第三章 混沌たる荒野 --- 1

 その報告がもたらされたのは、定例会議の席上でのことであった。国王イージェントは、アーバン領主ヴィルデンの書状を読み終えると、訝しげに待っていた諸将諸官にその内容を告げた。

「《光道騎士団》がエルミシュワ高原に現れたそうだ」

 途端、将軍たちが怒りに顔を赤くし、一方の役人たちは青ざめて息を止めた。詳細を改めて宰相代理エルロンが報告すると、その憤懣は一気に爆発した。

「陛下の御慈悲で存続を認められている護衛部隊でありながら、勝手なことを!」

「エルミシュワの民が水毒で死に絶えたなどと、到底信じられぬ! 《光道騎士団》が何かを行ったに決まっている!」

「落ち着かんか。エルミシュワの民にも疑惑があるというではないか」

「何を言うか。邪教信仰などとそんな話、噂にも聞いたことがないわ」

「そうとも! 奴らめ、いったい何を企んでいるのやら」

 口々に言い立てる将軍たちを、国王の右翼に座していた王弟トランスが一喝する。

「静粛に! 陛下の御前であるぞ」

 それでようやく冷静さを取り戻した一同は、国王にその意を問うた。しばらくの沈黙の後、イージェントはおもむろに口を開いた。

「これは、またとない好機である」

 彼は椅子から立ち上がると、臣下の席の後ろを巡りながら窓辺へと歩いていった。火宵祭以来、体調を崩し、床に伏せがちだっただけに、その行動は皆をわずかでも安堵させるものだった。

「これまで《光道騎士団》の兵力の増強を耳にしながら、要らぬ反発を招き、火に油を注ぐことになってはと看過してきたが、これを機に、《光道騎士団》の行動を制約する法を設けることとする」

 それに反対を唱える者は、誰一人としていなかった。国王の言うとおり、今がまさに好機、いや遅すぎるくらいなのだ。サイファエール国内で国王以外が領地を跨って自由に兵を動かすなど、あってはならぬことだった。

 それからすぐに具体的な項目が審議され、《光道騎士団》の行動時にはセレイラ総督府の監督官を必携するという項目を筆頭に、あらゆる限りの可能性を考えて法が定められた。

「あとは、どなたがこれをルーフェイヤ聖山に知らしめる使者に立たれるかということですが」

 エルロンが言うと、将軍ペストリカが眉根を寄せた。

「セレイラ総督には任せられぬ。今回の件、なぜ先にセレイラからの報告がなかったのだ。怠慢ではないか」

 セレイラ総督ディオルト=ファーズは、エルミシュワに応援部隊を派遣したと同時に、王都へも書状を送っていたが、運の悪いことに、書記官室で他の書状数通とともに書記官らの机の間に落ち、存在さえ知られていなかった。それが日の目を見たのは、数日後の話である。

「……私が行こう」

 そう言って立ち上がったのは、王従弟ゼオラであった。

「閣下が御自ら行かれずとも、我らが参りますれば」

 ゼオラは、王族として「殿下」と呼ばれるより、上将軍として「閣下」と呼ばれることを好んだ。それは、下位にしろ王位継承権を持つ者としてより、国王の臣下として生きていることを証明する行為であり、なにより彼自身が武人として生きたいと願っている表れであった。

 待ったをかける将軍たちに、ゼオラは言った。

「私は先だって聖都へ赴いたばかり。武道会も開き、私の顔を憶えている者もまだおろう。仮にも王家の一員である私が行けば、陛下の御心もいっそう強く伝わるものと心得る」

 聖都で感じた焦臭さはこれだったのだ。自分が使節の代表として行った直後にこのような事件を招き、ゼオラにとっては面目丸潰れである。

「……いいだろう。ゼオラ、よろしく頼んだぞ」

 国王の了承を得て、ゼオラは一礼した。



 日没とともに降り始めた雨は、夜になっても窓硝子を洗い続けていた。北の館の窓辺に立ったトランスは、暗がりの奥、自らが造った庭を眺めて吐息した。

「……この庭を造った理由を、おまえは知りたがっていたな……」

 親友の葬儀の日に降った雨は、彼の心の中で未だに降り続けている。おそらく彼の生命が続く限り、止むことはないだろう。たとえそのせいで苦しむことになっても、彼はかまわなかった。

