妹と畳は新しい方がいい
杉村風太
第1話 2人目はややこしい
新しい妹にキスしているところを古い妹に見られた。
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夏休みが終わる少し前、我が家に新しい妹がやってきた。妹といっても3カ月違いなので、新学期からは同級生だ。名前は瑞希(みずき)さん。古い妹、なんて言ったら怒るだろうが、前からいる妹は充希(みづき)だから、ややこしいこと富士の樹海のごとしだ。それに新しい方が姉だというのもね。
***もう僕には花は咲かない*** (「でももう花はいらない」鈴木康博)
義母はいつもオフコースの小田和正じゃない方を聞きながら食事の支度をする。昭和を代表するJPOPグループ。そのリーダーだった小田さんには解散から30年近くを過ぎた今もファンが多い。持ち歌にする高校生だっている。だが、小田さんじゃない方が好きという人は義母以外会ったことがない(注:主人公の個人的体験に基づく偏見です)。2人でいっしょにつくったオフコースを脱退して小田さんを悲しませたことから、よく思っていないファンもいるらしい。
そんな、やさしく、美しく、変わり者の義母に新しい妹と古い妹についてたずねる。
「なんで同じ名前にしたんです?」
「私はもちろん反対したのよ。だけどね、この子たちの父親がイタイ人で。何かっていうと、普通、人がやらないことをするのが大好きな人なの」
「迷惑ですね」
「そう。迷惑だから普通の人はやらないでしょう。なのに、本人はとてもいいアイデアだと思い込んでいて。否定するとすねちゃって大変。とにかく、イタイのよ。だから別れたんだけど」
「瑞希さんはお母さん似で、充希はお父さん似なんですね」
「どういう意味?」。充希がメンチを切る。
「どうゆうもこうゆうもそのまんまの意味だろ」
「はあっ」
自覚がないのか。しかし、いろいろ謎だ。瑞希さんたちのパパ、つまり、義母の元ダリはどの時点でいいアイデアとやらを思いついたのだろう。瑞希さんが生まれたとき、2人目も娘が生まれると見越して考えていたのか。いや、充希は男もあるから、2人目さえできれは性別に関係なく充希にしてしまうつもりだったのか。あるいは、瑞希さんのときはまともに考えてつけたが、充希が生まれたとき、2人目の名前を考えるのがめんどうで「いっそ同じ名前でどう」とひらめいたのか。法律的には問題ないのかもしれないが、役所の出生係は注意しなかったのだろうか。
「最初は、みづきじゃなくて、みつきって読むつもりだったんけど。みんながみづきって呼ぶからいつの間にかね」
「それはいい。おまえ、ややこしいから今からみつきに改名しろ。法律的には問題ない」
「何で今さら変えなきゃいけないのよ。きょうだいは平等でしょう。あたしだけ不公平よ」
平等? 10年ちょっと前、充希ときょうだいになってからというもの、おれたちの間に一度でも対等な条約が結ばれたことなんてないぞ。一例を上げれば、この夏休み、おれは瑞希さんのために部屋を明け渡し、物置にお引っ越しした。新しい家族を物置に住まわせたりしたらシンデレラ感パない。かといって、充希が立ち退きを受け入れるはずもなく。おれが譲るしかないのだ。我が家では充希の唯我独尊とおれの譲歩が常態化しすぎていて、譲ったとすら認識されてないかもしれない。義母だけはいつも少し済まなそうな顔だが。
「だって、瑞希さんはほかに読みようがないんだからしょうがないだろ。それに、みづきは男名前だ(注:主人公の思い込みか口から出任せです)。みつきにした方がおまえも少しは女らしく・・・。痛いっ、痛いっ」
「そういうのがお兄ちゃんは昭和だって言うのよ」
何が「お兄ちゃん」だ、気持ち悪い。
♪♪♪♪花なんて大人に似合いはしない♪♪♪♪
(「でももう花はいらない」鈴木康博)
今朝も食卓のBGMはオフコースの小田さんじゃない方だ。今日は瑞希さんにとって転校初日となる始業式。義母にお供を頼まれた。「早めに出なきゃだめけど、初めてだからいっしょに行ってあげてね」などとあの美しい笑顔でお願いされたら「いや」とはいえない。何だか義母のやさしい言葉がヤらしい言葉に聞こえるのは俺の心が不純だからだろうか。
