第二章 失われた神の祈り --- 3

 煌々と蝋燭の照らす天幕の中で、アルヴァロスは目を閉じて、高原の各地に散っていた部隊からの報告を受けていた。

「バンベルニ村、テローイ村、共に昨日、制圧致しました」

「メデロン村、バッツ渓谷、ヤンギロンドの村、制圧しました」

「ミエロースの谷、制圧致しました」

 粛々と頭を垂れる彼らを下がらせると、聖騎士団の総大将は、満足げにひとつ、吐息した。

「アルヴァロス様、すべてが順調に運んでおります」

「うむ……」

 火事から三日後、サイファエールから七つの村が消え、ひとつの民族が消えた。しかし、その事実を知る者は、未だ外界にいない。

 入口の幌布が揺れ、サラクード・エダルが入ってきた。用を問う彼女に、アルヴァロスは《太陽神の巫女》の様子について尋ねた。

「ずっと神旗に向かって祈っておりますが……」

「『が』?」

「これ以上の軟禁は、面倒を巻き起こすかと」

 すると、アルヴァロスの傍らに控えていた将が目を細くし、不機嫌な声を発した。

「フン。聖都と王都とで名声を得て、巫女はいい気になっておるのだ。目付のおぬしがしっかと見張っておけばよいこと」

「それは重々承知しております」

 あっさりとやり過ごしながらサラクード・エダルが再びアルヴァロスの顔色を窺うと、彼は席を立ちながら言った。

「明日の正午、村人の《鎮魂の儀》を行う。巫女に伝えよ」

「……御意」



 火事の晩以降、セフィアーナは祭殿の一室から出ることを許されなかった。奥まった場所にあるその部屋に鍵は掛けられていなかったが、扉の外には聖騎士二名が見張り役として立っている。「貴女が規律を犯せば、彼らも罰せられます」――そう言われれば、部屋で大人しくしている他なかった。部屋自体はよくある神官用のもので、在る物といえば、今座っている固い寝台と小さな本棚――本は一冊も置かれていなかったが――、その上に置かれた鏡、一人用の机と椅子だけだった。おそらく東側だと思われる壁に、少女の胴ほどの大きさの小さな神旗がかかっている。すべて古い代物だったが、使われた痕跡はほとんどなかった。

(あれからもう三日……。外は一体どうなったのかしら……)

 アイゼスのことをはじめ、気になることは山ほどあったが、今は何より村人たちの安否が気遣われた。生者よりも死者の方が多いという状況に、生き残った人々の怪我の状態と心痛はいったいどれほどのものか。食事を運んでくるサラクード・エダルに何度も問い質したが、彼女は頭を振るだけで何も答えてくれず、彼女はひたすら神旗に向かって祈り続けるしかなかった。そして。

「失礼します。膳を下げに来ました」

 この日、またしても淡々と部屋を後にしようとする女聖騎士の背中に、セフィアーナは寝台に腰かけたまま、苛立ちの声を投げつけた。

「一体いつまでここにいればいいのですか?」

 すると、サラクード・エダルは小さく首を竦めながら、少女を振り返った。まるでセフィアーナの行動を予期していたかのように。

「明日の正午、《鎮魂の儀》を行いますので、準備を宜しくお願いします」

「え、明日……?」

「そうです。それでは」

 突然のことに一瞬、呆けていたセフィアーナは、慌ててサラクード・エダルに追いすがった。

「ちょっと待って下さい。火事は……どうなりました!? 外の様子は――」

 すると、観念したように、女聖騎士はようやく重い口を開いた。

「火はあれからすぐに消えました。しかし、家はすべて焼け落ちてしまいました。木や家畜の皮などで造られたものばかりでしたから、火の手が回るのが早かったようです」

「助かった人たちの様子は?」

「………」

 ふいに少女から視線を外したサラクード・エダルに、セフィアーナは胸のざわめきを覚えた。

「サラクード・エダル?」

「……先日、私は九割方が死んだと申しましたが――」

「え、ええ……」

 サラクード・エダルは眉根を寄せると、大きく息を吐き出した。

「被害がさらに拡大しました。この村は全滅です」

「ど、どうして……!!」

「生き残りの中に、邪教徒の残党がいたのです。消火活動で見張りが手薄になった隙を突かれました」

 いったい、この部屋から空気がなくなってしまったのだろうか。呼吸がうまくできず、セフィアーナは壁を支えに床にへたりこんだ。

「おかしい……おかしいわ」

「何がです?」

「『何が』!?」

 多くの人命が無為に失われたというのに、女聖騎士の淡々とした様子が、セフィアーナには許せなかった。

「いったい、どうして、なぜなんです!? 《尊陽祭》の武道会の時、《光道騎士団》は強さを見せつけられたじゃありませんか! ゼオラ殿下もお褒めになっていました。それほどの方々が、どうして『邪教徒』と呼ばれる人たちの暴走を止められなかったのです!? なぜ、村がひとつ消えてしまうほどの事態になったのですか! 私は、ここに来て、まだ、誰ともお話ししていません!」