 窓硝子に映った自分の影が酒杯を下ろした時、そこに映っていたのは立て膝を着いた腹心の老人だった。トランスは失望の息を吐いた。

「……今度は何だ?」

 その問いに、オーエンは顔を伏せたままで応じた。老人はトランスの命を受け、彼の妃ルアンダの館に潜入中だった。

「イスフェル様に危険が迫っております」

「……イスフェルにだと?」

 トランスは忌々しげに繰り返すと、オーエンを振り返った。

「王都から追放しただけでは飽き足らぬか。フ、まぁそうであろうな」

 そもそもルアンダが宰相家を潰そうとしたのを、彼自身が邪魔したのだ。しばらく物思いに耽っていたトランスは、簡潔に結論を述べた。

「行ってくれるか」

 それに対する老人の返答もまた明快だった。

「是非もないこと。なれど、館の方はいかがいたしましょう?」

 トランスの北の館で働いているのはオーエンただ一人であり、また、いつどんな悪事を企てるかわからないルアンダから目を離すわけにもいかない。

「ふむ……そなたしかおらぬのが私の痛いところよの。とにかくそなたはオルヴァに寄ってから発ってくれ」

「承知いたしました」

「オルヴァに寄ってから」という言葉に内心で微笑みながら、老人は退室した。その後、トランスは再び庭に視線を戻した。東に春、南に夏、西に秋、北に冬、それぞれ花開き実を付ける草木を植えた。今は夏の花が盛りの時を迎えている。

「……理由、か。理由と言うほどのこともない。ただ――」

 杯の中の葡萄酒を一気に飲み干すと、トランスは呟いた。

「ただ、私の家族とおぬしの家族とで、花を愛でたかっただけなのだ……」

 しかし、その願いが叶うことは最早ない。



 その薬草園は、主人を失った後も変わらぬ姿でそこにあった。

 早朝、シェラードがいつものようにそこを訪れると、見慣れた先客があった。

「ユーセット」

 声をかけると、青年は漆黒の長い髪を揺らせて振り返った。

「ここで何をしているんだ?」

 すると、ユーセットはじっと少年を見つめた後、軽く首を竦めた。

「……多分、おまえと同じだ」

 失っても失いきれない絆が想いがその姿を求め、必然的に彼らをこの場所へ導いたのだ。

「……俺と兄上って、どれくらい違う?」

 入口に突っ立ったまま、シェラードは呟くようにその問いを発した。

「はっきり言ってもいいのか?」

 笑いもせずに答えた青年に、シェラードは首を横に振った。

「やっぱりいい」

 嫡子の反逆という憂き目に遭ったものの、長年の大功から、なんとか家名の存続は許された。その新当主に立ったシェラードだが、十五歳とまだ若輩であり、目下、王立学院を休学し、従兄メイビスと一族の立て直しを図っている。ただでさえ気の滅入る状況にあるのに、これ以上の精神的打撃は御免被りたかった。

 気を重くしながら歩を進めると、シオクラスの青い葉に手を伸ばす。

「こんな小さな葉っぱ一枚で、国が揺らぐなんて……」

「揺らぐどころか滅ぶこともある」

 語気強く言うと、ユーセットは顔を上げたシェラードを睨み付けた。

「何故止められなかった?」

 唐突な問いだったが、シェラードはすぐに察した。

「あんなに傍に居たのに、何故?」

 畳みかけられた問いの答えは沈黙しかなかった。シダたちから、ユーセットが中央裁判所へ忍び込み、兄を救い出そうと企んでいたことを聞いている。沈着冷静の鑑のような青年に、そんな激しい一面があったとは意外だった。ユーセットにしてみれば、自分は敵に近いものがあるのかもしれない――そう考えると心臓が震える思いだったが、それは早とちりであった。ユーセットの呟きが耳を打った。

