そして夏に殺される

こしあんみつ

第1話:そして彼は戻る

 至って平凡で、何の魅力もない男子高校生、それが僕。身長は178cm、体重61kgと少し痩せ型。ルックスは良くもなく悪くもない、とは自分で思ってる。コンプレックスは極度の人見知り。こればっかりは直せる気がしない。


 自己紹介はこれくらいで、今の自分の状況を説明することにする。まぁ、簡単に言えばニート、引きこもり、なのかはよく分からないけれど、あまり外には出ないし出るとしても犬の散歩や買い物くらい。受験生、センター試験を目の前に控えている身でありながら、もう二ヶ月も学校には登校していない。最初は先生や友人、そして家族から学校に行くようによく言われていたけれど、そういうのは最近は全くなくなって、完全に不登校児と化している。


 こうなってしまったのも、今まで僕が、僕の人生を歩いてきた途中で何かを失ってしまった、欠いてしまったのが原因なんじゃないのかなって考えてる。でも、そうやっていくら他人に弁解しようとしても、それは屁理屈とみなされて、最終的には甘えだ、なんて一蹴されてしまうのだろうけど。


 ……本当は、僕は気付いてるんだ。自分が弱いから、他人と上手くやれないから、嫌なことからすぐ逃げ出してしまうから、そんなことじゃなくて、僕はきっと'生きる'ということが苦手なんだ。だからどんなに自分を変えたくても、救われたいと願っても、もう、遅い。誰も手を差し伸べてはくれない、未だ十分の一程度しか生きていないのに己の人生を自己完結させて、諦めてしまった。


 なんて、なんて惨めなんだろう。こんなことになるなら、僕は生まれてこなければ良かった。僕をこの世界に産み落とした両親を僕は恨み、そしてそんな自分をまた嫌って、どうしようもなくやり場のないその負の感情は延々と心の奥底で渦巻いて沸き起こり、時折僕をダメにする。


 午前4時過ぎ、ベッドの上で布団にくるまりながら、そんな不毛なことをずっと考えていた。やがて夜は明け、微かに明るみを得た空にまだ薄く残る夜の気配。僕はリフレッシュする為に、家族が起きないよう静かに自室を出て階段を降りる。一番早く起きる父でも五時半だから少なく見積もっても一時間は外に出られる。


 リビングを過ぎて靴を履き、スウェットのままだと気付いたけれど面倒臭いのでそのまま外へ出た。季節は夏がもうそこまできているくらい。早朝はまだ涼しく、スウェットで丁度いいくらいだ。ここら辺は特に何も無いので、歩いてすぐの場所に川があるのでそこへ行くことにした。


 スマートフォンを握りしめ、そこから繋がれたイヤフォンは僕の両耳にはめられている。川に架けられた橋の上の真ん中辺りで立ち止まる。ちょうど川を見下ろす感じだ。


 ふと、思いつく。ここから、この橋の上から今飛び降りれば、僕は死ねるのだろうか。この人生に終止符を打てるのだろうか。そんなことを、思いついた。周りには誰もいなくて、ただ僕一人だけ。僕の心は不思議とワクワクしていて、心做しか楽しいまである。


 手すりに手を掛けて、川を覗き込む。ちょろちょろと静かな川のせせらぎが耳をくすぐる。川の端から生える草の茂みの中からは野鴨が二羽、がーがーと鳴きながらゆっくりと仲良さげに泳いでいる。野鴨は時折互いに突っつきあって、羽をバタバタとさせた。僕は喧嘩かな?と思い、何故だか分からないけどスマホを片手にその様子を録画し始めた。


 暫くすると二羽のうち、一羽が飛び去ってしまった。残った一羽は、どこか淋しげにその場をくるくると回り、いつしか見当たらなくなっていた。荒んでいた僕の心も、一時の感情のようなもので、渦巻いていた黒いモノも胸の中にはもういない。


 もう、夏か。帰り際にコンビニに寄りながら蝉の鳴き声を聴いてふと思った。僕には夏という季節に沢山の思い出がある。……その殆どが悪い思い出ばかりだが。けれども良い思い出もある。例えば、僕の誕生日だ。小さい頃はよく家族で食卓を囲んで御馳走やケーキを食べたりしたっけ。朝起きたら欲しかったゲームのカセットが枕の横にあったり……。


 そして、今一番思い出したくない、忘れたい記憶が蘇った。高校二年の夏、僕は大好きだった彼女に振られた。突然のことだった。僕が何か彼女に対してやってしまったということは多分ないはずだ。何か約束を破ったわけでもないし、機嫌が悪くなるようなことを言ったわけでもない。本当に、突然だった。


 僕は家へと帰りながらコンビニで買ったアイスクリームを片手にスマホを弄る。L○NEを開いて、トークの履歴を見る。人間関係に疲れて全ての人とのトーク履歴を消そうとして、どうしても消せなかった人とのやり取り。約一年前、丁度去年の夏に、「さようなら」と一言だけ添えられて、それっきり。


 それをずっと見つめながらアイスを食べていたら、既に半分まで食べてしまっていた。僕はいつまでも消せない"それ"を今消そうと親指をスマホの画面に伸ばそうとした。でも、やっぱり消せなくて。


