第八章 陰謀の王都 --- 1

 王都の六つある大城門のうち、北西にあるものをクレイオス凱旋門という。その昔、サイファエール王国の始祖クレイオス一世が即位前、最後の戦いに勝利したのを記念したものである。それにはこんな逸話があった。

 長引いた戦いをやっとの思いで終わらせたクレイオスは、城内の人々に一刻も早く勝利を告げたかった。しかし、進路に城門はなく、北の城門あるいは南西のレタの門まで迂回するしか城内に入る手だてはない。だが、兵士たちはひどく疲弊しており、彼らに回り道をさせるほどの余裕はなかった。居ても立ってもいられなくなったクレイオスは、自ら北西の城壁に大穴を穿つと、そこを通り、兵士たちに帰りを待ち詫びていた家族たちと再会させた……。

 それから数百年という時が流れたが、多少、修復が施されただけで、その無骨な門構えは当時のままである。将兵たちの間では、戦いに勝利してクレイオス凱旋門をくぐることが夢となっていた。

「閣下、凱旋門が見えました!」

 近衛兵の嬉々とした声に、上将軍は馬上で首を竦めた。

「やーれ。やはり間に合わぬか」

 クレスティナは凱旋式の前に必ず巫女を連れて戻ると宣言したが、セフィアーナの状態が悪ければ無理はできないはずだ。彼女に「二十日間の謹慎」と言い置いた時点で、ゼオラは覚悟していた。――まさか本隊が経った二日後に、セフィアーナが城塞を出奔していたとは思いも寄らない。

 ゼオラは最年少侍従のフェルメル少年を呼び寄せると、彼に向かって借りておいた《太陽神の巫女》の白い布鎧と同色の外套を差し出した。

「すまんが、頼む」

 少年が事情を察して頷いた時、再び近衛兵が声を上げた。

「閣下、あれを……!」

 すると、行く手の街道を波のように呑み込もうとする斜面の上で、ひとりの少女が大きく手を振っているのが見えた。その傍らには女騎士と、そして三名の近衛兵が控えている。フェルメル少年がほっとした表情を浮かべるのを横目に見て、ゼオラはもう一度首を竦めた。



 凱旋式が執り行われる大神殿前のハウルフォース広場に集まった群衆を眼下に見晴るかし、宰相ウォーレイは大列柱の袂で口元に笑みを浮かべた。王都バーゼリックの人口は約八十万人。書記官の報告では、その一割近くがこの日この広場に押しかけているという。サイファエール勝利の報が王都にもたらされてから既に十日以上が過ぎ、父親や息子、夫や恋人を軍に預けている人々は、首を長くしてその帰還を待っていたに違いない。凱旋門広場や大神殿までの凱旋行進の道中には、さらに多くの市民たちが歓迎に出ていることだろう。

(陛下は、またこの国を守られた……)

 イージェントが玉座に就いてより大きな外敵の侵入は六度。そしてこの場で凱旋式をするのも六度目だった。

「閣下、こちらにおいででしたか」

 聞き慣れた声に振り返ると、彼の下で書記官長を務めているエルロンがにこやかな表情で立っていた。年齢はウォーレイより二つ上の五十歳だが、同じ学舎で机を並べていたこともあり、彼にとって最も信頼のおける部下であり友人であった。

「そろそろ陛下がお出ましになられます」

「そうか」

「先程、早馬より、ゼオラ殿下がクレイオス凱旋門をくぐられたと報告が。なにやら面白いことになっているようですよ」

「面白いこと?」

 ウォーレイが首を傾げた時、複数の衣擦れの音がし、神殿正面に設けられた貴賓席に王家の面々が次々と姿を見せ始めた。玉座に向かって右側に王弟トランス、ゼオラの父にして国王の叔父ラースデンが立ち、反対側にはトランス妃ルアンダ、ラースデン妃サラーナが身を立たせる。

