XYZ ONLINE
梶島
第1話 はじまりのエンド・オンライン
両腕を大きく広げ、すぅ、と深呼吸を一つ。
ずっとずっと遠くまで広がる緑の絨毯の匂いに包まれ、柔らかな薫風が頬を撫でる。
ここは、異世界フェルドアーレア。
……と言うのはあくまで『設定』である。
2037年7月31日に発売され、瞬く間にダウンロード数ランキング一位に君臨したVRMMO『
ヘッドギアを装着してベッド型のカプセルに入り込むことでログインでき、脳から発された『右腕を動かす』『走る』などの信号をゲームの中での操作として変換し、リアルとほぼ同じ感覚で動けるがその間リアルの身体は一切動かない。
VRの技術も相当突き詰められてきた現在、ゲーム以外でもあらゆる方面でVR技術は活用されており、
このゲームの最大の特徴は『500を超える技能』である。
職業という概念が無い代わりに、プレイヤーは多数の技能から好きな物にスキルポイントを割り振って、自分の好きなようにキャラを育成することが出来るのだ。
剣技や武術、魔術などMMOなら当たり前の物のみならず、料理や鍛冶、薬の調合、歌唱力など多岐に渡る。
スキルによってある程度のカテゴライズがされており、類似する技能を繰り返し使う事でスキルポイントを得て、任意の同カテゴリスキルに割り振っていける。
中には特定のスキルをある程度のレベルにまで上げなくては習得できないものもあり、自由度もやりこみ度も非常に高く、発売前のβテストの頃から期待値と人気は高かった。
まさしくファンタジー世界の中で『生きる』ことを売りとしており、コンセプトは『もうひとつの人生を』。
日々の仕事や家事、勉強に疲れた現代人の癒しになれば、と運営スタッフは語っている。
キャラクリエイトの自由度もかなり高く、身長や体重、体型は勿論細かな目の形や耳の形、鼻の高さなどまで調節が可能である。
プレイヤーと体格の差異があっても限りなく違和感が薄くなるよう細かな調整がされており、発売から一週間経った現在
βテストで使っていたキャラクターデータをある程度は正式サービス開始後も引き継げたため、発売直後の現在でも既にそれなりにスキルレベルの高いプレイヤーは少なくない。
つい先程
今やこのような大自然を見るには車なり電車なりに数時間乗らなくてはいけないし、東京に住んでいたら縁遠いものだ。
暫くそうして広大な草原の空気を楽しんでいたが、背後でずしゃりと何かが崩れ落ちるような音がする。
振り返ると、自分よりやや身長の低い華奢な少女が白銀色に光る双剣を植物型のエネミーに突き刺しているのが見えた。
エネミーはふた昔前のゲームのポリゴンのように徐々に輪郭を荒くしていき、最終的には霧散する。
少女はくるくると双剣を弄んでから両腰に提げた鞘に納めると、にぃ、と不敵な笑みを浮かべて腕を組んだ。
「アクティブエネミーは少ないけれど、丸腰で来るとこじゃないぞ? 初心者くん。ここのエネミーは気配遮断が上手いから尚更」
「あぁ……どうも。どうしても外の景色が見たくて、つい」
「ま、あたしもこいつの種目当てで来てるから君を守ろうとしたわけじゃないしね」
種とは、エネミーからドロップするアイテム、要するに戦利品の事である。
少女はエメラルド色のさらさらとした髪を白いリボンでポニーテールに纏めており、双眸は炎のように赤い。
服装は布で出来た物を基本とした軽装で、少なくとも戦闘特化型には見えなかった。
耳には大ぶりなリングピアスが揺れていて、彼女が首を傾げると陽の光を受けて煌めく。
「へぇ、カズキ。
少女はす、と左手を軽く挙げる動作をすると、カズキのゲーム内ネームと人種、装備について言及した。
こちらが何も言っていないのにぴたりと言い当てて見せた少女に、カズキは困惑気味に質問する。
