眼鏡先輩へ愛をこめて

あきよし全一

第一話 ヤバい相手に目を付けられた。

 それは5月下旬の放課後のことだった。私は美術部の活動を終え、人の気配がしない校舎から立ち去ろうとしていた。

「たのもー!」

 突然、バンと音を立てて扉が開いた。反射的にそちらを見る。

 声の主は前髪をきれいに切りそろえた、髪の長い女子だった。いわゆる姫カットといいう髪型である。肌は白く、病的と健康的の境目にある。控えめに言って美人だった。

「そこの貴女! もしや真駒美冬という名前でなくて?」

「はい? え、あの、はい?」

「やっぱりね。さあ、私とお姉さまをかけて勝負しなさい!」

 女はそう叫んで、長い髪をフワァ……とかき上げた。

 ――なんで私の名前を叫ぶの? しかもフルネームで!

 怖さと恥ずかしさが背筋を駆け上がる。女は私を見つめてくる。真っすぐに、透き通った目で。

 ヤバイヤバイヤバイ。こいつはガチのヤバキチ案件だ。

 昨日から学校は中間試験の準備期間に入り、部活は中止となっている。でも私は筆が乗ったというか、なんだか絵を良い具合に仕上げられそうな気がしたため、美術室でこっそり居残りしていたのだ。

 つまり、近くには私と、この女しかいない。不幸中の幸いで、美術室は一階にある。

 ――窓から飛び出せば、逃げられるだろうか。ごくり、とツバを飲む音が大きく響いた。

「あの、人違いじゃありませんか? 私にお姉さまなんて人いませんし、知りません」

 おそるおそる言葉を返す。すると女は「あれ?」と不思議そうな表情になった。

「あの、真駒美冬さんですよね?」

「そうです」

「美術部の二年生でいらっしゃる?」

「はい、そうです」

「あ、申し遅れました。私、蔵澄綾乃と申します。先日、入学してきた一年生です」

 なんだ、下級生かよ。敬語使って損した。

 それきり彼女――綾乃は黙り込んでしまう。そこで私は率直な感想をぶつけた。

「ねえ、なんで悪役令嬢っぽい登場したの? 普通に話せるなら、話せばいいじゃん」

「いや、だって憧れてたから……こういう少女漫画みたいな人間関係、作ってみたいと思いません?」

 私は答えの代わりに、綾乃の頭にゲンコツを落とすと、帰り支度の続きを始めた。

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