第51話:ゴンド遠征

―― 時は少しさかのぼる。


 ゴンドの国に入ったエルド遠征軍に、ゴンド側の使者から火急の知らせが届けられていた。


「なんと!? 本当か?」

「はい。使者の話では国境にて帝国に敗北したと」

「信じられん。ゴンドが退しりぞけられようとは……」


 エルド国王は、ゴンド敗戦の知らせを聞いて動揺を隠しきれない様子だった。報告を受けた場には、王の他に、テミッド王子と近衛隊の隊長が集められている。重苦しい空気の中で、近衛隊長が王に進言する。


「王よ。ここは、一度、国に戻るべきでは?」

「ゴンドを見捨て、おめおめと逃げ帰れと申すか」

「王よ。優先すべきは、己が国です」


 王と近衛隊長は旧知の仲だ。王の若き日よりつかえてきた近衛隊長は、王に意見できる数少ない人物の一人であった。

 二人のやり取りを脇で聞いていたテミッドは、よろしいですか? と、手を上げる。


「テミッドよ。何かあるのか?」

「はい。このまま我が国に戻ったとて、帝国の脅威に対抗出来ますまい。ならば、このままゴンドと帝国を押し返す方が肝要かんようでしょう」


 近衛隊長も帝国との戦力差が分かっているようで、テミッドの意見に大きく反論は出来なかった。


 うむ。と、しばらく考え込んだ王だったが、集まった二人の将軍に向けて決心した顔を見せる。


「テミッドの言う通りだ。このままゴンドの軍勢と共に、帝国の侵略者どもを押し返す」


 王の決定に、二人の将軍は膝を突いて応えた。

 

「それはそうと、補給の目処はどうなっておる?」


 立ち上がりながら、近衛隊長は目下の不安要素を口にする。ゴンドに入って以来、補給部隊との連絡が途絶えていた。国境を越える際に、ある程度の蓄えは持っているものの、二万の兵を支えるにはとても十分とは言えない。


幾度いくどか伝令を出していますが未だに……、ご心配をお掛けして申し訳御座いません」


 テミッドが謝罪する。遠征軍の補給部隊は妹の軍から編成されていたが、補給の指示や管理などの内部統制はテミッドに一任されている。


「そう気負うな。焦らずとも、まだ本格的な戦闘になったわけではない」

「……はい」


 テミッドは頭を下げて退室していった。


「王よ、本当に良いのですか? 御身を思えば縛り上げてでも退却すべきと……」

「其方ならやりかねんな」


 ハッハと王は笑ったが、近衛隊長の方は渋い顔を崩そうとしなかった。


「冗談ではない。第一、王子に付いている得体の知れぬ軍師とやらも気掛かりだ」

「そう言うな。王子アレも自分なりに成長しようしておるのだ。次代を見守るのも我らの務め」

「私は、貴方のように達観たっかん出来んよ」


 呆れた顔をする近衛隊長に、ふと思い出したように王は尋ねる。


「そういえば、そなたの娘は壮健そうけんか?」

「相変わらずのじゃじゃ馬っぷりです。この遠征に付いてきてしまう程で手に追えませんよ……」

「顔がほころんでいるぞ?」

「貴方こそ、アリサ王女には、随分と目を掛けておられるではありませんか」

「息子達と違って、王女アレは汚れを知らん。王宮で生きて行くには不都合だろうが、あの純真じゅんしんさがまぶしくてな……」

「人のことは言えませんな」


 二人は、お互いの顔を見て、しばらく笑いあっていた。


※※※※※※※※※※


手筈てはずはどうか?」


 テミッドは王たちから離れると、ゾロゾロと集ってくる取巻きの中から目的の人物を見つけて話しかけた。


「抜かりなく」

「伝令の連中は、しっかり根絶やしにしておけよ」

「ええ。それから、我々の周りにも近衛隊のネズミがチョロチョロしている様です」

「フン。近衛隊長ジジイの考えそうな事だ」


 近衛隊長からは、随分と警戒されているようで、独自に外部との連絡や内偵が行われていた。


「決行は数日後がよろしいかと思います。そろそろ、軍の備蓄も心許こころもとないはず」

「分かった。まさか、内部から兵糧攻めに合うとは考えていまい。それで、帝国からは何と?」

には、こちらへの補給と攻城兵器の準備を進めさせております。亜人部隊と合流してエルドの攻略をせよと」


 亜人部隊はゴンド攻略の為に呼応した、オークやトロールから構成された部隊で、南の大森林から攻め上がって来ている。西側に集中したゴンド軍の動きを見れば、帝国本隊よりも侵攻する速度は速い。


