混迷の都

第57話:王都へ

 国境線から数日、とある村の一角の焚き火の前で少女が鍋を覗き込んでいるところに水瓶を抱えて帰還する。


「ご苦労さま。大丈夫だった?」

「おそらく。できる限り上流の方から汲んだつもりだが。それから、コイツも」


 水瓶を地面に置きながら、川魚を数匹紐に結わえて少女へと渡すと少女は感心したようにこちらへと視線を向ける。


「へぇ、すごいじゃない! どうしたの?」

「大した事はしていない。石で囲いを作っておいたら入って来たんだ」


 以前、テレビ番組で何気なく見た方法を辺境の村で滞在しているときに試してみたら、意外に有効なことがわかった。こんなことなら、真面目にサバイバル番組の方もチェックしておくんだったなと後悔してしまう。


「アリサ、料理できるんだな」

「なぁに? 私が料理できるのがそんなに意外?」

「いや、その。お姫様って料理とかしないもんだとばかり……」


 目の前にいるのは、この国の王女。正真正銘のお姫様なのだが、そんなこちらの疑問も慣れたように気にせず、渡された魚を見事な手際で捌いていく。


「母がね。好きだったの料理」

「王妃様なんだろ? いくら好きって言っても、お菓子作りとかそんなものじゃないのか? 普通」

「……」


 アリサの少し浮かない顔が気になりつつも、彼女の邪魔をするのも忍びないと思い、周囲の見回りに出ると言ってその場を離れた。


 今いる村からは、既に人の気配が消えていた。


 以前から廃村という訳ではない。数日前までは確かにここに人が暮らしていた形跡がある。だが、急いでいたのか家財道具もそのままに住民達はどこかに移動してしまったようだった。

 村の中心付近にあった井戸にはおびただしい数の虫が集まり、少し近づいただけでわかるほどの異臭を放っている。


 この村は、死んでしまったのだ。


 村の中を一回りしてアリサの元へ帰ると、ちょうど食事が出来上がっていた。糧食の豆を煮込んだスープに焼いた魚とシンプルなものだが、どういう味付けかスープはかなり美味しく、魚も丁寧に下処理されて全く臭みがない。アリサの料理の腕前が相当なものであるのが分かる。伊達に戦場を駆け回っているわけではないという事だろうか。

 そんなこちらの心の声が見透かされてしまったのか、アリサは不機嫌そうに話しかけてきた。


「……ちょっと、失礼なこと考えてない?」

「い、いや。別に」

「ふ〜ん。まぁいいけど。それでどう?」

「美味いよ」

「そう。良かった!」


 そう言って嬉しそうに笑うアリサにドキッとしてしまう。本当に彼女の表情は豊かだ。裏表のない真っ直ぐな彼女ならではのものだ。


 だが、食事を終えるとそんな顔が真剣なものとなり、彼女は切り出してきたのだった。


「……この惨状、これをあの兄が?」

「ああ、敵の進行を止めるための焦土作戦……」


 ここに至るまでの道中、数十ではきかない数の行き倒れた人たちを見てきた。

 ある者は魔物や盗賊に襲われたように悲惨に、ある者は歩き疲れて眠っているかのように安らかに、そして、ある者はその運命に耐えきれないとばかりに自らで命を絶って。


 そんな悲劇が、この国では既に始まってしまっている。


 アリサは、その一人ひとりに祈りを捧げていた。埋葬してやる時間は無かった。我々は一刻も早く、この元凶を断つ必要があるからだ。


「ここまでの事をして、帝国を止められるの?」

「……難しいだろうな。時間稼ぎくらいにはなるだろうが」

「じゃあ、あの人達は何のために……」


 俯いて肩を震わせるアリサ。こんな彼女を見ないために異世界ここまで来たというのに、この作戦が有効だと肯定すらしていた自分も、ここまでの光景を見せつけられれば、己に嫌悪感すら感じてしまう。


 戦略的には正しくとも、これは人道に反している。それは日本だろうが異世界だろうが変わらないだろう。


「……こんなこと、終わらせなきゃいけない」

「ええ、止めさせなくちゃ」


 目の前の少女は、力のこもった視線を焚き火に向ける。その顔には、ある種の覚悟が見えた気がする。


「国境の方は大丈夫かな……」


 しばらくの沈黙の後、不意に彼女がポツリと呟いた。


「あそこまでやられて、見逃してくれる人じゃないんだろ。君の兄さんは」

「ええ。砦の方は……」

「今頃は既に落ちている筈だ」


 言葉の途中で挟まれた言葉に、言葉を詰まらせながらこちらを向くアリサ。


「大丈夫さ。ラウ達なら」

「……その顔、本当に心配していないのね」


 そんなに自信のある表情をした覚えは無いのだが、彼女はこちらの顔を見ると呆れたように言うのだった。


「早くしないと、あの軍が王都に来てしまう」

「いや。彼らの目標は王都じゃないさ。少なくとも今は」

「⁉ 何か知って……」

「いや、あくまで予想だ」


 何かを知っているのかと一瞬驚いたような表情を見せたアリサだったが、直ぐに顔を伏せてしまった。


 帝国が王都に手を伸ばすには、少しの時間が稼げているはずだ。しかし、猶予はあまり長くは無いのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る