第15話 あのすきとおった空のむこう

XYZ ONLINEエンドオンラインの楽しみ方は、当然ながら十人十色である。

『もうひとつの人生を』というコンセプト通り、膨大にあるコンテンツを1プレイヤーが網羅するのは不可能に近いだろう。

しかし、ファンタジー世界で生きるゲームという特性上、戦闘コンテンツは避けるに避けられない。

初心者の間は特に、だ。

鍛冶屋になりたくても、料理人になりたくても、服飾店を経営したくても、先立つものがなければどうにもならないのだから。


そんなわけで、XYZ ONLINEエンドオンラインにおける初心者マークを外す機会を伺っているカズキは、資金調達のために迷宮ラビリンスへ行く予定をコンスタントに立てていた。

当然、一人で向かうような無謀な真似はしない。

自分と同じくらいのレベルであるプレイヤーを前衛後衛バランスよく、なおかつ全員の利害が一致するように揃えた。

意外とそういう計算や試算が得意な一面があったようで、この方法で大抵の場合上手くいっている。

そのおかげで心置きなく話せるギルドメンバーも増えたし、カズキにとってのXYZ ONLINEエンドオンラインの生活は順風満々と言って良かった。


……ただひとつ、9月の末になった現在になってもまだ『アンジュダガー』が売れたという連絡が無いことを除いては。


それについては特に焦る気もない。

なにせ前例などないだろうし、値段だって決して安くはない。

リチリアの店は景観からして宣伝する気が無いのだから、そもそもアンジュダガーを扱っていることすら知らないユーザーしかいないだろう。

ロクからは、『マスターに頼んで宣伝を打って貰えばどうか』とも言われた。

しかしそれは嫌だった。

結局自分たちの手で色々な糸を引いてしまっては、『起爆』に至らないと思ったからだ。


『起爆』、とは予測している現象に対して便宜的にカズキが勝手に付けた名前である。

ロクからは『素直にバズると言え』と言われたが、カズキにはしっくり来なかった。


――カズキが狙っている筋書きはこうだ。

ロクのこともカズキのことも、それどころか『トロヴァトーレ』のことすら知らないかもしれないユーザーが『アンジュダガー』に目を留める。

そしてその唯一性に感動して、作者を探すかもしくは次回作に期待する。

あわよくば購入してほしい。

そして、XYZ ONLINEエンドオンラインの中でちょっとしたブームになる。

……なればいいな。


という話を一通りしたところで。


「甘い」


向かいの席でベリーソースのふんだんにかかったタルトをフォークで突いているアマリに一蹴された。


「頭ぱっぱらぱーすぎでしょ言っちゃ悪いけど。そんなまるでレッドカーペット敷いたみたいにトントン拍子で行くわけないし。あったとして、せいぜい『わー、すごい武器だなあ、これオリジナルデザインなんだ、すごーい』で終わりだと思う。バズるとか噂になるってのは希望的観測すぎる」

「そ、そこまでボロクソ言わなくても……まぁ俺も夢がデカすぎるとは思ったよ。でも、でっかいほうが叶ったとき嬉しいじゃんか」


ある程度批判されるのは覚悟していたが『頭ぱっぱらぱー』は流石にちょっと聞き逃すわけにはいかない。

アマリはナパージュ艶やかなベリータルトを一切れ口に運んで、難しそうな顔をしたままもぐもぐと咀嚼しつつカズキからの反論を聞いていた。

さっきまで美味しい美味しいと食べていたのにこんな顔をさせてしまって申し訳ない気もするが、デザイナーとしての首尾はどうか、喫茶店で話でもしようと誘ってきたのはアマリだ。

アマリはごくんとタルトを嚥下してからアイスティーに口をつけると、グラスをどんと置いてから腕を組む。


「さてはカズキ……浮かれてるね? 作品が完成したときの高揚感っていうの? そういうやつ」

「……うーん……どうだろう。わかんないな。俺だってこれが初めてだし」

「浮かれてるよ。普段のカズキはもうちょっと冷静な人だったはずだってあたしは思うもん。だからさぁ、やっぱり素直にろっくんの提案通りマスターに宣伝して貰ったら?」

「んー……んん……」


それは気が進まない。

なんというか、ショウはこのXYZ ONLINEエンドオンライン内でもそれなりに有名プレイヤーだ。

『トロヴァトーレ』の名前だけなら知っているプレイヤーはかなり多いらしいくらいにそこそこ大規模なギルドなのだから、そのマスターである彼の名が通っているのも至極当然のこと。

