渋沢大輝

 ――渋沢大輝。

 犯罪予備防止委員会 委員長。

 それ以外にいくつも顔がありそうな謎多き彼には好きなものがあった。

 純粋で小さく、か弱い存在だ。

 何も知らない無知な存在、悪を眼前に晒されると途端に怯む儚さ、そんな映画のヒロインのような、小動物のような存在を彼は深く愛していた。

 勿論変な意味で、ではない。そのような興味は素より持っていない。

 どちらかというと「そういうジャンルの興味」の対象は今の状況にある。

 油断しきった獲物の喉笛に闇の中から迫り食らいつくこの感覚は彼に興奮を与えた。

『それに大量のテレビカメラに大量のカメラ。オマケに大量の社員。これだけ多くの目があればあいつもすぐには来れない――』

 そこまで聞いてから大輝は壁際のスイッチを操作し会場の照明を落とした。

 そのままサイレンサーを銃口に取り付けながら会場内にひしめく混乱の渦を面白そうに眺めた。

「事故だと思うかい?」

 ――この会場には大きなシャンデリアが二つ。中サイズのシャンデリアが五つ。

 照明を落とす寸前まで目を付けていた大きなシャンデリアの内一つの天井との接合部に狙いを定める。

 それを選んだ理由はシンプル。

 その下に人が少ないからである。

 彼の目的は大量虐殺ではない。獲物の喉笛をこの牙でかき切る事である。

「見ィつけた。LIAR……」

 パシュッ、パシュッ。

 二発の弾丸が的確に接合部に当たり、シャンデリアが派手な音を立てて床に激突した。

 会場が大パニックになったところを見計らって自分のすぐ近く――会場後方の出入り口の扉の上の照明にのみ明かりを灯した。

「テロが発生しました! 会場にお越しの皆様はこちらから慌てずゆっくりと避難して下さい!」

 これだけ言えばパニックを保ったまま、人々はこのドアに向かってなだれ込むに違いない。

 その瞬間を大輝は待っていた。

 ただでさえ上手く歩けないLIARを庇いながら千恵がこの大騒ぎに紛れて冷静に逃げるなどほぼ不可能に等しい。

 更に床には複雑に絡み合うコード、パニックの中床に落ちたワインボトル、皿、グラス等がある。

 彼らは他の逃げ道を探すに相違ない。

 ここまで考えて大輝は心臓の辺りから溢れ出る楽しさを抑える事が出来なかった。

「さあ、どんな風に楽しませてくれるかな? お二人さん」

 彼は真っ直ぐ金屏風に向かって歩いていた。

 

 * * *

「で、どうすれば良いんでしょうか、どうすれば良いんでしょうか!!」

「馬鹿! 落ち着け」

 泣きながら迫る千恵の両頰をつまんで引っ張りながらLIARは彼女をなだめた。

「ふぁい」

「良いか? ちー、お前は取り敢えず逃げろ」

「分かりました、LIARさん、天国でまた会いましょう!」

「馬鹿たれ! テメェだけ逃がしはしねぇよ!」

 意気揚々と一人だけ逃げようとする千恵の襟の後ろをむんずと掴む。

「ぐげぎごぐぐ」

「ちーは僕の人質なんだからな」

 青筋を立てながら千恵の耳に囁く。

「もうその話は終わったじゃないですか!」

「死なば諸共だ。まだ作戦の享受は終わってない」

「うあー! 死ぬならそちらさんで勝手に死んで下さいよー!」

「すらすらと酷い事言うな! お前は!」

「ぴー!」

 取り敢えず勝手に逃げないように、いつかのように千恵の首に左腕を回す。

「とは言っても簡単だ。猿でも出来る作戦な」

「ふぇー! こんな事に巻き込まれた覚えは無いー!」

「良いから聞け! あそこまで移動して、これを言うだけ。僕がそこに行くまでなるべく言い続けるんだぞ?」

「ん……? 何ですかこれは」

 突き付けられた紙に書かれたへんてこりんな文を見て千恵は思わず眉をひそめた。


「たこの足は十本……?」


「たこの足は八本ですよね?」

「良いから行け!! ぐ……!」

 叫んだ瞬間右ふくらはぎにまた激痛が走り、思わず押さえた。

 痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がる。

「作戦、開始だ……!」


 * * *

 足取りは軽やかに大輝は金屏風に向かって歩いていった。

 金屏風裏に辿り着いた所でポケットに潜ませておいた懐中電灯を点灯させ、そこを照らした。

 勿論銃も構えながらである。

 そこには辛うじてそこに立つLIARだけがいた。

 千恵の姿はどこにも無い。

「ほいっと! おや、ちーちゃんだけでも逃がしたんだ。男前だね」

「煩い」

「まあ、ここまで来たら分かってるよね」

「……」

「上手く逃げられるかな?」

 銃に装填されている弾六発の内五発を次々に撃ち出す。

 目の前の彼は足の怪我に似合わぬ動きでそれらを全て避けた。しかし、最後の五発目を避ける際に転倒してしまう。

「残念、また天国で」

 無慈悲に最後の六発目を彼の脳天に撃ち込んだ――が、弾を受けとめたLIARは霧散してしまう。

「……!? ――しまった、幻覚か!」

 目の前を無茶苦茶に手で薙ぎ払うといつも彼が被っていたフードが床に落ちた。

 それを引っ掴み、よろよろと逃げていく青年がいる。

「そこか!」

 ベルトに取り付けた鞘からナイフを取り出し、投げつける。

 しかし彼の胴に刺さる前に彼自身がまた瞬間移動をした。

 ガッ!

