渋沢大輝-2

「作戦の確認をしよう」


 言ったのは犯罪予備防止委員会の面々ではない。現場に急行中の怪異課、フウの言葉である。

 それは彼女達にとっても理解不能の依頼であった。依頼主の正体は、渋沢大輝。

 犯罪予備防止委員会の委員長を名乗る、謎多き人物。


「幸せのシナリオの為に協力してくれないか?」


 内容はこうだ。

 犯罪予備防止委員会メンバーが委員長に内緒で「姿なき殺人」の真相を暴こうとしている。何でも皆川剛の逮捕に不服らしい。

 しかし彼の意向としてはどうしてもこの謎は。それに剛の逮捕は意味がない訳ではない。更に言えば彼の牢屋を見られるとかなり、

 それだけ一方的にべらべら語り、最終的に彼はこう言い放った。


「この作戦に協力してくれなければ、確実に誰かが死ぬ。お願いだからここは騙されたと思って、この制圧作戦に協力してくれないか」


「……」

「良いかい。彼らは間違いを犯そうとしているんだ、そしてこのままでは誰かが死んでしまう」

「誰が」

 冷たい一言に受話器の向こうの彼が黙る。

「隠しても無駄だ、私ならそこら辺、洗い出せる」

「……ちーちゃんだ。この作戦が成功しなければ確実に死んでしまう」

「組織に裏切者でもいるというのか?」

「そうじゃない。でも……兎に角死んでしまうんだよ。それだけは何としてでも阻止しなければ」

「ほう? で、それが仮に事実だとして」

「事実だ、揺るぎない! 僕は何千回と――!」

「煩い、こちらの発言中だ」

「……」

「良いか、よく聞け」


「それで、お前は何をするつもりだ」


「――で、彼らが謀反を起こそうとした記憶を全消去して、何事もなかったかのように日常を取り戻したいってさぁ……」

「何というか、かなり、エゴですよね」

「そうだそうだ! 自分の保身の為に事実を捏造するなんて!」

「人が一人死ぬとかどうとか言ってますし」

「妄想癖でもあるのかしら?」

「真逆!」

 口々に構成員が言う中、フウだけが一人、暗い顔だった。

「どったの? フウさん、熱でもあるの?」

「い? いや、ない」

「体調は」

「大丈夫。それより現場だ。引き受けてしまったし、何より、吾々はクレーム対策課になどなれん」

「ま、このまま彼らを放っておけば問題公務員とか大騒ぎになって、元凶である吾々に火の粉が飛んできますしね」

「何せ、己が目的の為に人殴り倒しちゃうんだもんな……エゴの委員長にエゴの委員? 血は争えないとか使えるの、この状況」

「上手くいかない現状に腹を立てた彼らは今や暴走状態だ。被疑者を強奪して無理にでも真相を吐かせるだろう。――それが依頼主にとってはどうやらまずいらしい」

「……」

「あーあ。大人の事情はどこまでも分かんないよな」

「目的は全員の回収と記憶の改変。しかし小畑千恵のみ、渋沢大輝に委ねよとのことだ」

「既に小坂徹と古川修平は渋沢氏の方で手を回してくれたみたいですね」

「となると、後は時沢クンと小畑チャンだけってことだね」

「やった、今日の仕事はすぐに終わりそう」

「何を言う、お前達。職員も全員だぞ? じゃなければ吾々の手なぞ借りるものか!」

「「ええええ」」

「分かったら早く行くんだ」

 文句は言いつつも流石はプロだ。大輝より渡されたショックガンを手にそれぞれの持ち場へと別れていく。


『僕は情報屋に扮して現場に行くよ。君達は武君と職員の皆さんをぼっこぼこに――じゃなくて記憶改変してくれれば大丈夫。……ありがとう、お礼は弾むからね』


 言われた言葉が糊のように張り付く。彼はそれ以上は何も言わなかった。

 情報には秘密がつきもの。だから最低限の指示しか伝えない。その道理はよく分かる。しかし彼の指示も懇願も余りに情報不足、意味不明ではなかったか。

 仲間を見つけ次第、この拳銃で記憶を滅するだけ。これが本当に命預けらる委員長の言葉で正しいか。

 しかしフウは彼の言葉を呑むしかなかった。

 人の運命を知る手立てを彼女は持っている。何せ神である。

『運命の書』。彼女のボーイフレンドから一時的に貸してもらったものだ。


 約一週間後の欄。そこにはこう書いてある。


「小畑千恵。行方不明、後に死亡」


 奇妙な一致に身震いをせずにはいられなかった。


