皆でおでかけ(騎士とうさぎ)

 助けを呼ぼうと口を開いた所で腕をぐるりと首に回され、側頭部に銃口が突き付けられた。


「余り叫ばないで、神代木霊。否、LIARって言った方が正しい?」


 言われた途端、ハッと目を見開いた。


「渋沢大輝……!」

「あの時以来だね。動いたら脳天ぶち抜くよ」


 変な汗が額をするりと通り抜けた。


 * * *


 迂闊に声も出せない状況下で、自分が連れ込まれた場所を考える。

 かなり狭い。すぐ外は子ども達がはしゃぎ回る光の空間、即ち公園。自分が元居た場所からはそんなに離れていないようだ――そりゃそうか。

 すぐ傍で大輝の仲間と思しき若者が忙しく働いている。その手元からは甘い香りがこれでもかと溢れ出していた。

 瞬間閃く。あのワゴンの中か! ――まあそうだよな。それしか無いもんな。

「本当にあの時以来だね、LIAR。本当、あの時はお世話になりました」

 嫌味ったらしく繰り返しつつ、首元に回した腕にどんどん力を込めていく。

「ガッ……!」

「君さえ来なければあの少女も本当の人生を歩めていたはずなのに」

 口がパクパク言い始めた。顔に血液が溜まっていくのが嫌でも分かる。

「本当、あの時君さえ来なければねぇ」

「ググ」

 殺される!

 相手の腕に爪を立てて抵抗を始めた瞬間、突然彼の体は解放された。

「ゲホッ!! ガホガホ!!」

 弱弱しく咳を飛ばす木霊に大輝は一笑。

「わははっ! びっくりした?」

 マジでふざけんな。

 憎々し気に相手を睨みつけると更に笑った。

「うひひ……人工知能でもない癖に、全く被害者妄想が強いんだから。うひーひひひ、殺すわけないじゃんね」

「誰のせいだと思ってんのよ!」

 マジ、マジでさ、マジでこいつサイコパスとかそういう類の人間なんじゃねぇの。

 本気で考えた。

「それで? ご注文は」

「今聞く?」

「だってクレープ屋だもん」

「……」

 そうだけど。

「おすすめはチョコバナナ。だよね?」

 彼が聞いたのに応じて、部下がこくんと頷く。

 その後、「さ、どする?」とでも言いたげな顔でこちらを見てきた。

 ……。

「……生クリーム一つ、チョコバナナ二つ、キャラメルカスタードが一つ」

「はいよー。――という訳だからそのように」

「承知です」

 ジャーと良い音を立てながら生地が焼かれ始めた。

 それを待ちながら気まずい沈黙が流れる。

「お茶でも飲む? 意外とかかるけど」

「……いらない」

「あ、あとね。全てのクレープに生クリーム入れてるから」

「知ってるし、改めて言わなくっても結構」

「そう?」

「取り敢えず一旦外に帰して。ここ暑いし、あんたと居ると胸糞が悪くなるのよ」

 うんざりして立ち上がろうとするとすぐ傍を銃弾が跳ねた。

「……!?」

「動いたら脳天ぶち抜くって言ったよね」

 意地悪い眼光が細い目の奥からちろりと覗く。ベレッタ・モデル92の硝煙が生々しい。

 腰が抜けた。肝が冷えた。

「……私をどうするつもり」

「どうって? どういうこと?」

「拉致って良いことでもあるの?」

「あははは、そんなのするわけないでしょ。RaymondともSchellingとも余り喧嘩したくないんだよ。君を拉致ったところでお荷物になるだけだ……」

「お荷物は余計でしょ」

「でも事実じゃないか」

「そ、そうだけど……でも、ならどうして」

 言いかけて瞬間ハッとなった。


「あの子?」

「お、勘が良いねぇ」


 薄い唇をペロリと湿らす。

「どう。渡す気はない?」

「言わずもがな」

「良いのっ!?」

「馬鹿」

「やっぱ駄目かぁ……」

 言いながら天井を仰いだ。

 また少しの沈黙が空気を泳ぐ。

「ねえ、何でー?」

「何でって、聞く?」

「だって――」


「君、絶対こちら側でしょ」


 思わず目を見開かずにはいられない。

「……は? 何言ってんの」

「君、あの子のことうざがってたじゃん。それなのに何であの子達の側に着く必要があるの?」

「それは――わ、私があの子の騎士だから」

「騎士? そんなのアイツらから貰った肩書に過ぎないんでしょ?」

「っ、そんなことない」

「そう言って。そうやっていつだって自分の立ち位置は他人に委ねて」

「んなッ」


「馬鹿みたい」


 突然胸倉が掴まれて彼の顔が至近距離に近付いた。

 焦げ茶の瞳がじっと覗き込み、その視線に耐えられない。

「人の家に生まれるも、幼くして人攫いに連れ去られた少年。市場に向かう途中、君ら子ども達を乗せた車が幸か不幸か事故に遭い、辛くも脱出。暫くはその時に知り合った仲間と路地裏生活。窃盗やら万引きやら、時には詐欺をも使って日を暮らしたね」