それにショウ本人の人柄も温和で友好的で常識的で、好かれる要素を多数持っている。

そのためコネも顔見知りも多く、場合によっては『トロヴァトーレ』から別ギルドへの移籍希望者の面倒も見ているらしい。

例えば、『私は料理を極めたいから料理ギルドに移籍したい』と言うメンバーがいれば知り合いの料理ギルドメンバーに声をかけてそちらのマスターとの顔合わせをセッティングするだとか。

そこまでするものなのか、と思ったが、以前ショウはこう言っていた。


『トロヴァトーレ』の目指すスタイルは『家族』である、と。


なので、家長たる自分が家族であるメンバーの面倒を見るのは当たり前のことで、感謝を求めているわけでもなく自分が勝手にやっていることだ、と笑っていた。

プレイヤーのやりたいこと、目指したいことを最優先し、それについて『トロヴァトーレ』が最適な居場所でないのなら、自由に羽ばたける翼を授けて巣立ちを見送りたいのだと。


カズキに対しても、『もしかしたら絵を描くのが好きな人が集まっているギルドもあるかもしれない、希望するならそういう場所を探す』と言ってきた。

しかしカズキはそれを断った。

『トロヴァトーレ』の雰囲気や空気が気に入っていたし、別段離れる理由が見当たらない。

それに世話してくれたアマリやショウ、グッドスリープの側でXYZ ONLINEエンドオンラインをやっていきたいと思ったからである。


「なんていうかなあ……ショウに頼るのは最終手段な気がして」

「変なプライドに拘るのやめたら? 結局人目に付かないと売れないよ。見た人が必ず買いたくなっちゃうような吸引力があるなら話は別だけど、こういうのって結局分母増やさないことにはお話にならないと思う」


進言を受け入れることを渋りながらレアチーズケーキを口に運ぶカズキを諭すような口調。

言いたいことはわかる。

でも、まだ一ヶ月なのだ。

もう一ヶ月だとアマリは思っているのかもしれない。

しかし、リチリアの店でどのくらいのペースでどういう商品が売れるのかも聞いていない以上、これを遅いとか早いとか決めるわけにはいかない気がしたのだ。


そんなカズキの気持ちを察してか知らずか、アマリは残り少なくなったアイスティーをストローで吸いきると、再び雑な仕草でグラスを置いてからぱんと手を叩いた。

まるで空気を切り替えるかのように響いたハンドクラップ音に、2つ向こうの席に座っていた客が振り向いたが、アマリからすれば背後のことなので気付くよしもない。


「じゃあこうしよう。カズキがダガーを卸したのは8月30日。もうすぐだいたい一ヶ月。さらに一ヶ月待ってみて、それでも売れなかったらマスターに宣伝して貰う。なんか話を聞くにそのリチリアさんって人宣伝する気なさそうだし、それならカズキ側がアクションを起こさなきゃカズキの言う『起爆』にすらならないよ」

「……そうだなあ、ショウに頼ったら、ネームバリューで俺の求める『起爆』のレベルには至らないかもしれないけど、小規模な『起爆』なら望めるし……」

「高望みしすぎ。売れる、の前にまず人目に付くこと。そっから始めないとどうにもならないんだから。ね? あと一ヶ月粘ってみてダメだったら頼ろうよ。一歩目からコケたらつまんないんだし、使えるものは猫の手だろうと使っていくガッツがなきゃ」