 * * *


 警報ベルが鳴ったのは侵入してから数分後の出来事だった。

 武と千恵が身構える。

 後は剛の牢屋を見つけて脱獄させるだけなのだが、予想外の事態に嫌でも緊張が走る。

「副委員長、副委員長」

『……』

 無線に応答を呼びかけるも、肝心の作戦責任者が出ない。頼みの綱なのに!

「海生、海生! 副委員長は」

『に、逃げて』

「え?」

 ようやく出たもう一人の言葉に思わず眉をひそめた。

『逃げて』

「何故? どこに?」

『良いから早く外に! 今すぐ撤退。作戦は失敗した、君達は追跡されている』

「な、何にですか!」

『……言い難い。兎に角移動中に説明するから早く』

「待ってください!」

『今度は何!』

 瞬間千恵の横入りに会話が止まる。ほんの少し苛立ちが見られた。

「わ、私は諦めたくないです! 折角ここまで来たのに、断られまくってからのこの作戦なのに諦めるなんて嫌です!」

『……』

「海生さんは違うんですか!」

 少し沈黙が流れた。

「海生さん」

 千恵がダメ押しで彼の名前を呼ぶ。


 その時、背後から迫る影があった。


「駄目じゃないか、ちーちゃん。言われた通り、逃げなくちゃ」

 肩に優しく置かれたその手に寧ろ不気味ささえ感じた。

 ゆっくり後ろを振り返ると、そこには薄く笑んだ糸目の青年が。


「ずっと待ってたのに」


 全てを悟らざるを得ない登場。武の体が動いた。


「おっと」

「千恵、行け! 兎に角奥に行け! 早く!! 剛の無罪を勝ち取れ!」

 大輝の体を羽交い絞めにして絶叫する。

 千恵の瞳が少しく揺れた。

「早くしろ! これ以上言わせるな!」

 その瞬間、何があったのか大輝の体がぐにゃりと武の手元から抜け、そのまま体を回して彼の腹に一発殴りこんだ。

 寸での所で防御を取れたから良かったものの、腕に激痛が走る。

 鉄板でも仕込んでいるのか、この拳は!

「時沢先輩!」

「どうしてここに僕が来ているか分かるかい、ちーちゃん」

「……!」

「君達の過ちを正しに来たんだよ。剛君が無罪な訳はないじゃないか」

「で、でも!」

「じゃあもう一度話し合おうよ。ほら、おいで」

「あ、私……」

「大丈夫、今来てくれれば痛くしないよ」

 その時点で逆に大輝は武を羽交い絞めにしている。説得力がなさすぎる。

「ほら、おいで」

 武を捕まえたままこちらに手が伸ばされる。

 目の前の状況に混乱が募る。


『……あいつ、事件に何らかの形で関与してるんじゃないかと思う』

 海生の言葉。


『それに話を聞く限りだと一連の推理の主導権を握ってるのはその委員長とかいう人なのね』

『木霊、何が言いたい』

『あら。どこまでも鈍い人なのね。私は彼が事件の首謀者なんじゃないかって思うんだけど』

 あの時の会話。


「さ、ちーちゃん。怒らせないで」

 呼吸が速くなり、動悸も激しく拍動する。

 こ、これ以上は……。


『千恵! 一番奥だ! この施設の一番奥に剛の牢がある!』

「海生さん!?」

「……!」

『走れ! 間に合う物も間に合わなくなる!』

 瞬間大輝が武を放り投げ千恵に向かって突進してきた。

 腰に携えていたナイフを引き抜き、振りかぶる。

 自由になった武が再び大輝を引き留めようとタックルを仕掛けるが、音もなく現れた怪異課の連中に囲まれ、行き場を失う。

『走れ!!』

 笑顔で迫って来る。


 駆けた。


『真っ直ぐ突き当りまで行って、右折。そしたら壁際の赤いボタンを押して。逃走防止のシャッターが下りるから、それで足止めしている間にカードキーで開錠。窓から逃げて、僕の家に。急いで』

「……すみません、海生さん」

『ん』

「もう一度、今度はゆっくり言ってくだ」

『取り敢えず突き当りまで行って壁の赤いボタン押せ!!』

 もう既に心臓が破れそうだった。かなりの力を尽くして走っているのに後ろの足音は一向に遠ざからない。

 ここで少しでも減速しようものなら直ぐに捕まってしまうだろう、しかし限界は近かった。

(逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ! 逃げろ!!)

