第二章 失われた神の祈り --- 4

 セフィアーナ救出のため、聖都を発ったカイルたち一行がエルミシュワ入りしたのは、《光道騎士団》の到着から六日後のことだった。

「間違いない。セフィはこの地にいる」

 青年がそう確信したのは、彼の指笛に応じて、少女を愛する人狩鳥ティユーが姿を現したからである。それからさらに軍列の足跡を追い、ある岩山へと迫った。しかし、そこで展開していた《光道騎士団》の警備は尋常でないほど強化されており、カイルたちは事情の一端も知り得ず、徒に時を過ごしていた。そこへ現れたのが、夜陰に紛れ先を急ぐ小さな人影だった。

 明らかに怪しい足取りの少年を見事に捕らえたアグラスは、今は主人たるラスティンの横で欠伸を噛み殺していた。

「あ、あんたたちは……? その格好、《光道騎士団》じゃなさそうだけど……」

 首筋をさすりながら尋ねてくる少年に、カイルたちは顔を見合わせた。

「おい、孺子。おまえ、《光道騎士団》のことを知っているのか?」

 カイルの後ろで成り行きを見守っていたセレイラ警備隊のヒース=ガルドが問うと、少年は突然、怒りを爆発させた。

「知ってるも何も、オレは今からあいつらの悪事を――」

 しかし、次の瞬間、思い切り「しまった」という顔をして、少年は口を噤んだ。いくら格好が違うとはいえ、彼を取り囲んでいる男たちを信用できないのだろう。それも当然のことだが。

「悪事ぃ?」

「あーいや、その、あーうー」

 ラスティンの詰問に、心底困ったように、そしてまた獣に噛みつかれやしないかと怯える少年に、ヒースは膝を折って尋ねた。

「心配するな。私たちは見ての通り《光道騎士団》じゃない。聖都のセレイラ警備隊の者だ」

「せっ、聖都!?」

 つい先ほど囚われの少女と話して聖都行きを断念したばかりだっただけに、その聖都からの来訪者と聞いて、少年――ネルは容易に目を丸めた。

「あーでも、《光道騎士団》も聖都だけど、実際は天敵らしいぜ」

 同郷なので結局、敵と見なされやしないかと補ったラスティンの言に、ヒースが思わず微妙な表情を浮かべる。

「だから、もしおまえが《光道騎士団》を敵と思っているなら、きっとオレたちと意見が合うと思うぜ?」

「ほ、ほんとう……?」

 気弱になった少年に止めを刺したのは、カイルだった。

「《光道騎士団》の悪事を暴きたいのなら、奴に言うのが最適だ。なんせそのためにここまで来たんだからな」

 青年に顎で指されたヒースは、いっそう憮然として立ち上がった。

 その後、セレイラ警備隊の野営地に戻った三人は、早速、ネルから事態の真相を聞こうとしたが、彼自身は事件が起こった後に村を訪れているうえ、父や仲間を失った悲しみを再び思い返して、話が要領を得ない。困惑顔の三人に、ネルはあるものの存在を思い出して、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。

「こっこれ! これを読んでよ。巫女のねえちゃんに書いてもらったんだ」

 そして懐から取り出した書状を、三人の前に差し出す。

「まさか――」

「巫女」と聞いて、カイルはそれを引ったくるように取り上げると、紙がちぎれんばかりの勢いで開いた。そして、そこに並んでいたのは、間違いなくセフィアーナの手蹟だった。

