王都狂騒曲 --- 9

 少年たちを乗せた馬車は、今や近衛兵団の警備区域を遠く離れ、どうにか見咎められる心配はなくなった。が、彼らの身は、まだ安全とは程遠い場所にあった。寝床に無事に潜り込めるかという心配も勿論あったのだが、それよりも我慢できないのは、馬車のひどい揺れであった。テルガーが無能な御者だったわけではない。昼夜を問わず、道のない森の中を馬車などで駆け抜けようとしたのが、そもそもの間違いだったのだ。幸い馬が木の根や岩に足を取られるようなことはなかったが、馬車の四つの車輪は、釣られたばかりの魚のように、段差があるたびよく跳ねた。

「おっ落ちっ落ちるっ」

「縁をしっかり持てっ。脚をオレの脚の下に持ってこいっ」

「な……なんか、オレ、気持ち悪くなってきた……。は、吐きそう……」

「わーっ! 馬鹿野郎! 吐くなよっ。吐いたらブッ殺す!」

「おいっ、服を引っ張るなよ!」

 森に暮らす動物たちの迷惑も考えず、少年たちは喚き散らし、殆どの少年が自分の身の安全だけは確保しようと必死だった。ゆえに被害は拡大するのだということは夢にも思わずに。

「それにしても、ひどい道だ。ゆっくり走っても、悲鳴がちっとも小さくならん」

 妙な言い回しをテルガーはしたが、本当にその通りだった。速く走ると、上下の揺れは激しさを増し、ゆっくり走ったら走ったで、今度は一回一回の揺れの衝撃が強くなるのだ。

「この分だと、案外、副長閣下の方が先にお着きになるかもな」

「……ええ」

 クレスティナとしては、フゼスマーニに豪語した以上、あまり当たって欲しくない想像であった。その時、

「あっ!?」

 突然、テルガーが不審の声を上げ、手綱を引いた。馬はしっかりと訓練された王宮のそれだけあって、御者の指示に素直に従った。従わなかったのは、人間どもの身体であった。急停車に不意を突かれて、クレスティナは御者台から前に落ち込みそうになり、後ろの荷台では、寄せては返す波のように、後ろ側に座っていた少年たちが前側の少年たちの上に乗りかかり、刹那、今度は前側の少年たちが後ろ側の少年たちを押しつぶした。頭をぶつけ、顔を蹴られ、胴を押さえつけられ、爪でひっかかれ、手足を踏まれ、背中を打ちつけ、それでも骨を折ったりする者が出なかったのは、不幸中の幸いであった。

「テルガー殿! 止まるなら止まるで、一言おっしゃって下さい!」

 クレスティナの凄まじい剣幕に、テルガーは背を縮めた。フゼスマーニでさえ、彼女の前に鳴りを潜めてしまったのだ。テルガーが太刀打ちできるはずもなかった。彼はひたすらクレスティナに頭を垂れると、荷台で痛みを堪えている少年たちにも同じ動作を施した。

「い、一体どうされたんです?」

 隣の少年の膝に思いきり頭をぶつけてしまったイスフェルが、顔をしかめながら尋ねると、テルガーは途端に深刻そうな顔をして、森の外を指さした。

「学院が火の玉の産地とは知らなかったな」

 揺れに耐えるのに必死で気付かなかったが、馬車は既にねぐらの真下まで来ていた。しかし、それにもかかわらず、少年たちの心に安心感は塵ほどもなかった。丘の上の至る所で、普段、見かけたことのない篝火が焚かれていたのだ。それが何を意味するのか、今さら口にする必要もなかった。

