王都狂騒曲 --- 10

 丘の斜面を登ってくるイスフェルたちを最初に発見したのは、まだ教師になって日の浅いポルティスという男だった。

「おまえたち……!」

 厳しい表情で彼はやって来ると、少年たちを見回して、声を荒げた。

「勝手に寮を抜け出して、いったい今までどこに行ってたんだ!」

「申し訳ありません」

 血気盛んな若い教師には、ひたすら謝るしかない。下手に言い訳すると、面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだった。

「謝って済むことか! いきなりいなくなったと聞いて、どれだけ驚いたことか……!」

「本当に、御心配をおかけしました」

「とっとにかく会議場へ行くぞ。事情を聞かねばならんからな。これで全員か?」

「はい」

 ポルティスに背を押されて、少年たちは再び歩き出した。道中で彼らを探し回っていた教師に出会う都度、彼らは頭を垂れた。

 会議場は校舎の一階の北側にあり、少年たちは中に入ると、議長席の前の席に詰めて座った。打ち合わせは一応、道中でしておいた。あとは、その場その場でうまく辻褄を合わせていく他ない。

 しばらくして、寮の管理責任者であるタラー教授が、数人の教師とともに扉から姿を現し、少年たちは全員、椅子から立ち上がった。

 タラーは議長席に立つと、唇を舐めながら少年たちの顔を眺め、座るように指示した。

「この組の組長トレントは、確かイスフェルであったな。イスフェル、立ちたまえ」

「はい」

「なぜ、寮を抜け出したりしたのか、理由を話しなさい」

「……はい」

 イスフェルは深呼吸をして喉の調子を整えると、保身のための言い訳をする意を決し、前方の教授の顔を見据えた。

「先日、皆で野に遊びに出かけた時、私は大切にしていた首飾りを森で落としてしまったのです。探したのですが見付からなくて、その時は諦めて帰りました。けれど、どうしても諦めることができなくて、今夜、悪いこととは知っていましたが、寮を抜け出して探しに行くことにしたのです」

「それで?」

「私は皆が寝静まった後、窓から縄を垂らして外に出ました」

「ひとりで行くつもりだったのかね」

「勿論です。自分の我がままで規律を犯すのですから、仲間を巻き添えにすることはできません」

 タラーは眉をひそめた。

「では、なぜ組の者が全員いなくなるようなことになったのだ」

「それは――」

「僕が今夜、イスフェルが抜け出すことを知って、皆に言ったんです。あんな広い森をひとりで探したって見付かるわけないから手伝いに行こう、と」

 突然、イスフェルの左に座っていたセディスが立ち上がり、彼を遮って説明した。

「皆、とりあえずは賛成してくれたので、イスフェルが使った縄で僕たちも外に出たんです」

「『僕たち』というのは、きみを含めて残りの十三人ということかね」

 セディスは頷いたが、タラーは、おもむろに首をひねった。

「それはおかしいのではないか?」

「え? 何が、ですか……?」

 少年たちの間を微かな動揺が走った。その間、タラーは、宗教史の教師ティデュアに、少年たちの捜索中に聞いておいた報告をもう一度するよう合図し、ティデュアはそれに従った。

「最近のおまえたちの授業態度から判断するに、組内の雰囲気がこれまでになく悪かったように思うのだが、どうだろう」

「そ、れは……」

 セディスは言葉を失った。予定では、自分の言で一応納得してもらうはずだったのだ。彼は必死で思案を巡らせた。タラーに友情を見せつけるつもりなのに、組の不仲を肯定して良いものだろうか。だが、イスフェルはあっさりと肯定した。

「ティデュア先生のおっしゃる通りです。過日、喧嘩ほどではありませんが、それなりのことがありました」

 イスフェルの奥歯に物の挟まったような言い方に対して、タラーは単刀直入に尋ねた。

「誰と誰の間で?」

「私と……リデスの間で、です」

 大人たちが、ある程度のことを嗅ぎつけているのなら、多少、こちらに不利であっても、認めなければなるまい。でなければ、要らぬ不審を招くだけである。それに、その方が現実味を帯びるということもある。イスフェルは、台本変更の必要性を認めた。

「それなのに、リデスはすぐに失せ物探しに賛成したというのかね」

 タラーがイスフェルとセディスを交互に見ながら言った時、自分の出番と悟って、後列の端に座っていたリデスが口を開いた。

「オレは別に、首飾りを探すために抜け出したわけじゃありません」

「どういうことだね」

 椅子に傲然と腰を下ろしたまま意見するリデスの非常識かつ反抗的な態度に、タラーは一瞬、目を細めた。それを見たイスフェルがリデスを振り返ると、フゼスマーニの言葉が脳裏に浮かんだのだろう。リデスは軽く溜息をついた後、机上に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。