「え、なんで俺の名前を知ってるんですか?」
「パラメータ見ただけだけど。ほら、左手をちょっと挙げたら出てくるメニューの左から二番目のやつに、『周囲のプレイヤーの情報表示』ってのあるでしょ。あたしの見てもいいよ」
言われた通り、左手を軽く挙げる。
すると、中空に浮遊するパネルのようなものが現れ、左から二番目にある人間型シルエットのアイコンを押すと『周囲のプレイヤーの情報表示』という項目があった。
それを軽くタッチすると、少女の頭上に文字が現れる。
■亞麻璃■
人種:晶輝
装備:プラチナダガー プラチナダガー フェアリークロス フェアリースカート ピクシーブーツ レイリボン リングピアス ギルドリング
称号:宝石コレクター
「……色々と、読めません」
「ああ、名前? アマリって呼んで」
「あとこの、人種のしょうき? ってのは」
「
「人間をやめるつもりはなかったので、見てませんでした」
アマリ、と名前が判明した少女は、カズキからの質問にも嫌な顔一つせず答えていく。
しかし、カズキのほうはそうではなかった。
先程からアマリの態度は大きく思え、眉根を寄せて渋面を浮かべると指摘する。
「ところで……その、いきなりタメ口って、どうなんですか。いくらネットゲームとはいえ」
「……え? ……ぷっ、あは、あははは!」
「何がおかしいんですか」
カズキはあまりネットに明るいほうではなかったが、初対面でいきなりタメ口を叩くことが失礼なことくらい解る。
しかしアマリは最初に声をかけてきた時からタメ口であったし、こちらが初心者だからマウントを取ろうとしているのだろうかとすら思った。
アマリはそれに対してなぜか大笑いすると、肩を震わせながらこう答える。
「運営が推奨してるんだけど、ロール。ロールって解る? TRPGとか
「……なんですか? それ。ネトゲはこれが初めてです」
「あー、とにかくあたしにもタメ口で良いって事。運営が初対面タメ口を推奨してるの。あとはそうだね、語尾に『ござる』を付けるとか『ですわ』を付けるとかそういうの。キャラになりきるのを推奨してんの」
ロール、の意味はよく解らなかったが、『キャラになりきるのを推奨されている』と言われると解りやすかった。
なるほど、と呟くと、では
あまりにリアルの性格と乖離していると演技に疲れそうだ。
ならば、素の状態が楽だろう。
きっと、アマリが先程挙げたTRPGやら
「じゃあ、タメ口で。俺は本当に初心者なんだ。ただ、外の景色が見たくて丸腰で出ちゃったんだけれど、さっきは助けてくれてありがとう」
一応、礼を述べる。
アマリが先程助けてくれたのは事実であるし、あのまま気配遮断した植物型エネミーに背後から殴られていたら丸腰で戦う羽目になっていたのだから。
アマリは少し釣り目がちだが大きな双眸でカズキを見上げると、ぴんと人差し指を立てて口許へと運ぶ。
「本当に初心者みたいだから忠告しておくよ。他の人にはあんまりリアルのこと詮索しちゃダメだからね。みんなリアルから離れたくてエンオンやってんだから」
「解った」
「で、カズキはエンオンで何を目指したいの? その前にギルドに入っておいたほうが色々と楽だけれどどうする? 目指すものに近いギルド探してあげようか? それとも良かったらうちのギルド入る?」
矢継ぎ早に質問されて、カズキは困惑した。
ただでさえMMOも初めてで
「ちょ、ちょっと待って……まずそのギルドは、入るとなにがどう楽なの」
「まず大抵のギルドには料理スキルの高い人が何人かいて、空腹に飢えることなく定期的にご飯にありつける」
「ご飯?」
「隠しパラメータに『空腹度』があるんだよ。だいたい満腹から5時間くらいで空腹になるからリアルよりちょっと早いくらいかな?
