覚醒

 深く、濃い、闇の中だ。

 LIARは夢を見ていた。


『嫌! 嫌々、嫌!』

『し……りする……だ! 目……ませ!』

『死なないで!!』


『お兄ちゃん!!』


 ――お兄ちゃん。


 次第に意識がはっきりとしてきた。

 暫く闇の中を彷徨っていたが、今、彼の意識は気持ち良い位にはっきりとしている。

「おにい、ちゃん……」

 もう一度その文字列を口の中で繰り返す。


 ――ここはどこだ?


 段々自分の状態が分かってきた時に一番始めに頭に浮かんだのはこの一文であった。

 自分が生きている事は分かる。ベッドに横になっている事も分かる。――それが自分の住み処の隅に隠された「隠し部屋」である事もすぐに分かった。

 しかし、それだけだった。

 


 ――何で……。


 もっと多くの情報を得る為に体を起こそうとした。――が、瞬間左肩が激しく痛む。

「ウッ……!」

 余りに突然の事で、思わずベッドに倒れ込む。

 じわりと涙が滲んだ。

「ッ、ハァ、ハァ……ハァ」

 その瞬間に頭の中で何かがもやくやと揺らめく。

「何だよ……」

 右手で顔を覆う。

 頭の中に霧がかかったようで苛々が募る。

「何があった……」

 右手の下から一筋の涙が零れた。

 忘れてはいけないものを忘れている気がしてならない。

 僕は何をしていた。何があってこんな事になっている。

 ふと右隣で穏やかな寝息を立てている何者かがいる事に気が付く。

 左肩に注意しながらゆっくりと首を回す。

 そこには――。


「……ちー?」


 目を見開いた。

 隣で千恵が寝ている。――いや、正しくは隣のベッドで、である。

 彼女の顔を見た瞬間頭がかち割れるような痛みを覚えた。

 いや、衝撃か。

 彼女が泣き叫んでいた覚えがある。

『逃げて!』

 頭にその声が浮かんだ瞬間――何だっけ……!

 思い出せ、思い出せ思い出せ!


『同じ道をいけ』


『ギャアアアア!!!』


 ハッと二つの台詞が飛び込んでくる。

「ちー!」

 何故だか居ても立ってもいられなくなり左肩の痛みも気にせず、彼女の元へと走り寄った。

「グッ……!」

 右ふくらはぎにも激痛が走り思わず彼女の眠るベッド脇に倒れ込む。

 ここで初めて気付いたが相当酷い傷を受けているらしい。

「クゥ……ッ! ハァッ、ハァ……!」

 上半身をいつもの服の代わりに白い包帯が覆っていた。

 左肩がグロテスクな赤茶色をしている。

 その先の左腕上部にチラリと見える刻印に思わず顔をしかめる。

そこには大文字の「L」という字と下に小さな「Dr.Schelling Product」という文字列が彫られている。

 一番大事だが、一番大嫌いな物。

 人生をめちゃくちゃにされた代わりにとても大切な物もくれた。

「……」

 自身の気持ちを複雑に引っかき回す刻印から目を逸らし、首を振って千恵の方を見た。

 彼女は自分の大怪我とは相反して綺麗過ぎる程無傷である。――ただ一つ額にうっすら残る直径二センチ程度の円い痕以外は。


 ――ドン!


 ――ちいいい!!


 また頭が痛んだ。

「……」

 呼吸を整え、彼女の傍に腰掛け、彼女の頰を撫でた。

 そのまま首筋に手を当てる。

 微かではあるもののはっきりとした脈を感じ取った。

「生きてる」

 温かい。

 額に残った痕を優しく撫でた。

「……可哀想にな」

 穏やかな顔はとても愛おしかった。

 幸せそうなその顔は安らぎそのものだった。それは彼にとっても。

 掌が滑り、また頬を撫でた。それに彼女が気付いたのかどうかは分からないが無意識に顔を寄せてくる。

「……」

 親指で彼女の唇をそっと撫でる。

 心臓の音が耳元で煩い。

 ……静かにしてくれ。

 体が少しずつ前傾姿勢を取っていく。

 右手が彼女の頬から枕元に置かれた。

 顔が熱い。錯乱してる。

 自分の前髪が彼女の額に触れた。

 呼吸が口元にかかる。

 心拍数が異常だ。

 死にそう。

 薄い唇が微かに開いた。


 こんなのって……。


 ――、――。


 バン!!

