第七章 玉座を継ぐ者 --- 8

 翌昼、突き抜けるような青い空の下、十二人を乗せた船は白い帆を翻し、王都バーゼリックへと出航した。

 双子たちは、乗船するや甲板の上を縦横無尽に走り回っていたが、興奮のあまりよく寝ていなかったので、いつの間にか船首のやり出しの袂で昼寝を始めた。潮風に長い間さらされては身体に毒だと、眠りが深くなったところで近衛兵たちが二人を船室に運ぶ。

「こうやって目と口を閉ざされてしまうと、どちらがどちらだかわからないな」

 困惑気味なパウルスの声が風に乗って聞こえ、イスフェルは中部甲板の手すりに寄りかかったまま、くすりと笑った。横で海を見ていたセディスが怪訝そうに彼を見る。

「何だ?」

「……いや、陛下はさぞ驚かれるだろうと思ってな。王子が双子だったということに」

 なぜ密使がその事実を把握できなかったのか、イスフェルが道中でレイミアに尋ねると、彼女は男が密使であったことにひとしきり驚き、そのうえでのイスフェル訪問であったことをようやく理解したようだった。そして、その時期、コートミールが村の者とともに、しばらく隣村を訪ねていたことを語った。レイミアは、子どもが双子だということを「言わなかったかしら……」と訝しんでいたが、密使がそんな重大な事実を聞き漏らすはずもない。恐ろしい運命の悪戯で、イスフェル一行は度肝を抜かれることとなった。

「なあ、イスフェル。そのことなんだが……」

 セディスの歯切れの悪い物言いにイスフェルが首を傾げると、友人は深刻な眼差しを彼に向けた。

「双子という悪条件をどう乗り越える?」

「悪条件」

「ルタリスクのフェイヨ王子とラライラ王子、ジージェイルのティラール二世とハルイード王子、ナラッダ公国のシュルギ公子とカナール公子――」

 大陸諸国に存在した双子王子の名を列挙し、セディスは軽く溜息をついた。彼の言いたいことは、イスフェルにもよくわかっていた。兄弟仲の善し悪しにかかわらず、玉座に対する執着心の有る無しにかかわらず、彼らの誰もが醜い権力闘争の中で血泥に沈んでいったからだ。ナラッダの王子たちなどは、長子シュルギの立太子礼の晩餐で、産婆が生まれた順番を言い間違えたことから王座を争うこととなった。王位継承権を巡る争いは、双子の兄弟だけに限ったことではない。しかし、火種は少ない方が国や民にとっては有り難いことであった。

(――もし、事前に双子と判っていたら、父上はどうしただろう……)

 ふと、父ウォーレイの顔が脳裏に浮かび、イスフェルは不安げに眉根を寄せた。青年は最初から王都へは三人を連れて行くと決めていたが、或いは違った方法を父や国王は望んだかもしれない。しかし、敬愛する父は今ここにはおらず、その彼からイスフェルは鷹巣下りの全権を委ねられている。

(父上や陛下は、オレを信じてこの大事を任せて下さったのだ。だからオレもオレの判断を信じるだけだ)

 イスフェルは潮風に弄ばれる麦藁色の髪を押さえると、水平線を真っ直ぐと見つめた。

「……確かに双子ということは、出生の真偽と並んで立太子問題に大きな影を落とすだろう。だが、その双子というのが、今回王都に赴く彼らの強みだとオレは思ってる」

「強み……?」

「無論、今から言うことはオレの勝手な考えで、王子は双子だということが宮廷に公表された上での話だが――」

 前置きを言いながら、イスフェルはしかし、父や国王はその事実を公表するだろうと信じていた。秘密とは必ずどこからか漏れるものであり、王子が二人いることを伏せていれば、それが露呈した時の反動こそが恐ろしい。それに何より、王家にはレイミアに対する罪と責任がある。彼女が味わった辛酸を償うためには、彼女とその子どもたちを何としてでも幸せにしなければならないのだ。