 国王の輪郭をいまひとつ太くしたようなトランスは、騎士としての風格と文人としての資質を備え、その瞳には次代を狙う野心の炎が揺らめいている。が、今回の戦において、前線には従弟と息子、王都には兄王、と出番のなかったため、幾分控えめな振る舞いである。しかし、その一方で、妻のルアンダは、凱旋する息子リグストンの勇姿を思ってか、カルマイヤ人の特徴である切れ長の瞳を細め、口元には常に笑みを浮かべていた。周囲をゆったりと見回す様は、どこか優越感に浸っているようにも見える。

 ラースデン夫妻は老齢であり、ふた昔も前に第一戦から退いていることもあって、隣の夫婦にはない穏やかな雰囲気を醸し出していた。

 観衆が注目する中、最後に国王が王妃メルジアとともに姿を現した。途端、勝利の軍を派遣した国王に、民衆が歓声を上げる。国王はそれを片手で制すと、クレイオス凱旋門の方角を指し示した。

「まもなく向こうから、サイファエールの英雄と我らの愛しき家族が帰って来る! 両者は同じものにして、永遠なるものだ!」

 国王の喜びの声に、ハウルフォース広場が蒼く染まる。民衆が手に持っていた蒼い布を一斉に振ったからである。鷹の飛ぶ空をつくる――それは、民たちが国王を愛している証でもあった。その歓声が収まらないうちに、道の彼方に銀色の波が起こり、大神殿の階段横に並んでいた軍楽隊が広場に喇叭の音を響かせた。人々が一斉に後方を振り向くと、銀の波はいっそう長く煌めき渡り、彼らの表情をほころばせた。

「――帰ってきた……我らの勇者たちが帰ってきたぞ!!」

 誰かが叫んだ時、ふいに低くも伸びやかに和する歌声が聞こえてきた。


  ……剣はすぐに折れ飛んだ

  ならばと斧を振りかざすも

  こぼれた刃は遠き家族の涙のごとく


 いつもと違う様子に、広場の人々が目を瞬かせていると、次第にはっきりと見え始めた軍列の先頭で、ひとりの少女が馬に横乗りになり、竪琴を弾いていた。その旋律に合わせて、後ろに連なる戦士たちが陽気な表情で歌を歌っている。


  なれど勇者はあきらめず

  自ら岩を撃ち始めん

  爪を剥ぎ 指を折り

  懐かしき空に向かって開けた穴に

  神の祝福が降り注ぐ――


「これは、『英雄賛歌』……。《太陽神の巫女》はどうやら無事のようですね」

 王妃メルジアはほっとした表情を浮かべると、隣の夫を見た。少女が無事であるために、彼女の懐剣がどれほど役に立ったかを知るのは、また後日の話である。妻の言葉に頷くと、イージェントはおかしそうに笑った。

「歌に始まり、歌で終わるか。ゼオラらしい」

 すると、ゼオラの母サラーナが申し訳なさそうにお辞儀し、国王は慌てて首を振った。



「……表が静かになった。戦勝報告の儀が始まったか」

 大神殿の二階の一室から中庭を見下ろしていたユーセットは、天鵞絨の張られた長椅子に座っているイスフェルを振り返った。その両脇には、どこか心許ない様子の双子が寄り添っている。

「セフィたちは無事に本隊と合流したらしいな」

 つい先程まで、彼らのいる部屋にも『英雄賛歌』が聞こえてきていた。これまで、凱旋部隊が自ら歌を歌って行進したことなどない。それをさせることのできる人物を、イスフェルはひとりしか知らなかった。

 その時、軽く扉を叩く音がして、ひとりの神官が入ってきた。すらっとした身体を祭事用の淡青色の神官服で包み、その手には人数分の杯が乗った盆を持っていた。

「イオ・カスキー?」

 イスフェルが怪訝そうに彼を見ると、イオ・カスキーと呼ばれた神官は、にこやかに微笑んだ。幾分線が細く、色が白いうえに優しげな面立ちをしているため、一見しただけでは男か女か判らない。