「おまえ、セフィに会ったのか……?」

 青年の呆然とした問いに、ふたりの少年が同時に声を上げる。

「えっ、これ、姉さんの手紙なの!?」

「あんた、ねえちゃんを知ってるのか!?」

 カイルは読み終えた手紙をヒースに渡すと、再びネルに尋ねた。

「オレたちはセフィを助けにここまで来たんだ。どうやってこの手紙を手に入れたか教えてくれ」

 こうしてヴォドクロスの祭殿へ通じる秘密通路は、初めてその存在をエルミシュワの民以外に知られることとなった。



「ねえちゃんがいるのは、この部屋だよ」

 ネルの先導の下、森の中の隠し井戸から秘密の通路に入り、蟻の巣のような細く狭い通路を這って移動した後、ようやくカイルはセフィアーナの部屋の真下に辿り着いた。

「……やはりオレが来て正解だったな」

 ぞろぞろと通路に入って見付かった場合、狭い通路では逃げ場もないので、セフィアーナのもとへ行くのはネルともう一人と決められた。いよいよ姉に会えるとあって、ラスティンは自分が行くと言い張ったのだが、そもそも彼はセフィアーナの顔を知らない。ネルがこの後、アーバン領主への使者の案内人も務めることになったため、誰かが複雑な道順を憶えなければならず、ネルが口頭で道順を言った時点で混乱していたラスティンでは、やはり役者不足であった。

「この引き板をずらしたら、ねえちゃんの寝台の真下に出るから」

 青年がようやく胡座をかける程度の高さしかない通路で、側面の壁の土をこすりながら位置を入れ替わると、カイルはゆっくりと天井の板をずらした。室内からわずかに届く明かりに、土埃が静かに落ちていくのが見える。

(これでは、セフィがいるかどうかわからんな……)

 寝台の隙間から鼠の視点で室内を見回した時、カイルの目に本棚の上の鏡が映った。その鏡が映し出しているのは、銀の腕輪が嵌められた細く白い腕だった。

(あれは――)

 その腕輪が以前、セフィアーナから見せられた《太陽神の巫女》の証であることを思い出して、カイルは表情を緩めた。どうやら寝入ってしまったらしい彼女を起こそうと、青年が寝台の天板を叩こうとした時、突然部屋の扉が開いた。

 思わず身を固くしたカイルが息を殺して見守る中、静かに近付いてきた漆黒の軍靴は、彼の鼻先で立ち止まった。どうも寝ている少女を見下ろしているらしい。カイルが危険を承知で先ほどの鏡を覗こうとした時、男の囁くような声が耳を打った。

「《金炎フラエージュ》……」

 そうして、少女の顔の上に自分の顔を伏せたのだった。あまりの突然のことに、カイルが冴えた碧玉の瞳を見張っていると、ふいに侵入者が踵を返した。

「……覗きとは趣味が悪いね」

 男の小さく笑う声に応じたのは、女の刺すような声だった。

「そこで何をしているのです?」

「何って、きみを待っていたのさ。私を探していると聞いてね」

「……貴方のお姿が見えなくなったからです」

「まったくご苦労なことだね。なら、赤ん坊は同じ部屋に寝かせておいた方が面倒が見やすくていいんじゃないのか?」

「赤ん坊? 狼と羊の間違いでしょう。私の手を煩わせるのはやめてください。今度このような真似をなさったら報告します。いいですね」

「はいはい」

 男は軽快な足取りで扉まで向かうと、女に笑って言った。

「しっかし、さすが《太陽神の巫女》。綺麗な寝顔だ」

 それを険しい表情で聞いている女の顔は、カイルには見覚えがあった。ヒースの宿敵、サラクード・エダルである。

(セフィの見張り役はあの女か……。しかし、『フラエージュ』とはいったい何だ……? 《光道騎士団》の格好をしているが、あの男も一体……)

 その時、扉が閉まる音がして、カイルは我に返った。どうやら二人とも出て行ったらしい。もたもたしているとまた別の訪問者が来かねないと、カイルは今度こそ寝台を叩いた。

 しばらくして、ふいに息を呑む音がしたかと思うと、蜜蝋色の巻き毛が床を掃いた。

「ネルなの!? どうし――」

 押し殺した声とともに現れた瑠璃色の大きな瞳が青年を映し出し、何度も瞬きを繰り返す。

「セフィ、無事か?」

 聞けるはずのないカイルの優しい声に、少女は容易に声を失って、屈ませていた腰を床に落としてしまった。

「うそ……どうして、カイルがここに……」

「リエーラ・フォノイから手紙をもらってな。おまえのことが心配で、ヒースたちと追ってきたんだ。そしたら、外でおまえの手紙を持ったネルと運良く出くわして――事情はだいたいわかった。……よくがんばったな」

