宗教学校

高校二年生の時であった。

僕は改宗を決意した。

誤解がないように述べておくが、多神教に愛想が尽きただとか、磔にされたオジさんに興味がなくなっただとか、それこそリンゴを崇拝する宗教をやめたわけでもない。

学校という宗教の改宗を決意したのだ。

始まりは初めての受験戦争の時、要は小学生の時のことである。

その時私は学校という檻には、創設者がいて、その創設者が神であり、教祖様であることを知らなかった。

そして、その神。創設者の思想によって学校制度自体がガラッと違うん物だという事を知らなかった。

そして、それゆえ社会というベルトコンベアに乗せられ、言われるがままに出家届けを書いてしまった。

そこからが地獄の始まりであった。

まずは、初めは校歌・建学の歌の読み込み、次に創設者の生い立ちから波乱万丈チックに描かれた歴史の暗記。

事あるごとには、校長がご高説を垂れてくれる特別仕様。

そしてある時気づいてしまったのだ。

学校とは、学校法人という皮を被った宗教団体なのだと。

宗教団体は、宗教法人であり、宗教とわかっているからまだいい。

学校とは、日本国民ほぼ全員が通うものであり、未来を描く子供の洗脳をこのような方法で行なっているという事実に。

そこから私は高校に入学し、改宗の準備を始めた。

他の宗教学校を調べ、どんな教義によって成り立っているのか、その宗教にはどう入れるのか。

どのような人材を求めており、どのような分野で猛威を振るっている宗教なのかを。

別に創価学会だとか実際の宗教に限らない。

大隈教だとか、松前教だとか、孝明教だとか、それこそほとんどの有名私立大学の教義を漁った。その結果、福沢教に出会った。

一万円札に代表される福沢教は、日本の政界や財政に根強い力を持っている国内有数の宗教だ。

宗教団体の名前は、三田会とも呼ばれており、日本で根強い人気を誇っている。

そして、私は改宗を決意したのだ。

松前教から福沢教に。

どのような実態が待っているのか。

暖かい不安が僕を包む。

来春まであと半年を切った。

初めて自分で決めた宗教。

入信式が楽しみだ。

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