ありがとう

詩野ユキ

第1話

 ある女の子がいた。俺よりも少しだけ背の低いかわいらしい女の子。その子はいつも落ち込んでいた。だから俺は面白い都市伝説を話したりしてあげた。その子はとても純粋で、話をするとあからさまに怖がったり、面白がったりしていた。俺はその子のそんな姿が好きだった。


 「はっ!」

勢いよく体を起こすと、そこは家のベッドの上だった。体から噴き出した汗を服が吸って、じっとりと湿っている。気持ち悪い。俺はジリジリと規則的な音を立て続けている時計を止めると、のそのそとベットから這い出た。ああ、ひどく悪い夢を見た気がする。ベットからでると、とりあえず服を着替えた。今の季節は冬。窓の外から見える景色には、雪がゆらりゆらりと降っている。

今日の予定も特になし……。世間は近づいてきたクリスマスに向けて賑わっているというのに俺は……いや、そんなことを考えるのはやめよう。学生の本文は勉強だ。

現在高校生の俺は絶賛冬休み中だ。なんの予定もないことを勉強で紛らわすため、俺は図書館に向かうことにした。

 ……あれ俺、学生の鏡?

鞄に教材を詰めて玄関を出る。

「いってきまーす」

家の中から返事はない。両親ともにすでに出勤済みだ。

図書館までの道のりは大したことはない。家からすぐそばの線路沿いの道を十五分ほど歩き、すぐ右に曲がったところにある。俺はゆらゆらと落ちてくる雪を手の平で受け止めながら歩みを進める。今は午前9時過ぎ。丁度図書館が開く時間帯だ。で、あるのだが、俺はあることが気になっていた。異様に静かなのだ。風もなく、電柱にとまる鳥もいない。いつもこの時間に通っている電車も来ていない。道に沿って立ち並ぶ家々からなんの生活音も聞こえてこない。世界が無音に包まれていた。まるで、俺しかこの世界にいないような……

 き、気のせいか……?

 図書館についた。自動ドアをくぐり、中に入る。図書館は一階と二階があり、主に一階に本があり、2階が公共の学習スペースとなっている。俺はなんとなく一階で勉強することにした。一階にもいくつか長机があるので勉強も可能だ。そして、俺が机に向かおうとした時、やはりあのことが気になった。

 静かだ……図書館に誰もいない。受付の人も、利用客も誰も……

聞こえるのは自分の足音のみ。誰もいない図書館に俺の足音だけがコツン、コツン、と聞こえるのは、なんだか少し薄気味悪かった。

それでもとりあえず長机のもとに向かった。

 ……あ。

俺が向かおうとしていた長机には人がいた。女性だ。肩まで伸びた黒い髪。陶器のような白い肌。髪を耳にかけるその仕草の際に見える整った容姿。それはまるで女神のような……それは言いすぎか?いや、しかしそうといっても過言ではないほどにきれいな人だった。恐る恐る席に着く。俺はその人が座る対角線状に座った。

 それにしてもきれいな人だな。

横目にその人を見る。何やら教科書らしきものを広げていたのを見ると、俺と同じく高校生なのかもしれない。だがやっと人を見つけたのはあったが、この違和感は拭えていない。その人を除けばこの図書館には誰もいない。静けさは異常だ。

 とりあえず勉強するか。

俺はどうしようもない不安感を感じながらも、席についてしまった手前、勉強することにした。

それからしばらく時間がたってから、ふと集中が切れた。俺は解きかけの計算問題をやめてペンを置いた。

意外と集中してしまった。静かすぎて逆に集中できたのかな?