 瑠璃色の瞳から大粒の涙が溢れるのを見て、カイルはセフィアーナの膝頭を軽く叩いた。

「必ず助ける。だから、もう少しがんばれるか?」

「うん……うん、カイル……」

 カイルの優しさと孤独ではなくなった安堵感、そして自分の不甲斐なさが胸中に渦巻き、セフィアーナは苦しかった。誰一人助けられなかった自分だけが救われて、本当に良いのだろうか?

「そうだ。全部終わったら、おまえに会わせたいヤツがいるんだ。……おまえはやはり太陽神に愛された娘だな」

 カイルの意味深げな言葉にセフィアーナが顔を上げると、青年は少し笑って隠し戸の向こうに消えていった。



 セレイラ警備隊側が十二名しかいないのに対して、岩山の麓に今や公然と陣を敷いている《光道騎士団》は、確認できただけでおよそ五百騎。とにかく味方を増やさなければどうにもし難い状況に、ヒースはネルがカイルとともに戻ってくると、さっそく兵士二人とともにアーバン領主が居を構えるトロントへ向かわせた。

「……さて、領主の援軍が来るのは早くて七日後か……」

 思案の構えの警備隊副長に、姉に一刻も早く会いたいラスティンが迫る。

「それまでオレたちはどうするんだ?」

「どうもしない」

「は……はぁ!?」

 思いも寄らない答えに、ラスティンは即座に眉根を寄せた。

「な、なんで!」

「無論、偵察はするが、この人数では多勢に無勢だ。どうもできないと言った方が正しいな」

 カイルがセフィアーナをすぐに助け出さなかった理由もそこにある。彼女の行方不明となれば、《光道騎士団》は大々的に捜索を行うだろう。そうなれば、こちらが見付かるのは時間の問題である。きっかけはセフィアーナでも、彼らの任務は《光道騎士団》の思惑の捜査でもあるのだから。

「そんな……。姉さん、すぐそこにいるのに……」

 肩を落とす少年に、カイルは溜め息を吐いた。彼もセフィアーナを今すぐ助けたいのは山々だったが、急いては事を仕損じる。

「ラスティン、今はおとなしくしておけ。いいな」

 しかし、青年の忠告は、少年の耳には届いていなかった。それから四日後の夜、寝床を抜け出したラスティンは、アグラスを連れて森の隠し井戸に向かった。すぐ行動に移さなかったのは、カイルたちを油断させるためだった。

「秘密の通路はヤツらには知られてないんだから、きっと大丈夫さ」

 誰に言い訳するでもなく、ラスティンはアグラスを抱いて井戸を降りると、手燈の明かりを頼りに先へ進んでいった。最初の分かれ道まで来た時、カイルから失敬した秘密通路の簡単な地図を取り出して、進行方向を確認する。

「えっと……右、か」

 こうして少年はどんどんと奥に進んでいったが、暗さゆえに上下の分かれ道を見落としたことに気が付いていなかった。そうして一ディルク後、彼は自分が迷子になったことにようやく気付いたのだった。

「やっちまった。道に迷っちまった……」

 ラスティンはその場に座り込むと、何度も見直してもはやボロボロになりつつある地図を再び取り出した。しかし、どこでどう間違えたのか、見当もつかない。その時、相棒が彼の脇を通ろうとして、少年は眉根を寄せた。

「おい、アグラス、じっとしてろ。尻尾が邪魔だ」

 視界をかばおうとして片手を上げた時、その肘が横の壁にぶつかった。すると、突然、ガタンと音がして、ラスティンは暗闇に滑り落ちた。

「いってぇ……。何だよ、いったい……」

 幸い大した高さはなかったらしく、少年が打ち付けた尻を撫でながら顔を上げると、そこは暗い廊下の突き当たりだった。背後を振り返ると、古い巨大な絵画が掛かっている。どうやら何かの仕掛けに当たったらしい。ラスティンは深く溜め息を吐き出すと、運良く同じように放り出されていたアグラスを睨み付けた。

