第8話

――西暦2035年7月第3週 日曜日 午前10時半頃 フランス陣営 仮の首都:ブールジュにて――


「お待たせっ! ごめんなさいっ! 今さっき起きたばっかりでっ!」


「あ、ああ。おはよう? マツリ。俺もさっき起きたばっかりだから、そんなに気にするなよ?」


 能登・武流のと・たけるの耳にはヘッドホンのスピーカー越しからマツリの慌てる声が聞こえる。多分、本当についさっきまで寝ていて、起きた時に、時計を見て驚いたことがうかがい知れるのであった。


 事実、加賀・茉里かが・まつりはセットも終わってない跳ね上がった髪もそのままにオープンジェット型・ヘルメット式VR機器を頭にセットして、急いでスカイペ通話をおこない、デンカに繋げたのである。


「ま、まあ、起きたばっかりなら、色々と済ませなきゃならんことがあると思うから、それを済ませてきてからで良いぞ? 俺もまだ従者NPCの設定を教える段取りを決めてないから……」


「そ、そう? なら、お言葉に甘えさせてもらうわね? 30分ほど、時間をもらうわ! 色々と大変なことになってるからっ!」


 マツリ(加賀・茉里かが・まつり)はそうデンカに告げるとオープンジェット型・ヘルメット式VRを頭から外し、パソコン・ラックの上に置く。


「えっと、着替えるでしょ? そして、軽く朝食を取って、歯を磨くでしょ? その後は跳ね上がった髪の毛を整えて……。って、何で髪の毛が爆発してるのよおおお!」


 マツリの悲鳴にも似た声がデンカ(能登・武流のと・たける)の耳に届く。


「ったく、あいつ、VR機器のマイクをオフにし忘れてるな……」


 デンカ(能登・武流のと・たける)の耳には続けて、マツリが洋服ダンスを開けているのであろう音がバッタンバッタンと聞こえてくるのであった。これではプライベートが筒抜けだなと思いながらもデンカは少し面白く感じながら、そのまま、マツリが立てる生活音を楽しみながら、マツリに教えるべき従者の強化と行動設定方法について考えを巡らせるのであった。


 それから45分もした後だろうか? ドアを思いっ切り開けて閉める音が聞こえる。ようやく戻ってきたかとデンカ(能登・武流のと・たける)が思うと、ヘッドセットのスピーカー部分からマツリのはあはあ息を切らす音が聞こえ、続けて、マツリの声そのものがデンカ(能登・武流のと・たける)の耳に届くのである。


「お待たせっ。ごめんね? ただでさえ寝坊したってのに、さらに45分も待たせちゃって……」


「ん? 別に良いぜ? 俺も待ちながら、従者の装備を作っていたからさ? いやあ、従者の装備は安くて助かるぜ……。ステータスが付与さているモノを準備しなくても良いからさあ?」


 マツリ(加賀・茉里かが・まつり)はデンカの【安くて助かる】の言葉に、まるで自分が針の山の上で正座をさせられているような錯覚に陥る。マツリ(加賀・茉里かが・まつり)は先ほどサンドイッチを2個、腹に入れたのだが、それでも胃がシクシクと痛みだす感じすらするのであった。


「デンカ。あたしの新装備のお金を用意してくれて、ありがとうね? デンカが団長の私掠船に乗せられて、3カ月ほど戻ってこなくても、あたしはデンカから受けた恩は忘れないわ?」


 マツリは、なけ無しの112万シリとデンカの集めてきたお金と合わせてヨン=コーゾに250万シリを支払おうとしていた。しかし、デンカはそれだと、マツリが新装備を修理・改修する金が無くなるだろうということで、250万シリの全てをデンカが肩代わりしたのであった。


 さらには、デンカは5年かけて返してくれれば良いとまでマツリに言ってくれたのである。このノブレスオブリージュ・オンラインには控えめに言ってクソプレイヤーが少なからず存在するが、逆に何も返さなくて良いと言ってくれるデンカの行為がストレスとなり、マツリ(加賀・茉里かが・まつり)の胃へダイレクトにダメージを与えるようになってしまったのである。


「なんだよ、その団長の私掠船に3カ月も乗せられているっていう、マツリの脳内設定は? 別に俺は団長からは今回、1シリも融資してもらってないぞ?」


「えっ? じゃあ、カッツエさんからお金を借りたの? デンカ……。薄い本のヒロインにされそうになったら言ってね? あたし、デンカの借金の重荷を少しでも軽くするように1冊くらいは買うから……」