そして軽い背伸びをしようと顔を上げた。すると……

「わぁ!」

「ふっふっ……やっと気づいた」

先ほどの女神が俺の目の前に座っていた。ニコニコと笑顔を浮かべている。おお、圧がすごい……。その整った容姿だけあってか、ただの笑顔でも異様な迫力があった。

「ど、どうしたんですか?」

「なんだと思う?」

ええー…… 

「俺のことが好っ」

「ではない」

 ですよねー

「じゃあなんで?」

すると彼女は再びニコリとほほ笑み、俺のおでこをコツンと小突いた。

「あたっ」

「私もわかんない。なんとなく気になったの」

「え?……やっぱりそれって俺のこと」

「それは違う」

 即答……

「それはそうとここ……なにかおかしくない?」

 ⁉ この人も……

「……静かすぎる」

それを聞いて彼女が目を細めた。

「……やっぱり」

「ここに来るまでも人気を全く感じられなかった。なにかおかしい気がします」

「実は私もなの。家を出てから人はおろか、スズメやカラスすらみかけないわ」

この状況は偶然なのか。それにしては不明瞭な点が多すぎる。いまこの図書館にいるのは俺たち二人だけ。なんの関係が。

 すると彼女がすっと立ち上がった。俺は座ったまま彼女を見上げる。

「少しこの図書館を見て回らない?」

「俺と?」

「ええ、君と」

 ……おう。

まさか図書館でこんなことになるとは。ぼっちの学生諸君、もしかしたら図書館に行けばいいことあるかもしれないぜ。

「分かりました。この原因がなにかわかるかもしれないですしね」

「私は冬野明日香。あなたは?」

「お、俺は色斗春です」

「よろしく。春」

「よ、よろしくです。明日香さん」

緊張していたため上擦った声がでた。さっきから思わず敬語を使っているけどやっぱり年上なのだろうか。

 図書館を二人で隅々まで見て回った。本棚すべてを見て回り、二階の学習スペースものぞいた。受付のカウンターのなかを覗き込みもした。だがやはり人は誰もいなかった。この図書館に俺と明日香さんしかいないことはどうやら事実らしい。

「ねえ、春くんはこれ、どう思う?」

明日香さんが受付カウンターに腰を預けながら、その横で座り込んでいる俺に問う。

「なんなんでしょうね……」

俺はいつも通りの生活を送っているだけだ。どうしてこんなことになっているのか見当もつかない。するとその時、

ドン!

「え…………」

突然音がした。俺と明日香さんは顔を見合わせる。

「「……」」

無言でうなずきあう。俺たちは音のしたほうに向かった。音は本棚がある方からだ。そこに行くと、本棚の前に一冊の本が落ちていた。その本棚をみると一冊分の隙間が出来ている。おそらくここから落ちてきたのだろう。

「思春期症候群……?」

その本のタイトルだ。俺は本を手に取って中を見る。どうやらこの本は思春期症候群という病気? についてのものらしい。

「明日香さん。知ってますか? 思春期症候群」

明日香さんは首を横に振る。

この本によると思春期症候群というものはいろいろな症状があるらしい。人から見えなくなったり、急に体にあざができたり、自分が二人になったり、未来の人がやってきたりと……

「都市伝説みたいなもの……ですかね?」

「まあ単にそれだけを見たらそうなるわね」

そう、単にこの本をみたらそうなるのが普通だろう。だが今はそういえない理由がある。

「明日香さん。もしかして今のこの状況が思春期症候群と関係があったりするんですかね?」

「分からないけど……実際変なことが起きてるわけだし否定はできない」

そう言って明日香さんは俺の手から本を取った。ゆっくりページをめくり内容をじっくり読み始めた。

明日香さんが集中しているようなので俺はこの本があった本棚をみた。もしかしたらまだなにか分かることがあるかもしれない。本棚には無数の本がある。

「……」

しかし、…………だめか。

この本以外に目につくものはなかった。俺はなんとも言えない不安感から腕時計をみる。すると……

 え? 

慌てた様子でポケットにあるスマートフォンを取り出す。

 これは……⁉

「明日香さん‼」

「……」

明日香さんは本を読むのに集中している。俺の声が届かない。何度も呼び続けているとやっと気づいた。

「どうしたの?」

「時計の時間が全く進んでいません」

「壊れてるんじゃないの?」

「違います。図書館の時計も僕の腕時計と同じ時間で止まっています。それに……」

俺は手に持っているスマートフォンを見せた。

「スマホも同じ時間で止まっています」

「ほ、本当……」

明日香さんは本を開いたまま、茫然と見つめている。やはりこれはただ事ではない。絶対に何かがおかしい。これは思春期症候群なのか。

気持ちにつられるように足が動く。俺は落ち着きなく本棚の周りを歩く。そして何周したころか、俺の体に異変が起きた。突然吐血した。

 な、なんだ……これ?