「直系の王位継承者の不在が長引き、王弟派が台頭しようとしている今、それに対峙するオレたちが双子の王子を連れて現れた――。落胤の発覚は、時として宮廷を分裂させるほど巨大な嵐となる。そのうえ王子は双子――火に油を注ぐようなものだ。だが、そうとわかっていながら、それでもオレたちが彼らを連れて来たということに、人々の心は動かされるはずだ。誠実な執政官として知られる父が、災禍の種を蒔いてまで事を押し進めているということは、真実、陛下の御子ではないかと」

 次第に力を付けつつある王弟派であるが、彼らの座る玉座に危惧の念を抱く者も少なくない。王弟トランスはともかく、その息子リグストンの為人ひととなりを思えば、それも当然のことであった。宰相と親交の厚い者たちは勿論、「宰相側に付きたいが将来を考えると……」と様子を窺っている者たち、利益のためだけに王弟派に走っている者たちを取り込めれば、必ずしも状況は不利ではないはずだ。

「それに、たとえ王位継承者を求めている王宮といっても、平民の女とその息子では、あまりにも無力だ。いつどこで不慮の事故と称して抹殺されるかわからない。だが、幸運にも王子は一人ではなく二人だ。汚い話だが、一人殺せば、というのと、二人殺さなければ、というのでは、心理的に大きな差がある。そしてそのことは、暗殺者やその黒幕にある程度の歯止めをかけるはずだ」

「なるほど……」

「無論、あくまで一時的なものだがな。事を焦る愚者が即日暴挙に出る可能性もある」

「お二人同時という最悪の事態を避けるためには、お二人をあまり御一緒に行動させるべきではないが……」

 顎に手を当てて軽く首を振るセディスに、イスフェルは大きく頷いて見せた。

「ああ。そんなことは無論できない」

 そんなことをすれば、コートミールとファンマリオの距離は遠ざかり、幼い心に不安と不満ばかりが募ることだろう。他人が間に入ることで、余計な感情まで芽生える可能性もある。それでは、世の不幸な双子王子たちと同じ運命を辿ることになってしまう。

「お二人を独りにしないこと。そして、周囲のオレたちがしっかり和を保っていること。これがすべてだ」

 思い詰めたように言うイスフェルに、セディスは軽く首を竦めると、彼には珍しくおどけた口調で言った。

「なら、楽勝だな。オレたちはすっかりお二人の虜だし、オレたちの友情はセレス双山の岩壁のように固いものだ」

「フ、そうだな」

「双子を『強み』とはな。まったくおまえにはいつも驚かされるぜ」

 セディスが感心してみせると、イスフェルは突然、咳払いし、姿勢を正した。

「『善と悪、表と裏、光と闇、静と動――物事という物事には、常に二面性が存在する』」

「……ボルグ師か」

 学院時代の老師の名を上げて、セディスは皮肉げに笑った。教えを請うている時は、「何を当たり前のことを」と内心、馬鹿にしたものだが、実際、その両方に目を向ける者は多くない。――この時の、彼のように。

「なにやら王都に帰るのが楽しみになってきた」

 首から下げた貝殻の首飾りを手に取る友人に、イスフェルは呆れたように笑みを浮かべた。



 翌日、太陽が中天に差しかかった頃、一行は王都バーゼリックの街並みを海上から認めた。その中心にかまえる白亜の宮殿は、これから起こるであろう嵐の兆しなど微塵も感じさせないほど、ひときわ強い光彩を放っている。

「願わくは……」

 港の入口で、航海の安全を祈っている水の聖官せいがんフォーディンの巨大な石像に向かって、イスフェルは微かに唇を動かした。

「願わくは、ここにいる誰も、生命を落とすことのありませんように……」

 しかし、彼の小さな望みは、時代の大きな波に呑まれ、儚くも散っていくものであった。


【 第七章 了 】

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