決戦直前
翌日の夕方。
千恵と海生はLIARの住み処までの道のりを歩んでいた。
「最後のもてなし」とやらの護衛は既に怜に頼んである。そこに引き渡しに行くという体で海生がくっついてきたのだ。
20時まで時間があるにも関わらずこんなに早くに出発したのは、怜との電話で
「早めに落ち合い、姿無き殺人について確認をさせて欲しい」
との要請があった為であった。
普段と何も変わらないいつもの道をいつも通り行く。
ただ、今回はそれに対する重みが今までとは格段に違う。
今日で決着が着けられなければこの話は無かったことになる。
LIARの調査が打ち切りになるどころか、張本倫太の無念を晴らすことも出来ないまま彼を逃がすことにもなってしまう。
――それだけは何としても避けたい。
それが千恵の思いだった。
緊張が隠しきれない。
握り締めた拳に手汗が滲んだ。
「確認させて下さい。姿無き殺人のポイントは四つでしたよね?」
いつになく真剣な彼女の問いに海生が頷いて答える。
千恵が続けた。
「まず一つ目は彼の特殊能力だけでは姿無き殺人の説明は不可能である事、二つ目はこの事件にはレフォルムとの癒着が関係しているかもしれないという事、三つ目はLIAR本人の手により情報操作が行われていたかもしれないという事。そして四つ目は――」
「希望の花と呼ばれる少女の為の犯行であった可能性が高いという事。つまりは希望の花を助ける為に歴史を塗り替えようとしていた訳だけど、それには多くの危険が伴うし、何より誰かの命が落ちる前提での話だ」
話の流れを受け取った海生の言葉に、千恵はある一文を思い返す。
『なら殺される前にお前らを燃やしてやる』
眉をひそめた。
「あの日記で分かったんですよね」
「うん。そうすると、必然的にそれを止める人が現れるようになる」
「それが張本倫太さん」
「そう。LIARを追い詰め、止めるように言ったが、それがかえって彼の激昂を呼び――」
そう言いつつ拳銃を模した自身の右手でこめかみを撃つ仕草をした。
「大分真相に近付いてきましたね」
「でもこれだけじゃあ推理とは言えない。ほとんど推測だ。――それに張本倫太の存在自体も怪しくなってきた」
「ええ?」
「住民票は取っていない、レフォルムに届け出ていた住所も他人の物だった。実家すら特定できない。こんなの初めてだ……本当に消えてしまったみたい」
「え、え……そんなの昨日の確認を兼ねた作戦会議で言ってなかったじゃないですか」
「当たり前じゃないか!」
突然の剣幕に肩を震わせた。
「信じられなかったから……でも、さっきの事で全部繋がったよ」
海生が苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「どういう、事ですか」
「いい加減分かんないの? 剛のとこだったんだよ」
「……?」
「張本倫太が提出していた住所は、剛と僕の家の住所だったんだって言ってんの!」
「……、……どうして?」
「そこまでは知らない……知りたくもない」
「……」
それはほんの何十分か前の事だった。
『カイ、今回も着いていくんですか? 護衛は情報屋に頼んだのではありませんでしたっけ?』
『それでも』
僕の人生は彼女と共にあるとでも言いたげな目つきで彼に訴えかける。
『でも彼に私達が着いてきているのがバレたら……』
『引き渡しって体だから、良いの』
『……一緒にいたいって素直に言えば良いのに』
そう苦笑する彼の腹に頭突きをかます。
『取り敢えず着いていくから』
『分かりました、分かりました。――ちょっと千恵と委員長に説明してきますね』
駆け足で去って行く背中にふと思い出したように海生が話しかける。
『あ、そうだ剛、倫太の住民票に関する資料どこ――って、ああ』
そう言った時にはそこにはもう誰もいなかった。
『……剛の机にあるかな』
彼の机に近付く。
千恵以外の他人のプライベートに余り興味が無い彼だが剛だけは別だった。
初めて出会った時から自分を大切に想ってくれる剛。彼は自分を、自分は彼の事を一番良く知っている。そう断言できる自信があった。
犯罪予備防止委員会には二人で一緒に入った。所属グループが違っても彼らは常に共に行動し、秘密は何でも打ち明けた。二人で同じ部屋を借りて住んでいる。
彼は自分と剛は一心同体とも思っている。
それ程の長い付き合いだった。
『……あれを証拠として提出できないかな』
剛ならあそこに入れているのでは。
そう思いながら迷いなく引き出しの取っ手に手をかけた。
しかし見つかったのは――。
瞬間彼の瞳がある一点に集中した。
『あ、カイ。失礼しました、先程は何て?』
剛と共に海生の元に行った千恵は彼の悲しげでかつ怒りに満ちたような表情と手に持ったそれを見て驚愕した。
『剛……何でこれがここにあるの』
その手には既に乾ききった血に塗れた革の名刺ケースが握られていた。
中から少し顔を出している名刺の表面には「張本」の二字が。
……。
「も、もしかしたら証拠品なのかも」
「警察の情報を無線でハックしてるような奴らが現場に行けると思ってんのか」
「で、ですよね」
「……信じてたのに」
肩を震わせ、俯きながらそう言う彼の言葉も震えていた。
「海生さん……」
暫く静寂がその場を貫いた。
それでも歩みを止める事はない。
海生は俯きながらもずっと前を向いて歩き続けた。
千恵もその後に続く。
時間が妙に長く感じられた。
* * *
「お! おーちゃん、来たか」
奴の住み処の前には、気落ちしている二人とは対照的に能天気にひらひらと右手を振る無精髭の男と片目を長い前髪で隠した少女が立っていた。
怜と木霊である。