 歪む視界に赤いボタンがぼやけて映った。――あれだ!

 千恵はほとんど倒れ込むようにして壁に激突、その勢いでボタンを押した。物凄いスピードでシャッターが下りる。


 しかしその隙間にも彼は滑り込んできた。


「……!」

 拍動が頭にガンガン響き、のどは鉄の味のするタンでがらがら。息が上手く吸えない体にそいつは無遠慮にタックルをかましてきた。

 その時、視界に一瞬映ったのは

「え」

 思考を巡らす暇もなく倒された体に大輝の四肢が巻き付き、節々がギリギリと痛んだ。いたいけな少女に関節技である。

「ちーちゃん。言うこと聞かないからだよ」

「はあっ、はあっ! 痛い、痛い!!」

 その時逃走防止シャッターを解除しながら誰かが飛び込み

「暴力はやめろ!」

と声を荒げた。

 ――海生。

 千恵は少しくの希望を指先に込めて、手を伸ばした。

 しかし彼の体は動かない。表情をこわばらせ、手が震えるばかり。


 その間にも大輝は膝の下に彼女の頭を敷いた。

 眉間にショックガンが押し当てられる。


「犯罪予備防止委員会。都市伝説グループ二名、裏サイトグループ二名の制圧、及び記憶の改変完了」


 大輝の冷たい声が廊下に響く。


「カイくん。標的ターゲットに変な期待を持たせちゃだめだよ」

「……」

「虐待、だから」


 * * *


 千恵の体を先程とは違って愛し気に抱き上げる大輝のこめかみにショックガンが押し当てられる。しかしそれは小刻みに震えた。

「何してるんだい、カイくん」

「……この、この悪者めが……!」

「……」

 ずっと穏やかだ。

「お、お。仲間割れか?」

「渋沢氏、時沢です」

「ありがとう、怪異課諸君。そこに置いておいてくれないか」

「……聞け!」

 自分を無視して交わされた会話に苛ついて胸倉を掴み上げる。

「やめなさい、やった方の負けだよ」

「煩い!」

 しかしその後大輝の口から洩れた言葉に拳が緩んだ。


「自分だって共犯の癖に」


「……」

「かなりギリギリだった。またシナリオが崩れる可能性があった」

「でも……だからって、こんなの……」

「アドリブは許されないんだよ、皆シナリオの通りに歩んでもらわなくっちゃ」

「でも、でも――!」

 言いかけて、やめた。涙が溢れてやまない。

 自分だって出来ることなら平穏無事に生きていたかった。唯の少年として生まれていたかった、こんな事してまで生きていたくはなかった。

 でも助けられてしまった。だからこうして生きている。

 生きるしかないけれど、生かしてくれてありがたい。

 ようやく自分の人生を見つけたのだから。


「委員長はこの生活してて、辛くないの」


「……?」

「辛くないのかって聞いてる」

「……そうだねぇ。でも僕は誰も愛せないから」

 寂しそうな横顔が窓の外を見て、次いで千恵の顔を覗き込んだ。前髪をかきなでてやると気を失いながらも少しく反応を見せるその顔。永遠に近づけない無垢。

「仕方ないし、もう別に苦じゃなくなった」

「……あんたは悪者だ」

「そうだね。でも必要悪だ」

「……」

「良いかい、カイくん。物語には悪役がどうしたって必要だ、そして誰もやりたがらないその役に身を沈める者も」

「……」


「君だけは、覚えておいてね。これが生きるってことなんだ」


 * * *


 翌日。

 昨日までの謀反が嘘のような明るいメンバーの顔に、海生は眩暈がした。

 慣れなければ。


(つづく)

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