 サラクード・エダルの肩越しに、神旗の端が見えた。一体いつからそこに掛かっていたのか、色が褪せ、力を失ったような神。

(――ヴォドクロス……そこにいらっしゃるのは貴方なのですか……?)

 瑠璃色の瞳から涙が溢れた。彼はまだ、心に闇を抱えたままなのだろうか?

「……確かに、これは私たちの失態です」

 頭上にサラクード・エダルの厳しい声が聞こえた。次に彼女は膝を折り、セフィアーナの肩を撫でた。

「気は済みましたか」

「……ごめんなさい……。サラクード・エダルだけが悪いわけじゃないのに……」

「いえ」

「明日の《鎮魂の儀》……心を込めて歌います」

「宜しくお願いします」

 セフィアーナは、エルミシュワへ《鎮魂歌》を歌いに来たわけではなかった。しかし、彼女にできることはそれ以外にはなく、そのことが彼女の心に翳りを落とし始めていた。そんな彼女のもとへ、意外な訪問客は、意外な場所からやって来た。

《鎮魂の儀》の後、再び祭殿の部屋に戻ってきたセフィアーナは、すぐに寝台に倒れ込んだ。脳裏に先刻の光景が嫌でも蘇った。取り壊された家々の跡に、無数に並んだ盛り土。墓石もなく、供花もない……。

「……ちゃん、ねえちゃん」

 最初は空耳だと思った。しかし、身体全体に弱い振動を受け、セフィアーナは驚いて身を起こした。寝台を降り、その下を覗くと、そこに二つの目があった。

「きゃ……!」

「ねえちゃん。オレだよ、川で魚釣りしてた――憶えてない?」

 言われてよく見ると、確かにその顔は川で出会った少年のものだった。

「ど、どうしてそんなところに……!?」

 外の聖騎士に気付かれないよう声を潜めると、少年は小さく笑った。

「オレ、別の村の族長の息子なんだ。父ちゃんと一緒に寄り合いへ行く予定だったんだけど、ほら、オレ、また遊びに出かけてたから、置いてけぼり喰っちゃって。で、追いかけてきたんだけど……」

 にわかに少年の声が沈み、セフィアーナが彼がこの村に起きたことを多少なりとも知ったのだと察した。

「……ねえちゃん、《太陽神の巫女》だったんだね。《鎮魂の儀》で見かけたんだ」

「……ええ」

「オレ、ここが遊び場だったから、隠し通路なんかも知ってて……まさか、大当たりでこの部屋とは思わなかったけど。――ねぇ、外の黒いヤツら、何者なの? ねえちゃん、あいつらに捕まってるの?」

「外の人たちは、聖都の《光道騎士団》よ。私は捕まってる……わけじゃないんだけど……。私にも何が何だかわからないのよ」

 セフィアーナは、わかっている範囲でこのエルミシュワの地へやって来た経緯を話した。それを聞いた少年の顔色は、みるみるうちに青ざめていった。

「私が村へ行った時にはもう辺りは火の海――血の海で……。《光道騎士団》の隊長は、族長たちが火を付けて回ったって言うの。火事から逃れた村の人たちも、彼らが殺したって……」

「な、なんだよ、それ……そんなこと、絶対にあるもんか!」

 少年は小さな拳を床に叩きつけた。族長だという彼の父親は、おそらくあの血と炎の紅に染まった家にいたのだ。父を突然失った悲しみと怒り、仲間たちへの不当な疑惑に対する屈辱。彼の心中を察するに余りある。

 セフィアーナは、ずっと気になっていたことのひとつ、ヴォドクロスの祀り方について彼に尋ねた。

「確かに月に一度、ヴォドクロスを祀ってたけど、それはほとんど儀礼的なものさ。それより大事なのは、その後の宴だよ」

「宴?」

「うん。もちろんお酒もだけど、宴でお互いの村のこととか、いろいろ話すんだ。作物の出来具合とか、家畜を襲う獣のこととか、年頃のにいちゃんねえちゃんの結婚のこととか。最近は盗賊のこととかも。『ヴォドクロスの儀式だけなら、わざわざ行くもんか』って、前に父ちゃん、こっそりオレに言ったんだ」

