外伝:青雲の章

第1話

――西暦2035年8月第3週 日曜日 午後3時半頃 ノブレスオブリージュ・オンライン 新傭兵ゾーンの喫茶店にて――


「お兄ちゃん、ナリッサさん、今日はよろしくお願いしまーす!」


 そう元気な声をあげるのは、ネーネ=ルシエであった。彼女は青色の髪が身体の前方に流れてしまうほどの所作『お辞儀』をし、そのあと、身を起こし、翠玉エメラルド色の双眸をらんらんと輝かせて、トッシェ=ルシエとナリッサ=モンテスキューを見るのであった。


「ん……。トッシェの妹さんとは思えないほど、礼儀正しい。トッシェ。もしかして、妹さんとは血が繋がっていないの?」


「うっさいッスね、ナリッサ。こいつは、初対面の男性相手だと猫を被るんッスよ! 見かけに騙されたら、骨の髄までしゃぶられるから、注意しておけッス!」


「お兄ちゃん、ひっどーーーい! わたしが猫を被っているって、どういう言い草よーーー! わたしはいつでも淑女なんですーーー! ちなみにナリッサさんの中身はイケメンだったりします?」


 ネーネ=ルシエが屈託のない笑顔でナリッサ=モンテスキューにそう聞く。ナリッサは勢いよく、自分に話しかけてくる眼の前の女性に気圧されてしまうのであった。


 ネーネ=ルシエ――彼女はトッシェ(川崎・利家かわさき・としいえ)の妹である。彼女(川崎・寧々かわさき・ねね)は、トッシェから、先月末の自分の誕生日にオープンジェット型・ヘルメット式VR機器をプレゼントされた。


 ネーネ(川崎・寧々かわさき・ねね)は、最初、このVR機器は、邪兄ズの人気グループ・ヴォルテックスシックスのイメージビデオを堪能するために使用していた。邪兄ズは、悪カッコいいを売りとしており、18~30歳あたりの女性に大人気であった。


 ネーネ(川崎・寧々かわさき・ねね)の兄であるトッシェ(川崎・利家かわさき・としいえ)が、そんなふしだらなイメージビデオを見ることばかりにそのオープンジェット型・ヘルメット式VR機器を贈ったわけではないッス! と怒り心頭であった。


 それもそうだ。彼女はVR機器を被ったまま、うへへー、うへへーと言いながら、ヨダレを垂らしていたからである。そんな不健全極まりない妹の姿を憂いて、トッシェ(川崎・利家かわさき・としいえ)は、ノブレスオブリージュ・オンラインのスターターキットを購入し、無理やり、妹のパソコンにインストールしたのであった。


 川崎・寧々かわさき・ねねは、せっかく兄がお金を出して、ノブレスオブリージュ・オンラインを購入してくれたので、試しにと1週間前からプレイを開始したのである。


 彼女が選んだ職業はアタッカー職である見習い戦士であった。兄からは悪い虫がつかないようにと、同じ苗字にするようにと指示された。彼女は渋々であるが、それを了承したが、女性キャラを作ることだけは譲らなかったのである。


「お兄ちゃんに言われた通り、この一週間、新傭兵ゾーンでネズミ、蛇、蜘蛛、熊を退治してきたよー? クエストをこなして、なんとかLv20になれたよー?」


「意外と真面目にやっていたんッスね……。お前のことだから、3日で飽きるかもとひやひやしていたんッスけど……」


 兄のトッシェ(川崎・利家かわさき・としいえ)としては、妹が割と飽き性なのは知っていた。だから、スターターキット購入代金・2600円(消費税込み)が無駄になるのでは? とも考えていた。しかし、意外にも妹が自分以上に真面目に新傭兵クエストをクリアしてきていることに驚きを隠せないでいたのである。


「ん……。オープンジェット型・ヘルメット式VR機器を贈ったのが良かったのかも。アレはゲーム世界への没入感が圧倒的に高いから」


「そうそう。ナリッサさんの言う通りだよー。最近のゲームってすごいんだねー? これで本格的VRMMOなんかに手を出したら、わたし、会社を辞めちゃうくらいにゲームに没頭しちゃうかもー?」