「おっす! 遂に発情期か!?」

「どぅええ!!」

 ドアを勢い良く蹴り開けて突然隠し部屋に入ってきた怜の声に驚きぐるんとLIARの体が回転した。

 彼の寝ていたベッドと千恵の寝ているベッドの間の床に思い切り体を打ち悶絶する。

「おいおい、体を大切にしろ。閉じる傷も治んなくなるぞ」

「テメェのせいだろうが、馬鹿ッ!!」

 泣きながら怒鳴る。

 彼の人生最大の恥が生まれた。

「ねえねえ、チューしようとしたんだろ。な、チューしようとしたんだろ!? な!」

「うるせぇうるせぇ!! 出てけこの野郎!!」

「あ、今度はその上行こうとするんだろ。寝込みを襲ったら犯罪だぞー」

「よせ気持ち悪い! 馬鹿ッ!! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿……!!」

「顔赤くなってるぞー」

「頼むからその記憶抹消してくれ……」

「で? チューした――」

「出来なかったわ!!」

「え!? 今なんて!?」

「し、しようともしてねぇよ!!」

「嘘を司る怪人の癖に嘘が下手っぴだなー。純情な野郎だぜ」

「寄るな寄るな! ……グッ!!」

「ほら、傷が開くだろうが。おめぇをベッドに戻すだけだわあほんだら」

 煙草臭い無精髭の男はその青年の体をいとも簡単に持ち上げた。

 コンピュータの前で一日の大半を過ごす彼の体は余り健康的とは言えない。

「おーちゃんの横で寝たい? お隣ちょっと空いてるぜ」

「顎かち割るぞ」

「イヒヒ、冗談冗談」

 静かにベッドに横たえる。

 布団をかけ、彼の枕元に腰を下ろした。

「で、純情野郎。どこまで覚えてる?」

「……何の話? それにこの部屋……どうやって知った? ちーも寝てるし、傷だらけだし、何が起きてる!?」

「ん? 覚えてねえのか? ここに運び込んだ瞬間起き上がって自分でこの部屋開けたんじゃねえか。あいつが来る前にこの部屋にちーを隠せなんて可愛らしい事言ってた癖に」

「僕が……この部屋を、開けた?」

「そうだぞ? まあすぐにぽっくんと気絶しちまったけど」

「……」

「それにおーちゃんも一回起きて、傷が痛むのか何か酷い夢でも見てるのかうなされてるお前に縋り付いてひんひん泣いてた。命に別状あるわけじゃないから大丈夫だって引っぺがそうとしても離れなくって大変だったんだぜ? 『死なないで、死なないで!』ってな。全く健気なもんさ。……まあ、その後やっと落ち着いてこうやってすやすや寝てるんだけどさ」

「ちー……」

「なぁ、聞きたいのはこっちなんだ。あいつって誰だ。お前ら二人にこうさせるなんて、本気で何があったんだ?」

「……覚えてない。覚えてないんだよ……」

「そんなわけねぇだろ、さっきはあんなにしゃきしゃき喋っておいて」

「取り敢えず、取り敢えず教えてくれ。僕は一体どうなってたんだ? 怜に見つかる直前、僕は何をしてた!?」

 身を少しだけ乗り出して聞く。

「ああ、それはな――」

「貴方方、とあるホテルで気を失っていたんですよ。しかも貴方はぼろぼろで血塗れ。肩にこんなに大げさなナイフまで刺さっていました」

 怜が言おうとした所を何者かが遮って、代わりに言った。

 その声にLIARの目が見開く。

「てめぇ……」

、LIAR。何があったんですか」

 そこに立っていたのは二人の人物。察しの良い読者諸君はもう気付いただろう。

 RoylottとJosephの二人である。

「怜! どうしてこんな奴らをここに入れた!!」

「馬鹿っ! 礼を言うのが先だろうが! この二人はお前らがホテルで伸びてた所を助け、しかも俺のところに連絡してきてくれたんだぞ!」

「でも……!」

「でもじゃない!」

「やれやれ、ここいら辺には血の気の多い輩が多すぎますね。……ご心配なく、小沢氏。彼のそれは元からです」

 Roylottがにこりと微笑み二人の言い合いを制す。

「しかし……」

「良いんです。それよりもこの二人は何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い。そちらの真相究明の方が先でしょう」

