社会性
近年、「社会性を身につけるために学校に行く」という暴論を耳にする。
事の発端は、インターネットの普及や書店の増加に伴い、学校以外で勉強を行ええるようになり、勉強としての学校が成り立たなくなったことだ。
そして、学校に勉強以外の付加価値を見つけようとした結果、社会性だとか、大人だとか、友達だとかが意義として唱えられるようになった。
その結果、「社会性を身につけるために学校に行く」などという暴論に行き着いたのだ。
そもそも、この発想はアンスクーリングの波に逆らっているし、別に学校の存在意義にはなり得ない。
学校に行かなくても、勉強のマテリアルは極論ネット上にもう全て存在するし、教科書やカリキュラムの情報はいくらでも手に入る。
さらに、学校で身につく社会性はかりそめの社会性であり、ただの偶像にすぎない。
1クラス30人から40人の同年齢の男女を同じ教室に詰め込み、詰め込み型の教育を施す事に何の社会性も存在しない。
本当の社会では、全員の年齢が同一の環境などないし、全員の立場が同じ環境など存在しない。
真の意味での社会とは、老若男女多種多様な人間が集まって自然に構成されるものなのだ。
そもそも、いじめ問題一つを取ってもそうだ。
本当の意味で社会的な場所であり、老若男女すべての要素が存在する教室であれば、少なくとも今のようないじめは存在しない。
社会性を身につけたければ、昭和のように近隣の老夫婦などや祖父祖母と交流を図り、くだらない悪戯や悪さで近所の親父に怒られるのが最適解だ。
昭和的社会環境が真の意味で社会の中で学びを問い、社会性を身につける事のできる環境だ。
幻の社会性に惑わされてはいけない。社会性を身につけたくば、社会に出よう。
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