第56話:走為上
呼ばれた声に応えるようにバッと目を見開くと、すぐ目の前にアリサの顔が現れた。もう少しで顔と顔がくっ付きそうな距離に驚き、起き上がろうとするがそんな自分の額にそっと手が当てられた。
「大丈夫だから、動かないで」
「大丈夫って……」
後頭部に感じる柔らかな感触で膝枕されていることは分かった。膝枕なんて小さい時に母親にくらいしかされた記憶がない。そんな事を意識し始めると、顔と耳がみるみる熱く真っ赤になっていくのが自分でも分かる。
改めてアリサの顔を見れば、彼女も恥ずかしそうに明後日の方向を向いていた。
そんな気まずい沈黙が流れていた時だった。突如、顔の上に何かが飛び乗って来てたのだ。思わず悲鳴をあげて飛び起き、犯人を顔から引き剥がした。
「お、お前……」
首の後ろをつままれ、ちょこんとこちらを見ている聖霊と睨み合う。
そんな様子を見ながら、アリサは口元を押さえてころころと笑っていた。
「もう、大丈夫そうね」
「ああ」
聖霊をアリサに返しながら、深々と頭を下げた。
「すまなかった。君のためと、あれこれ勝手な事をしておきながら、結局は君の事を見ていなかった」
「……バカ」
小さく聞こえた小言からは、怒りというよりどこか気恥ずかしさみたいなものが感じられた。
そして、彼女は小さく息を吐き少し間を取ると、今度は硬い声で話し始めた。
「私の方こそ、あなたに甘えてしまって」
顔を伏せ、
「あなたがしてくれている事は、本来、私が……」
「やっぱり、君は分かってない」
え? と、思わず顔を上げる彼女に、呆れながら向かい合う。本当に、この少女は自分から苦難の道を選びたがっているのではなかろうか。
「そうして全部を背負おうとするな。この意地っ張りが!」
「そ、そんな言い方!」
突然投げかけられた言葉に彼女も不服そうに反論するが、構わずに話を続ける。
「少しは荷物を降ろしてみろ。君の周りには、一緒に歩いてくれる奴がいくらでもいるだろ?」
その言葉を聞いて目を丸くしたアリサは、目線を少し泳がせてから伏し目で
「……それは、あなたも?」
あまりに真剣な顔で当たり前な事を尋ねて来る彼女を見て、笑いを抑えることが出来ずに思わず吹き出してしまう。
「な、なによ! 人が真面目に話をしてるのに」
「悪い。あまりに下らない事を聞かれたから、つい」
「く、下らない?! 私は真剣に……」
「一緒に行くよ。約束する」
まるで告白のようで、気恥ずかしさのあまりアリサの方から目線を
それにしても、男というのは意外なほどに単純な生き物だと自分でも思う。
ああだこうだと考えるよりも、守りたいものが目の前に現れてしまえば、自然と覚悟が決まってしまうのだから。
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「……改めて聞くけど、他に手段は無いのね」
「ああ。西方の人たちの為にも、ここは引くべきだ」
当然ながら納得の行かない表情を浮かべるアリサ。だが、ここで引き下がるつもりはない。
「討ち死にも降伏も、結局は敵の好き勝手にされてしまう完全な敗北だ」
「……だから、逃げて勝機を待てと?」
「そうだ。特に、君が居なくなればエルドは確実に終わる。それだけは断言できる」
彼女を失うことは、この国、そして自分にとって絶対にあってはならないことだ。
真っ直ぐ見つめた視線を一瞬外し、大きく息をついたアリサは、煮え湯を飲まされたような険しい顔をこちらに向けた。
「……いい、あくまで一時的に。必ず取り戻すんだから」
「ああ、それでいい」
心に誓った力強い視線を受けて、これが彼女の強さなのだろうと思う。本来なら全てを投げ出して逃げてしまってもおかしくはないだろう。
「それで、まずはどうするの?」
方針は決まったが、ここからが問題だ。
ここから先の動き方が、この国の行く末を決めてしまうのだから。
「それは……」
「それは無論、王都だろうよ」
質問に答えようとした自分を置き去りにして、いつの間にか現れたラウがさも当然のようにアリサの質問に答えるのだった。
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「遅い! いつまでも、じっと待っておれんわ」
「……いつから居たんだ?」
「貴様がぶっ倒れているくらいからだ」
「な、え、ええっ!?」
驚いた声を上げるアリサに、ラウは平然とした顔で彼女の方を見る。
「安心しろ。お前たちの痴話喧嘩なんぞに興味は無い」