「ちゃうわっ! さすがに250万シリも誰かに借りようなんてするわけねえだろっ。俺のポケットマネーから出したんだよっ」


 デンカのポケットマネーから250万シリ全てを出した!? ちょっと、それってどういうことなのよっ! と、マツリ(加賀・茉里かが・まつり)は驚かずにはいられなかった。いつも、合戦にのめり込んでいて、たまにしか換金できそうなドロップを落とすボスNPCを倒しに行くしかない、あのデンカがいつのまにそんな大金を稼いでいたのか、想像がつかなかったのである。


「デンカ……。あたしにはRMT(リアルマネートレード)は絶対にするなって言っているのに、デンカは悪事に手を染めちゃったのね……。ごめんね? あたしのために危ない橋を渡ってくれて……」


 マツリは自分の感情を声で表すだけでは物足りず、デンカのキャラの前で所作『悲しむ』を連打するのであった。


「だから、勘違いするんじゃねえよっ! 俺のキャラの前で『悲しむ』を連打するんじゃねえっ! ほら、見てみろ! 俺たちの周りからヒトが離れて行っているだろうがっ!」


 デンカの言う通り、マツリが所作『悲しむ』をおこなう度に、マツリとデンカを避けるように、他のプレイヤーが道を通っていくのであった。あるモノはデンカを蔑むような視線を送り、またあるモノは


「おッス。デンカさん、マツリちゃんをこんな人通りの多い往来で悲しませるなんて、いっぺんしめるッスよ?」


 と、デンカを脅し出す始末である。


「つうか、トッシェじゃねえか……。なに、近傍限定チャットで、周りに聞こえるようにチャットを打ってきてんだよっ!」


 デンカが自分のキャラの後ろにいるトッシェ=ルシエに同じく近傍限定チャットで文句をつけるのであった。トッシェは所作『苦笑い』をしたあと


「あっ、バレたッスか。いやあ、なんか見知ったキャラ名の所作『悲しむ』が眼の端に映ってッスね? もしやと思って、こっちのほうにやってきたんッス」


 プレイヤーがおこなう【所作】は『悲しむ』であれば『マツリは悲しんでいる』というメッセージが所作をおこなったプレイヤーから半径20メートルほどの近くに居るプレイヤーたちのチャット欄に表示されるのであった。それゆえ、たまたま、マツリとデンカの2人の近くを歩いていたトッシェのチャット欄にも表示されたのである。


「ん……。マツリちゃん、デンカさん。おはよう? なのかな。こんな街の往来で、マツリちゃんを悲しませてどうしたの?」


 マツリたちにそう言うのはトッシェの後ろに居たナリッサ=モンテスキューであった。彼は職業:商人らしく頭に白いターバンを巻いている。彼が言うには昔やっていたオンラインゲームでは、商人がこれに似た恰好をしていたため、ノブレスオブリージュ・オンラインでも、同じようにターバンを巻いている。


「いやね? デンカがあたしに250万シリもの大金を投資してくれたのは良いんだけど、それがデンカのポケットマネーだって、豪語するわけなのよ……。あたし、ついにデンカがRMT(リアルマネートレード)に手を出しちゃったのかな? って、思って、『悲しみ』を表現してたのよ……」


「なるほどッス。デンカさんは罪作りッスね。マツリちゃん。デンカさんをRMT(リアルマネートレード)で通報するか、セクシャルハラスメントで通報するか、好きな方を選ぶと良いッスよ?」


「ん……。250万シリあれば、マツリちゃん自身を買えるのか。自分はその倍を出すよ?」


 デンカは自分をネタに3人が盛り上がっているのを勝手にやっててくれとばかりに放置する。3人は想像を膨らませて行き、街の往来での会話はなかなか止まらなかったのである。


 それから十数分が過ぎ、現在時間は午後11時半に差し掛かろうとしていた。デンカはそろそろ、マツリたちのおしゃべりを止めることを決意する。デンカ(能登・武流のと・たける)はヘッドセットのマイクに次の言葉を送る。


「おい、マツリ。トッシェたちと盛り上がっているところ悪いが、そろそろ本題に移させてもらうぜ? 取引画面を開いて良いか?」


「ん? ああ、そう言えば、あたしの従者:ヤツハシの装備を作ってくれてたって言ってたわね。うっかり忘れちゃうところだった……」

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