「そ、そうですね。――ほら、つう訳だ。覚えてる限り話してみろ。何があった」

「それが分かったら苦労してない」

「本当に何も覚えていないんですか?」

「そう言ってるだろ」

 鋭い眼光でRoylottを見つめるLIAR。

 目隠れマッシュの下からそんな彼をじっと見つめていた。――相変わらずどのような表情で、どのような目の動きで彼を見ているかは分からないが。

「ふむ……まあここで嘘を言ったところで誰にもメリットが無い。頭の良い貴方の事ですから毛嫌いしているというだけで何も言わないという事は無いでしょう」

「――ったり前だ」

「ならば状況証拠から推測をしましょう。とはいえ、犯人も中々抜かりないみたいですが……」

 そう言った後、後ろをチラリと振り返りJosephを呼んだ。

 彼は数発の銃弾が入ったチャック付きのビニル袋をRoylottに手渡した。

 何発もの弾が入っているが、それは世界的に流通しているパラベラム弾とは違う。

「これは…… .38スペシャル弾ですね」

「世界一のリボルバーの弾だな」

 Roylottが示した弾に怜が反応する。

「おや、よくご存知で」

「俺ァ、リボルバーが好きなんだ。単純で、ジャムを起こしづらいし、マグナムとかになると高威力の弾は発射できるし、何より西部劇のガンマンみたいだろ」

「夢があって良い事です」


 ここで執筆者より聞いた事があるようなないような単語達の説明をさせて頂こう。(既に知ってる方はここはカットしてもらって構わない)

 まずはリボルバー。これは怜も語っていたように西部劇の時代から使われていた拳銃である。引き金の上の辺り(シリンダー部分という)を横にずらし、レンコンのように空いている穴の中に弾を込め、戻し、撃鉄(銃後部にある猛禽類の爪みたいな部分)を起こし、引き金を引くことで発射する事が出来る。高威力の弾も発射できるという点が持ち味だ。それが彼の言う「マグナム」という種類だったりする。

 これと対をなすのがオートマチックと呼ばれる拳銃である。リボルバーよりも内部構造が複雑ではあるが、その特殊な構造故に連続して弾を撃つことが出来る。弾はマガジンと呼ばれる、弾が既に入った長方形の板のような部品をグリップ(持つところ)の下から入れる事で装填できる。

 そして、パラベラム弾はオートマチックや機関銃等に、.38スペシャル弾はリボルバーに多く用いられる弾(時偶他の銃にも使用されるが、リボルバーの弾に一番使われている)というわけであった。どちらもそれぞれの銃に使う弾として広く流通している物である。

(カットしていた方、お待たせ致しました。ここから本編に戻ります)


「――で、それがそのホテルに落ちてたのか」

「ええ。多くの机やワインボトル、グラスに撃ち込まれていたみたいですね。極めつけは会場後列を陣取っていたテレビカメラの列です。滅茶苦茶に撃ち込まれてなぎ倒されていますね」

 ――ズキ。

 テレビカメラという単語にまた頭が痛んだ。

「……おい、大丈夫か?」

「ん、うん」

 側頭部を押さえながら微笑を向けた。

「しかし、リボルバーでそれだけ派手にやるとなると相当な腕が必要だな」

「オートマチックと違って一々弾を込める必要がありますし、何より装填弾数が五、六発ときた」

 ちなみにオートマチックの平均装填弾数は十五発である。

「滅茶苦茶に撃つには余り適してないように見える」

「しかも.38スペシャル弾はパラベラム弾と比べて威力も低めです。――まあ成人男性の腹部を貫通するような威力は充分あるので日本ではそれなりの脅威になりますけど」

「確実に殺したいならオートマチックのパラベラム弾を選ぶだろうし、リボルバーで押し切るんだとしてもマグナムだろうな。その方が威力申し分ないし、助かる確率も低い」

「――とすれば確実に言えるのは、相当の腕がありながら犯人は彼らを殺すつもりは無かった、という事ですね」

「まあ現場を見ていない分、中々の暴論に落ち着いたが、色々な弾がある中でわざわざ威力の低い弾を選んだという点からすれば一理はあるかもな」

「不思議な事を考える奴もいたもんだな……」

 二人の推理を呆然と聞いていたJosephがぽつりと呟く。

「その犯人とやらは面白半分でこいつらを撃ってたって事か?」

「いや……それはどうでしょうか。LIARの右ふくらはぎの傷、左肩に突き立てたナイフ。その二つから見るに彼に攻撃をしようと考えていた事は確かです」

「ふむ……」

「だが傷を見るといずれも致命傷にならないよう計算されている事も確かです」

「計算……? そんな事も分かるのか?」

「――いえ。すみません、やり口がどうもついそう口走ってしまいました。彼は攻撃一つ一つにおいても全て計算し尽くしていたものですから」

「彼……?」

「Raymondですよ。忘れましたか」

「ああ……」

「おーい、お二人で盛り上がってるとこ恐縮だが、まだ謎が残ってるぞ」

「あ、これは失礼しました。その謎というのは……」

「拳銃という圧倒的な武器を持っていながらこいつらを殺すつもりが無かった、ここまでは何となくではあるが、一応分かった。とすると、何がこいつらを気絶に追い込んだ? それにこいつが何も覚えていない理由も」