 セフィアーナには、少年が嘘を吐いているようにはとても見えなかった。

「だから、《月光殿》のアイゼスってお方のことだって、知らないよ。だいたいオレたちがその邪教徒だとして、そんな人捕まえて事を荒立てて、いったい何の得があるって言うのさ」

「………」

 少年の言うことももっともである。黙ってしまった少女を、少年は心配そうに見遣った。

「ねえちゃん……?」

「……明日、残党の処刑が行われるの」

 それは、《鎮魂の儀》の後に告げられたことだった。

「えっ!? だっ誰!?」

 もしや父親ではないかと期待する少年に、セフィアーナは首を振った。

「わからないわ」

(その人を助けたい……でも、下手に口出しをして、この子のことを知られてしまったら……。私、一体どうしたらいいんだろう。こんな時、リエーラ・フォノイがいてくれたら……!)

 しかし、それは考えても詮ないことだった。

「……ねえちゃん、優しいんだね」

 少女の苦悩を察したのだろう、少年の気遣う言葉に、セフィアーナは首を振った。優しさだけではどうしようもないのだ。

「どうして神さまは、みんなを助けてくれなかったんだろう……」

 少年の言葉が、ただただ胸に痛かった。



 翌日の昼、数日前まで村人の笑い声がさざめいていた広場に怒号が響き渡った。

「いい加減に吐いたらどうだ! 他に仲間は!」

「よく言う……おまえたちが全員殺しておいて……」

 既にこれまで何度も拷問を受けていたらしい囚人の姿は、見るに耐えぬものだった。

「これだけは答えてもらうぞ。ふた月前、貴様らは《月光殿》管理官の一行を襲ったな?」

 囚人の口の端に浮かんだのは、下卑た笑みだった。即座に鞭が振り下ろされ、襤褸布のようになっていた衣服が耐えかねて千切れ飛んだ。

「答えんか!!」

「だ……だったら、どうだって言うんだ……」

「神官たちの遺体は森の中で見付けたが、アイゼス殿だけ見当たらぬ。アイゼス殿をどうした!? 答えろ!」

 再び振り上げられた鞭に、セフィアーナはたまらず制止の声を上げた。

「待って! 待って下さい!」

「巫女!」

 サラクード・エダルの制止を振り切ると、少女は囚人のもとへ駆け寄った。

「《太陽神の巫女》、邪魔立ては無用だ」

「いいえ、いいえ、いいえ!」

 セフィアーナは身体中を奮わせると、神前裁判を司る聖騎士の前に立ちはだかった。

「もうこれ以上、誰も死なせるわけにはいきません!」

 まだ生命があるうちは、わずかでも希望がある。それをみすみす見逃すなど、少女にはできなかった。

「何を言うか。聞いていたであろう。この者らは、アイゼス様を襲ったのだぞ! そしてアイゼス様の行方は未だに知れぬ!」

 しかし、少年は自分たちには何の後ろ暗いところはないと言った。セフィアーナはその言葉を信じている。少女が反論しようと口を開いた時、一瞬早く、囚人が声を放った。

「死など……恐れるものか……」

「私は、ヴォドクロスを敬うことを、罪だとは思いません」

「巫女!?」

 突然の少女の言い分に、その場にいた者たちは殺気立った。それでも彼女は、勇気を振り絞って言を次いだ。

「ヴォドクロスが神に背くことになったのは、私たちのせいだと考えるからです。私たちが犯した罪を、闇を司る彼が肩代わりすることになったから……。でも、それを他人に押しつけて、あまつさえ命まで奪ってしまうなんて、決して許されることではありません。罪は、償わなければならない……」

「きれい事を言うな、小娘……。ヴォドクロス様は、テイルハーサ神に一心不乱にお仕えした……。それがなぜ罪となるのだ……。なぜヴォドクロス様を慕う我らが虐げられねばならぬ……? ゆえに、我らは剣を取っただけのこと……。我らに非はない……」

「剣を持った手では、握手はできません。いつまで経っても……」

「フッ……フフ……フハハハハハ……」

 狂ったように笑う囚人に、セフィアーナはアイゼスのことを問うた。

「お願いです。アイゼス様はどこにいるのですか? どうか、教えて下さい……!」

「言ったところで、オレは斬られるだけだ。ならば、自ら、死んでやる……!」

 最期はとても呆気ないものだった。次の瞬間、何ともいえない音がして、男の首がだらりと垂れた。自ら舌を噛み切ったのだ。

「………!!」

 思わず後ずさる少女に代わり、聖騎士たちが囚人に群がった。その間から弾かれながら、セフィアーナは唇を噛みしめた。



 当初、少年は死ぬ気だった。自分だけおめおめ生きて村へは帰れない。たとえ生命を落としても、明日の処刑をやめさせよう――セフィアーナには心配すると思って告げなかったが、そう心に誓っていた。しかし、物陰から囚人の姿を見た時、その決意はあっという間に消え去った。