「亜人共の力など借りぬよ」

「しかし、我らに内応したのは五千ほどです。これでは王都を攻め落とせないのでは?」

「いや、落ちるさ。その点については心配していない」

「先に手を打っておられましたか。このジバ、感服致しました」

「策などではない。信用しているのだよ、我が弟を」


※※※※※※※※※※


 さらに数日が経った頃、待っていた補給物資がようやく届き、遠征軍の士気は向上した。

 補給された食料の中には、葡萄酒も含まれており、久々の酒に兵士たちは大いに盛り上がっていた。


 そんな一行に馴染めず、距離を取る女性騎士。


「戦地で浮かれるなんて……」


 近衛隊に所属する彼女は、父親の影響もあり規律を重んじる。周囲からは堅苦しい印象を持たれたりもしていた。


 そんな彼女の目に補給部隊の姿が映る。


「あなた達、ここで何をしているのですか?」


 補給部隊の面々は、完全武装で集合していた。戦地とは言え、ここは野営地の中。それに近衛隊は、宿営地の中核に陣取っている。


「い、いえ、ちょっと道に迷いまして……」

「道に? どちらに行かれるのです」

「それが……」


 返答がハッキリしない兵士たちを怪しく思っていると、一人の人物がその場に現れた。


「これはこれは、ご苦労様です。ちゃんとご用意して頂けましたか?」


 補給部隊に話しかけて来たのは、黒いローブの男だった。王子殿下の側近と言う男は、兵士達から事情を聞くとこちらに歩み寄って来た。


「失礼を致しました。彼らには、王様方への献上の品をこちらまで届けさせたのですが何分不慣れなものでして……」

「武装してまでですか?」

「彼らには、外から直接ここまで荷物を届けて頂いたのです」

「……そうですか。分かりました」

「あなたも、如何ですか? 最高級の葡萄酒ですよ?」

「いえ、結構です」


 そうして、一歩引いて道を空けると、一行は最奥へと向かって行った。


※※※※※※※※※※


「一時はどうなる事かと思ったが、補給部隊も到着して一安心だ」

「この度の不手際、改めてお詫び致します」

「良い。済んだ話だ」


 頭を下げるテミッドを、王は責めずに頭を上げさせる。そうこう話しているうちに、部屋の入口が少し開かれた。


「失礼致します!」

「何事か?」

「は! 補給部隊より献上の品が届けられました」

「ほう。品は?」

「葡萄酒です」


 兵士の報告を聞いて、近衛隊長は顔をしかめる。


「戦場で酒などと……」

「堅い事を申すな。折角だ。出立の前祝いとしよう」


 王に言われ、一行は振舞われた酒を口にする。


「これは美味い!」

「それは上々。人生最後の酒をお楽しみ頂けましたか?」


 テミッドの言葉の意味が分からずに、固まる王と近衛隊長。すると、天幕の裏から一斉に兵士たちが飛び込んで来た。


「おい、テミッド。何の冗談だ?」

「……冗談などではありません。王よ」


 これまでの従順な様子から一変し、冷たい視線で王を見るテミッド。その様子を見ていた近衛隊長が吠える。


「き、貴様! 何を考えている!?」

「お二人は、このまま帝国と戦って勝てると思っておいでですか?」


 テミッドの質問に、二人は沈黙する。


「お二人とも、心の内では理解しておられるのに、このまま愚行を続けるのですか?」

「では、お前はどうしろと言うんだ?」

「帝国の力を使い、エルドを生まれ変わらせるのです。軍事にも、経済にも劣る我が国が自信と誇りを取り戻すために」

「……愚かな」

「ご理解頂けませんか。まあ、こちらも直ぐにお返事を頂こうとは思っておりません」


 直後、王は気を失ったようにがっくりと、倒れ込む。


「少々、効きすぎましたかね?」 

「貴様!? 何をした!!」

「薬で眠って頂いただけです。王だけでなく、全軍にですが……」

「まさか、あの補給部隊が!?」


 こらえることが出来ずにテミッドが笑い声を上げると、近衛隊長は我慢の限界に達した。


「貴様の好きにさせるものか!」


 近衛隊長は、周りの兵士たちに一斉に取り押さえられる。


「ご退場願いましょう。ご老体」


 テミッドは、剣を抜くと近衛隊長の首を刎ねる。近衛隊長は意識が途切れる直前、強く念じた。


(……逃げろ!)


