夜明けの凶蝶
めめんと
第1話 微睡みの槌 1
よく見る夢がある。それも、週に一度は必ず現れ、ひどい時は三日続けて見る。
薄暗くて遮る物が何も無い荒野のような場所で、等間隔に置かれた焚火がどこまでも続いている。私はその間をただフラフラと歩きまわり、そしてある程度の時間が過ぎると、歩く事に疲れてその場にうずくまってしまう。大抵の場合はそこで目を覚ます。
こんな味気の無い夢は疎ましい。しかし、それでも消してしまってはならないとも思う。きっと長い付き合いだからだろう。人間というのは、最初は気に入らなくても時間が経てばいつしか愛着を持つものだから。
だが、今日……そんないつもの夢の中で初めて奇妙なモノを見つけた。
焚火の間をふわふわと舞う一匹の白い蝶。
私はそれを捕まえようと手を伸ばしたが叶わなかった。蝶は指を躱し、どこかへと飛び去っていった。
あれは何だったのだろうか。どこかから紛れ込んだ異物だったのか。それとも、もしかしたら、あの蝶を探す為に私は、これまで何度も何度も夢の中を歩き続けていたのだろうか……。
私は、夜明け前のまだ青い空気の中、ベッドから起き出した。
何故だろうか。とにかく、あの蝶を捕まえねばならないと、そればかりが頭にある。
机の引き出しをひっかきまわし、以前から持っていた一枚の名刺を取り出す。
『アトリエ コーラル・スパニング』
私はそれを見つめ、しばらく思いを廻らせた。
*
目を覚まして最初に目にしたのは、カーテンの隙間から入る光の中で舞う、小さな埃の群れだった。そういえば前に掃除したのはいつだったろうか、と思い出しながらベッドから飛び出し、着替えもしないまま足早に階段を降りた。そして、ダイニングルームの端にある手洗い場に向かうと、昨夜の内に桶に汲んでおいた水の中へ手を差しこんだ。
夜気に冷やされたのだろう、思わず手を引いてしまいそうなほど冷たい。
だが、途中でやめるわけにはいかない。ここからが本番なのだ。
「頼むぞぉ……今度こそ……」
俺は目を閉じて、先ほどまで自分が見ていた夢をできる限り詳細に思い出していく。すると、何も無かったはずの水の中で緩やかな手ごたえのようなものが出て来る。
「いいぞ……いいぞ……」
漠然としていた感触が徐々に固さを帯びていき、しっかり掴めるようになったのを見計らってからゆっくりと目を開けると、手の中に黒々とした石炭のような石があった。
「ダメか」
少し落胆しながら、その石を手の中で弄んでいると、後ろから声をかけられた。
「おはよう、デリス。今日もやってるね。どうだい、うまくいったかい?」
俺は物置棚に置かれた大きめの水槽へ近寄り、声の主を見下ろした。
波の無い気分だけの波打ち際に置かれた白いウッドデッキに寝そべる一匹のカエルが、サングラスを外しながらこちらを見返してくる。
「おはよう、フラメル。残念ながら失敗だね」
「そう落ち込む事ないさ。次はうまくいくよ」
「だといいけど」
世にも珍しい、喋るカエル。彼は俺の同居人だ。
しかし、珍しいとはいってもまるで考えに無いというわけではない。誰かがそんな事を夢想したりする事はあるだろう。そうであれば、あり得る。何故なら、その夢を現実の形にできる可能性があるからだ。
その第一歩が、先ほど俺が行った、自分の夢を形として取り出す方法である。これは誰でもできる。年齢や性別に関係は無い。
夢を覚えている内に水に手を浸すと、それが何かの形になる。そうして生まれたモノを『母塊』と呼ぶ。これには様々な形があって、ほとんどは光沢のある石だが、時々違うモノ、例えば何を象ったのかわからないオブジェなんてものにもなる。
母塊はそのままだと、時間が経てば消えてしまう。種類にもよるが、大体は二週間から一か月ぐらい。ずっと残す事はできない。
「ちなみに、それはどんな夢だったんだい?」
「見てみる?」
俺は水槽に手を入れ、ウッドデッキの近くに石を置いてやった。フラメルは体を起こすと、石に額をピッタリとつけた。
「これはこれは……おおっ! なるほどなるほど。巨大な獅子を倒して……そして助け出した美しい村娘と夫婦に……か。なかなか君も古典的なのを好むものだね」
「いやいや、夢を選べるわけがないじゃないか。偶然だよ。でも、いいだろう? とくに、最後の方のボロボロになりながら敵に跨って、たてがみを引っ掴みながら剣を突きたててやった所なんて、最高だった」
そう、形にすればそれを額に当てるだけで、普通なら時間と共に忘れてしまう夢の内容を再び思い出す事ができたり、誰かと共有できたりするのだ。