「セディスがさっき『とりあえずは賛成してくれたので』と言ったのは、オレが特に反対もしなかったけど、探す気もなさそうなのを見て取ったからだと思います」

「どうかね、セディス」

「あ……は、はい、そのとおりです」

 幾通りもの台本があるものの、粗筋が大まかには決まっており、セディスはそれを了解していた。しかし、劇中の台詞は各自で考えることになっているので、急に話を振られたりすると、しどろもどろになってしまう。王宮に忍び込んだなどと、教師たちが知っているどころか想像するはずもないのだが、少年たちの脳裏には常に、背水の陣という言葉があった。

「では、リデス、きみはどういうつもりで規則を破ったのかね」

「イスフェルが言ったとおり、オレは彼と先日、口論をしました。その時、決着がつかなかったので、何時つけてくれようかと思っていたら、イスフェルが寮を抜け出したというので、これは使えると思ったんです」

 途端、シダが小さく舌打ちし、イスフェルは横目で彼を見やった。

「決着がつかなかった? フン、よく言うぜ。イスフェルに言い負かされて黙ってたのは、一体どこの誰だよ」

 演技中でさえイスフェルと同格の位置にいたがるリデスに対して、シダはうんざりしているのだった。

「『使える』とは、どういうことかね」

 尋ねられて、リデスは人の悪い笑みを浮かべて言った。

「抜け出したうえに何か騒ぎを起こしたら、組長は責任を厳しく問われるでしょう?」

「では、きみはわざと何か騒ぎを起こして、イスフェルに罪を重ねさせる気でいたのかね」

「はい」

 自分に対する評価が下げられることを覚悟で、リデスは肯定した。もともと優等生だったわけでも、そうありたいと思っていたわけでもない。それに、なにより今回の騒動を起こしたのは、偏にイスフェルに嫌がらせをするためだったのだ。彼にとって、クレスティナは単なるきっかけに過ぎなかった。

 リデスの台詞が、彼の内心の真実であることを最初に見抜いたのはイスフェルであったが、最初に腹を立てたのはシダであった。

「リデス、おまえ……!」

 演技とも思われぬ勢いで立ち上がり、シダはリデスを睨みつけた。右の拳が大きく振りかざされ、今にも飛びかかって行かんばかりである。

「シダ!」

 イスフェルが慌てて彼を抑えようとした時、列席していた教師の呟きが耳に届いた。

「なんと性根の腐ったこと……」

「でもリデスは騒ぎなど……起こしませんでした!」

 激しく言い放ったイスフェルの瞳は、哀しみの色で染まっていた。それは既に演技などではなかった。彼の脳裏に、もはや演じているという意識はなかった。そう考えるには、現実が多く混ざりすぎたのだ。

 これまでになく取り乱したイスフェルを、タラーは冷たく突き放した。

「それは結果論であろう。それで、イスフェル。きみは当然、この者たちに気付いた時、すぐに帰ろうとしたのだろうな」

「――いえ……」

「なぜ。きみは自分の我が儘に仲間を巻き込みたくなかったのではないのか?」

「……はい」

 イスフェルが苦々しげに返答した時、その窮状を救うべく、シダが口を開いた。

「先生、オレ……私たちがイスフェルを引き留めたんです」

 先刻の激情の名残か、彼は肩で息をしていた。

「イスフェルは、確かにすぐ寮に帰ろうとしました」

「シダ」

 組長としては、これ以上、仲間に罪を着せたくなかった。だから、彼を黙らせようとしたのだが、それは本人によって阻まれてしまった。

「おまえばっかりに、いいカッコさせられるかよっ」

「だが、きっかけを作ったのはオレだ」

「それも結果論だよっ」

 リデスらの脱走に気付いた時、イスフェルは独りで連れ戻しに行くと言い、そんな彼を仲間たちは引き留めた。引き留めて、共に行くと告げたのだ。イスフェルが王宮へ行くと言い出さなければ、少年たちが彼を引き留めていれば、あるいは結果はもっと違ったものになっていたのかもしれない。その思いが、彼らをお互いに弁護させたのである。首飾り探しとはまったくの虚構であるが、そこにある感情はすべて真実だった。

「二人とも、そこで喋ってないで、ちゃんと我々にわかるように説明しなさい。すぐに帰らなかった理由は?」

「……星が綺麗だったんです」

「星?」

 シダの意外な言葉にタラーが怪訝そうな顔をし、イスフェルが説明した。

「私がそう言ったんです。帰ろうとして空を見上げたら、星がとてもよく見えて……」

 それは事実だった。勇敢な近衛兵らと別れて、蛇の森から野原に出た時、それまで無事に学院に帰ることしか考えていなかったイスフェルの心に、幾万幾億もの星が突然、飛び込んできたのである。晴れた冬の夜は空気が冴えて澄み渡り、星が一段と輝いて見えるものだが、それにイスフェルが過敏に反応したのは、彼の心中でそれと同じくらいの輝きを放った仲間の言葉を思い出したからである。

