4話 モニカ奥様は花の如し(前編)

 ついて早々、司祭様の発言には度肝を抜かれたけれど、私はなんとか仕事にとりかかった。まずは朝食後の皿洗いから。都会では水道があると聞いたけど、この辺境の村ではまだまだだ。たらいに水瓶から水をためてひとつひとつ洗って行く。


「アンナマリー、お皿洗いが終わったら呼んでちょうだい」

「はーい、モニカ奥様」


 居間から聞こえた奥様の声に応えると、いっちょ前のメイドの様な気がしてくる。皿を洗っただけなのできっと気のせいなんだけど。最後のひとつを洗い終えて、丁寧に拭いて棚に戻すと奥様の元へと駆けつけた。


「なんでしょう」

「アンナマリー、質問よ。村の方々の心配事は何かしら?」

「心配事……うーん……?」


 奥様の突飛な質問に私は首をひねる。この村のほとんどの人は農家をしているが、今年は豊作を皆で祝ったくらいだ。晩秋のこの季節からは十分に採れた麦や野菜でお腹を満たしながら過ごす。


「奥様、なんでそんな質問をするんですか?」

「あ! そうね! そう思うわね」

「そりゃそうですよ」


 お魚の様に口を開けた奥様をちょっと呆れた顔で見る。気さくなのはいいが、ちょっと考えなしな所がモニカ奥様にはあるんじゃないかしら。と……いう事は私がしっかりしないと!


「この季節にみんなが心配する事なんて、退屈な冬をどう過ごすかぐらいですよ」

「あら? 冬が退屈? どうして?」


 奥様は考えなしの上に世間知らずなようだ。ご夫婦になられたばかりで首都からいらしたという事だから多少の事は目を瞑らないと。


「冬になるとこっちは雪で閉ざされるんです。そうすると農作業もないからちょっとした内職をちまちまとやるんですけど……あんまり楽しい事ではないです」

「ふんふん……」

「冬至のお祭りは春の花の祭りに比べて随分地味ですし……」

「そうかしら?」

「冬至のケーキは美味しいけれど、月の女神様にお祈りをするだけなんですもの」


 いつの間にやら奥様は手帳を開いてメモなんて取ってる。私は先程の疑問を奥様にぶつけることにした。


「……で、なんでこんな事を聞くんですか?」

「あら! 村人の平和と安寧が教会の仕事でしょ?」

「確かにまぁ、その通りなんですけど……」


 こんな直接的な聞き方をされるとは思わなかった。教会はただそこにあって、お祈りをしたり、困った人を助けたり、心配事があればこちらから出向くもの。そんな風に思ったのだけど。都会では違うのかしら……? なんかそれも違う気がする……。


「そうねぇ……退屈ねぇ……パーティでもしようかしら?」

「奥様、教会の司祭様が村人を招待してパーティなんて聞いたことありませんよ」

「そう? でも退屈なんでしょ?」

「あの……その……」


 この奥様はまるで子供のようだ。綺麗な顔をして何を言い出すんだろう。


「なんていうか、大げさ過ぎます。司祭様とその奥様は……うーん……じっとしていてください」


 しまった。言葉選びを間違えた。なんて言ったらいいんだろう。前の司祭様は独身で随分高齢だったから、日々淡々とお祈りや儀式をしていた記憶しかない。


「しかたないわね。じゃあお茶会くらいならどうかしら?」

「安息日の説法の後のお茶会なら時折ありました」

「うん、いいわね! ではお茶会をしましょう。……ふふふ、楽しみ」


 にっこりとモニカ奥様は微笑むと、ソファに身を預けた。それを見届けて、私は掃除に取りかかった。

「変わった奥様だろう?」

「……ええ。悪い人ではないんでしょうけど」

「ははは、その通りだよ」


 ケリーさんがキチンとしているので掃除道具は一通り、階段裏の物置にしまってあってすぐに分かった。ここはこのクリームで磨くのだ、とか細かいことはケリーさんが教えてくれた。ざっと掃き掃除をして、階段の手すりや窓を磨く。結構な重労働だ、これをケリーさん一人でやっていたのだろうか。


「奥様……居間の掃除をしても?」

「あら、今日はいいわよ。掃除をしてくれたのね。ありがとう。それより昼食を作るから手伝ってくれる?」

「奥様それは私がやりますよ」

「でも、芋とベーコンの昼食は嫌なのよ」


 う……思いっきりそれにしようと思っていた。だって、いつも昼食はそんな感じだったんだもの。それ以上は何も言えないまま、身重の体とは思えない軽やかさでエプロンを身につけた奥様と厨房に立った。


「それで何を作る気ですか」

「野菜のスープと……卵があるからそれを焼きましょう。食事は体を作るモノだから大切なのよ」

「はぁ……」


 奥様は洗い場の脇の戸棚を開けた。そこには沢山の乾燥させた薬草が保存してあった。


「卵にはこれとこれとこれ……この薬草は体内を綺麗にしてくれるの。それからこっちは炎症を抑えてくれるわ」

「それを食べちゃうんですか?」

「普段から体に取り入れるのよ。健康と美容の為にね!」


 薬草の瓶を手にモニカ奥様はウインクした。


「奥様はもう十分美しいと思います」

「あら、ありがとう。嬉しいわ」


 人たらしというのはこういう事を言うのだろうか。私はもう奥様の突飛な行動もすべて許せてしまう気がした。ううーん、司祭様はいい奥様を迎えたものだ。とてもじゃないけど私を含めて村の娘っこの誰もかないっこないや。


「あとは香り。卵の臭みを消してくれるの。もう平気だけど、つわりの時にはお世話になったわ」

「へぇ……」

「これもちゃんと覚えるのよ。これとこれとこれ……この手帳を使ってちょうだい」

「あ、はい」


 瓶に書かれた薬草の名前と奥様の言う効能を慌てて差し出された手帳に書き込んだ。奥様は手早く、刻んだ薬草を卵に混ぜ込んで作ったオムレツに野菜のスープ、それからパンを作った。

 さわやかな香りのするオムレツはふんわりとした絶妙な焼き具合。奥様は中々の料理上手のようだ。


「さ、昼食ができたとジェラルドに伝えてちょうだい」

「はい、分かりました奥様……あ、ジェラルド司祭!」


 教会の建物に向かおうとした時厨房の扉が開いた。日を受けた金髪は輝いて、瞳は若草のよう。ここだけ季節が違うみたいなジェラルド司祭がそこにはいた。


「そろそろかと思ってね」

「それじゃ頂きましょう、アンナマリーはここに座って」

「私もですか!?」


 当然、と言い切って奥様は私を無理矢理に厨房の椅子に座らせた。なんだか……使用人というより親戚の子にでもなったようだ。いつの間にやらケリーさんもやって来て和やかな昼食がはじまった。


「昼食が終わったらお茶会の相談に乗ってね? アンナマリー」


 奥様は小首をかしげてにっこりと微笑んだ。


「おや、お茶会をするのか」

「そう、アンナマリーの提案でね。村人の皆さんとお茶をしようと……」

「ほう」

「奥様! それは私の提案じゃないですー!」


 いつの間にやら話がすり替わっているのを大声で訂正すると、司祭様と奥様は顔を見合わせて吹きだした。もう! 人をからかって、ひどい!

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