そりゃあ、友達もいない慣れない土地の学校に2学期から編入するのは心細いだろう。だが、こっちだって瑞希さんにまったく慣れていない。「今日からこの子もあなたの妹よ」なんて言われたって理性が納得しない。仲良く登校しながら何を話せって言うんだ。
「私はずっと1人だったから。昔から仲のいいきょうだいでうらやましいなって思ってました」。歩きながら瑞希さんが言う。
そんな昔に、おれたち3人で会ったことなんて、あったかもしれないけど、ほとんど口をきいた覚えもないぞ。どこを見てそう思ったんだろう。
「あいつはね、瑞希さんの前だから猫かぶってるだけですよ」
瑞希さんが来るまで、充希はおれを「お兄ちゃん」なんて呼んだことはない。呼ぶときは「おい」「てめえ」「おい、てめえ」「おまえ」のだいたい4択だ。あるとき、たまたま近くに来た親戚のおじさんが聞きつけ、「今『おい、てめえ』と怒鳴っていたのは充希なのか。てめえとは兄のことか。この世に兄をてめえと呼ぶ女性がいるのか」。もしも、自分の弟や妹にてめえなんて言われたら、日本刀を持ってきて「そこに直れ。成敗してくれる」というぐらい本物の昭和な人だったので、ひどくショックを受けていた(注:これは昭和ではなく明治な人です)。
そんな、家では山猿のような充希でも学校など他人の前ではとても礼儀正しいお嬢さんで通っているらしい。あのときだって近くにおじさんがいることに気づいていれば、本性を出さないよう気をつけていただろう。俺の説だが、外で猫をかぶっている度合いが大きい女子ほどその反動で家での態度がひどくなる。おれはおそらく霊長類最大の振り幅のサンプルを見ているのだ。マンガで、学校では優等生の妹が家ではだらしないという人気作品があるが、その主人公もさすがにお兄様のことを「てめえ」とは言わない。充希の振り幅はギャグマンガを超えている。
「だって、あいつはお兄ちゃんなんて」。おれは言いかけて切った。
いやいやいかん、いくら義兄妹の仲でも告げ口はまずい。どうせおれがばらさなくたって、あいつ自らぼろを出す。家でも地を出せなくて相当ストレスがたまっているだろうからそう遠い将来のことじゃない。
「どうしたんですか」
「いや、本人のいないところで悪口はよくありませんよね。でも、あいつは言ってるんでしょう」
「そんなことはないですよ」
うそだな。でも、自分は陰口を言われても相手の陰口は言わないおれって、好感度アップ。いや、好感度って何だよ。
手のひらにじんわりと汗がにじんできた。学校が近づいてきたからだ。「見知らぬ美少女と仲良く登校しているところ」に、友達と出くわすかもしれない。想像すると、下腹を巨人の手でぐっとつかまれた気分になってきた。
早めに出たおかげで、運良くクラスメイトと出会わずに校内に入れた。瑞希さんは俺と同じクラスだ。1人でも顔見知りがいた方が早くなじめるだろうという親心だろうか。クラスメイトの目にとまらないルートで職員室に連れて行き、担任に引き合わせた。
「きょうだいなのに全然似てないな」
担任が瑞希さんのバイオを見ながら言った。
瑞希さんは頭まで母に似て成績がいいらしい。何から何までザ・普通の俺とは大違いだ。
「当たり前でしょう。血縁関係ないんだから」
充希が実の姉ではなく、むしろ俺に似ていることの方がはるかに不思議だ。飲み水とか気候とか環境要因だろうか。
「いや、ちょっと学園ドラマの定番のセリフを言ってみたかっただけだ」
これだから、リアル昭和のおっさんは。ドラマのマネするにしたってメインかサブだろう。なんだ、そのいかにもモブキャラが言いそうなセリフは。
「名字は違うままなのか。同じ名字になるとクラスではめんどうだがな。逆に、家族の中で1人だけ名字が違うのも浮いてる感あるし、いろいろ不便じゃないか」
「戸籍のことなど、そういうことはどうするかまだ決めてないんです」
「そういうのもややこしいよな。おまえたちが結婚すればややこしいのは一気に解決だが」
本当にこのおっさんはなんで話をさらにややこしくさせるようなことを言うのか。ひきかけていた冷や汗がまた出てきた。
「世間話がしたいだけで、俺に用がないなら先に教室に行ってもいいですか」
