エピローグ

――西暦2035年10月第2週 日曜日 午前10時半頃 千葉県 マザー牧場入り口前駐車場にて――


「ぼくちん、動物は大嫌いなんだぶひい。夕方頃にまた迎えにくるから、帰る1時間ほど前にスマホに連絡をくれぶひい」


 そうボヤくのは、車の運転席に座る鷹居・常彦たかい・つねひこであった。彼は日曜日の朝から義理の妹を助手席に乗せて、遠路はるばる横浜県・川崎市から千葉県のマザー牧場までやってきたのであった。


 鷹居・常彦たかい・つねひこは常々、街に住む猫や犬に向かって、害獣が現れたんだぶひいいい! と騒ぐ始末。そんな彼が義理の妹のためにマザー牧場まで車を出したのであった。しかしながら、当然、彼はマザー牧場に足を踏み入れる気は毛頭無い。


 妹だけを車から降ろし、彼はさっさと千葉県の幕張でおこなわれているイベントへと向かってしまったのである。


「クフフッ。計画通りなのデスワッ! デートのために車を出せと言えば、あの変態お義兄さんなら発狂するはずでしたから、わざわざ、このマザー牧場を選んだのデスワッ! さすが、IQ130のわたくしなのデスワッ! エレガントなのデスワッ!」


 鷹居たかい・シャールが下唇の下あたりに手を当てて高笑いをする。そんな彼女の下にやや駆け足で近づいていく男がいた。


「はあはあ。駐車場中を探すことになったよ……。もしかして、デートの約束をすっぽかさらたのかと思った……」


「クフフッ。殿方を待たせるのは女性レディの努めなのデスワッ!」


 高飛車な態度を崩さぬ彼女に男はやれやれとため息をついてしまう。


「ん……。シャールさん。僕にそんな甲斐性を求めるのはやめてほしいよ。僕はこれでも、気が小さいんだからね?」


「あら? あらあら? わたくしを口説いておきながら、それでいて気が小さいとはまた不可思議なことを言うのデスワ? もしかして、日本男児のおもてなしといったところなのかしら?」


 いや、それを言うなら気遣いだろうとツッコミを入れたくなる男である。しかし、こんな駐車場のど真ん中で漫才をして時間を無駄に浪費することはないだろうと、男は話を一旦切り、シャールと共にマザー牧場の入り口の門をくぐるのであった。




「ワアオッ! 羊さんたちが群れを成しているのデスワッ! こんなの生まれ故郷でも見たことは無いのデスワッ!」


 マザー牧場では秋のイベント『ひつじの大放牧』をちょうど、この3連休におこなっていたのである。この10月の3連休を逃せば、次は11月の3連休までお預けである。男はこの日を自分の人生の一大イベントとするべく、必死な思いでシャールをデートに誘ったのであった。


 彼女は大草原を悠然と歩いていく羊たちの背を追いかけていく。男もまた彼女に手を引かれて、羊たちを追うのであった。


 30分ほど、羊たちとたわむれた彼女らが次に向かった先はふれあい広場であった。ここでは、マザー牧場に居る動物たちに、自分の手で餌を与えることが出来る。


 シャールは上手にカビパラやウサギたちに餌を与えていく。だが、男は動物に好かれすぎるタイプなのか、指までペロペロと舐められてしまい、驚いて転倒してしまう。その度にシャールはクスクスと笑い、男の手を取って、彼を起こすのである。


「なんだか、情けない姿ばかり見せて、ごめんね?」


「クフフッ。気にしなくても良いのデスワ? 殿方を支えるのも女性レディの努めなのデスワ?」


 シャールの笑顔がまぶしいなあと男は思ってしまう。男が彼女とのデートで顔がわかるようにと写メ交換をしたのだが、その写メでのシャールの笑顔も印象的であった。彼女からは生粋のイギリス人であるとは言われていたが、ここまで鼻筋がはっきりとし、眼の色がスカイブルー。それでいながら、柔和な笑顔なのだ。こんな笑顔を見せつけられて惚れない男がこの世に居るのだろうか? とさえ、男は思ったものだ。


 彼女たちは、マザー牧場にあるレストランで遅めの昼食を済ませたあと、デザートの牧場ソフトクリームを買いにいく。


「うーーーん。牧場で食べるソフトクリームは、味が違いますわっ。わたくしの生まれ故郷では、こんなサービスはやっていないのデスワッ!」


「へーーー。イギリスのほうが牧場はたくさんあると思うのに、こういったサービスはやってないんだね? 日本だと、牧場ならどこでもソフトクリームを販売しているよ?」


「本当ですの? では、次のデートでは、他の牧場に行かないといけませんわねっ! 日本中の牧場ソフトクリームを制覇しなければいけないのデスワッ!」


 次のデート……。あっ、僕は男としてちゃんと見られてるんだなと、彼は内心、嬉しくなってしまうのである。


「クフフッ。期待させてしまいました? もちろん、次のデートがあるかどうかは、貴方のエスコート次第デスワよ?」


 シャールがまたしても柔和な笑顔でクフフッと笑う。男は照れくさそうに頭を指でポリポリと掻くばかりである。


彼女たちは初めてのデートをマザー牧場で満喫するのであった。男のエスコートは頼りなさを少々浮かばせながらも、彼女は終始、笑顔である。そんな笑顔が似合う彼女を自分のモノにしたいと思った男は彼女の左手を強く握り、無理やりこちらへと振り向かせて宣言する。


「シャールさん、好きです。ぼ、ぼ、ぼくと、お付き合いしてくだしゃいっ!」


 男は顔を真っ赤にして言いのけた。彼にとって人生初めての女性への愛の告白である。少々、噛んでしまったのは減点対象だったかもしれない。


 だが、彼女はそんなことも気にせず、クフフッといたずらに笑い


「わかりましたわ。ナリッサさん。いえ、柏・成政かしわ・なりまささん。わたくしのお義兄さんと決闘をして、見事に勝利をしたら、お付き合いさせてもらうのデスワ?」


「えっ……。お義兄さんって……」


「そろそろ帰る時間でしたので、先ほど、お義兄さんをスマホで呼びつけたのデスワ? あと1時間ほどすれば、こちらの駐車場に到着するはずなのデスワ? さあ、わたくしに相応しい男であることを証明して欲しいのデスワッ!」


 柏・成政かしわ・なりまさの額に鈍い汗が一筋、流れる。彼はゴクリと唾を飲み込み


「わ、わかったよ……。僕の勇士を見てほしいっ。きっと、シャールさんが後悔しない男だということを証明してみせるよっ!」


 おとこには愛する女性のために避けられぬ戦いがある。


 それから約1時間後。マザー牧場の駐車場で体重160キロはあろうかという巨漢に向かって、柏・成政かしわ・なりまさは正面から挑むことになる……。


 『勇気』と『無謀』は紙一重。だが、『成功』と『失敗』も紙一重なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る