 溶け出したアイスが地面に垂れ落ちて、あの夏で出し切って枯れたはずの涙がまた湧き出しそうになってスマホの電源を切った。残り少ないアイスを一気に食べて、頭がキーンと痛くなるのを抑えて帰路についた。


 家へと帰り着きまだ誰もいないリビングの時計を見ると、五時を少し過ぎたくらいだった。僕は自室に戻ってベッドに沈み込み、そしてイヤフォンをまた耳にはめて目を瞑る。眠りについてしまうのに、そう時間はかからなかった。





「起きなさーい! 遅刻するわよ〜!」


 母さんの声が聞こえて、眠い目を擦りながら何故か妙に軽い体をベッドから起こす。やはり何かがおかしい。母さんの声が少し若く聞こえるのだ。まぁ起きたばかりだし多少はとその時は気のせいにした。


「……は?」


 立った時にも自分が明らかに縮んでいたのは分かった。それを確かめるべく姿見を見た時は驚愕し、体から力が抜けてその場にぺたんと座り込んでしまった。


 唖然としている僕を写すその鏡面には高校三年生の僕ではなく、恐らく小学生低学年の頃くらいの僕が写っていたのだ。


「一体……何がどうなって……」


 立ち上がって部屋を見回す。部屋は随分前の時の配置になっている。今はもう無いはずのオモチャや昔遊んでいたゲーム機などが確かにそこにはあった。


「こら! 早くご飯食べちゃいなさい! 遅刻するわよ?」


 いつの間にか僕の部屋のドアを開け、エプロンを着ている若々しい母さんがそこに立っていた。


「ね、ねぇ母さん。今って何年?」


「はぁ? 急に何を言い出すのよ。今は2009年でしょ? そんなことより早く顔を洗ってきなさい」


 少し不機嫌な母さんはそのまま部屋を出ていった。僕はまだ自分が置かれている今の状況が掴めないでいて、とりあえず顔を洗いに洗面所へと向かった。


 両手に少し水を貯めてそれを顔に当てる。冷たい水は少しまだ残っている眠気を覚ましてくれる。最初こそは驚いていた僕も、少しは落ち着いてきていた。夢だと疑って頬を抓ったりもしてみたがしっかりと痛みはあって、夢から覚める気配もなくて、見た目は小さい頃のままだ。


 顔を洗い終わり、再度まじまじと鏡を見る。やはり姿見を見た時の小さい僕が写っていて、高校生の僕はそこにはいない。声も幼くなってはいるが精神だけは高校生の時のを引き継いでいるらしい。まるで某探偵ものの漫画の主人公のようで少しワクワクしていたのも事実だった。


 今の僕の目的は何故こんなことが起きているか、そしてどうすれば戻ることが出来るのだろうか、ということだ。けれど、戻りたいという気持ちは学校へ登校するために家を出る頃には消えていた。何が楽しくてあの最悪の日々に戻らなければならないのか。きっとこれは毎日辛い日々を送っている僕を見かねた神様が送って下さったプレゼントだと勝手に自己解釈して、そのお心遣いを無下にしてはいけないとありがたく堪能することに決めた。それにこの時期は確か特に学校が楽しくて、毎日が楽しかった頃のはずだ。二度と体験することの出来ない素敵な賜り物。僕は嬉しくて嬉しくて堪らなくて、軽くスキップを挟みながら早く学校で久しぶりの友達と話をしたり遊びたくて、急いで学校へと向かった。


 学校へと着くと、沢山の子達が登校している最中で、友達と話しながら登校してくる子、僕みたいに一人で登校してくる子、時には競走しているのだろうか、下駄箱まで全力疾走してきて息を切らした子が友達と笑い合いながら奥へと消えていった。


 あぁ、懐かしい。胸の奥から熱い何かが湧き上がってきて、それは僕の体を駆け巡って最終的には目へと終着する。気付いた時には目からポロポロと涙が零れていた。下駄箱前で不自然に立ち止まって泣いているものだから、他の子達が不思議そうに僕を見てくる。けれど一度決壊した涙のダムは止まることを知らなくて、時折嗚咽を

 混じえてその場で泣くことを辞められなかった。


「ケイ、どうした? 大丈夫か?」


 ケイ。そう僕の名前を聞き覚えのある声で呼んだのは、親友のタクだった。


「……タク!!」


 無意識に僕は彼を抱き締めていた。彼は困惑していた。当たり前だ、急に泣いてる変人から抱き締められるのだ。僕なら絶対突き飛ばす。


「お、おいどうした? てか離せよ恥ずかしいだろ……」


 それもそうだ。僕は涙をハンカチで拭きながらタクから離れた。


「ほら、早くしないとチャイム鳴るぞ? 一緒にいこーぜ!」


 そんな優しい言葉をかけられたのはいつぶりだろう。また涙が出てきそうだったのを僕は堪えて、眩暈がするほどの懐かしさがある校内へ、半ばタクに連れられる形で歩いた。その時はまだ色々な気持ちが交錯していて、まさか今日が"あの日"だということをその時の僕は思い出せなかった。外では蝉がまるで僕にそれを教えようとしているようにいつもよりも激しく鳴いているような、そんなある夏の日のことだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る