4 ……いただきます



 骨壺ちゃんが皿を机にのせる。

 その料理は白いお皿の上で静かに湯気をたてる。

 蝋燭の淡い光に混じり湯気は煙のように細い線になって私の前に垂れ下がる。


「それでは本日のメイン料理、ボロネーゼでございます。」


 運ばれてきた料理はこれといったひねりのないミートソーススパゲッティだった。


「ボロネーゼ? ミートソースじゃなくて?」


「左様でございます! ミートソースとボロネーゼでは製法がやや異なるのです!」


「どう違うの?」


「一般的に発祥地イタリアで『ボロネーゼ』と呼ばれるものが日本において『ミートソース』と呼ばれます! ですがミートソースはトマトを多く使う反面ボロネーゼは炒めた挽肉をベースに裏ごしトマトを混ぜ合わせつくるものでございます!」




 黒沼さんの解説をきいて再び料理をみいる。


 ドロリと滴る肉のソースは甘く優しい香りを放ち、口の中の唾液を分泌させる。

 ソースと絡められた麺の上にのる艶のある肉は一つの塊として私の前に現れる。


 瞬間先程みた血みどろの塊を思い出すが、その料理をみた途端にどうにも私は空腹感を感じるようになっていた。


 頭が感じる嫌悪感以上に体がそれを求めていた。


 どうしてかわからないけど、私はそれをここに来る前から求めていた気がする。




「ごゆっくりどうぞ」




 黒沼さんはニコニコしながらフォークとスプーンを配膳する。




「……いただきます」




 与えられたフォークを手にとり、甘い香りを放つ肉の塊へとつきたてる。




 つき立てたフォークを掻き回す度、クチョリクチョリと小気味よい粘着音が奏でられる。


 麺とソースが絡み合い、塊からフォークの先に小さな塊が生まれる。


 その小さな塊を私は黙々と口へ運ぶのだった。








 それはとても懐かしい味だった……。




 いつかは思いだせないけど私はこのパスタを、食べた記憶がある。


 思い出そうして私は無我夢中でその麺の一本一本をかきこんだ。


 綺麗な食べ方とか意識していられない。


 どうしようもなく懐かしい味。


 優しくて落ち着いたあの人の味。






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「……ん」




「……」




「……はるさん」




「……」




「……さん?」




「……あれ?」




 気が付くと私は夜闇のアスファルトの上を男の人と歩いていた。


 黒髪パーマの、私よりも背の高い青年だ。


 細く伸ばした糸目は絶えず笑顔を浮かべ、明るく爽やかな男性だ。


 手には小さな手提げ鞄を持っている。




「どうしたんですか、ぼーとして」




 問いかけられた言葉に私は反射的に答える。




「うんん、なんでもないわ黒沼さん」




 ……え?




 私は自分の口にした言葉に思わず驚く。


 隣にいる男性は白くもハゲてもいないのに何をどうして黒沼さんと呼んでしまったのだろう。




「心晴さん、いい加減名前で呼んで欲しいですね」


 男の人もそれが当たり前のように私に答える。


「そうだったわね、誠さん」




 私はもう一度反射的に答える。




 自分の言葉に疑問をいだくばかりだけどこのやりとりがどうにも初めてじゃないような、そんな気がする。




「全く、これから一緒に暮らすってのに心晴さんは呑気ですね」


「だからって調理器具持ち歩いて帰ることはないでしょ?」


「しょうがないですよ、商売道具なんですから」


「ならなんでお店から持ち出したのよ」


「……二人の出会った記念日にいいもの作ろうと思って、ですかね」


「……誠さんらしいわね」




 私達はたわいもない会話を続けながら淡々と歩いていた。


 話の流れからしてきっと私達の住む家に向かっているのだろう。




「心晴さん?」


 考え込む私の顔を誠さんが覗きこむ。


「え! な、なに!?」


 突然近づかれてしまって、驚いてしまって、私はしどろもどろになる。




「……今日もかわいいですよ」




「……もう」




 彼の唐突な褒め言葉に私は顔を伏せる。


 正直この隣にいる誠さんのことはまだわからない。


 先程の料理店で出会った真っ白な男性の面影があるものの同一人物であるという自信がない。


 でも確かなことは今の私の中にはどうしようもない幸福感があった。


 この人の傍にいうことがずっと前から慣れて馴染んでいて、どうしようもなく落ち着いてしまう。


 そんな感じがする。




「心晴さん」


「……なんですか誠さん」


「僕はまだ見習いのコックですが夢があるのです」


「……夢ですか」


「いつか、小さな自分の店をもって、あなたと二人静かに暮らしたいのです」


「おじいちゃんみたいな夢ですね」


「そうですね、老後の楽しみとして考えています」


「気長な夢ですね」


「それでお店を持ったら完全予約制のオーダーメイドなお店にしたいんですよ」


「それはまたどうしてですか?」


「その方がお客さんの求めているものをだせるからです!」


「……求めているもの?」


「料理は練習すれば誰にだって出来ます。 だからこそその良し悪しはいかに食べる人にあったものが作れるかにあるのです!」


「……誠さんらしいですね」




 今の私の記憶はとても曖昧であやふやだ。


 それなのに私はどうしても、彼の一言一言を彼らしいと思ってしまう。


 そしてそこにどうしようもない安心感を感じてしまうのだ。




「誠さん、帰ったら何を作ってくれるんですか?」


 私は彼に問いかける。


「ボロネーゼなんてどうでしょう?」


 彼は私に笑顔で答える。


「どうしてボロネーゼ?」


 再び私は問いかける。


「初めてあった時に作ったからですよ」


 再び彼は答えてくれる。




 ようするに今の私はどうにも幸福だった。




 私も彼に笑ってみせた。










 ……あ。


 ……あぁ。


 あああああああああああああああああああああぁぁ!!!!




 思い出した。




 思い出した。

 思い出した。

 思い出した。



 私は。


 ……私は。


 あぁ、私は。




 思い出した。




 思い出してしまった。




 ……あぁぁぁ、ああああああああぁあぁぁ。






 瞬間、涙で視界が埋まる。




 思わずその場に膝をつく。




 隣にいる誠さんは静かにそのまま歩いていた。

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