「喉が渇いたでしょう。お茶をお持ちしました」

 卓子の上に杯を並べる神官に、イスフェルは申し訳なさそうに首を竦めた。

「無理を聞いてもらったうえに気遣いまでさせてしまって……」

 すると、イオ・カスキーは驚いたように灰色の瞳を見張り、それから小さく吹き出した。

「このくらいのこと、なんでもありませんよ。確かに私は貴方に対して大きな借りがありますから、多少でもその返済となれば嬉しいですが」

 イスフェルは目を瞬かせると、その『借り』なるものに思い至って苦笑した。

「多少どころではありませんよ。帳消しどころかお釣りがきます」

「そうなんですか?」

「はい」

 いきなり大神殿の裏門に押しかけ、ただ神殿内に部屋を用意して欲しいとだけ告げる旧知を、イオ・カスキーは何も詮索することなく受け入れてくれた。それがどれほど有り難いことであったか。

 イスフェルはこの日のうちにレイミア母子と国王を対面させようと思っていた。だからこそ、港で凱旋式の日取りを聞くや、すぐに足先を大神殿へと向けたのである。

 事を急ぐのは、国王の自由になる時間が非常に限られているからである。王宮において国王は多忙を極め、諸外国の使者たちでさえ、余程のことがない限り、数日待たされるほどであった。だが、このようなめでたい日は、祭事が終わってから夜の祝宴まで、特に予定を入れないはずであったから、人々が浮き足立っている今、親子の対面を果たさせるには都合がいい。ひとつには、人目に付きすぎる王宮での対面を嫌ったのだった。国王が直接出向くとなると、事はいっそう難くなる。

「ふう……」

 ふいにコートミールが溜息を付き、イスフェルは心配そうに少年の顔を覗き込んだ。

「大丈夫ですか? ミール様」

「うん、ちょっとドキドキするだけ」

 港からの道中で、これから父に会いに行くのだと聞かされてから、コートミールは半ば上の空であった。母レイミアの話で、父は少年の心に英雄として存在していた。これまで、いくら呼びかけても振り返ってくれなかったその顔を、彼はもう少しで目にすることができるのだ。

(父さん……。いったいどんな人なんだろう……?)

 その思いは弟も同じだったようである。じっとしておくのが苦しくなったのか、ファンマリオは長椅子から降りると、窓辺に向かった。しばらく外の様子を眺めていたが、ふいに窓硝子に息を吐き、曇った場所を指でなぞって絵を描き始めた。それは少年がテフラ村の家でもよくしていた遊びであったが、一方、描かれる方の窓は、磨きに磨かれた王都の大神殿のものである。レイミアが慌てて諫めようとするのを制すと、イスフェルはそれが何であるかを少年に尋ねた。すると、少年ははにかんだように笑った。

「父さんだよ。それから母さんに……ミール、……そしてボク」

 次々と人物が描き足され、少しいびつな絵が窓いっぱいに広がった。その向こうに、よく晴れ渡った空が見える。

「そんなところにもったいない。小さな絵師どの、これをお使いください」

 イオ・カスキーが机の上にあった紙と筆を差し出すと、ファンマリオは不思議そうに神官を見返した。イスフェルが使い方を教えてやると、ファンマリオは目を輝かせて白紙に向かった。再び家族を描いた後、思い出のテフラ村の家や村人たち、ラディスから乗った船、王都の運河に架かる跳ね橋などをどんどんと描いていく。

「マリオ様に絵心がおありとは……」

 感心したように呟くセディスに、レイミアは困ったように笑った。

「でも、この絵心のせいでひどい目に遭いました」

「ひどい目?」

「マリオってば、山葡萄の汁で、テフラ村のみんなの家の壁に落書きしたんだ。爺さんたちはカンカンさ」

 落書きを消すのを手伝わされたことを根に持っているのか、コートミールの口調には未だに棘がある。ファンマリオが何かを言いかけたが、母と兄の冷たい視線を一身に浴び、思わず縮こまった。