 怜がLIARの肩を叩きながら、問う。

「うーむ、そうですね」

 Roylottがそう言いながら千恵の元に歩み寄る。それにLIARが必要以上に慌てた。

「おい、寄るな寄るな!」

「こら、暴れるな! 傷が余計開く!」

「でも!!」

「だからでもじゃねえっつうの!」

「心配しないで。別にこの子に傷を付けるつもりはありませんよ」

「……」

 悔しいが嘘ではない。それは彼本人が一番良く知るところであった。

「これは……ショックガンですね」

「「ショックガン?」」

「なんだ、その某青狸のアニメみたいなネーミングは」

「貴方にも付いてますか? 痕」

 RoylottがLIARの元にも寄ってくる。

「ぐわあ!! 寄るな寄るな!」

「だから傷付ける訳じゃないですって。小沢氏、傷が開かない程度に押さえつけておいてくれませんか」

「任せろ」

 抱き起こした後に後ろから彼を抱き締める。

「ぎゃあああ!」

「はいはい、落ち着いて」

 Roylottが彼の額を撫でた。そこには千恵の額にもあった円い痕が付いている。

「矢張り」

「そのショックガンか?」

「ええ」

「何だそりゃ?」

 怜が首を傾げながら問う。

「知らねえのか? あんた」

「こらJoseph、知る訳ないでしょうが。この時代にはまだ無い物ですよ」

「……!?」

 怜が目を見開く。

「この時代に、無い?」

「ショックガンが開発されたのはXXXX年です。今から数えてざっと五百年後の事です。長さは十センチにも満たないような極々小さな拳銃のような道具でして、その名の通り、相手にショックを与える事を目的として作られました」

「それが……何になるんだ?」

「いわゆる記憶操作ですね。忘れていたものを思い出させ、逆に覚えていることを忘れさせる。医療や、警察等様々な場所で重宝されました」

「強盗しようとしてる奴から計画を忘れさせたりとかな。ちょいと荒っぽいがよく効いた」

「それが今回こいつらに使われたっつう訳か……」

「しかし、そうするとおかしいですね。犯人はどうやってこれを手に入れたのでしょうか」

「俺が知らない物をそいつは知ってたっつうこったな」

「ええ。非現実的ではありますがこの時代でXXXX年に精通していた何者か、という事になるでしょう」

「それって……お前らじゃねえのか?」

 最早子どもに抱かれた縫いぐるみのようになってしまっているLIARが縫いぐるみには似合わないギロリとした視線で睨み付ける。

「ほう……? いきなり何を言い出すかと思えば」

 Roylottが口元に微笑を湛えながら返答する。

「だってそうだろ。お前はXXXX年出身、ショックガンについても知っている」

「それだけでは証拠にならないでしょう?」

「勿論、まだあるとも。そもそも僕らをどうやってそんな物騒な所から運び出した。聞く所によればその犯人は偉く盛大に物をぶっ壊して回ったみたいじゃないか」

「……」

「リボルバーの弱点はサイレンサーが通用しない点にある。……まあ、中には特殊な弾丸、特殊な構造のおかげでサイレンサーが通用する物もあるらしいが今回使われたのは.38スペシャル弾。サイレンサーが通用しない。ホテル内の人間には良く聞こえただろう。警察だって当然駆けつけたはずだ」

「……そうですね」

「まだ欲しいか?」

「いえ、もう結構」

「じゃあ言えよ。私達がやりましたって」

「いいえ、やってません。それでも私達はやってませんよ。――それは貴方が一番良く知るところでしょう? 特殊能力の無駄遣いですよ」

「……」

 歯をギリリと鳴らす。どうやら本当らしい。

「じゃ、じゃあ!」

「まだ何か?」

「お、お前らが、犯人に渡したとかっ!」

「やってません。この事件には関わりもしていない。――どうですか?」

「……、……ぐぅ」

「信じてもらえて何よりですね」

 にこりと笑った。

「じゃあどうやって僕らの居場所を割り出した……」

「え?」

「そんなの、もう残りはストーキングして僕らがくたばるのを待ってたって論しか無いじゃないか。その弾が撃ち込まれた場所も何もかも把握しきっていなくちゃそんな短時間で僕らや証拠を回収する事は出来ない」

「……」

 彼の口元から笑顔がするりと消えた。

「どうなんだよ」

「これは、少々難儀な質問ですね」

「答えろ!!」

 沈黙が流れる。

(つづく)

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