「……うん」


小声ながらも肯定して頷いたカズキを見て、アマリはにんまりと笑った。

解る。

アマリはアマリなりに良かれと思ってあえて厳しいことを言っているのだ。

それに筋は通っているし、論理的におかしなところはなにもない。

もっと平たく言うなら、アマリの言うことは『尤も』だった。

それでもなかなか素直に聞けないのは、彼女の指摘通り無駄なプライドや高揚感が邪魔しているのかもしれない。

アマリは皿に飾られた真紅のベリーソースを、残りひとかけになったタルトで軽く拭き取ってからぽいと口に運んだ。


「んじゃ、これ食べ終わったら気分転換に迷宮ラビリンスでも行こっか。最近あたしに付き合ってくれないじゃん?」

「んあ? そうだっけ? ……言われてみればそうだな」


そういえば確かに自分から誘う時は実力の近そうなメンバーに声をかけていて、アマリと一緒に迷宮ラビリンスに行った記憶も薄い。

カズキも残り僅かになったレアチーズケーキを口に含み、爽やかな甘味をブラックコーヒーで流した。


「……でも、アマリのレベルじゃ俺に付いてきてもつまんなくない?」


成長したのは、なにもカズキだけではない。

アマリだってこの一ヶ月の間狩りに出かけていたし、ギルドハンティングだって数度あった。

つまり、カズキが伸びてもそのぶんアマリも伸びているなら差は縮まない。

しかしアマリはその質問を待ってましたと言わんばかりに目を細めると、喉の奥で笑った。


「ふふん、それがつまんなくない方法があるのです」

「ほう?」

「……あたし、最近ちょっと楽器に目覚めまして。今日のあたしは吟遊詩人バードとしてカズキに付いていくよ」


……なるほど?

確かにそれなら、一人でレベリングも難しいし、前衛と後衛一人ずつでバランスも取れる。

それにアマリは吟遊詩人としてのレベルが低くても、苦戦しそうなら普段通りの剣士に武器を持ち替えて戦えばいいし、死んでも蘇生薬のストックがあるはずだ。

強いて言うなら、何故先週の大型アップデートで実装された銃士ガンナーではなく今更吟遊詩人なのかと思わなくもないが、おそらくアマリにとって惹かれる要素が少なかったのだろう。

ぺーぺーのビギナーを連れるのとは違って、アマリはカズキの腕前で遭遇しそうな壁はだいたい自力で突破できる実力の持ち主。

なら、気分転換も兼ねてその組み合わせで迷宮ラビリンスに行こうということになった。


喫茶店を後にして、自由領域フィールドに出る直前になってアマリが立ち止まる。


「そーそー、だから装備も変えてくよ。はい、しゃらららーんっとね」


ぽちぽちと何度かメニューパネルを操作する動作のあと、アマリの全身を淡い光が包む。

しかしそれは一瞬で収束し、光が落ち着くころにはアマリの服装が変わっていた。

今までの動きやすそうな軽装と比べると若干重装備であるが、布を基本とした装備で防御力はあまりなさそうに見える。

しかしこのゲームにおいて後衛職というのは物理防御より魔法防御に重きを置いたパラメータ設定になっているので、装備も往々にしてそうである場合が多い。

なので魔法防御について言えば、前の装備より高い可能性がある。


ビジュアル的な話をするなら、薄い布を重ね合わせた踊り子のような服装だった。

肩や膝といった要所要所での露出はあれど、全体的な話をすれば露出度は低い。

透け感のある布が美しいドレープを描いていて、その流れのままに目線を落とせば足元は細い革を継ぎ合わせたレースアップサンダルが彩っていた。

総合的な完成度は極めて高く、流麗な雰囲気を持った音楽家と言われれば頷いてしまいそうだった。


……実質、本人が吟遊詩人だと言っているのだから音楽家なのだろうが。


「さーて、そんじゃあ行きますか!」

「……あれ、カズキ?」


ぐっと右拳を天に突き上げたアマリの後ろで、小柄な影から声がかかる。

あれ、と思い目をやればそれはどうやらログインしたばかりのシックのようだ。

確かに喫茶店を出たあたりで、ギルドチャットで全員に向けて『こんばんはー』と言っていた。


「うわ、ごめん狩りに行くとこだったの? 邪魔したね。それじゃ……」

「ちょーっと待った!」


どうやら後ろ姿でアマリと気付けなかったらしい。

声に振り返ったアマリの顔を見るや、親に悪戯を見つかった子どものような顔を一瞬してからすぐに引きつった笑みを作り、ひらひらと手を振ってその場を去ろうとした。

しかりアマリが彼の首根っこを捕まえて、無理やり二人の間に連れてくる。


「なんで? いやなんで? なぜに? はい? 僕を捕まえる理由がわからないナー。……ホワイ?」

「ホワイじゃないんだなホワイじゃ。いい機会だしシックも一緒にどう?」


肩を竦めて外人のふりをしつつ苦笑で逃げようとするシックに、アマリはずいと顔を寄せた。

カズキからすれば、まぁこうなるだろうなという展開だ。

『トロヴァトーレ』の中でカズキがよく交流する同レベル帯のメンバーのうちでも、シックの『狩りたがらなさ』は相当だった。

カズキも何度か声をかけたことがあるが、大抵柳のようにかわされてしまい彼と一緒に出かけたことがない。

例外としてギルドハンティングのような大規模な狩りであればついてくるのだが、カズキが主催するような小規模な狩りには絶対に来ない。

ましてや、アマリと二人、シックが加わっても三人だなんて、絶対に来ないだろう。

だが、それ以上にアマリが強情だったら?