 ネーネの言う通り、本格的VRMMOの没入感は、VR対応MMO・RPG:ノブレスオブリージュ・オンラインとは比較にならないほどであった。一時期、社会現象にまで発展し、家から一歩も出たくない、現実世界に帰りたくないといった若者が続出したのだ。


 そのため、日本政府は18歳以下の本格的VRMMOのプレイ自体を法律で規制してしまったのである。しかし、ゲーム業界は政府に対して反発し、未成年の本格的VRMMOは1日1時間半までと法律を改正させることに成功したのである。


 その法律のおかげで、ゲーム業界は本格的VRMMOのみに席捲されることが無くなった。この法規制の動きは世界各国で起こり、VR対応MMOと本格的VRMMOが両立する時代が到来したわけだ。


「最近は社会人の本格的VRMMOのプレイ時間規制をするべきかもとテレビの評論家たちが提言しているッスね。そりゃそうッスよね。2年目のボーナスで、本格的VRMMO対応VR機器を購入した奴らが、次の日から会社に出社してこないなんて、今や珍しくもなんともない話ッスもん」


「ん……。うちの市役所でも後輩がこの前のボーナス支給日を境に、出社してこなくなった。僕はVR対応MMO・RPGで止まっておいて良かったとすら思うよ?」


「うえーーー。怖い話だよねー。最近の本格的VRMMOって、まるで現実世界の女性と一所の部屋で生活しているくらいの臨場感を味わえるって話だもんねー。まあ、そんな世の中の事情は置いておいて……。お兄ちゃん、ナリッサさん。今日はあたしの四大天使クエをクリアを手伝ってー?」


 四大天使クエスト。それは新傭兵ゾーンに用意された最後のクエストであった。ノブレスオブリージュ・オンラインには四大天使である、ラファエル、ウリエル、ガブリエル、そしてミカエルがボスNPCとして登場する。


 もちろん、それらは西ヨーロッパの各地に点在するダンジョンで戦うことが出来るのだが、ここ、新傭兵ゾーンでは、その複製品たる四大天使の幻影と闘うことが出来るのだ。


 新傭兵ゾーンにおいて、ほとんどのクエストはソロでもクリアが出来るように設定されている。だが、この四大天使との戦闘においては、運営が用意している随伴NPCを借りることは出来ず、新傭兵ゾーンに集まるプレイヤーたちで徒党パーティを組んで挑まなければならない。


 もちろん、ネーネ=ルシエのように、現行プレイヤーの手を借りることは可能である。この四大天使クエストは、このゲームを始めたばかりのプレイヤーと、現行プレイヤーとの交流の場としても用いられる。


「それはもちろんッス。しかし、困ったッスね。もうひとり、呼んだほうが、四大天使クエストは楽にこなせるッスけど、ネーネが見ず知らずのプレイヤーたちと交流しているようにも思えないッス」


「ん……。今から1年ほど前までは、この新参者ゾーンにはダンジョン【地獄の門】があったけど、シーズン4.3になって、廃止になっちゃったんだよね。その所為で、新傭兵同士の交流が減ったみたい」


 ダンジョン【地獄の門】では、4人徒党パーティで挑むことになっていたのだが、如何せん、やはり新規参入者のほとんどがアタッカー職を選ぶために、職あぶれが起こってしまっていたのだ。これはどのMMO・RPGでも言えることであり、アタッカー職がどうしても、他の職に比べて割合的に多すぎるのだ。


 それによって、いつまで経っても、新傭兵ゾーンから卒業できないプレイヤーが段々と増えつつあったため、運営はやむやく、新傭兵ゾーンにも現行プレイヤーが立ち入ることが出来るようにしたり、ダンジョン【地獄の門】自体が廃止としたのである。


 こうして、シーズン2.4から導入された新傭兵ゾーンは、だんだんと斜陽を迎えつつあった。新傭兵ゾーンは、今では現行プレイヤーたちによる新傭兵プレイヤーたちを青田買いする場所に変わりつつあったのは、時代の流れと言っても過言ではなかったのかもしれない……。

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