 その様子を微笑ましく眺めていたイスフェルは、ふと思い立ってファンマリオが再び描いた家族の絵をそっと抜き取った。その端に小さく何かを書き込んで折りたたむと、イオ・カスキーを部屋の隅へと誘い出す。

「……悪いが、もう一度頼まれてくれるかな」

「なんなりと」

 笑顔で応じる神官に礼を述べると、イスフェルは先程の紙片を差し出した。

「これを……宰相閣下に届けて欲しいんだ」

「――お父上に?」

 青年がゆっくりと頷くと、その真剣な眼差しにイオ・カスキーはまたしても何も尋ねることなく、静かに部屋を出て行った。

「……前から思ってたんだが、おまえ、あいつに何をしてやったんだ?」

 訝しげなユーセットを軽く笑みでかわすと、イスフェルは長椅子に戻ろうとしてレイミアと目が合った。その瞳が、「あの方がいらっしゃるのですか」と問うている。イスフェルが深く頷くと、彼女は小さく息を吐き出した。

「どちらも驚くでしょうね……」

 すなわち、子が双子であったことに。父が国王であったことに。そういえば、と青年は首を傾げた。レイミアはまだ息子たちに父の身分を告げていないのだ。

「お二人にはいつ……?」

 すると、レイミアは首を振った。

「私からは、敢えては何も。ただでさえ色々と変わっていますから、いっぺんに言ってもわからないでしょうし……――とは言っても、あの子たちは勘の鋭い子ですから、すぐに知ることになるでしょうけど……」

 もともと宮廷で生まれ育った王子でも、実際に自分が息子だと理解するのは、もっと成長してからである。それまで、親子の関係は、貴族のそれとあまり大差ない。

「その方がいいでしょうね、きっと……」

 イスフェルが頷いてレイミアの前の椅子に腰掛けると、彼女は急に心配そうな表情を浮かべた。

「イスフェル様。私たちを、その……よく思わない方々は、たくさんいらっしゃるのですか……?」

 唐突ではあったが、レイミアらしい素直な問いと言えた。イスフェルは宮廷の勢力図を脳裏に描きながら、ゆっくりと口を開いた。

「――三割……くらいです。しかし、残りの七割が皆、我々の味方というわけではありません」

 しかもその三割はただの三割ではない。今のままでは、来年再来年には確実に四割五割と増大する可能性のある三割なのだ。

「そうですか……」

 複雑な面持ちのレイミアに、イスフェルはふいに明るい笑顔を向けた。

「けれど、貴女方がいらっしゃったことで、七割は本来の七割になるはずです。うまくいけば、八割にも九割にも」

「……そんなにうまくいきますか?」

「うまくいかせるのが私たちの仕事です。貴女やお二人にお出で願った以上は」

 勢い込む年若い後見人に思わず破顔したレイミアだったが、ふと畏まって彼を見つめ直した。

「私はもう、運を天にお任せしております。あなたは私たちを巻き込んだと思っていらっしゃるようですが、私たちがあなた方を巻き込んだとも言えるのです。この上は、あなたやご友人の方々がつらい思いをしなければと思います。どうかお命を大切になさって」

「レイミア様……」

 そのような考え方があったとは、イスフェルには思いも寄らなかった。無論、「巻き込まれた」とは思わないが、頭に風穴を開けられた気分だった。そして、レイミアのこの上ない気遣いに、麦藁色の頭を深く垂れるのだった。



 祭事を無事に終え、ウォーレイが国王に続いて祭儀場から神殿の回廊に出た時、柱の陰から突然、若い神官に呼び止められた。

「サリード様、お手紙にございます」

 差し出された紙片は白く小さな物で、四つ折りにされてあった。ウォーレイがそれを開くと、子どもが描いたと思われる絵が目に飛び込んできた。家族を思って描いたのだろうか、外側に両親、その間に子どもがふたり、仲良く手をつないでいる。と、その端に見慣れた字跡が並んでいた。

『本日の予定。――貴方の息子より』

 ウォーレイは瞬時に目を見開いた。宰相補佐官が、頼もしい息子がこの都に戻ってきている!