アマリの諦めが悪く、そして世話を焼かないと気が済まない体質だったら?

どちらが粘り勝つかなんて、火を見るより明らかだ。


「いやー僕は遠慮しとくよ。行っても役に立たないと思うし……」

「え? 今後役に立てるようになるためにレベリングするのは普通じゃないのか」


思わず真顔でツッコミを入れてしまうと、げえ、と言いながら目を逸らして舌を出す。

しまった、と思ってアマリの顔を伺い見ると、得意げな笑みを浮かべていた。

追い討ちをかけるつもりはなかったのだが、すまん、シック。


「それならあたしもぺーぺーの吟遊詩人だし、みんな初心者だよね? なーんも問題ないじゃん! ほら駄々捏ねてないで行くよ。レベルが上がれば例の子からも頼りにされるかもよ」

「れれれれれれ例の子ってだだだだれれれれだれだれ?」


明らかに動揺し始めて、シックはバイブレーションを始めた。

すごいな、VR技術ってこんな余計なところまで表現してしまうのか。

……そんなどうでもいい話は置いておいて、アマリの発言から察するにシックはゲーム内に好きな人でもいるようだ。

最近ではネット恋愛は珍しくもないし、そもそもXYZ ONLINEエンドオンラインは結婚システムもあるくらいだし、まあそうなんだろうなという感じである。

ただ、そういう話が身近に転がっているのは正直面白い。


渋りに渋りまくるシックを引き摺って、アマリの持つワープストーンを使ってメルアゲイルではない迷宮ラビリンスへとやってきた。

北の迷宮ラビリンス、その名も神罰領域アイレドーラ。

レイクファイドで言う所の倒壊したビル、要するに遮蔽物は真っ白な大理石の柱で、床は磨かれ抜いて鏡のように反射すらしている。

徘徊するエネミーは背中に白い翼を持った、頭部のない人間のようなもの。

稀に体色や翼が黒い個体もおり、それはレアエネミーだと教えられた。


「なんでちょっと狩ろうって話で普段と違う迷宮ラビリンスに来ちゃうんですかね……」


シックの、当てつけっぽい独り言は当然耳に届いた。

しかしそれについては自分も『わかる』と思ってしまったので、何も言わないでおく。


「刺激が必要でしょ? 気分はこまめに変えないと。あたしも誰かとアイレドーラ来たかったんだよぉ、一人だとやっぱ面白さが足りなくて」

「……なんだそりゃ?」


と言うのは、発言に対してではない。

アマリがアイテムインベントリからワープストーンと入れ替えるように出したものが理解できなかったのだ。


「これ? ディジュリドゥ」

「はい?」


言われても解らない。

見た目は、木の筒のような……人間の腕よりやや細いくらいの、長い筒状のなにかだった。

アマリの職から察するに楽器の一種なのだろうが、見たことのないビジュアルに少々面食らってしまう。


「アボリジニの楽器だよ。木製だけど音の原理が金管楽器と一緒で、天邪鬼なところがちょっとあたしっぽいなと思って」


意味が解らなかった。

どこか弾む声色のアマリが説明してくれるが、頭に入った情報は『アボリジニの楽器』くらいのもので。


「ま! 鳴らせばわかーる! そんじゃ行こう、時間は有限なのだから!」

「あ、おい! 後衛なんだから先に出るなって。俺が先導する」

「『運命開拓』のバフしといたよって一応言っていい……?」


ずかずかと前に出るアマリに諫止の声をかけると、わざとらしく自分の頭をこつんと叩いて悪びれた様子もなくカズキとシックの間に戻ってくる。

シックもとりあえずは腹を決めたらしくカード片手に怪訝そうな顔をしていた。


一番近くにいたエネミー、ウィンドウで確認した情報によると『テンノツカイ』と言うらしいそれに狙いを定めてフェザーブレードを鞘から抜き放つ。

どうやらこの層ではアクティブエネミーは少ないらしく、襲いかかってくる様子もない。

ただ、見るからに軽装で脆そうだったシティゾンビと比べると、銀色に輝く鎧を纏っていて防御力が高そうに見えた。