「そうだな。結婚式みたいに2人で入場させるわけにいかないし」
「先生、セクハラで訴えますよ」
これ以上、クソ寒いおやじギャグにつきあってられるか。
「じゃあ、また後で」
この後、瑞希さんと担任はお約束のあれがあるというわけだ。「今日はみんなに新しい仲間を紹介する。○○から来た転校生だ。さあ、入ってきなさい。自己紹介を」ってあれだ。マンガでは何度も見たシーンだが、実演を見るのは初めてだ。
そりゃあ、そうだ。クラスにいきなり知らない生徒が1人でいたら、騒ぎになるもんな。お約束の儀式は大切だ。
1人ではなく、2人で教室に入っていって、「これ、今日からクラスメイトになる、俺の妹」と紹介させられたときのもっと大騒ぎを想像したら、また汗がにじんできた。今度は鉛を飲み込んだような気分だ。いやあ、お約束の儀式は本当に大切だ。
教室に入ると、親友の啓太がうれしそうな笑顔を浮かべ、帰還兵を待ちかねた家族のように寄ってきた。
「今日、かわいい子連れてたな。あれ、転校生か。どうゆう関係だ?」
こいつは、用もないのに朝早くから来て、登校してくる生徒を見張っているのだろうか。つくづく暇なやつだ。意外に、ほかのクラスか違う学年に好きな子でもいるのかもしれない。この年代の男を無意味で無駄な行為に走らせる力の源は99%片思いだ。
日ごろから愛想が悪いおれはこういうときのポーカーフェースが得意だ。
「関係が複雑すぎて、説明するのが面倒だから、説明しない」
「もったいつけんなよ」
「じゃあ、簡潔に言うと、彼女は転校生で、おれの新しい妹だ」
「おまえの父ちゃん、いつの間に再婚したんだ。聞いてないぜ」
こいつ、意外に察しがいいな。
「俺の父ちゃんはもともと再婚だ。母さんと別れてないのに再婚したら重婚だ。法律的には認められない」
「そうかわかった。おまえの妹が結婚したんだな」
急にきょうだいが増える理由は、親の再婚かきょうだいの結婚しかない、と瞬時に見極めるあたり、俺はこいつを見くびりすぎていたのかもしれない。
「そんなわけあるか。平安時代じゃないんだぞ。その結婚相手はどこのロリコン野郎だ」
「おまえが結婚できる可能性に比べれば1万倍もあると思うが」
俺が結婚。きょうだいが増えるそのもう1つの可能性を俺自身もすっかり度外視していたのが悔しい。結婚可能年齢でいえば法律的に問題ないのは充希ではなく俺の方だってのに。しかし、もともと義妹だった充希の実姉と俺が結婚したら俺と充希の関係はどうなるんだ。義妹の2乗、二重義妹?。義妹に義妹を何回掛けたって義妹だろう。いかん、担任のおやじギャグに毒されておれまで寒いことを考え始めた。
「この2、3分ではいくら説明してもおまえのアタマでは理解できないだろう。おれは無駄なことはしたくない。って聞いてないね、おまえ」
こいつは本当に失礼なやつだ。おれが勝手に独り言を始めたなら無視するのは自由だが、自分の方から質問しておいて、答えを聞こうとしないとは。興味がないなら最初から質問すんな。
「遠くから見たらかわいいと思ったが。近くで見ると美少女だな。おまえのニュー妹」
そう言われて、ようやく、お約束の儀式が始まっていたことに気づいた。
「どうして名字が違うんだ?」
「そのくだり、さっき職員室でやってきたからもういい」
こいつも担任と同じような寒いギャグを言いそうな気がしたので、制した。
瑞希さんは女子に取り囲まれ、質問攻めにあっている。男子はまだ気軽に話しかけられないようだ。ちょっとした美少女相手でも初日からがんがんいけるようなジゴロ気質な男はこのクラスにはいない。てか、そんなマンガの主人公のライバルみたいなやつ実在するんだろうか。そういう俺だって家族でなかったらああいう「雪の女王」系美少女には一生近づかないタイプだ。卒業まで一言も話さずに終わるだろう。きょうだいとなった今も、あの女子の輪に接近して「帰ろう」と声をかける勇気は到底ない。
瑞希さんは早速、遊びに行こうと誘われている。
「今日は、お兄さんと早く帰るように母に言われているの。明日からよろしくね」
あれがお兄さんね、と一瞥をくれるボスキャラの視線がこわい。
「いいなあ。お兄さんか。おまえがお兄ちゃんと呼べと言ったのか」