 その時、セディスは甚だまずいことに気付いた。

「……なあ、抜け出すときに使った縄、確か垂らしっぱなしじゃなかったっけ?」

 彼の重く暗い問いかけに応じたのは、沈黙だけであった。

「さて……どうしたものかな」

 テルガーが溜息まじりに言い、クレスティナは、瞳は学院を見据えたまま、御者台からゆっくりと降り立った。その彼女に、荷台の少年たちも続く。

「あんな大がかりに捜されたんじゃ、嘘のつきようがないよなあ……」

 開き直ったというよりは弱気になった様子で、シダが唇を噛んだ。森の奥から馬蹄が響いてきたのは、その時だった。一行が振り返ると同時に、木々の間から騎影が躍り出る。

「ほお、どうやら無事に辿り着いたらしいな」

 馬上でそう減らず口を叩いたのは、言わずと知れたフゼスマーニだった。慌てて御者台から降りようとするテルガーに向けて、副長は太い声を発した。

「テルガー、おぬしはもう王宮に戻れ。石運びが帰らねば、また騒ぎになる。御苦労であったな」

「い、いえ……」

 弱味を握られているだけに、ねぎらいの言葉にどう答えていいかわからず、テルガーは吃った。そんな彼に話しかけた者がある。イスフェルであった。

「テルガー殿、御恩は決して忘れません。どうか、気を付けてお帰り下さい」

 どうやら未来の宰相に貸しができたらしいテルガーは、微笑みながら小さく頷くと、手綱を取って馬首を返した。

「久々に楽しい夢を見させてもらった。目が覚めたら内容を忘れているのが口惜しい」

 そうして彼は、闇の中に姿を消していったのだった。

「閣下、テルガー殿をまさか罰されたりは――」

「馬鹿を申すな。あれがおらなんだら今頃どうなっていたかわからんぞ。それに今、言っていたではないか。今夜のことは楽しい夢物語なのだ」

 楽しい、とはかなり不謹慎な表現ではある。だが、もし劇作家がこの件を耳にしたら、まず悲劇よりも喜劇を創作したに違いなかった。

「……ところでエルセン、いつまでしがみついておるつもりだ?」

 剣帯を引っ張られて、少々息苦しくなったフゼスマーニが、肩越しに後ろを見遣った。が、

「……あ?」

 全員の目が、文字どおり点になった。なんとエルセンは、小さな身体をフゼスマーニの背に預けて、すやすやと寝息を立てていたのである。ある者は絶句し、ある者は頭を掻き、またある者は溜息をついた。

「こ、こいつ……!」

 シダがそう唸りを上げるまで、かなりの時間を要した。彼は目を吊り上げると、エルセンの着衣を鷲掴みにして、馬上から引きずり降ろした。いきなり尻に鈍い衝撃を受けて、エルセンは目を大きく見開いた。

「いったあ……!」

「いったあ、じゃあるか、この馬鹿! 誰のためにフゼスマーニ様とクレスティナ殿が危ない綱渡りをして下さってると思ってるんだ! 状況を考えろ!」

「ご、ごめ……」

 シダの口調が激しいのは、ただそれだけが理由ではなかった。彼は、非常時にせよ、エルセンがサイファエール屈指の戦士の馬に乗せてもらったことを羨んでいるのだ。以前から密かにフゼスマーニを尊敬し、彼のような武人になりたいと切に願っている自分こそが乗るべきだったのだ、と、そう思っているのだった。