「れいれいさん……に木霊さん!? どうしてこんな所に?」
「うふふ、着いて来ちゃった!」
木霊が明るく言う。
それさえも絵になってしまうのだから美少女はずるい。
「な、なな何でお前がいるんだよ!」
海生が木霊を指差しながら、叫ぶ。
「あら。焼きもちさんったら駄目じゃないの、護衛は一人きりでしかも犯罪予備防止委員会メンバー以外なんでしょ?」
「僕は引き渡しに来ただけだ! それを言うならお前こそ! 護衛は一人きりなんだぞ!」
「何よ、護衛じゃないわよ! 千恵ちゃんがもう来なくなるって言うからお茶会に誘いに来たの。それだけよ」
「……」
「いわゆる怪人・変態小僧から横取りするってところかしらね」
「それで約束の時間に間に合わなかったらどうするんだよ」
「それも考えた上でのお誘いよ? 美味しいケーキが焼けたのよ。千恵ちゃん、勿論来るでしょう?」
千恵の手を取り微笑を浮かべる。
「ね? 怜にはもう話してあるから。ね、ね?」
「そうなんですか?」
「んまあ……こうなったら絶対聞かないからな……女は怖えよ」
「へぇ」
「じゃあ決まりね! ほら、早速行きましょ!」
頭をかきながらため息をつく怜を見て木霊がぱっと花を咲かせたような笑みを浮かべた。
話は決まった。
「それじゃあ……行ってきますね」
「うん、気を付けて」
海生が消え入りそうな声で寂しく言う。
「それじゃ、少しの間大事なお嬢さんを預かるわね」
千恵に後ろからがばりと抱きつきながら木霊が笑んだ。
それを見て海生の心が揺れた。
「――ッ、やっぱりちょっと待って!」
歩き出した千恵の右手を慌てて握る。
「……海生さん?」
「……」
沈黙が流れた。
ずっと俯いている。
海生は何かに迷っているようにも見えた。
「海生さん?」
「……千恵」
「はい」
「もし、もしもだけど、この先どんなに苦しい事や酷い現実が待ち受けていたとしても、その為に心が傷付きそうになっても立ち向かえる?」
右手を握る手が微かに震えた。
「仲間の内誰かが酷い事をしたとして、それがどんな理由でも仲間を許せる?」
「……」
「例えば僕がそんな事をせざるを得ない状況で、そんな事をしてしまったとして――それでも僕の味方でいてくれる? ……千恵だけでも僕の仲間で居続けてくれる!?」
そう言って千恵の瞳を見つめた彼の双眸からは大粒の涙がはらはらと零れ落ちていた。
その瞬間に思わず息を呑んだ。
「海生、さん……」
「……答えて。慰めは要らないんだ」
「……」
外界の音が聞こえなくなる。
二人だけの世界で千恵は少し考えた後、彼の手を包むように握り返し満面の笑顔を浮かべた。
「当たり前じゃないですか!」
「……!」
「どんな酷い事があっても私は大丈夫です。仲間を見限ったりしませんよ! だって大切な仲間ならば私の事を本気で傷付けようとか思ったりする訳ないじゃないですか」
「千恵……」
「そういう時は裏に潜んでいる悪をこの手で殴り飛ばすだけですよ! 時沢先輩仕込みの投げ、知ってますよね? 私の手にかかればけちょんけちょんなのです!」
「でも……事はそう単純じゃないかもしれない。何がいつ千恵の悪になるか分からないんだよ?」
「それでも仲間でいて欲しいと海生さんが思ってるなら私はどこへでも着いていきますし、どこででも海生さんの事を信頼していますよ!」
「……」
「ね? だから安心して下さい! ――どうかこの阿呆を信じて貰えないでしょうか?」
終始満面の笑みでそう言い切った彼女を暫くの間呆然と見つめていたが、すぐにまた俯いて肩を震わせた。
「か、海生さん?」
「……く、ははは! ――はぁ。最高だよ、千恵。本っ当に最高」
泣きそうな顔で笑いながら彼はズボンのポケットに忍ばせていた物を彼女の眼前に提示した。
その見覚えのあるうさぎのぬいぐるみが思い出させてくれた名前はただ一つ。
「ゆめちゃん、二号」
「おかげでふんぎりが付いたよ。――大丈夫、剛はきっと許してくれる」
そう彼は自分に言い聞かせた。
「千恵。僕、剛の事、委員長と警察に話そうと思う」
「……!」
「はは、身柄引き渡しとかってやつだよ。本日二回目だ」
「海生さん……」
「……剛、そんな事されたら僕の事恨むかなって思ったらさ――怖くて」
「……」
「たった一人の家族……みたいなもんだからさ」
「……」
「でもさ、あいつ、千恵と少し似てるんだよ。地味に嘘をつくのが下手っぴでさ」
「……」
「僕らが出会って一ヶ月位の時にさっきと全く同じ質問した事があるんだけど、その時千恵とほぼ同じ答えを返したんだよ」
「そうだったんですね」
「その時はこうやって手元に嘘発見器なんか仕込んでる余裕無かったから、本当の事かどうか確認は出来なかったけど……そうだよね、千恵と同じ答えを言ったんならきっと大丈夫だよね」
「おーい。そろそろ良いか?」
背後で怜の急かす声が聞こえた。
二人がこちらを見つめながらじっと待っている。
「うん、大丈夫。もう平気! ――さ、千恵。行って」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫。千恵、くれぐれも気を付けて」
「……」
「絶対に生きて帰ってきて」
「……はい」
「それじゃ」
「はい。また後で」
二人は背を向け合った。
それぞれの行くべき先へと歩んでいく。
千恵を怜と木霊が温かく迎え、海生を慰める者は一人もいなかった。
「流石だよ、――NER」
頬を伝う涙を拭いもせずそう呟いた少年の背中を木霊は暫く見つめていた。
(つづく)
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