第10話
「や、ちょ、ま!」
「つき? え? 付き合っている? 誰が? 俺が? ば、馬鹿な! ば、ば、ば、馬鹿なことを言わないでください!」
言語中枢は回復傾向。否定の言葉を何とか捻る。勇者の必死の訴えは果たして上々一郎へと届くのか。
「またまたご冗談を!」
残念! 届かず!
勇者の魂の叫びは
「さ、ではこの契約書に署名と血判をば」
力任せに腕を取られペンを握らされる勇者。強引なる婚姻。いや婚約であるが、一度念書に名を連ねれば、その約定は命が終焉を迎えるまで放棄できぬと勇者の直感が告げている。
これはまずい。名など書くわけにはいかぬ。血判など誰が押すか。
勇者の心は不退転! 決して屈せぬ男の意気地! だが! それは強大なる力(物理)の前には何の意味もなかった!
「い、痛い痛い痛い!」
「なぁに大丈夫大丈夫。すぐ済むすぐ済む。無駄な力を入れんと、ぱっと書いてしまいなさい」
無理やりペンを握らされる勇者! 掴まれた腕がギシリと軋む! 抵抗すれば即骨折コース! 蹂躙される人権と右腕!
こ、これでは本当にエンジュとうる星生活を送るはめになってしまう……!
人外娘(?)と一つ屋根の下。確かにエンジュはラムちゃんに似てなくはない。しかし致命的な相違として性別、次に容姿の問題が議題に上げられる。勇者の脳内サミットではその二点が大きな論争が巻き起こり第二次大戦が勃発しそうな勢いである(第一次大戦は藤崎詩織を許し攻略するかどうかで意見が割れ開戦。長く続いた戦いは藤崎詩織を絶対に許さない派の勝利に終わった)。
「ま、ま、待って話を聞いて……」
「男児たるもの舌先を動かすべきではない!」
もはや強硬手段。力しか使わぬ流儀。丸め込むとか脅迫するとかが一切ない、純粋たるパワーによる実力行使。上々一郎の作戦は、ガンガンいこうぜ どころの騒ぎではない完璧なる力押し。これではヤクザの方がまだスマートである。他人のジゴンスには寛容であるが自ら801道へと踏み入れる気のない勇者にしたらここで折れるわけにはいかないが腕も心も万事休す。アンバランスなキスミーアスなどごめんといったところだが、悲しいかな蟻と恐竜程の力量差。覆すには知恵がいる。
考える。
勇者、必死に考える!
考えろ考えろ考えろやればできるやればできるやればできる頑張れ頑張れ頑張れ負けるな負けるな負けるな俺なら見事悪を許さぬ逆転一発マンとなりこの逆境を乗り切れよう! 力に屈するな! 頭を回せ! 考えろ! よし! 一旦深呼吸! 冷静になれ! 現状把握! 場所! ムーンライトパワーのテーブル席! 並ぶはコーヒーとパフェ! 眼前に座すはアドンだかサムソン! カウンターの奥には満月のババア……あ、あいつスマートフォン構えてやがる! この醜態をweb上にばら撒き晒し者にする気か!? 許せん! いやそんな場合ではない! 今はただ考えろ! 超兄貴の物理的策略から逃れる手を!
この間0.05秒! まるでキャプテン翼の実況である。勇者の脳は、中村名人のループザループのように無駄なく全力で回転していた!
そもそもなぜこのような事態となった!? ゲームの最中! エンジュが突然音信不通! そして父親にバトンタッチ……
そうだ! そこだ! そこがまずおかしい! なれば突く隙は一つ! 得たぞ! 答え《アンサー》を!
閃き! 1秒にも満たぬ時間に勇者、天啓を得たり!
「エ、エンジュさんご本人がこの場におられぬのに親の一存で斯様な所業は暴挙以外の何物でもないのではないですかぁ!?」
どうだ!? この一声で上々一郎の暴走は止まるか!? 止まるのか!?
「……」
止まった! 勇者! 危機を脱す!
「エンジュさんと連絡がつかないのですが、どうなされたのですか?」
核心をつく一言! 半ば面倒になった勇者はとっととケリをつける気である!
「はっはっは!」
「ちょ! 質問に! 質問に答えてください!」
上々一郎! まさかの無視! わざとらしく、本当にわざとらしく笑いながら再び力を込めてサインをするよう勇者の手を動かす!
「男が細かい事を考えちゃいかん! ケツの穴が小さいぞロト君! ま、これからガバガバになるんだが!」
下品な冗談だが勇者はそれどころではない。
先とは違い本気で愉快そうに笑う上々一郎のパワーの前になす術がないのだ。念書には勇者の勇まで書かされている。残り8画を記す時間が残された最後の猶予。勇者の運命は如何に……!