「何で、そんなこと……もうやめてよ!」

 逃げようと藻掻く体を無理矢理抱きすくめ、更に続けた。

「しかしその時に出会った人工知能の一団を誤って襲ってしまい、君はSchellingと初めて出会うことになる。――その後の改造手術はどうだった?」

「ぐ……!」

「可哀想に、母親譲りの焦げ茶の瞳はもう帰ってこないんだよ。――君の親友のカイさえも」

「や――!」

 力の限りを尽くして抵抗した瞬間、押し倒された。胸元に手が滑ってきて、何というか、心がガツンと殴られたような衝撃が走る。

「君、意外と胸が大きいんだね。これ変身なんでしょ? そういう趣味なの?」

「やめて」

「それとも色仕掛け?」

「そんなんじゃ!」

「あ、そうだ。ねえ、取引をしようよ。君はあの子を連れてこちらに寝返るんだ。じゃないと君を手籠めにするよ」

「やめてったら!! 誰か助けて!」

「騒いだって無駄だよ、最初からこうするつもりだったんだ。それなりの対策はしてきたさ……今何時代だと思ってるの」

「やめてったら」

「なら人工知能との仲良しごっこはやめてこっちに来るんだ。その方があの子の為にも、君の為にもなる。……この状況から早く抜け出したいでしょ」

「うう」

 年端もいかない子の腰を撫でて脅迫を繰り返す反社会組織のリーダー。その瞬間固く閉じていたワゴンの扉が開き、大輝の頬すれすれにナイフが掠めた。

 木霊をじっと見つめていた焦げ茶が上から見下ろすエメラルドの方を向いた。


「……Raymond、久しいね」

「私の家族です。放しなさい」


 怒りの表情で睨む人工知能を面白そうに一瞥する。

「へえ、殺さないんだ。――今、色仕掛けしてるんだよ? 僕」

「それを色仕掛けとは言わない」

「とはいえこういうの見たらすぐに心臓ぶち抜いていた癖に。この子が大事じゃないの? ん?」

「博士から殺す前には一呼吸置くように言われています。守っただけ」

「そう。甘いんだね」

「甘い?」

「それ、優しさと勘違いされちゃ困るから。放っておけばんだよ? 犯罪者は。しかも遠慮なく」

 太ももをこれ見よがしに撫でながら挑発的に言う。――子どもを使ってやることかよ! 喧嘩はよそでやれ!

