JK堕としの名を持つ男、柏木の王道
永菜葉一/角川スニーカー文庫
プロローグ
プロローグ
輸送ヘリの内部はまるでジェットコースターのような有様だった。
乱気流が激しく、機体が上下左右に揺さぶられている。シート自体が振動し、各所の機材は固定ベルトから外れそうになっていた。
しかし、その男の表情は微塵も崩れない。
後部座席に深く腰を落ち着け、左腕につけた腕時計型のデバイスを確認。
重々しい口調で訊ねる。
「到着予定時刻だ。島はまだ見えないか?」
男の声は雑音のなかでもよく通った。
セーフティーバーに押さえられた服装は上質なビジネススーツ。ネクタイの結び方は長身に合ったスモールノット。
スマートな出で立ちをしつつも、その顔はまるで修行僧のように厳めしい。端的にいって人相が悪い。
男の名は柏木啓介。二八歳、独身。世界的な大企業体・有栖川グループに属するビジネスマンである。
柏木の問いかけに対し、操縦席のパイロットが悲鳴交じりで答えた。
「この気流のなかで予定通りに飛ぶなんて無理ですよ!? 柏木主任!」
「無理でも間に合わせろ。それがお前の仕事だ」
「そりゃやるだけはやっていますけど! ――あ、見えました! 二時の方向!」
柏木はフロントウィンドウの右斜め前方へ視線を向ける。
大海原の先、巨大な島が見えてきた。外周部を剥き出しの岩壁と森が覆っており、一見すると無人島のように思える。だが内部にいくにつれて開発が進んでおり、中央に至っては都市部のような高層建築が連なっていた。
意図的に造られた逆ドーナッツ現象とでも言おうか。開発区と未開発区が極端に分かれた、歪な島だった。その用途、そしてその名称を、柏木は知っている。
「絶海の孤島に隔離された学び舎――聖ルルド学園、か」
そう、かの島は学園である。それも世界中から資産家の令息令嬢たちを集めた学園だ。
しかしただの資産家の家系では入学できない。条件となるのは、没落寸前の資産家であること。
この学園で生徒たちは一発逆転を賭けた、借金返済ゲームを行っている。家を立て直すため、自らの命すら賭けた、死のギャンブル――その名も『奇跡のルルドゲーム』。
「まったく度し難い。退廃の象徴のような島だ」
柏木は無表情で憤りを口にした。
輸送ヘリは気流に揉まれながらも島中央部へ近づいていく。
すると突然、柏木のデバイスがアラートを発した。液晶モニタが赤く点滅し、警戒語句が表示される。
――Emergency!【緊急事態】 Princess is in danger.【姫君に異常発生】
液晶モニタに示された心拍数や発汗状態は、いずれも平時ではありえないほどの数値となっていた。柏木はすぐさま直近の記録映像と音声を再生し、予断のならない状況を理解する。
険しさを増した視線が操縦席のパイロットへ。
「急げ。彼女が窮地に陥っている。緊急事態――コード・レッドだ」
「しかしヘリポートまではまだ距離があります!」
「ならここでいい。ハッチを開けろ。直接降下する」
「なっ!? しょ、正気ですか!?」
「支障はない。彼女の現在位置は把握している」
「そういう問題ではなくて! ちょ、柏木主任!?」
すでに柏木はセーフティーバーを外し、持参したジェラルミンケースを手にしていた。パラシュートパックを背負い、パイロットが操縦席からロックを掛けるより早く、手動でサイドハッチを開けてしまう。
凄まじい風が吹き荒れた。髪やワイシャツの襟が激しく煽られる。だがその眼光は揺るがない。見据えるのは眼下、フランス式の居城のような外観の学園施設。
柏木の本気を感じ取り、パイロットがヘルメットの下で顔を引きつらせる。
「いくら仕事とはいえ、どうかしてます……っ。ずっと思ってましたけど、柏木主任、あなた本当に人間ですか!?」
柏木の口元に初めて笑みのようなものが浮かんだ。自嘲と皮肉を煮染め、諦観でかき混ぜたような、乱雑な苦笑。
「人間らしさなどとうに捨てている。真っ当な感性で社会人などやっていられるものか。およそ勤め人というものは誰もが人間性を捨てて働いているんだ」
たとえば命を削る残業の無限ループ。
たとえばクライアントからの破綻した要求の数々。
たとえば過剰摂取される栄養ドリンクとカフェインの山。
社会人たちは日々、地獄のような責め苦を受けている。そんな環境でまともな人間性など保てるわけがない。その上で皆、働いているのだ。
「俺たち社会人は常に精神と肉体の限界を超え、会社からの無茶ぶりに応え続けてきた。誰もが正気の瀬戸際で働いているんだ。ならば俺もヘリから飛び降りる程度、厭いはしない」
革靴がハッチを蹴り出した。
スーツのジャケットがたなびき、柏木は大空へ飛翔する。
「か、柏木主任……っ!」
「覚えておけ。俺は特別な存在などではない。どこにでもいる――ただの社畜だ!」
回転翼を背後に据え、確固たる声が響き渡った。
死のギャンブル蔓延る学園へ向けて――社畜は今、空を舞う。
つづく
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