 どさっ!

 二つの音が同時に聞こえ、大輝は向こうの方を懐中電灯で照らした。


 * * *

「うげぇ! 重たいです! 背中の上に乗らないで下さいよ!」

「馬鹿ッ……! 声がでけぇよ!」

 千恵の口を押さえようとしたところを眩い明かりが照らし、二人の背筋が再び凍り付いた。

「そこか! 動くなよ!」

「動くなって言われて動かねぇ奴がいるか! ちー、次はあそこだ。ダッシュで行け。走ってりゃ当たる物も当たらない」

「合点承知の助!」

 危機が目の前に迫っている為、今度は偉く素直に行動した。

 それを見送ってからLIARは大輝に向かって叫ぶ。

「渋沢、来てみろ! 僕はこっちだ!」

 右脚を引きずりながら懸命に逃げた。

 銃弾が机やワインボトルに次々と穴を開けていく。

 何とか部屋の隅に移動する。背後にはテレビカメラの列。少しでも下手に動けばドミノのようにカメラが倒れてくるかもしれない。

 敵にとってこれ程美味しい展開もない。何せこれ以上彼は逃げられないのである。

 LIARはこの状況に吊られて大輝は真っ直ぐこちらに向かってくると思った。

 そして確かにこちらに向かってきていた。


 しかしそれだけだった。


「お馬鹿さん!」

「……!?」

 満面の笑みで言ったかと思ったら、直後、大輝はLIARの背後に並んでいるテレビカメラに銃弾を撃ち込んだ。

「ヤバッ……!」

 必死で逃げたが、怪我している右脚がネックだ。

 遂には倒れ込んできたテレビカメラの下敷きになってしまった。

「グアア!」

「LIARさん!?」

「喋るな、ちー!」

「……!」

「お次はちーちゃんです! どこかな?」

 懐中電灯で周囲をぐるぐると照らし、千恵を探す。

 千恵は恐怖に身を縮こまらせ、見つからないようにと懸命に祈った。

「……隠れんぼは余り好きじゃないな」

 一通り照らし終えた大輝は一言そう言ったかと思うと会場に取り付けられていた火災警報器の元まで歩み寄り、けたたましいブザーを鳴らした。

 ジリリリリリ……!!

「ごめんね、ちーちゃん」

 次いでサイレンサーを外し、天井に吊り下がっている残りのシャンデリアを次々に落としていく。

 その音を聞いた瞬間、千恵の脳裏におぞましい記憶が蘇った。


 けたたましいブザー音の響く研究所の中、自分に何か言い聞かせる黒髪の若い男性。

 彼は何かをひとしきり言った後、一言


『良いかい? おーちゃん。LIARという男を探すんだ。彼が――』


と言った瞬間右の方から派手な音と共に撃ち込まれた弾丸で彼は頭を撃ち抜かれた。


 その時の目の前の男性が死に際に見せた表情が未だに忘れられない。


「お父さァん!! 嫌だ、嫌、嫌々嫌!! お父さん! お父さん!!」

「そこだね」

 恐怖心から思わず叫んだ千恵の背後に大輝が迫った。

「……!!」

 気付いた時にはもう遅い。

 先程まで大輝が使っていた銃とは違う、妙に小さな銃の銃口が千恵の額に押し当てられた。

「……!」

 何か言おうとした千恵の口を大輝が押さえる。

「残念だ」


 ドン!

 派手な銃声が会場にこだました。


「ちー……!?」

 ズルル、ドサ。

 力を失った体が倒れる音がした。


「ちいいい!!」

 ほとばしる怒りに我を忘れたLIARがそこら辺に落ちているワインボトルを引っ掴んで二人のいるところまで猛スピードで突っ込んでいった。

 右脚の怪我がまるで嘘のような動きっぷりだ。

「うあああああ!!」

 思い切り振りかぶり、彼女を撃ち抜いた男の頭目がけて振り下ろす。

 それを大輝は左腕だけで難なく受け止めた。

 ワインボトルが派手に割れる。

「……!?」

「素人め」

 瞬間大輝は足の振りでLIARの足を薙ぎ払い彼の上に馬乗りになった。

 じたばた暴れる彼の左肩に深くナイフを突き立てる。

「ギャアアアア!!! アア、アアア……! ハア、ハア……!」

 先程千恵の眉間に押し当てた物と同じ、妙に小さな銃を彼の額にも押し当てる。


「同じ道をいけ」


 ドン!


 その音を聞いたのを最後に彼の意識は闇へと落ちていった。

(つづく)

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