「バンフル先生は御存知だと思いますが、オレ……私の天文学の成績は、あまり芳しくありません」

 ごく控えめな言葉を、シダは用いた。

「本当かね、先生」

 確認をとるため、タラーがバンフルを見やると、天文学教師はあっさりと頷いた。

「だから……復習がしたいと思ったんです。全体的に星を見れる機会なんて、そうありませんから……」

 急にシダの声の調子が低くなった。謙虚なことを言う彼に少しは面目を立たせてくれるかと思いきや、天文学教師は、そんな彼の甘い期待を一瞬で粉砕してしまったのである。だが、どうやら自分だけが恥をかいたと思う必要はなかったようだ。

「シダだけじゃありません。オレもです」

「……わ、私もです」

 シダと同様に、天文学の成績が「あまり芳しくない」少年たちが、次々と彼に続いたのだ。そして、止めはセディスの、この一言であった。

「先生。イスフェルは、仲間の向学心を無視できるような人間ではありません」

 真面目くさった顔をしてイスフェルの弁護をする少年たちを、タラーは顔をしかめたまま眺めていた。彼の友情に対する感傷を利用しようと考え、そう行動してみたものの、今のところ大した効果は見られない。やはり、老教師を手玉に取ろうなどと考えが甘すぎたのだろうか。

「……それで、私たちは野原に寝っ転がって、延々と――先生たちが私たちを捜していると気付くまで、星を観察していたんです」

「以上が、今夜の事情のすべてです」

 イスフェルがそう言った瞬間、教師たちの間から深い嘆息が漏れた。彼らが血眼になって捜している間、生徒は悠長に星空を眺めていたのだ。

「……それで、おまえたちは、寮を抜け出したことを悔いておるのかね」

 真っ先に答えたのは、イスフェルであった。最初に自分が発言することで、言うべき台詞をさりげなく指示し、後の者が言いやすくするための配慮でもあった。

「悔いてはいません。悪いことだとは、最初からわかっていましたから……。でも、もう二度としません。組長としての責任を放り出すことも、二度と、しません」

「他の者はどうだね。そこの――」

 タラーが指さしたのは、終始、俯いていた、リデス側に属する少年であった。いわゆる、クレスティナが危惧していた少年のひとりである。

「あ……え、えっと……」

 案の定、少年は口ごもった。イスフェルの配慮も、どうやら水泡に帰したようである。

(どうしよう。いったい何て言えばいいんだ? 僕はただ、リデスに言われた通りしただけなのに。抜け出したことが、そんなにいけないことなの? とりあえず、謝っておけばいいのかな……)

「わ、わかりません、ごめんなさい……」

 発言に至るまでの長い長い沈黙と、その的外れな答えとが、彼の無責任さを雄弁に物語っていることなど、少年自身、知る由もなかった。

「……どんな理由をつけたところで、軽率だったと思います」

 仲間に脱走を促したことになっているセディスが、前の発言者の対応によって作り出された重々しい雰囲気の中、重々しげに反省を述べた。その後、無言で彼らの主張に耳を傾けていたタラーは、前屈みになっていた姿勢を正すと、今晩、数十回目の溜息を小さくついた。

「では、最後の質問だ。おまえたちは、規則というものをどのように考えておる? 規則とは守るためにあるのか、それとも破るためにあるのか」

「勿論、守るためです」

 半ば叫ぶようにして、イスフェルは答えた。彼の態度が今までになく毅然としていたのは、将来の信頼を得るためでもあったのかもしれない。規則も約束も条約も、本来は守るためにあるのだ。昨今、それを知らぬ愚者が多いのは、誠に忌むべきことであった。

「……わかった。では、おまえたちは部屋に帰って早く寝なさい。処罰については、これから先生方と話し合って、明朝、言い渡すこととしよう」

「はい。本当に、御心配と御迷惑とをおかけしました。失礼します」

 机に額が当たるのではないかというぐらい深く、イスフェルは仲間と共に頭を下げた。

 会議場の扉が再び開かれた。闇が支配する廊下へ向けて、少年たちは沈黙したまま歩を進めていった。

「イスフェル」

 不意に呼び止められて、イスフェルは振り返った。

「はい」

 少年の視線の先には、彼が同情を誘おうとして失敗したタラーの姿があった。

「……なぜ、星が綺麗だと?」

 その時点で会議場の中には二人しかいなくなっていた。

 イスフェルは、しばらく教授の質問の意図を考えていたが、ふと馬鹿らしくなって止めてしまった。この期に及んで、嘘を語る必要が一体どこにあろうか。

「……皆の気持ちが嬉しかったから……それで、いつもより綺麗に見えたんだと思います」

 皆が自分を必要とし、仲間と認めてくれていることが、ただ純粋に嬉しかった。それを、今夜の星空が思い出させてくれたのだ。

「そうか……」

 言って、ふっと彼が遠い目をしたのは、多分、イスフェルの胸中を察しつつ、自分の過去の友情に思いを馳せたからであろう。イスフェルは、静かに会議場を後にした。

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