32話 主の不在(後編)
「そういえば、フィリップ様はどうされたんです?」
白熱するゲームの最中にふとセシリーが思い出したようにエメラインお嬢様に聞いた。エメラインお嬢様は手持ちのカードを真剣に見つめながらセシリーの質問に答えた。
「お兄様は調教した馬が仕上がったので取りに行ってるの」
「ああ、乗馬がお好きなんですっけ」
「ええ、ここのところずーっとお馬のお話ばかりしてるわ」
「残念ねぇ、アンナマリー」
私はにやつきながら余計な事を言ったセシリーのつま先を軽く踏んづけた。ほんとに軽く踏んだだけなのにセシリーは大げさに声をあげる。
「あー痛い。何をそんなに怒ってるのかしら」
「あら、怪我したなら治してあげるわよ」
「いやねー。冗談よ。はい、上がり!」
「あっ」
ゲームはまた私の完敗だ。こういうのは向いて無いわね。さて、そろそろお開きにしてエメラインお嬢様をおうちに送り届けなくては、と思った矢先だった。
「すまない、エメラインがお邪魔しているようだが」
「お兄様だわ!」
外からの呼び声にエメラインお嬢様が玄関へと駆けだして行った。扉を開くとそこにはいつものように黒い髪をなでつけた美丈夫が立っている。
「アンナマリー、セシリー。エメラインが面倒をかけたようだね」
「いえいえそんな事は……」
「あのねあのね、司祭様のところの赤ちゃんを見て、それからゲームをしたの」
「そうかそうか」
エメラインお嬢様はフィリップ様の服にしがみついて今日あった事を興奮気味に報告している。頷きながらもこちらにすまなそうな視線を送ってくるので私とセシリーは深々をお辞儀をした。
「一言お礼が言いたいが、今日は司祭様は?」
「ああ、領主様と面会されていて泊りで不在なんです」
「そうか……じゃあ二人ともこっちへおいで」
「私たち……ですか?」
アーチをくぐって外に出るとそこには立派な一頭の黒い馬がいた。ツヤツヤの身体はまるでシルクが貼られたようで、そこらへんの農耕馬しか見た事の無い私にはまるで別の生き物のように見えた。
「どうだい、ちょっと乗ってみないか。お姫様方」
「ええ! 本当ですか? やったわね、アンナマリー!」
「……私、ちょっと怖い」
馬に乗せてくれるというフィリップ様の提案に、セシリーはすぐに喜びの声をあげたが私は普通にびびっていた。だって馬って思ったより大きいんだもの。
「大丈夫、俺がついてるから。さて、一番最初に乗るお姫様は?」
「私よ。馬が来たら乗せてくれるって約束してたじゃない」
最初に名乗りをあげたのはエメラインお嬢様だった。お嬢様のひょいと馬の鞍に乗せたフィリップ様はそのまま手綱を引いた。
「はー……。お兄様、私も馬が欲しいわ」
「ああ、近いうちにポニーを買ってあげるよ」
「本当? じゃあ次はセシリーの番ね」
「あら、では失礼します」
エメラインお嬢様が馬から下りると、今度はセシリーが鞍に乗せられた。わくわく顔のセシリーに動かないように、と一声かけるとフィリップ様は鐙に足をかけひらりと馬に飛び乗った。
「ちょっと歩いて見よう」
「馬からだと遠くまで見えますねー」
「うん、この風景が好きなんだ」
ごくり……次は私の番だ……ジリジリと後ろに下がる私を馬から降りたセシリーが引っつかんだ。
「観念しなさい、アンナマリー。エメラインお嬢様だって平気な顔してたわよ」
「うう……はい……」
「大丈夫、サンダーは優しいくて賢い馬だよ」
ええいままよ、さすがにこれ以上エメラインお嬢様の前でカッコ悪いところ見せられないもんね。フィリップ様が私を鞍に乗せ、セシリーの時と同じ様に私の後ろに跨がる。
「ほら、アンナマリー俯いてないで背筋を伸ばしてごらん」
「ふ、へへへへ」
馬の上は不安定で私は無理矢理笑おうとして変な声が出た。せめて、きゃあとかなんとかもっと可愛い声が出ればよかったのに。
「ほら、しっかり掴まって。ゆっくり歩くよ」
「はっ、はい」
ぱかぱかと本当にゆっくり馬は歩きはじめた。フィリップ様は片手で手綱をとり、もう片方の手で私を支えてくれている。それにしても……さっきからフリップ様のなかなかに鍛えられた胸板が頭をコツンコツンしてるの。
「どうだい気持ちいいだろう」
「えっ」
「サンダーがやってきたからようやくこっちでも乗馬が楽しめるよ」
あっ、そっち!? 自分が馬鹿な勘違いをしている事に気が付いたら、みるみるうちに顔が赤くなってしまった。
「あの……そろそろこの辺で」
「よしきた」
ようやく馬から降ろして貰ったけど、私の顔は火照ったままだった。
「それじゃあ、エメライン。二人に挨拶を」
「アンナマリー、セシリー遊んでくれてありがとう」
「はい、またいらしてください」
「今度はお屋敷の方に言ってから来て下さいね」
私たちは手を振りながら遠ざかる二人を見送った。
「うふふ、私もエメラインお嬢様と仲良くなっちゃった……ってアンナマリー! あんた熱でもあるの?」
「いやいや、これは違くて!」
「ははーん、密着しちゃったもんねぇ~」
「ばっ、ばっかじゃないのセシリー!」
セシリーは私に罵られているのににんまりと笑顔だ。
「いいのよ、いいのよ。いい身体してたわよね。仕方ないわ」
「こらっ」
セシリーが要らんこと言うもんだから、がっしりと張りのある胸板の感触が蘇ってきた……。
「ほら、セシリー、アンナマリー! そろそろ戻っておいで」
「はぁい、ケリーさん」
私は屋敷の中に戻ると厨房に直行してバシャバシャを顔を洗った。
「あんまー」
「リオン坊ちゃま~、おっきしたんですねー」
私は煩悩の発生源である感触を打ち消すように、リオン坊ちゃまの柔々のほっぺたをさすさすした。うう、私負けない!!
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