「……言っていることがよく分かりません」

「出た。常套手段、分かりません」

「私は守っただけです。感情等の類は勉強している最中なのです」

 木霊を胸の前に抱きすくめたまま会話だけが続く。

「人工知能如きが感情をそんな偉そうに語るのかね」

「子どもの心を現在進行形で踏みにじってるような奴にだけは言われたくないです、その言葉」

「ふうん……。で? 勉強中の人工知能はこれから何する気なの?」

「クレープと一緒にその子を取りに来ました。返してください」

「やだ」

「私の家族です」

「それでもやだ」

「私は家族とクレープを食べると決めました。返してください」

「絶対にやだ」

 沈黙が暫く流れる。

「……そしたら貴方を殺します」

「ほお?」

「殺してでも奪い返します」


「この子の一生モノのトラウマになるよ?」

「だからと言ってその子の所有権を貴方に握らせるわけにはいきません」


 そこで初めて彼の懐から「ナガン改」が取り出された。

 ずっと笑っているような糸目は変わらずそちらを見つめ続けている。

「ふふ、面白い。――良いよ。殺しなよ。クレープが鉄の味になるけど、それでも良いのなら」

「……」

「下手したら作り手もいなくなるねぇ」

「今日の貴方を人々に言いふらしますよ」

「ふふ。それは困るなぁ」

「自分に自信が無いのは結構ですけれど、それに子どもを巻き込まないでください」

「……」

 沈黙が続いた。隣で何事もなかったかのように部下が「出来ました」とだけ小さく言う。

 また沈黙が流れた。何やら考えているらしかった。

 そして。

「……分かったよ。今日はここで許してあげる」

 大輝の腕から解き放たれた瞬間、木霊がRaymondの腕の中に飛び込む。

「よく我慢しました。世界で一番偉いです」

「……」

 泣きそうなのを必死に堪えた。


 クレープ四つをRaymondが左手だけで器用に受け取り、木霊の肩を右手で抱きながら帰った。その背中を大輝がにこやかに見送る。


 先程までとは別人のようだった。あれが表の顔なのだろう。


「どうやって分かったの」

「何が?」

「私の……その……」

「HONERが悲鳴を聞き取ったんです。凄く心配してますよ」

「……」

「それに家族を助けるのは私の役目ですから、当然です」

「……」

 ジャケットをそっと握ると右手が応えるように肩を叩いた。

衝撃ショックは簡単には癒えない。頼りなさい。家族命令です」

「……」

 握ったジャケットでそっと目じりを拭った。


 帰るとHONERがいの一番に飛び込んできた。

 Schellingもきつく抱き締めてくれた。

 道の真ん中でおいおい泣く青年と少女に抱きしめられるというのはどこか恥ずかしかったが、何だかどうでも良いような気がした。

 クレープは美味しかった。


 * * *


「ええ!? おーちゃんが居ない!?」

 先程の事件から少し経ったその時。突然の絶叫に、クレープの尻の部分を放り込もうとしてむせる。

 慌てて二人の方を向くとRaymondが困ったように頷いていた。

 マジかよ。

 しかし意外と直ぐに見つかった。すぐそこの小さな店のガラス窓に張り付いていただけだった。

「HONER!」

「あ、お兄ちゃん」

「あ、お兄ちゃん――じゃない! 一人は危ないんだから」

「見て見て! うささんいっぱい!」

「話聞けや!」

 彼女の頭にげんこつを置きながら指す方を見るとそこはどうやら小さなおもちゃ屋であるようだった。

「おお。そういえばそろそろおーちゃんの誕生日だったね」

 Schellingが抜けた声で言いながら近付く。

「え、いつ」

「キリストと同じ。なんたって、この子は天使なんだから」

「ふーん」

「……今興味ないとか思ったでしょ?」

「ち、ちげぇよ! 唯、確かになって思って……」

「ふーん?」

 二人で間の抜けた会話を交わしているとHONERがSchellingのコートの裾を引っ張った。

「ぱぱー! ねえあれ買ってー! あのうささんが良い!」

「大っきいの?」

「ううん、これ!」

 彼女が欲しがったのは手のひらサイズのうさぎの縫いぐるみ。耳にレースのリボンを巻いていて非常に可愛らしい。タグをよく見ると「お腹を押すと曲が流れるよ」なんて書いてある。「きよしこの夜」だという。しんみりしてるなぁ、とかふと思った。

「そうかそうか。誕生日プレゼントってことで良いかな?」

「うん!!」

 HONERのこの弾けるような笑顔よ。見ていて本当に幸せな気分になる。

「よぉし、それじゃあ待ってて――」

 そう言って元気よく歩き出そうとした瞬間、目の前で最後の縫いぐるみが店主の手によって取られた。

 代わりに「Sold Out」の赤文字が置かれる。

「……」

「……」

 皆、声が出なかった。

 聞くところによるとこれ以上の出荷はもう無いのだという。

 数量限定の特別製だった。


「やだやだー! うささん! うささんー!!」

「ごめんね、ごめんね」

「わーん、うささんー!!」

「ごめんね、ごめんね。お家帰ったらうささん屋さんごっこ一緒にするから」

「やだー!! 帰らないー! うささんー!!」

「でももう帰らないと、暗くなっちゃ」

「うささんんんんんん!!」

 その後の博士の苦労は言わずもがなである。


 かくして初めてのおでかけは泣き声と共に幕を閉じたのである。


 * * *


 ところで。

 帰宅後の片づけの最中に、LIARは自分のクレープの包み紙だけ他の人のそれとは違うのに気が付いた。

 裏に何か書かれている。


『もし気が変わって、僕達の所に来たくなったら下記の所まで来るように


 その時は“歓迎”するよ

 一緒にお花も連れておいで


 ――渋沢』


 下の方にご丁寧に地図と住所までついている。

「誰が行くか、ばーか」

 丁寧に折り畳んで引き出しの奥にしまっておいた。


 そのまますっかり忘れてしまった。


(つづく)

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