「だからじっとしてろって言っただろっ。ヤッバいなあ。これで《光道騎士団》に見付かったら、カイルに何てどやされるか……」

 しかし、少年はそれ以前に生命の心配をした方が良さそうだった。ふいにアグラスが耳をそばだて、前方の暗がりに向かって静かに威嚇を始めたのである。

「うげ……マジでヤバい」

 軍靴の音を響かせて姿を現したのは、見回りをしていたらしい聖騎士二人だった。何はともかく逃げようとしたラスティンだったが、鼻先に矢幹が突き立ったのを見て、断念せざるを得なかった。



孺子こぞう、いったいどこから潜り込んだ」

 その後、洞窟内にある《光道騎士団》の詰め所に連れて行かれたラスティンは、隊長と思しき人物たちの詰問を受けていた。アグラスはうまく逃げて、今は彼のそばにいない。

「邪教徒の残党か」

 その感情のない顔と抑揚のない声に寒気を覚えながら、ラスティンは必死で思案を巡らせた。秘密通路の存在は、セフィアーナ救出のためにも絶対に知られてはならない。幸いにも、地図と手燈は秘密通路に置き去りにしていた。そして、自らの保身のためには、邪教徒ではなかった村人の生命を奪い尽くした彼らの前で、決して「邪教徒の残党」だと思わせてはならない。

(オレとセレイラ警備隊を繋ぐものは何もないんだし、適当な嘘で乗り切るしかないな)

 ラスティンは覚悟を決めると、周囲に突き付けられた槍先を見回し、上目遣いに相手を見た。

「オ、オレはただ、この辺にお宝があるって旅の途中で聞いて……路銀がなくなったから、ちょっと一稼ぎしようかと……」

「お宝?」

「あんたたちがいるのを見て……あんたたちも盗賊なんだろ? だから、こりゃ相当な量のお宝があるんだと思って潜り込んだんだけど、暗くて道に迷ってしまって……」

 瞬間、隊長が剣を抜き、ラスティンの眉間に突き付けた。

「……我々を『盗賊』だと?」

「えっ!? あ、違うのかい!? これは失礼しました!」

 ラスティンが床に額をこすりつけると、あまりにもその小人な態度に気を削がれたのか、隊長は剣を鞘に戻した。

「とりあえず牢に放り込んでおけ。処遇は追って沙汰する」

 身近にいた聖騎士にそう告げ、部屋を出て行く。そしてラスティンは引っ立てられ、再び暗い廊下を進むこととなった。

「いって、痛い痛い痛い! そんなに引っ張ったら歩けないだろ!」

 後ろ手に縛られ、無論痛いのもあるのだが、ことさら大袈裟に喚いてみせるのは、柱の陰に隠れながら付いて来ているアグラスから聖騎士たちの注意を反らすためだった。

「いったいオレをどうする気だよ。オレを牢に入れたって、一文の得にもなりやしないぜ!? 銭子がないから、ここへ来たんだから! お願いだから放してくれよぉ」

 あまりにも少年がうるさいので、彼の前を歩いていた聖騎士が振り返りざま、平手打ちを放った。

「今すぐその首を刎ね飛ばしてやってもいいんだぞ」

 ラスティンが内心で悪態を吐いた時、ふいに横合いから声がかかった。

「いったい何事です? 彼は?」

 その、闇の祭殿にまるで不似合いな、鈴の鳴るような声音に、ラスティンが驚いて振り返ると、開かれた扉の前に人影があった。松明の橙色の光に照らされていたのは、ひとりの美しい少女だった。しかし、思わず息を呑んだのは、そのせいだけではない。

「か、母さん……」

 愛らしい顔、大きな瞳、大きくうねる巻き髪――どれも床に伏せる以前の母と同じだった。

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