「オレもおまえも、いったい何をやっていたのか……」

 確かに青年の中にはシェラードを恨む思いもあるかもしれないが、それよりも何倍も、自分自身を不甲斐なく思うことの方が大きいのだ。

「ユーセット……」

 その時、薬草園を囲む生け垣の奥で人の気配がし、二人は同時に注意を向けた。

「誰だ!」

 叫ぶシェラードと侵入者の間に、ユーセットが警戒しつつ割って入る。仮にもシェラードはサリード家の当主である。イスフェルを失った今、もしものことがあってはならない。

 侵入者は、旅装の老人だった。無論、サリード家の関係者ではない。

「何者だ」

 ユーセットが声音低く問うと、老人は意外にも立て膝を付き、深々と頭を垂れた。

「私の名はオーエン。ある御方にお仕えしております」

「ある御方?」

「それは今は申し上げられません」

「なっ……」

 老人に詰め寄る少年を、ユーセットは制した。

「それで、何の用だ?」

 日のある時間に現れて、礼を施し名を明かした以上、こちらに危害を加える気はないらしい。が、その後の老人の話は危害も同然のものだった。

「サリード家の危機でございます」

「危機だと?」

 ユーセットは老人の言葉を笑い飛ばした。

「危機ならとっくに迎えてる」

 しかし、老人は表情を変えぬまま、淡々と続けた。

「先だっては宰相家存亡の、でございましたが、この度はサリード家断絶のかと」

「サリード家」と聞いて、ユーセットは背後の少年を振り返った。

「……おまえ、何かやったのか?」

「まだ何もやってないよ」

 他人が聞いたら冗談の応酬のようにも聞こえるが、本人たちは至って真面目だった。

「サリード家の当主はこう言っているが?」

「そちらのシェラード様ではございません」

「では、誰だ」

「ご長男のイスフェル様でございます」

 その名を聞いて、二人は表情を強ばらせた。

「イスフェル、だと……?」

「はい」

「あ、兄上が、何を……」

「イスフェル様に追っ手が放たれました」

「追っ手!?」

 誰が、とは最早問わない。それは火宵祭の日、宰相家を貶めた輩に他ならないのだから。

「馬鹿なことを。もはや何の力も持たぬあいつを殺して何になる」

「初めに申し上げた通りです。狙うは、サリード家の断絶。イスフェル様が再び王家に剣を向けるようなことがあれば、サリード家は終わりです」

「兄上がそんなことをするものか!」

「イスフェル様本人にそのつもりがなくても、追っ手が放たれた以上、このままではそうなるということです。どのような手口か、その詳細はわかりませぬが」

 老人の言葉にシェラードが混乱しているのを見て取って、ユーセットは確認の意味も込めて彼に尋ねた。

「つまり、イスフェルに罪を重ねさせ、恩赦を取り消す以上の効果を狙っているということか?」

「御意」

 ユーセットは眉根を寄せると、無表情な老人を推し量るように見た。

「……何故そのようなことを知っている? いや、落ち目の我々に何故わざわざ知らせるのだ」

 利益のない相手とは一切、交際することのない青年には、その心理が理解できなかった。

「私の主人の意向でございますれば」

「では、おまえの主人に直接会いたい」

「それは出来かねます」

 そもそも老人の訪問自体が罠かもしれないが、真っ直ぐと青年を見返し、淡々と返答する老人の中に、ユーセットは信頼できる人間性を見た気がした。

「……おまえの主人は、真犯人を知っているのか?」

 それに、老人は目だけを伏せて応じた。

 追っ手を放った本人が宰相殺しの真犯人であることは最早、相違ない。だが、それゆえに敵方は絶対に表に出てこないはずだ。真実真相を知りたければ、先ずイスフェルを助け、その後、老人の主人に会いに行くしかない。若者たちは、ほぼ同時に口を開いた。