啓太がなんか陶酔している。
「絶対に違う。名字で呼ぶのも変だし、ほかに言いようもないだろう」
もしも名前でなんて呼ばれたら心臓に悪い。待てよ、おれが勝手に名前で呼んでいることはどう思っているんだろ。でも、お妹さんと呼ぶわけにもいかないし。
「本当にいいよなあ。義姉妹萌えって男のロマンだよな。ある日突然、昨日見知らぬ美少女が今日は同じ屋根の下に。好きになっても全然OKなんだけど、背徳感のスパイスも少し効いてて」
背徳感のスパイスなんて絶対こいつの脳内辞書にあるはずがない。そうか、謎が解けた。
「おまえ、その手のばっかり読みふけってるだろう」
こいつはカンがいいわけではなかった。単に「親が再婚で」や「きょうだいの結婚で」設定のアダルティな作品のマニアなのだ。さっき少しだけだが見直して損した。
デジタル・データ・オン・デマンド。21世紀の革新的技術に最大の恩恵を受けているのは思春期の男子中高生だ。
「おい、ばばあ、勝手に部屋に入るなって何度も言ってるだろう」。部屋を無断で掃除され、きれいに整理され、並べられたその種の本を前に少年がキレル。マンガで何度も繰り返されるこのシーンはもはやマンガの中だけになった。パスワードに守られた隠しフォルダの中の画像まで家捜しされることはない。とはいえ、デスクトップにこれ見よがしにパスワードのかかった怪しいフォルダがあったら、犯行を自白してるのと同じ。さらに完全消去処分を受ける恐れもある。
たいていの母親は階層を深くしておとりのフォルダを置くなど、ダンジョンプロテクトだけでほぼブロックできる。ルートやサブディレクトリという概念がないからだ。だから、母専用PCは何でもデスクトップに置いちゃって、デスクトップがフォルダとファイルだらけになってる。
いや、これは啓太のことで、おれの話じゃないから。おれもマンガは好きだけど、堂々とベッドの上に置いておけるマンガだけだ。充希はダンジョンもパスワードも突破しそうだからね。どうしてるかは秘密だ。
そんな帰り道、瑞希さんの方から話をふってくれた。
「お母さんはいつもオフコースを聞いてるんですね」
「それもほとんど小田さんじゃない方をね。たまに小田さんもはさまるけど。うちじゃ朝食と夕食の前説みたいなもんです」
「わたしはどっちかと言えば小田さんのほうが好きです」
「普通はそうでしょうね。でも、おれらみたいな男子にとってはそうとは限らないんです」
「どうしてですか」
なんか少し食いついてきてきたようだ。お義母さん、共通の話題をありがとう。
「もてない男子のひがみかもしれないけど。小田さんの歌は失恋の歌と見せかけて、もてる男が彼女をふる言い訳を必死でしてるように聞こえるんです。卒業式で流れる『さよなら』なんかもよく聞くとふってるのは小田さんの方だし。『眠れぬ夜』も別れの原因は彼女にあるみたいだけど、ひざまずいて涙を流しても戻らないとか言ってる。『秋の気配』なんかもろです。小田さんって彼女にふられたことないんじゃないかな。小田さんのようにイケメンでもなく、音楽の才能も美声もないフツメンの男子には共感しにくいんです」(注:すべて主人公の個人的見解です)
「小田さんの曲に詳しいんですね。『言葉にできない』は?」
「あれは恋の歌じゃないそうです。義母さんが言ってたんだけど、歌詞に『終わるはずのない愛』というフレーズがあるでしょう。男女の間の色恋には必ず終わりが来る。愛の終わりを歌い続けてきた小田さんが終わるはずがないというからには、それは彼女への愛ではなく、音楽への愛、バンドへの愛、高校の時からともに歩んできたバンド仲間への愛。だから、あれは自分を置いてグループを去っていく仲間への思いを歌ってるんだろうって」
「自分たちがつくったオフコースへの愛が終わるなんて考えたこともなかったんでしょうか。もしかしたら、小田さんが相手から別れを切り出されてふられた生涯唯一の人なのかも」
「そうか。ある意味、人生でたった1回、最高の失恋だったんですね」
やっぱり、この人は内面も義母に似てる。新しい妹との同級生生活はこうして始まった。
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