かりそめの恋人

 朝起きると隣に壮太はいなかった。代わりにキッチンの方からいい匂いがする。眠気より空腹が勝って、私はベッドを出た。


「おはよう」

「コラ、風邪引くから服着なさい」


 キッチンにいた壮太はまたお母さんみたいなことを言って私を叱る。椅子に掛けてあった壮太のパーカーを着てキッチンに入った。


「今日の朝ご飯は何ですか?」

「ともさんの好きなオムレツですよ。コーヒー淹れてくれる?」

「んー」


 壮太の背中に抱きついてお腹に腕を回し、しっかりと固定する。返事をしながらも動く気のない私のことは壮太も今までの経験から分かっていて、私を背中にくっつけたまま移動した。


「ともはほんと寝起き悪いね」

「うん……」

「高校の時も友達が寝癖直したり朝ご飯食べさせてくれたりしてたじゃん?その間ともはずっとウトウトしてんの」

「そうだっけ……」

「まぁ、朝からちゃんと来るだけ偉かったけど。……いや、それ当たり前だろ!」


 壮太は朝から元気だね……。

 コーヒーメーカーに私のマグカップをセットして、その後オムレツをお皿に盛り付ける。それが出来たらマグカップを壮太のと交換する。テキパキと動く壮太を見ながらいつも思うのだ。


「うちの嫁に来てくれないかな」

「あら、プロポーズ?嬉しいけど高い指輪じゃなきゃ嫌よ」


 こんな風にノリがいいところも、壮太の好きなところの一つ。


 向かい合ってテーブルに着くと、「いただきます」と元気に言って食べ始める壮太。私は壮太がいないと朝ご飯も食べないモノグサ+低血圧なのでゆっくりゆっくり食事をする。


「とも今日朝から出勤でしょ?俺と出るなら急がないと」

「まだ余裕あるよ……」

「自分ののんびり具合が分かってないな!いつも俺が着替えさせてやってんでしょ」

「そうだっけ」


 早起きしなくていい仕事を選んだのに、月一か二で早番の日がある。その前の日は大抵壮太の部屋に泊まり(壮太の家の方がうちより職場に近い)、壮太の部屋から出勤する。こんな私の面倒を見てくれる壮太は本当に優しいというかお人好しというか。


「こっち引っ越してくれば?」

「やだよ、この辺家賃高いじゃん」

「いやそうじゃなくて、ここに住めばってこと」


 それっていわゆる同棲、ってこと?そういえば何度か言われたことがある。頭の中で壮太の言葉を何度も反芻して、冷静になろうと努める。そもそも私たちは恋人ではないのだから「同棲」ではなく「同居」だ。


「いやいや、そんなにお世話になるわけに行かないよ」

「……」

「それにあそこ気に入ってるの」


 食事を終えた壮太は「ふーん」とだけ言って立ち上がった。表情を窺おうとするものの、よく見えない。

 あんまり私に優しくすると、付け上がっちゃうんだから。壮太の優しさに溺れて、一人じゃ何も出来なくなっちゃう。壮太じゃなきゃ、ダメになっちゃう。

 そんなことを一人考えていると、壮太の


「ボーッとせずに準備!」


 という声が飛んで来た。

 壮太がモソモソ動く私を着替えさせてくれて、化粧は何とか自分でして、いつも壮太が家を出る時間に何とか間に合った。

 身だしなみをチェックし合って部屋を出る。次の約束はない。何となくどちらかから連絡をして、都合が良ければ会う。でも今までの経験で何となくわかる。次は3日後の金曜日。壮太の休みの前の日だ。

 「寒っ」と壮太が呟く。吐く息は白い。暖かい部屋の中にいたから厚着をしてもどんどん体温を奪われていくような気がして。壮太に寄り添った。


「ん」


 差し出された手に手を重ねれば壮太のコートに入れられて。あ、あったかい。


「手冷たい。手袋買いなさい」

「そのうちね」

「あーあ、これ絶対買わないパターンだ」


 そんな会話をしながら角を曲がった時。


「最低!もう二度と来ないで!」


 パチンと激しい音がした。エレベーターの目の前の部屋のドアが大きな音を立てて閉まる。そこに残された若い男性は真っ赤になった頬を押さえていた。

 朝っぱらから修羅場に遭遇。気まずい。私たちはそそくさとエレベーターに向かった。すれ違う瞬間、その男性と目が合った。イケメン。でも、何か怖い。あんなことがあったのに、感情の見えない冷たい瞳。


「とも」


 壮太に呼ばれてハッとして目を逸らす。エレベーターに乗り込んだ後も視線を感じた。


「すごかったね」

「うん、つーかともめっちゃ見てるから焦ったし」

「うん、何か目合って……」


 壮太に名前を呼ばれなければ逸らせなかった、多分。何だか吸い込まれるような目だった。


「……怖かったね」

「ん?」


 それ以上言う前にエレベーターの扉が開いて、私たちはマンションのホールに出た。パッと手を離したのは私。ここで切り替えるの。壮太の恋人気分が味わえるのはここまで。


「じゃあね、お仕事頑張って」

「……うん、ともも」


 手を振って反対方向に歩き出す。この時はいつも不安になる。もう会えなかったらどうしよう。壮太に恋人が出来たら、私はもう壮太のそばにいられない。そもそも、壮太には……

 そこまで考えて思考を止めた。寂しくなって振り返る。するとちょうど壮太も振り返ったタイミングで、目が合った。

 少し驚いたような顔をして、でもすぐに柔らかく微笑んで手を振る。その笑顔を独り占めしたくて、でも絶対に叶わなくて。切なくて、泣きそうになりながら手を振った。

 いつか終わる関係にしがみついていられる内は、頑張れるから。

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