「パパ!」
乱暴に開かれた扉! そびえ立つ人影! 誰だ! 誰だ! 誰だ! あれはネカマ!
「おお玄一郎! 愛しき我が子よ! 待っていろ! あともう少しでこの子羊との婚約を成立させてやるからな!」
「パパ! 私とロトの愛はまだまだ発展途上なんだから! 無理に距離を縮めようとするのはやめてちょうだい!」
「しかしだな!」
「しかしじゃないわよ! だいたいいきなりに部屋に入ってきて捕縛監禁とかあり得ないんだからね! 久しぶりだから脱出に時間かかっちゃったわよ!」
「いかんぞぉ玄一郎。ゲームをやるのはかまわんが、鍛錬は怠ってはいかん。実にけしからん!」
「不意打ちで勝った気でいるんじゃないわよ!? 分かった! 今ここでやってやろうじゃない!」
繰り広げられる大音量による親子喧嘩。勇者は既に蚊帳の外である。しかしこれはチャンス。意味の分からぬナイトメアから脱出できる千載一遇の好機!
……逃げよう。今こそリアル夢日記からの解放だ!
勇者は忍び足スキルを発動! ミッション内容はステルスモードを駆使してムーンライトパワーから脱出せよ! である。目下言い争っている化物二匹を出し抜くなど容易い達成目標ではないか。
しかし!
「待ちなさいよ」
まさかの伏兵! 立ち塞がるは満月! 適齢期を過ぎたセーラー戦士が勇者を阻む!
ババア!
「なんでしょうか」
浮かぶ暴言を飲み込み勇者は紳士に対処した。例えババアであっても女は女。童貞の勇者は扱いに慣れぬ。
「アレ、どうにかしてから帰ってくれない? 困るのよ毎回毎回。営業妨害で訴えるからね?」
「毎回? 確かに迷惑はかけてますが、まだ2回目じゃないですか。大目にみてくださいよ」
「あんたはね! ただ! そこで騒いでるオカマの方はもう毎日来てるの! いっつもいっつも昼から酒ばっかり飲んでは絡んできてうるさいったらないんだから!」
満月がご立腹だった原因が明らかとなった。PC一つで稼いでいるエンジュは時間に縛られない。それ故、勇者が案内してくれたこの店、喫茶ムーンライトパワーに通いつめ、一方的に愛し君への
「そんなつれない事言わないでよムーンちゃん。私たち、もう友達じゃない。恋バナもしたし、連絡先も交換したし……」
割って入るエンジュ。どうやら親子喧嘩は終了のようだ。勇者の逃亡は失敗。実にアーメンである。
「あんたが! 教えてくれなきゃこの店を破壊し尽くすのみだぁ…… なんて伝説の超サイヤ人みたいなこと言うからでしょうが!」
「いいじゃない。寂しいのよ私は。でも、貴女がいて助かったわ。パパとロトが一緒にいる所、わざわざ写真に撮って送ってくれたんだから」
なるほど。ナイスタイミングなご登場はババアの差し金だったが。グッジョブと言わざるを得ない。
後ろ向きな賛辞を送りつつ勇者はパフェを貪る上々一郎を見た。その瞳には涙が一筋。どうやらエンジュに負かされたようだ。萎んだ巨体が実に哀れである。
「ところでロト。最近、ゲームの弛んでるんじゃない?」
勇者に声をかけるエンジュの片手にはいつの間にやら瓶ビール。小瓶片手にカウンターに背もたれする様は実に世紀末めいていた。乙女の姿など蚊ほどもない。
「そ、そんな事ないよ?」
目が泳ぐ勇者。彼は嘘が苦手だ。
「まぁいいんだけど、もし、ロトがゲームを辞めたら……」
「……やめたら?」
小さく口角を上げて皆を語らぬエンジュは間違いなく勇者を脅している。何が起こるのかは想像もしたくない。
「続けるよ……ゲーム……」
「そ。よかったわ」
圧力に屈した勇者。ゲームのさや替えは先送りとなり、しばらくは「やれやれもう飽きたよ」というようなゲームをプレイする事となった。
ムーンライトパワーでは、上々一郎は二杯目のパフェを食べていた。満月は戻らぬ眉間に寄った皺を露わにして洗い物をしていた。エンジュはもう何杯目かのビールの王冠を開けていた。
こんなルイーダの酒場は嫌だ……
勇者は心の中でそう呟くと、ブックマークしていたサイトをスマートフォンから削除したのであった。
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