第8話:死闘

 炎に包まれた村に到着した自分達の前に、黒々とした毛並みのおおかみが姿を現す。

 辺境の地で恐れられる魔物、狂狼ワイルドウルフは冷たい目でこちらを凝視ぎょうししていた。


「こいつら、滅多めったに森から出やしないのに何で……」


 元冒険者が困惑するなか、狂狼は二人の周りを円を描くように歩き、じりじりと距離を詰め始める。

 対して、こちらはきっさきを向けながら、ゆっくりと後退あとずりする。


 しかし、狂狼の全長は一メートル程度で、確かに普通の大型犬に比べれば少し大きいが、そこまで警戒する理由が見つからなかった。


 いつまでも続くかと思われた睨みあいだったが、不意に目の前の狼が停止する。


 次の瞬間。


「後ろに飛べ!!」


 言われるまま飛び退くのと同時、体のすれすれを新たな狼がうなり声をあげながら飛び去った。

 目の前の狂狼がこちらを陽動ようどうし、気配無く近づいたもう一頭が、こちらに飛び掛かたのだった。


 反応が少しでも遅ければ、あっという間に殺られていた。


 しかも、脇を飛び去った狼の姿は忽然こつぜんと消え、先ほどまで睨みあっていた狼が、再び前進を開始する。


 のだと、理解した。


 ずば抜けた俊敏さと、狩りの役割を分担し、さらには楽しむ程の知能を持った獣。それが、狂狼ワイルドウルフの怖さだった。

 彼らがその気になれば、その速さだけで、獲物こちらを狩るのは容易だろう。


 しかし彼らは、まるで罪人ざいにんだんじるように、ゆっくりとこちらを仕留しとめるつもりのようだった。


「……最悪だな」


 周囲を警戒しながら、元冒険者が呟く。


 辺りは煙に覆われて視界が悪く、敵の数を把握することもできない。

 先ほどの連携が、二頭でなく複数の個体で行われたなら対処することなどできない。


 一方で、自分も再び狂狼と対峙していた。

 じりじりと近づく狼に神経を使いつつ、周囲にも注意しなければならない。


 そして、目の前の狼が突如停止する。

 来るか! と、身構えようとした時、正面に対峙した目が光るのを感じた。

 咄嗟に倒れ込むようにして飛び込み、前回りの格好かっこうになった上を、狂狼ワイルドウルフが飛びさる。


 飛び去った狂狼に視線を移そうとした時、横からものすごい勢いで駆け寄るもう一頭の狼の姿が目に飛び込んだ。

 体勢を整えられず、逃れようのないところに狼の牙が迫り、思わず目をつぶった瞬間、鮮血が飛び散る。


 だが、いつまでも訪れない痛みを不思議に思い、目を開くと、首筋に噛みつかれたダンが横たわっていた。

 咄嗟に剣を横薙よこなぎにすると、狂狼の足をかすめ、狼は距離を取るために後方に飛び退いていった。


「ダン!」


 仰向あおむけにしたダンの口からは、絶えず血があふれ、首筋からも鼓動こどうに合わせて血が吹き出している。

 完全に致命傷を受けたダンの首筋を布で押さえながら、差し出された手を握る。


 かすかに動いている唇に、耳を寄せようとした時、ダンがすごい勢いで胸ぐらをつかみ自分を引き寄せた。


「あ、あのぉ、こ、こを、……たの、むぞぉ」


 そうささやくと、ダンから一気に力が抜け体がずり落ちていった。


「く、そぉぉぉお」


 元冒険者が叫ぶが、自分は声をあげることもできなかった。

 目の前で呆気あっけなく命が消えたことが信じられない。自分の無力さに呆然ぼうぜんとしながら、ただしかばねになった者を見つめることしか出来なかった。


「剣をとれ! また来る!」


 そう言うと、二頭の狼が再び二人の前に姿を見せた。


「間違いない。狂狼あいつら二頭だけだ! 切り抜けるぞ!」


 しかし、握った剣には一向に力が入らず、少しでも気を緩めれば、手からずり落ちてしまいそうだった。


「お前! ダンからたくされたんだろが!!」


 そう言われて、ようやく剣を握る力が戻る。命を懸けて託されたのにこんなところで、倒れてやる訳にはいかない。


「どのみち、逃げ場は無え。

 速さが違いすぎる。背を向けたとこで、あっという間に追い付かれておしまいだ。」

「……倒すしかない」


 二頭は威嚇しながら、じりじりと二人との距離を詰める。その口からしたたる鮮血に、恐怖よりも激しい怒りを感じた。


「おい、自棄やけを起こすなよ?」

「……分かってます」


 自分でも意外なほど冷めた頭が、冷静に相手を分析し始めていた。


 狂狼あいての最大の武器は、その俊敏さ。

 しかし、その速さにまかせて襲いかかっていたなら瞬殺できるであろう自分達は、そんな状況にはならずに今だ睨みあいが続いている。


 そう、相手は利口で強く、そして傲慢ごうまんなのだ。


 圧倒的に有利な状況で、明らかに格下の自分達を見下し、もてあそんでいる。それに、狼たちの動きは驚くほど冷静で、まるで、激昂げっこうする感情をおさえる理性が働いているようだった。