「ははは! じゃあ、そんなに気に入ったのなら、コイツを攻略するのかい?」
「練習には悪くなさそうだけどねぇ……」
そう、欲深い人間の中にはこう考えるヤツがいる。どうにか母塊をもっと長く、できる事ならば永久に残す事はできないか? と。
そうして試行錯誤と研究が重ねられ、この母塊の奇妙な特性を見つけた。特定の条件を満たすと、母塊に記録された夢の中へ入る事ができるのだ。まあ、正しくは元の夢をモデルにしたような別世界といえばいいのかもしれないが。
そして、その中で母塊の中心である『真核』を抜き出して持ち帰る事で、その夢は半永久的に保存する事が可能になる。
真核は母塊よりも遥かに多様な姿になり、世にあるほとんどの物になりうると言われているほどだ。それは、例えば武具や衣服、装飾品といった物から、喋るカエルのような生物にもなりうる。中には結構な価値がつく場合もあるので、宝探しのような側面もあったりする。そんなわけだから、当然それを生業にする人間というのもいる。
依頼を受けた母塊から真核を確保し、希望があればそれに細工を施して作品にするまでを行う職業、それが『夢細工師』だ。
かくいう俺もその一人なのだけど、まだ見習い中。だから、自分の夢を使って練習を重ねなければならないわけだけど。
「今回はやめとく。手持ちの仕事もあるしな」
「そうかい、それは残念。そう言えば、さっきゼードルがミルクを貰いに外へ行ったよ。そろそろ帰って来るんじゃないかな」
「そうか。じゃあ、朝食の用意をしておかなきゃな」
ゼードルというのは、俺の師匠の名前だ。クマのようにずんぐりとした体をしていて、たっぷりとした髭をたたえている。一見すると威圧感のある風貌だが、実際は温厚で滅多に怒る事はないし、辛抱強く粘り強く仕事にも向き合う人だ。その腕前は町でも一番だと俺は思っている。
とにかく、腕っぷしも強いが、何より真核の加工技術が他と比べて段違いにすごい。そんな腕に惚れこみ、俺も弟子入りを望んだほどだ。
キッチンへと向かい、籠に被さったむしろをめくると、中からホド芋を三つ掴み出した。
「……まだ芽は出てないな」
怪しい匂いがしないか、少しだけ嗅いでみてから、洗い場へと持って行く。
後はしっかりと泥を落としながら丁寧に洗い上げ、蒸かし網に乗せて、湯を沸かした鍋の中に置く。蓋をしてしばらく待てば、蒸かし芋の出来上がりだ。
二個と一個で器に分け、種油と塩をまぶしてやれば朝ご飯の完成。
少し寂しい内容だが、それには理由がある。俺達の仕事は時に他人の個人的な事情を知ってしまう事もあり、それを口外しないよう気を付けなければならない。信用を失えば、店はやっていけない。だから、ふいの誘惑に負けないよう、いくつかの戒めがあるのだ。
まず、質素であること。そして、酒を飲まなこと。盗みをしないこと、父母を敬うこと、不実を働かないこと、と続いていく。
それらを全て守るのが望ましいとされているが、現在では残念ながらいくつかは妥協されている。例えば、食事に関しては、朝食は質素でなければならないが、それ以降であれば何を食べても構わないとされている。というのも、体力を必要とする仕事である為、体を養うだけの物を食わねばならないという事情があるからだ。そんな風に、なるべくは守っているが、必要性によって緩くならざるを得ない所がある。もちろん、店によっては本当に厳格に守っている所もあるので、一概には言えないけれども。
食卓に器を並べ終えた所で、裏口からのっそりと人影が入って来るのが見えた。
「おはようございます、親方」
「おお、おはよう」
親方は小さなミルクタンクの蓋を外すと、そのまま食卓に並んだカップに注いでくれた。結構な重さがあるはずだが、それを片手で軽々と扱ってみせるからすごい。
「さあ、食べようか」
俺は、はいと返事してお決まりの席へと座った。
「日の恵み、地の恵みに感謝します。糧に感謝します。今日も善き人であるよう努めます」
親方がそう言ったのに続き、自分も復唱し、最後にいただきます、と付け加えた。
フォークで芋を真ん中から割り、器の底に溜まった油をつけて口に運ぶ。蒸かしたてならではの芋のホクホクとした食感と熱が、口の中で油分とからまり、徐々にまろやかになっていく様は原始的な喜びを喚起させる。シンプルな材料だが、それで十分なのだ。何の変哲も無い朝にはこれぐらい素っ気ない方がいい。
口の中にへばりついた熱をミルクで喉の奥に流し込めば、体の隅々が小さくザワつき、力が漲ってくる。
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