「ねえちゃん、大丈夫……?」

 少女が部屋へ戻ってくるのを待ち詫びていた彼だが、彼女の憔悴しきった姿に、寝台の下で心配そうに表情を歪める。

「ごめんね。私、あの人を助けられなかった……」

 少年はエルミシュワの民は邪教徒ではないと語った。しかし、あの囚人は邪教徒であることを認めていた。少年を信じる彼女は、囚人と長く話すことで、彼が本当は何者なのか、話のどこかに矛盾が出てこないかと思ったのだが、現実はそんなに甘くなかった。

「ごめんね……」

「ちがう! ちがうよ! ちがうんだ!」

 ふいに興奮状態に陥った少年をセフィアーナが怪訝そうに見遣ると、少年は自分を落ち着けようと必死だった。

「えっと、あのさ、なんて言ったらいいのか……とにかく、アイツなんて見たことないんだ!」

「え?」

「確かにオレは他の村の人間だけど、三つ四つのガキの頃から遊びに来てるから、この村の連中とは顔馴染みなんだ。だけど、昼間自殺したアイツ……あんなヤツのことは知らないよ!」

「知らない……!?」

「うん。これは絶対に間違いないよ!」

「――いったい、どういうことなの……」

 囚人が村の人間でないとしたら、まさにエルミシュワの民は邪教徒ではないということになる。それでは、エルミシュワの民が邪教徒でないなら、なぜ《光道騎士団》はエルミシュワへやって来たのだろうか。そもそも、最初から、夜の行軍からして尋常ではなかったのだ。急を告げるマラホーマ侵攻の時でさえ、夜の行軍は作戦の時だけだった。――もはやセフィアーナの頭では理解できぬことであるのは明白だった。とにかく、このことを第三者に伝えなければ!

(――でも、いったい誰に……?)

 彼女を《光道騎士団》に従わせたのは、《月影殿》のデドラスである。しかし、《光道騎士団》自体を派遣したのも彼であり、彼は頼れない。神官ではない方がいいのかもしれない――そう考えて浮かんだのは、セレイラ総督のディオルトだった。しかし、少年は困惑気味に呟いた。

「オレ、聖都へ行ったことはないよ……。あ、でも、トロントなら行けるかも!」

「トロント?」

「この地方の領主の館があるところさ。一度村へ戻って、仲間にこのことを話して……」

「そう! じゃあ、この手紙を持っていって」

 外に出て、ティユーに手紙を託せれば聖都へは早いが、なにぶん彼女自身が不自由な身の上だった。手早く手紙をしたためると、セフィアーナはそれを少年に託した。

「絶対に捕まらないように……ああ、そうだ。大切なことを忘れていたわ。私はセフィアーナ。あなたの名前を教えて」

 少年はセフィアーナの手紙を懐にしっかりとしまうと、決意のこもった眼差しで彼女を見返した。

「ネルだよ」

「ネル、どうか気を付けて」

「うん……殺されたみんなのためにも……」

 しかし、少年の幸運もここまでだった。秘密の通路を通り、森の中へと脱出した直後、突然、獣が飛びかかってきたのである。少年は振り払おうと必死になったが、その生き物は彼の細い肩を力強い前脚で押さえつけ、彼を地面に縫いつけてしまった。

「くっそ、離せ! こっの野郎……オレはこんなところで……こんなところでくたばるわけには……!」

 喉元を咥え込まれ、いよいよ涙声のネルに、突如、語りかける声がある。

「じゃあ、どんなところでくたばりたいんだ?」

 一瞬、その獣が口を利いたのかと彼が呆けていると、再び頭上で声がした。

「もういいぞ、アグラス。放してやれ」

 次の瞬間、ふっと身体が楽になり、ネルがおそるおそる身を起こすと、彼を三人の男たちが取り囲んでいた。少年のすぐそばに跪いているのは、彼よりわずかに年上なだけの少年だった。その後ろに枯葉色の長い髪を括った青年が腕組みをして立っており、さらにその斜め後方にどこかの部隊の制服と思われる衣装を纏った男が立っていた。

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