「ユーセット」

「シェラード、オレを行かせてくれるか?」

 シェラードは大きな溜め息を吐いた。

「……ユーセットは、とことん兄上の傍に居たいんだね」

 ユーセットは緑玉の瞳を瞬かせると、珍しく困ったように微笑んだ。

「……すまない」

「……わかったよ。その代わり――」

 その時、隣の庭から母ルシエンと妹エンリルの声が聞こえた。日課の散歩をしているのだろう。シェラードは一度ぎゅっと瞳を閉じた。

「その代わり、今度こそ兄上を守って」

「約束する」

 青年の力強い頷きを得て、シェラードはオーエンの前に立った。

「おまえの主人を信じよう。サリード家の当主として、ユーセットの案内人をおまえに頼みたい。受けてくれるか?」

 老人は即答を避けた。

「……もしもの際、ユーセット様がいらっしゃることが世間に知られれば、ますますサリード家のお立場が悪くなるのでは?」

「では、何故わざわざここへ?」

 彼の問いももっともなことで、老人は主人の言葉を思い出した。わざわざオルヴァへ寄るよう指示した彼のことだ。若き当主が言うだろうことも予想しているはずだ。

「わかりました。ご案内致します」

 追っ手が放たれてから既に一両日が経っている。ユーセットは最低限の旅支度を旋風のごとく整えると、老人とともに出発した。オルヴァの坂を馬で駆け下りていく彼らの背を見送ると、シェラードは母妹の姿を遠目に見つつ、邸内へ飛び込んだ。

「メイビス!」

 髪を振り乱して現れた彼に、二階の来客用の部屋でくつろいでいた従兄は、読んでいた本から顔を上げて応じた。

 シェラードと年齢がふたつしか変わらないメイビスだが、十四歳でサリード家を取りまとめるという大役を請け負ったせいで、その風格はユーセットに負けず劣らずのものとなっていた。

「おまえから私に用とは。やっと折れる気になったか」

 肩口で巻く栗色の髪を払うと、メイビスは口元をもたげた。伯父の喪明け以来、オルヴァの丘から去るように進言していた彼だった。

「半分だけな」

「半分?」

「母上とエンリルをサンエルトルへ連れて行ってくれ」

 メイビスは群青色の瞳を瞬かせた。

「おまえは?」

「欲張るなよ。半分って言ったろ? オレはここに残る」

 それを聞いて、メイビスは鼻から息を吐き出した。

 いまサリード家の邸宅があるオルヴァの丘は、サイファエールの有史以来、名家が門を構えてきた由緒正しき土地である。いくら家名の存続を許されたとはいえ、逆賊の汚名を着た一族が住むべき場所ではない。今は潔く引くべきだ――それが彼の考えだった。

「おい――」

 さっそく反論しようとしたメイビスだったが、シェラードのいつになく落ち着いた眼差しに一瞬、言葉を失った。

「ここは、死んでも絶対に守り抜く」

 その言葉に、メイビスは膝の上の本を綴じた。

「……それが、サリード家の当主としての選択か」

「そうだ」

 メイビスは溜め息を吐くと、背後に控えていた執事に帰宅の準備を指示した。

「伯母上とエンリルのことは私に任せておけ。その代わり、必ずまたのし上がれよ」

 従兄の激励に、シェラードは大きく頷いた。

 オルヴァの屋敷を守る。ユーセットもきっと間に合う。それでも母妹を王都から遠ざけようとするのは、特に妹のエンリルに余計な心配をさせたくなかったからだった。

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