メルアゲイルと強さが近いのであれば、見た目こそ硬そうに見えるがまだ一層のここなら一撃か二撃で倒せるだろうと予測を立てる。

よし、と柄を左手でぎゅっと握ってから振り上げる。


――ぶおおおおおおおおおおおおおお。


「はっ……?」


突如鳴り響いた、低い音に振り向いた。

剣は振り上げたままだったので若干間抜けなポーズになっていたかもしれない。

しかしそれ以上に、慣れないところで慣れない編成で狩りに来ているという緊張感から振り返らずにはいられなかった。

もし危険が背後から迫っているのなら、アマリとシックを守れるのは自分しかいないのだから。


振り向いても、別段変わったところはなかった。

強いて言うなら。


「あ、びっくりした? これディジュリドゥの音」

「やかましいな……」


アマリが、ディジュリドゥの上端から口を離してから笑う。

どうやら今の騒音に近い重低音は彼女の鳴らしたものだったらしい。


「うわほんとだ、防御力にバフ入ってる……ちょっとだけど。吟遊詩人って概念がおかしくなりそう」


パラメータをウィンドウで確認していたシックが驚きの声を上げた。

ディジュリドゥとやらは、ちゃんと吟遊詩人として仕事を果たしているらしい。

失礼、ディジュリドゥではなく、アマリは。


「でしょ? 面白いでしょ? だからずっと人前でこれ吹きたかったんだよねー!」

「でもそれギルドハンティングでやられたら全然集中出来なさそう……」


シックが淡々と小声でツッコミを入れていく。

人とぶつかりたくない戦いたくないと言いつつもそういうことはしっかり言ってしまうあたり、シックは解らない。


『あ。あー、カズキ? いるか?』

「ん?」


と、急に声が聞こえてくる。

アマリとシックには聞こえていないようだったが、ロクの声だった。

1:1ウィスパーが来た、と手振りで二人に伝えると、うんうんと頷かれたので会話を継続する。


『朗報だ。売れたぞ、例のもの』

「……本当か?」


一瞬、理解できなかった。

しかし理解すると同時に、かあっと目の奥が熱くなる。

売れた、アンジュダガーが。

ロクの声も若干興奮していて、トーンが高い。


『ああ。ついさっきリチリアの奴からメールが来てた。……やった、やったぞ、俺たち」

「……やばいな、想像以上に嬉しくてにやけそうだ」


口角が緩む。

自分達の成し得たものが、いま、一つの完結を綺麗に迎えたのだと思うと胸が高鳴った。


『アジトに居ないってことはいつも通り迷宮ラビリンスか? 邪魔して悪かったな。でもこれは真っ先に伝えたくて」

「ありがとう、ロクのおかげだよ」

『……そりゃ俺の台詞でもある。狩り、頑張れよー』


カズキがここのところ最近頻繁に迷宮ラビリンス行きを主催しているのを知っているロクは、気を使ってすぐに会話を切ってくれた。

本当はもうちょっと喜びを分かち合いたいくらいだったのだが、今はアマリとシックを連れている身だ。

なら長話は出来ない。

アマリ達に向き直ると、興奮が収まらないままのトーンで喜びを告げてしまう。


「……売れた! 売れた、売れたよ! アマリ!」

「おっマジ? おめでとう! 今のさっきで、あれはフラグだったのか……」


ぱちぱちと拍手するアマリは、喫茶店での会話がついさっきのことだったから面白さすら感じているようだ。

しかしカズキの手を取るとぶんぶんと上下に振って、一緒に喜びを表してくれた。

彼女には色々と協力して貰ったし影の立役者と言っても過言ではないだろう。

アマリの協力なくして、アンジュダガーの完成は無かったはずだ。


そんな二人と対照的に、何が起きているのか解らない人、一名。


「……えーと、僕、帰っていい?」


誰も聞いていない台詞を静かに零して、やれやれとシックは肩を竦めた。

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