手に着いたものは紛れもなく自分の血だ。理解が追い付かない。

「あ、明日香さん……」

俺は思わず明日香さんを呼ぶ。しかし、そのときにはもう遅かった。俺が明日香さんの元に着く前に、俺はその場に倒れた。

「春くん!」


 耳元で何か聞こえる。

「は……」

頭がぐらぐらする。よく聞き取れない。

「……くん!」

「春くん!」

「‼」

気が付くと、明日香さんが俺の手を握ったまま、とても青い顔をしている。

「どうしたんですか? 酷い顔ですよ」

「どうしたって! 君が急に倒れたんでしょ! もう……死んじゃったかと思ったじゃない」

目にうっすらと涙を浮かべながら怒る明日香さん。

「……そうですね」

「そうですねって……」

俺はいまだに握ったままになっている手をちらりと見た後、明日香さんの顔を見た。

「明日香さん重要なことがあります」

「な、なに?」

俺の真面目な雰囲気を感じてか、明日香さんはたじろぐ。

「僕とキスしてください」

「…………は?」

「いやいやいや君、何を言い出してるの? 倒れて頭おかしくなったの?」

それでも俺は動揺する明日香さんににじり寄る。

「へ、ちょっ、ね、ねえ! 本気なの⁉」

明日香さんは赤面し、ぎゅっと目をつぶる。

 うん………よかった。

「……んっ!」

俺は明日香さんにキスをした。そして…………

バタン。

糸の切れた操り人形のように倒れた。

それを見て、茫然と俺を見下ろす明日香さん。静寂に包まれたなか、色斗春は死んだ。

 

 季節は冬。静かな病室の窓からのぞくと、外では雪が降っている。私は今病室のベッドの上にいる。この部屋には私以外の患者はいない。私はゆっくりとベットを降りる。ずっと寝たきりになっていたためか、足に力が入らない。扉に向かうだけで疲労を感じた。

「……ふぅ」

乱れた呼吸を整えながら扉を開ける。そしてゆっくり歩き始めた。

 私は小さい頃から病弱でずっと入院していた。学校に行けず病院で過ごす毎日は退屈だった。私も普通の子と同じように外で遊びたかった。そんな日々を過ごしていた時、偶然、私より一つ年下の男の子と知り合った。その子も入院しているようだった。いままで友達などいなかった私はすぐに仲良くなった。それからいろんな遊びをした。こっそり夜中にあっておしゃべりをしたりもした。その男の子と出会ってからは病院生活に不満など感じず、むしろ楽しかった。

こんなに楽しいならずっと病院でもいいと思った。でも……

そうはいかなかった。

私の容態が悪化したのだ。私は寝たきりとなり、遊ぶことはできなくなった。最後にあの子と遊んだのがいつなのか……私は正確には覚えていない。ただあることだけは覚えている。その男の子はとても明るく、本が好きだった。それで私が落ち込んでいると面白い話をして私を励ましてくれた。そしてあの時、私が病気の状況が悪くなって落ち込んでいるときも、

「絶対治るよ。明日香ちゃんはずっと頑張ってるもん。病気は気の病って書いてびょうきって読むんだし、頑張ってる明日香ちゃんの気はずっと強いよ! だから病気は治る! 僕が保証する!」こじつけのような言葉だったけれど、ニコリとほほ笑むその子の顔をみて私はとても勇気づけられたのを覚えている。

私は足を止めた。そこはある病室の前。壁に掲げられたネームプレートには色斗春の文字。

ノックをして扉を開ける。ベッドの上にはあの男の子、色斗春がいた。だが反応はない。ベッドに寝たまま、顔に白いタオルをかぶせられている。そう、彼は死んだのだ。

「っ……‼」

私は唇をぎゅっと噛みしめる。涙が溢れた。

なんで! なんで! なんで!

 春は明日香以上に重い病気だった。それを隠して明日香に明るく振る舞っていた。そして明日香が寝込んでから数日後、春も意識を失った。春は自分の余命が短いことは分かっていた。でも春は後悔していなかった。楽しい人生を送れたから。それも明日香のおかげ。だから春は明日香に恩返しがしたかった。春は意識を失う前祈った。

 明日香の病気が治りますように。その願いは思春期の男の子の最初で最後の大きな願い。

「……私を一人にしないでよ」

私は動かなくなった春の傍でえんえんと泣き続けた。






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