そう言われて、またしてもアリサは真っ赤な顔をしていた。どうもラウとは相性が悪いようだ。
「そんなことより、まずはこの国の阿呆を玉座から引きずり下ろすべきだろ?」
「……言うのは簡単ですけど、そんなに容易なことじゃないのよ。それに、ここからどうやって脱出するの?」
「それなら、一応、考えがある」
自分の言葉を聞いて、一斉にこちらへ振り返る二人。特にラウの方は、呆れ顔といった感じだ。
「貴様、またこそこそと動いてたわけか?」
「買いかぶりだ。俺に出来ることなんて、旗を集めたり、情報をばら
実際、考えた作戦自体も、実行出来るかは分からない。捨て身とも思えるこんな作戦を果たして許容してくれるのか不安に思いながらも、二人に対して
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「面白い。気に入ったぞ!」
「本当に上手くいくの? もし、相手の方が
乗り気のラウに対して慎重なアリサ。確かに不確定なことが多すぎる。指示を出す立場から言えば不安は当然だ。
「ここで悩んでいても状況は改善しないのだろ? なら、やるべきだ。それに連中に一泡吹かせられるかもしれんしな!」
最後はラウに押し切られる格好で、作戦の決行が決定するのだった。
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国境の城塞に掲げられた軍旗を見ながら、テミッドは小さくため息をしながら、後ろの軍師に独り言のように語りかける。
「正直、感心している。猶予はあと一日。逃げる素振りも見せず未だに城塞に留まっていようとは」
「諦めてここで果てるつもりなのでしょうか?」
「フン。それならそれで良い。容赦はしないがな」
「攻城兵器も間もなく準備が整います。あのような城、すぐにでも落ちましょう」
そんな話をしている時、もはや聞き慣れた太鼓の音が、またしても城壁の方から聞こえてきた。
「……
太鼓の音を耳にしても、今や兵たちは動じもせず、誰一人として剣を取ろうともしない。
だが、この時は少し様子が違っていた。
普段は何の動きも見せないはずの城門に動きがあった。巨大な大門ではなく、少人数が行き来する扉のような入口が開かれたのだ。
「いくぞ! 思いっきり、かき回してやれ!」
開かれた扉から、十数騎の騎兵が一斉に飛び出してくる。
全く予想していなかった奇襲に、城を包囲していた兵士たちは混乱に陥った。
剣はおろか、鎧すら付けずに逃げ回る兵士たち。そんな兵たちの間を、敵の騎兵は一気に駆け抜けて行く。
「も、申し上げます! て、敵の奇襲が……」
「見れば分かる。情けのない奴らめ」
報告に駆け込んで来た兵を
「容赦はいらん。殺せ」
深々と頭を下げたジバは、すぐさま各隊へと指示を出し始めた。
「敵は少数です。自暴自棄の突撃でしょう。落ち着いて、一匹ずつ始末しなさい。それから、折角開けてくれた入口です。急ぎ確保を」
ジバの近くにいた兵士たちは、
「さぁて、楽しませて下さいよ」
舌なめずりをしながら、ジバは静かに興奮していた。
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城壁の方が騒々しくなっていた時、私達は国境線から少し離れた馬上にいた。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「ああ。ラウの奴が無茶しなければ大丈夫だろ」
やけに自信有りげに語る彼を見て、少し複雑な気持ちになる。
男同士の友情ってやつなんだろうか?
いつの間にか仲良くなったらしいラウは、確かに悪い人物ではない。ただ、いろいろと弱みを握られてしまった気もして、油断ならない人物でもある。
「急ごう。折角の時間だ。無駄にしたくない」
「え、ええ。でも、二人だけで王都をどうにかしようなんて……」
そう言って、彼と二人きりの現状を意識してしまう。平静を保っていられるか、今から気が気でない。
「やっぱり、本当に周りが見えてないんだな」
「え?」
「いや、すぐに分かるさ。君は、自分の力を分かってない」
意味深に笑いかけてくる彼の言葉に、全く身に覚えがない私は、ただただ首をひねるばかりだった。
「さてと、それじゃ君の兄上に自分のやったことの
国境線を背に、私達は王都へと歩みを進め始めた。
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