(――ということは……)

 この仲良く手をつないでいる家族は、先を行く国王の新しい家族なのだ。そして、この絵を描いたのはきっと、両親の間で楽しそうに笑っている子どもたちのどちらかなのだ。

(二人、か……)

 思わず苦笑しながら懐中に絵をしまうと、ウォーレイは行きかけていた神官を呼び止めた。

「そなたの名前は?」

「イオ・カスキーと申します」

「それではイオ・カスキー。申し訳ないが、私の頼みも聞いてくれるかな」

 一度に二個以上の卵を産むという鷹の生態を、彼は実際の経験から知っていたのだった。



 二度ほど乾いた音がし、室内の視線が入り口の樫の扉に集中した。イスフェルたち一行がイオ・カスキーに案内された部屋に入ってから、既に二ディルクが経っていた。

「……はい」

 イスフェルが椅子から立ち上がって扉のところまで歩いていくと、その向こうで「イオ・カスキーです」と声がした。少しほっとして青年が扉を開くと、そこに立っていたのはサイファエール国王イージェントその人だった。

 驚いて声を上げようとするイスフェルを、後ろに控えていた宰相が制す。二人とも、周囲の目をごまかすために濃紺の神官服という出で立ちであった。突然、現れた主君に、ユーセットとセディスが音を立てて立ち上がる。その間に国王は歩を進めると、呆然と窓辺に立ちつくしている女性の前に立った。そして、おもむろに頭を覆っていた聖布を取り去る。

「……久しいな、レイミア」

 真っ直ぐと自分を見つめる天色の瞳を、レイミアは正面から受け止めた。

 九年前、眼前の男と別れてから、彼女の身には様々なことが起こった。ある日突然、両親と引き離されたこと。見知らぬ土地での生活を余儀なくされたこと。妊娠がわかり、恐怖に怯えたこと。出産し、二人を養っていけるか孤独に悩んだこと――。そのすべての苦労が今、彼女の心から潮が引くように消えていく。今までのことは、時間神のちょっとした悪戯だったのだ。その証拠に、自分を見つめる男の瞳は、彼を想う自分の心は、別れたあの日となんら変わっていないではないか。

「お久しぶりです……イージェント様」

 レイミアは少しはにかんだように微笑むと、いつのまにか両側に寄り添ってきていた子どもたちの頭を撫でた。

「……さあ、二人とも、御挨拶して。あなたたちの父さん――いえ、お父様よ」

「えっ!?」

 これ以上ないくらい見開かれた四つの瞳が自分と同じ色であったことに、イージェントは胸を詰まらせた。自分が不甲斐なかったために、しなくてもいい苦労を愛すべき彼らにさせてしまったのだ。彼はゆっくりと膝を折ると、少年たちの手を取った。

「こんな小さな手で……。二人とも、よく今日まで母上を守ってくれたな」

 途端、弾かれたように泣き出したのは、泣き役のファンマリオではなく、気の強いコートミールの方だった。双子の兄として、いつも身体を張って母を守ろうとし、弟をかばってきた。どんなときも泣き言は言わないと自分に誓いを立て、今日までそれを守り通してきた。その緊張の糸が、守ってくれる存在を前に、ぷっつりと切れてしまったのだ。

 父の首筋に抱きついて泣きじゃくる兄を見て、ファンマリオは唇をきつく引き結んだ。少年は、自分が兄に甘えすぎていたことを思い知った。コートミールは自分より少し早く生まれただけなのだ。本当は、彼だって誰かに頼りたかったはずなのに。