※※※※※※※※※※


「……なに?」


 近衛隊の女性騎士は、不意に襲ってきた不安に思わず声を上げた。


 そして、周囲の異変を感じる。


「……静かすぎる」


 今まで酒盛りをしていた兵士たちは、ピクリとも動かなくなっている。酒を飲んでいなかった者達は、何が起こったのか分からないと言った様子で、辺りを見回している。


 言い知れぬ胸騒ぎが、この場に留まる事を拒絶する。


「……ここから、逃げなきゃ」


※※※※※※※※※※


「ジバ! 首尾はどうか?」

「抵抗は軽微です。静かなものですよ」


 テミッドは遠征軍の掌握しょうあく状況を確認するが、補給部隊を本物と信じ込んだ兵士たちは、意外に簡単に引っ掛かってくれたようだった。


「まったく、だらしのない奴らだ。厄介なのは近衛の連中だが、どうなっている?」

「一部の者が、この場を脱したようです。追跡部隊を編成しておりますが……」 

「良い、捨置け。それより、エルドに向かう準備だ。王を移送する準備をしておけよ」

「承知致しました」

「残りの連中も、帰順する者は出来るだけ助命せよ。眠りから覚め次第、強制労働にでも使っておけ」


 少しの間、黙り込んだジバだったが、直ぐに平伏して頭を下げ、了承の意を伝える。


「……承知致しました。内応した兵士たちは既に出立の準備が出来ております」

「分かった。早々に発つとしよう」


 兵士たちに抱き抱えられた王と共に、テミッドはその場を後にした。


※※※※※※※※※※


 テミッドと分かれたジバに、数人の兵士たちが続く。


 彼らは、エルド兵の格好をしていたが、ジバが呼び寄せた帝国兵だ。


「ジバ様、王子は何と?」

「帰順する者は助けろと。まったく、困ったものです。生きている者など、ほとんどいないのですから……」

「使われたのが、眠り薬だと信じているのでしょう。あわれな」

「背後に一万以上の敵兵など、許容きょようできるはずがありません。追跡部隊の方は?」

「編成は既に。ですが、逃げたと言っても精々数十人程度です。わざわざ追わずとも……」

「火種は出来るだけ消しておくにかぎります」

「酒や料理に手を付けなかった連中も、それなりに残っていますがどういたしましょう?」

「捕虜は不要です。分かりますね?」


 ジバの言い残した言葉に、頷くと兵士たちはサッと散って行った。


※※※※※※※※※※


 そして、それから数日。エルドとの国境付近。


「皆! 良くぞ決心してくれた!」


 五千の兵士を前に、演説をするテミッド王子。そして、その足元にはエルド王が乱暴に投げ出されていた。


「エルドは今、危機に直面している! 帝国の侵攻は、もはや止めようがないだろう。だが、これはチャンスとも言える。今まで停滞していた進化をエルドにもたらす事が出来るかも知れない! 帝国を敵としてではなく手を携える友人として!」


 きょうが乗ってきたのか、饒舌じょうぜつに語るテミッド。そして、その目が足元の王に向けられる。


「我々を無益で無謀な同盟の茶番に付き合わせたのも、我が国の停滞も全ては我が父の愚行! 私はその責任を取らねばならない!」


 脇に控えた騎士から、剣を受け取ったテミッドは、大きくその剣を掲げる。


「……王よ、何か言い残されることはありますか?」


 自らの息子にそう問われて、王は苦笑した。


「ない。全ては我が身から出たサビ。そなたも含めてな……」


 そう答える王にテミッドもまた苦笑する。最後まで、分かり合う事など出来なかったのだと。


「エルドは残して見せます。安心して逝かれよ」


 そして、テミッドは剣を王へと振り下ろすと、ボトリと王の首がその場に落ちた。


「さぁ、皆! これで後戻りは出来ない! 必ず、我が祖国の為に成し遂げるのだ!」


 五千の軍勢からは、一斉に勝鬨かちどきが上がる。


「行くぞ! まずは国境を越え、手始めにオエスを攻略する。目指すは王都だ!」

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