「ほうほう、ギルドに入ればご飯が食べられて、空腹度の心配をしなくて済むって事?」
「そういう事」
カズキの理解が早いせいか、満足げに微笑むとアマリは再び左手を軽く挙げた。
しかし今度はメニューを召喚しているわけではなさそうだった。
よくよく見ると、彼女の中指には細い金色の指輪が嵌まっている。
頂点には青い小さな宝石が嵌まっていて、アマリはそれに向かって話しかけた。
「マスターオフラインっぽいんだけどさー、ぐっすりさん今暇ー?」
それから、アマリは指輪に向かって話しかけるというのを何度か続ける。
「ぐっすりさんにお願いできる?」「じゃあ新人連れてっていい?」「しくよろー」と。
どうやら誰かと会話しているらしいが、相手の声がカズキには聴こえないせいで、何を話しているのかよく解らなかった。
しかしこれだけは解る。
おそらく、自分はアマリのギルドに連れていかれる。
どうせギルドのアテも無い事だし、アマリとここで出会ったのも何かの縁かもしれない。
ならば、アマリに付いていくことにしよう。
「ねぇ、うちのギルドのサポーターと連絡付いたから、うちのギルドに連れてっていい? 『トロヴァトーレ』ってギルドで、ゆるーいところだから初心者でも平気だし、もっと激しいギルドがお望みなら後々移籍してもいいから」
「移籍? 入る前から言うのもなんだけど、そんなお世話になったギルドに後足で砂をかけるようなことする人がいるもんなの?」
「んにゃ? MMOならそんくらい普通だって。ギルドっていっぱいあるし空気もそれぞれ違うから、合わないなと思ったら抜けるのも普通」
「そうなんだ……じゃあ、アマリのギルドに連れて行って貰えないかな」
アマリの誘いに応じる意思表示をすると、彼女はカズキの右手を両手で握り、ぶんぶんと振った。
どうやら喜んでいるらしい。
「オッケー! じゃああたしのワープストーンで一緒に飛ぼうか。で、結局カズキはエンオンで何になりたいの?」
カズキの手を解放すると、右手で空を横に切るような動作をするアマリ。
すると次の瞬間には、7cmほどの楕円形をした赤い宝石が彼女の手に収まっていた。
それと同時に投げかけられた質問に、カズキは少しばかりの逡巡を覚える。
夢を誰かに語るというのは、抵抗があった。
しかし、スキルをどう振っていけばいいかなどは上級者にアドバイスを貰ったほうが良いかもしれない。
意を決して、口を開く。
「……俺は……絵描きになりたいんだ」
「……は? 絵描き? ……え、いや、それはやめといたほうが良いよ」
絵描きになりたい、と言った途端、アマリの顔から感情が消え失せる。
何か拙い事を言っただろうかと思っても、アマリはカズキの絵を見たことがあるわけでもないし、下手くそだから諦めろなんて言うわけがない。
何故だろう、と思っていたらアマリはこう続けた。
「確かに画家系スキルはある。でもそれって所謂
一呼吸置いて、アマリはカズキに説明する。
なるほど、
「イラストをゲーム内で描いて売ってる人もいる。でも、絵はわざわざエンオンで描かなくてもオフラインで描いたほうが便利だし、なによりスキルに左右されないからリアルの『本当の画力』が求められる。歌唱力と違って、画力を補正するスキルはエンオンには無い」
アマリの言う事は筋が通っていた。
いくら多彩なスキルを選べる
しかし、カズキの意思は揺らがなかった。
「それでも俺は……エンオンで絵が描きたいんだ。そのために、エンオンを始めたんだから」
カズキがなぜこんなに絵描きという肩書に拘泥するのか、アマリには解らない。
しかし、いくら説得しても彼は絵描きの道を諦める気がしなかった。
それを理解したアマリの口からは、「そっか」という言葉しか出てこない。
「残念ながらうちのギルドに絵を描く人は居ないよ。だから先輩はいない。でも、もしかしたらカズキの絵がギルド内で需要出るかもね! どんな絵描くか知らないけどさ。じゃあ、飛ぶよ?」
右手に掴んでいた赤い宝石――アマリがワープストーンと呼んだそれを空に掲げると、赤い光が二人を包み込む。
徐々に光は強くなり、遂に目を開けられなくなったその直後――瞼の裏側が白から黒に戻った時、ゆっくりと目を開いた。
そこは先ほどの草原から一転して、温かみのある木で出来た家具があちこちに置かれた『家』の中。
初めて遊びに来た友達の家のような居心地の悪さを覚え、しかしあちこちに視線を巡らせるのも失礼に思い、カズキはただアマリを横目で見ていた。
「アマリ、戻りましたー!」
アマリは右手を口の横に添えると、家中に聞こえるのではないかという声量で帰還を告げる。
すると、階段から誰かが降りてくる足音がとんとんと断続的に響き、やがて長く白い髪を腰のあたりまで伸ばした女性が現れた。
女性はアマリより少し年上、具体的には20代くらいのキャラクリエイトに見え、髪はよくよく見ると毛先に向かって紫色のグラデーションがかかっている。
前髪も腹のあたりまで伸ばされていて、隙間からアクアマリン色の垂れ目がちな双眸が覗いていた。
服装はいかにもローブといった印象のもので、黒と青を基調とした暗いトーンでまとめられている。
女性はアマリとカズキに歩みよると、笑顔を浮かべてこう告げた。
「おかえりなさいですぅ、アマリちゃん。言っていた新人さんはこの子ですかぁ? わたしは
小首を傾げて微笑む女性に、カズキはただ「か、カズキです」と答えるのが精一杯で。
やはり、アマリの言っていたロールとやらに慣れるには時間がかかりそうだ。
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