」
やー、無理だと思うけどね。
もう知ったことかと鼻を鳴らした彼女に、分かりきったことだけど訊ねる。
「なっちゃん、この命令を聞くつもりある?」
「ないわね」
「だよね。流石、うちの部長サマ」
そう二人して、にやりと笑いあう。
何処か楽しげな、悪戯を始める時の…ひとさじの茶目っ気の入った。
「じゃあ、早速今日から動きますか。あんたの熱が引くの待ってたんだからね」
「…風邪引いてすみませんでしたね」
じゃあ一つ、機関の連中を出し抜いてやりますか。
そんな不敵な彼女の言葉に、アルビノの少女は神妙に畏まりました、と答えた。
悪魔と魔女は密やかに、
無邪気な悪巧みを仕掛けるかの如く。
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