(ごめん、ミール……)

 そう心の中で呟くと、ファンマリオは顔を上げ、真っ直ぐと父を見つめた。

「ボ、ボクはマリオ――ファンマリオだよ。こっちはコートミール。ずっと……ずっとずっとずっと、父さんに会いたかった……!」

 渾身の想いは、果たして受け入れられた。

「ああ。余も、おまえたちがいると聞いてから、ずっと会いたかった」

 自分に向かって広げられた腕に、ファンマリオは顔をくしゃくしゃにしながら抱きついた。双子たちの嗚咽が部屋にこだまする。ウォーレイは隣に立つ息子の肩に手を乗せると、そっと扉に向かった。イスフェルが後に続くと、ユーセットたちもそれに倣う。親子の対面に他人は無用であった。

「……苦労をかけたな。余が至らぬばかりに、つらい思いをさせた」

 イージェントがレイミアを見上げると、彼女は静かに首を振った。

「いいえ……この子たちがいてくれましたから」

 そこでようやくコートミールは身を起こした。涙に濡れた頬を拭いながら不思議そうに尋ねる。

「……父さんは、戦士で神官なの?」

 この部屋に入るまでに同じ服の人間を何人か見た。イスフェルに尋ねると、「神官の中でもたくさん努力した人が着られる服なのです」と言っていた。

「いや、これは違うのだ」

 息子の問いに苦笑すると、イージェントは纏っていた神官服を脱いだ。その下から、凱旋式の豪奢な衣装が現れる。母子は一斉に息を呑んだ。レイミアは、改めて愛し愛された男が国王であったことを思い知った。

「わあ、これなあに!? とってもキレイだ!」

 ファンマリオが父の胸に施された刺繍を見て歓声を上げた。純白の絹に、金糸で王家の紋章である鷹が翼の細かいところまで美しく縫い取られてある。

「……陽の光に輝く鷹だ。――鷹を知っているか?」

「もちろん! 頭が良くて、狩りがとっても上手なんだよ」

 コートミールの言葉に頷くと、イージェントは再び二人の頭を撫でた。

「おまえたちは、この鷹になるのだ」

「鷹に……?」

「でもボク、羽根がないよ?」

 ファンマリオは肩越しに背中を覗き、少し悲しそうな顔をした。

「今はな。だが、いつの日にか必ず生えてくる。必ずな」

 コートミールは父の力強い言葉に胸をふくらませると、ファンマリオを見た。

「すごいな、マリオ。オレたち、空を飛べるんだぜ」

 ファンマリオも興奮した様子で大きく頷きを返す。

「うん! そうしたら、どっちが高く飛べるか競争だよ!」

「なんだよ、それ。オレの方が高く飛べるに決まってるだろ! 木登りだってオレの方が得意だ!」

「そんなことないよ。ボクは風を読むのがうまいもん。頭を使って高見に昇るよ」

「こーいつ!」

 突然、始まった追いかけっこに、イージェントは一瞬、呆気に取られたが、すぐに口元をほころばせた。

(余も、子どもの頃はよくトランスとこうして遊んだな……)

 国王兄弟は、大きな喧嘩をしたことは一度もない。兄は身体が弱かったため、なにかと弟に譲ってやることが多かったし、弟も兄を気遣い、無理な遊びをしようとはしなかった。喧嘩をしていたのは、むしろ周囲の貴族たちだった。――そのはずだった。

(一体いつの間に、余たちの心は離れてしまったのだろう……。余たちの兄弟喧嘩に、この子たちを巻き込んではならぬ。決して、巻き込まぬ)

 イージェントは、無意識のうちに隣のレイミアの肩を掴んでいた。レイミアはその手に込められた力を頼もしくも、そして不安にも思うのだった。

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