「まあまあ、そう怒るな。本来なら、疾に寝ておる時間だからな。無理もない。ところで、いつから学院はあのように警備が厳重になったのだ?」

 フゼスマーニが軽い身のこなしで馬から降りながら言い、そこでようやく話が本題に戻った。再び一行の視線が丘の上に向けられる。

「……どうやら今度は隠れてばかりもいられないようです。何か有効な言い訳を考えなくては……」

「ふむ……」

 誰もが思案に沈み、森の中は普段の静寂を取り戻した。ただ梟の声だけが一行の耳に不気味に響く。

 最初に沈黙を破ったのは、イスフェルであった。彼は乾いた唇を湿すと、二人の大人に向かって笑いながら言った。

「王宮に行ったことさえバレなければそれで良いのだから、きっと何とかなると思います」

「どうするつもりだ?」

 きっと、という言葉を使う時、イスフェルには必ず腹案があるのだった。

「クレスティナ殿は御存知だと思いますが、寮のタラー先生は、異常に友情に弱いんです」

「ああ……。なんでも昔、幼馴染を戦で亡くされたとかで、以来、友情に溢れた場面に遭遇すると、非常に涙脆くなるとか……」

 フゼスマーニは学院の出身ではなかったので、クレスティナは彼のためにイスフェルの説明を補足した。

「他人の感傷を弄ぶのは気が引けますが、やむを得ません。それを利用して、一芝居打とうと思います」

「どうするのだ?」

「話は単純です。皆が私に調子を合わせてくれさえすれば」

 その後、イスフェルは簡単に内容を説明すると、「どうでしょう?」と首を傾げた。

「本当にそのような事でうまくいくのか……?」

 フゼスマーニが疑わしそうに眉をひそめた。

「戦いにおいて、相手の弱点を利用しない策はないでしょう」

 イスフェルは何の屈託もなく言ってのけたが、近衛兵団の副長に対して、これは大言壮語であった。だが、フゼスマーニは気を悪くした様子もなく、愉快そうに笑った。

「これは……またしても一本取られたな。まったく、将来が楽しみだて」

 クレスティナは、軽く息をついた。

「……では、その作戦でいくと、ここで私たちとは別れるのだな」

「……はい」

 瞬間、少年たちがはっと顔を起こした。内心はどうあれ、頼もしい味方が一度に二人もいなくなることは、とても心細いことであった。

「他に良い案も思いつかぬし、仕方がないな。おぬしらの演技力に望みをかけるか」

 言って、クレスティナと頷き合うと、フゼスマーニは組んでいた腕を振りほどいた。

「そうと決まったら、善は急げだ。この期に及んで計画を乱そうとする者は、このフゼスマーニが許さぬぞ」

 両陣営の少年たちに釘を刺しておいて、彼は愛馬に向き直ると、手綱を握り直した。

「早く行け。その教師の涙が寒さで凍らぬうちに」

 よく考えたら、今は冬なのだ。だが今夜、戦慄に震えたことはあっても、寒さに震えたことはなかった。

「フゼスマーニ様、クレスティナ殿。今夜の事、お詫びのしようもありませんが、本当に申し訳ありませんでした。それから……ありがとうございました」

 イスフェルが心から謝礼を述べ、頭を深く下げた。まわりの少年たちもそれに倣う。無論、視線は伏せたままであったが、リデスも。

「もうよい。私も今回の事で色々と勉強になった。無事を祈っているぞ。さあ、もう行け」

 クレスティナの言葉に小さく頷くと、イスフェルは仲間を一巡し、ゆっくりと歩き出した。その後に少年たちがぞろぞろと続く。彼らが歩を進める度に、足下に枯れ落ちた枝が乾いた音を立てたが、それもしばらくすると聞こえなくなってしまった。

 いつまでも少年たちが消えた方を見ていた二人だったが、不意にフゼスマーニが呟いた。

「イスフェルは、あの作戦が成功するとでも思っているのだろうか」

 クレスティナが息を飲んで上官を振り返ると、彼は巨体を馬上に跳ね上げながら言った。

「友情に涙脆い、か。だが、その教師も一介の教師なら、その友情が真実かどうかわかるのではないか?」

 クレスティナは、その場に立ち尽くした。彼は言外にこう言ったのだ、少年たちの間に――イスフェルとリデスの間に友情はない、と。ゆえに、作戦は失敗する、と。

「で、では、なぜ彼らを行かせたのです?」

「とりあえず王宮に侵入したということは、バレる心配がないと思ったからだ」

「閣下!」

「クレスティナ、あやつらを甘やかすな。今回の事、露見せずに済んだゆえ言えることかも知れぬが、手を貸しすぎた。もっとあやつらに責任を取らせるべきだったかもしれぬ」

「………」

 確かにそうだったかもしれない。イスフェルらはともかく、リデスの一党に属していた少年たちは、事の重大さをまるで理解していなかった。ただ言われるがままに王宮に忍び込み、ただ帰っていっただけという感じなのだ。

「ともかく、オレたちも王宮に帰らねば。乗れ、クレスティナ」

「……え?」

「え、ではない。王宮へ帰るのだ。早く乗れ」

「あ……でも……」

「どうした、歩いて帰るつもりか? それとも、まさかオレの後ろに乗るのが嫌なのか」

「い、いえ、そういうわけでは……」

 今まで男と馬の二人乗りなどしたことのないクレスティナだったので、どう反応していいかわからず、彼女は頭を掻いた。そんなクレスティナの細い腰に、フゼスマーニは筋肉隆々とした太い腕を伸ばすと、軽々と持ち上げたのだった。

「さてはオレに惚れたのだな。まあ、それも仕方のないことだが、オレは駄目だぞ? おぬしの上官だからな」

 次の瞬間、クレスティナの肘鉄が彼の脇腹に突き刺さったのは言うまでもない。

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