10話 秘薬の触媒(後編)

「なんです? 来て早々一体……?」


 ケリーさんはそんな私達の顔を見て首を傾げている。そんな彼女を私達はかっこうの獲物を見つけたような目で見つめている。


「ケリーさん、あかぎれとかない?」

「ええ、あるよ。毎日洗い物をしているからね。困ったもんだよ」

「それは良かった! 実はこれ私と奥様で作った特製ハンドクリームなんです!」

「ほうほう」


 薄茶色いクリームは見た目はあんまり良くないがほどよくスパイシーな香りをしていていかにも効きそうだ。


「ちょっと試してください」

「それじゃ遠慮無く……」


 ケリーさんは一掬いクリームをとると手に塗り込んだ。うんうん、材料の事は黙っていよう。クリームでてかてかになったケリーさんの手。彼女はじっと自分の手を見つめている。そんなケリーさんの目が大きく見開かれた。


「おお……あかぎれが……消えていく……」

「えっ!?」


 そんな効くの!? スライムすごい。さすがは奥様だわ! と、振り返ると……奥様は微妙な顔をしている。私は何だか嫌な予感がして奥様に尋ねた。


「どしたんです、モニカ奥様?」

「あ、いいえアンナマリー、あとで話があるわ」

「あ、はい……」


 はぁー、やっぱり何かあるんだ。げんなりした私を横目に、奥様はケリーさんに語りかける。


「ケリー、良かったわね。早速だけど表の掃除をしてくれる?」

「かしこまりました奥様」


 ケリーさんが出て行った後を見送っていると、奥様が私の肩に手を置いた。びくっ。


「アンナマリー……あなたすごいわね」

「えっ!? なんの事です?」


 私が首を傾げていると、奥様はテーブルの上のハンドクリームを指さした。


「これよ。『聖女』が作るとこうなるのね」

「どういうことですか」

「確かにスライムを使うと薬効効果は高まるんだけど、普通はあんなみるみるあかぎれが消えたりしないわ」

「そうなんですか……あれ、そしたら私とんでもないものを作っちゃったのかも?」

「そうねぇ……ハンドクリームとしては非常識な効果だけど、そういう薬が無い訳じゃないわ」


 奥様はブツブツと、これは要研究ね。などどぐるぐるテーブルの周りを歩きながら呟いている。


「あなたが聖女だからこの効果なのか、聖女の魔力量が高いから効果が高まったのか……うーん」

「奥様……」


 それを見て私は今は妊婦だからこれでも大人しくしている方なんだろうな、と思った。根っからの研究者気質なのがちらついている。


「それはとにかく……こうして薬を使えば貴女の聖女としての力も目立たないかもしれないわ」

「あっ、そうですね! 正直、力を使うなと言われてももう近所の人の治療はしてしまっているわけですし、どうしようかと思ってました」

「こうやって薬を触媒にしていると言い訳すれば貴女の回復魔法の能力も言い訳が効きそうね」


 ああ、ひとつ懸念事項がなくなった。今度からは薬湯を飲ませたりしてから回復魔法をかけてあげよう。軟膏も作っておけば、私が不在の時にお母さんに対応して貰う事もできるし。


「よかったです」


 モニカ奥様の言葉に私は頷いた。あ、そうだハンドクリームの他にフェイスパックも作ったんだっけ。


「これケリーさんに使ったらどうなるんでしょう。みるみる若返っちゃったり?」

「うーん……しみはとれちゃうかもだけど……アンナマリー、あなた本当になにも知らないのね」

「へ?」

「いい? 覚えておいて。回復魔法で唯一治療できないのは『老い』よ」

「そうなんですか……」


 『老い』は治せない。そうかそれも治せちゃったら不老長寿が実現してしまう。この世界の理は魔法はゆるしても、そこまでは許容していないようだ。

 結局フェイスパックの方は更に水で薄めてシミ取り美容液としてケリーさんにプレゼントする事になった。




「ねぇねぇ、アンナマリー。ここのところ肌の調子がいいんだよ。ありがとうね」


 数日後、ニコニコと笑顔のケリーさんは、私にお礼を言って来た。確かにくすみがとれて肌に張りが出たように思う。私は手元のメモに今回の希釈した方のレシピを書き込んだ。また作ってお母さんにもプレゼントしてあげよう。田舎のおばさんだってその辺は気になるのが女心なのだ。

 それからの私は嫌々だった薬草学の勉強もキチンとするようになった。そんな私を見て、モニカ奥様は嬉しそうにしている。


「これは健胃にいいの。胃もたれをするときに処方してね。ほらスーッとした香りがするでしょう? お料理に入れてもいいのよ」


 今日も小瓶から出した小さな種子を小皿に移しながら、奥様の解説を聞いていた。


「どんなお料理ですか?」

「人参とかの野菜の漬け物や炒め物なんかに良く合うわね」

「へぇ……」


 メモメモ。家でも作ってみよう。一度興味が湧いたら楽しいな。


「ねぇ、薬草学も悪くないでしょ?」

「ええ!!」


 モニカ奥様が片目を瞑りながら聞いてきたので、私は大きく頷いた。


「生まれながらの才能が要る回復魔術師と違って、覚えれば誰にでも使えるのが薬師の良いところよ。生活にも密着しているしね」


 お料理にお菓子にお茶、入浴、芳香浴。日々取り入れて病気自体を予防する。そんな良さがあるのだと奥様は言った。


「アンナマリー、私はね。何も難しい薬草の種類を暗記しろって言っているんじゃ無いのよ」

「はい」

「私は……あなたに『人を癒やす事』の喜びを知って欲しいの」

「癒やし……」


 ちょっと真面目な顔でモニカ奥様は私に言った。そしてまたいつかの様に遠くを見る。その視線の先にあるのはなんだろう。


「アンナマリー、あなたが聖女として力を発揮しない世の中が一番なのは分かってるの。でもね、どうしても考えてしまうのよ。私が……私が回復魔法が使えていればって」

「奥様……」

「戦場では……薬草で癒やしきれない人が沢山いたわ」


 見れば奥様のすみれ色の瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。彼女の心にあるのは自分が癒やせなかった人々の事だろうか。今は幸福なこの田舎の教会でのんびりとすごしていても、戦争の傷跡はいまだ奥様の心を蝕んでいるようだった。


「これ、使ってください」

「あ……ありがとう。臨月で涙もろくなってるのかしら」

「きっとそうですよ」


 私はモニカ奥様にハンカチを渡すことしか出来なかった。……回復魔法で癒やせないのは『老い』だけじゃない『心』もだ。私はそう気がついた。

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