 自分がフェイントをかわせたのは、相手の目からかすかに感情の動きを読み取ることが出来たからだった。


 狂狼ワイルドウルフは、そのかしこゆえに、闘いに駆け引きを生じさせ、楽しんでさえいる。


 狼たちの前に立つ。二頭はゆっくりと、自分の周りを円を描くように歩きだした。


「おい! だから、自棄やけを、」

「右!」


 叫んだ直後、右側から狼が飛び掛かる。二人が狼の突進を回避すると、狼たちは再び取り囲むように二人の周りを歩き出す。


 飛び去った狼よりも、その動きが見えているかのような言動に元冒険者は驚いた。


「お前、見えているのか!?」

「まさか、そうんです」


 たいして難しくないことのように、平然へいぜんと言う。


「ど、どうやって!?」

「……左周りの方、かすめただけだと思ったんですけど、思いの外ダメージがあったらしいです。右足をかばって左周りにしか動いてません」


 言われた狼を見ると、右の前足から血を流し、引きるように左周りに動いている。遠ざけるために振るった一撃が、狼に確かなダメージを与えていた。


「そして、反対側。足をかばっている仲間をフォローしているのか、こちらの動きに過敏に反応してきます」


 そう言いながら右手を少しあげると、狼は動作に合わせるようにこちらに飛び掛かろうとする。


「……あいつら、常に自分達の裏をかくように動きます。だから、左周りの方に攻撃を仕掛けようとすると……」


 そして、左周りに動く狼に向かって剣を振り出した瞬間、もう一方の狂狼ワイルドウルフが二人に飛び掛かってくる。


「でも、何回も続けると利口な奴らは戦法を変えます。が勝負です」

「お前、……分かった」


 そう一言言うと、元冒険者は剣を構え直す。その殺気は、目の前の狼達に負けていない。


 駆け引きを持ち込んだ時点で、すでに立場は対等なのだ。あとは、どちらがより多くの知恵を絞るか。


 素早い相手に対する方法は三つ、相手より速くなるか、相手を遅くするか、こちらが遅くても勝てるように仕向けるかしかない。

 自分達が速くなる方法や、相手の足を止める手段が無い以上、とれる選択は一つのみ。いかにこちらの土俵どひょうに乗せ、有利に立ち回れるかのみだ。


「……いきます」


 再び狂狼ワイルドウルフの前に立つ。

 すると、二頭の狼は周囲を取り囲むこともなく、一直線にこちらに向けて走り出した。


 飛びかかる狼の軌道に合わせ、剣を構える。狙いは手負いの個体。

 狼に向かって剣を突き出した瞬間。突如、手負いの狼は目の前で急停止し、自分の剣が空を切る。

 そして、無防備に剣を突き出した自分の脇を、もう一方の狼がすり抜けて飛び掛かろうとした時。


「ドンピシャだ!」


 元冒険者の振り下ろした剣は、飛び掛かろうとしていた狼の胴体に直撃した。


 渾身こんしん斬撃ざんげきを受け、地面に叩きつけられながら派手に転がる狂狼ワイルドウルフ


 手前でフェイントをかけた一頭がすかさず仲間に近寄り、こちらを威嚇する。油断なく気配をうかがいながら、倒れた仲間に頭を近づけてこすり付けると、言葉を交わすように弱々しくうなり声をあげた。

 そして、斬りつけられたの一頭の息が絶えると、悲しい声で一つ遠吠えし、凄まじい殺気を放ちながら、こちらへ体を向ける。


 こうなれば、駆け引きなど関係ない。

 怒り狂った狂狼ワイルドウルフは、理性のたがが外れ、自分達を噛み殺すべく、傷付いた足など気にも留めずに突進を開始した。


 狂狼ワイルドウルフは、一瞬のうちに肉薄し、首元に目掛けて飛びかかってくる。


 だが、理性を失い繰り出された攻撃は素早いだけで単調だ。

 目の前に剣を振りだすと、襲いかかる狼に直撃し、その勢いと合わせて狼に致命傷を与えた。


 血飛沫ちしぶきをあげてもなお、こちらに向けての戦意を失わない狼が再び体勢を建て直そうとした時。


 元冒険者の剣が、狼の頭を斬り飛ばした。


 死闘を終え、肩で息をする自分の目の前に転がってきた狼の目は、何故か物悲しそうに自分には見えた。

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