滝くんと坂本くん

昼間あくび

第1話

 嫌いな言葉は沢山ある。

 耳に入るだけで嫌悪を覚える言葉の中にも、他人が聞けば耳心地の良い言葉の中でさえも。俺にとって毒になる言葉というものは、世の中に溢れ返っている。

 その中で一等気持ち悪い言葉は「友達」だ。

 不確かで不安定。定義も人によって様々。

 そもそも「友達」という言葉の並びが悪い。味方を意味する「友」という言葉に「達」という不特定多数を指す単語を加える。一方通行ではいけない。独りよがりではいけない。自分も相手も想い合わないといけない。そう念押しされているようで、年甲斐もなく反抗期の餓鬼のように突っぱねてしまいたくなる。

 片想いの何がいけないんだろうか。

 きっとこの言葉を作った奴は、想ってもらうことの難しさを碌すっぽう考えたことがなかったんだろう。そうじゃなかったら、よほど自分に自信があったんだな。誰かに想ってもらえると、そんな幻想を視れるくらいに。

 鼻で笑ってやろうとしてスッと息を吸い込んだとき、ふと醤油の焦げる匂いが掠めた。目の前に高学歴で有名な芸人の顔が迫ってくる。驚いて後ろに背を逸らすと、ゴスという明らかに重たい音が響きジンジンと肩が痛み出した。ああ、そういえば俺は滝の家に晩御飯をごちそうになりに来ていた。狭い台所に男二人が肩を並べて料理するのはむさ苦しいからと、テレビ前に追いやられたんだった。思い切りぶつけた肩口を見ると、視界に滝のベッドが映り込む。苦学生のくせに無駄に縦長いベッドを買いやがって。おかげでマットレスじゃなく、思い切り土台の木枠でぶつけてしまった。痛みの余韻が背中の下にまで伸びる。腹いせにマットレスと木枠の間のスペースに思いっきり腕を突っ込み、そのまま左右 に肘を動かす。思っていた通り固い感触があり、それを掴んで引き出すとナイスバディな下着姿のお姉さんと目が合った。あーやっぱオカズは女の子だよねー俺もだし。むしろここでムキムキ筋肉のお兄さんとコンニチワしたら、多分俺ショックで寝込むわ。うん。ちょっと安心。中を捲ると、コスプレで大胆なポーズを取る女の子たちが並んでいる。コスプレプレイが好きだなんて知らなかった。もう少しページを進めると、乱雑に後をつけたように開き癖のついた箇所に出くわした。長めで踝ほどの丈であろうと想像できるメイド服を大胆に捲りあげた黒髪の女の子。ちょこっと自信無さげに微笑むその上目遣いと裏腹に、いっそ潔い程晒された白く細い脚。滝はこういうのがお好みか。なるほど、参考にしよう。

 掛け布団の上に置かれたリモコンを取りテレビを黙らす。記憶がハッキリしてきた頃、またふわっと飯を掻き込みたくなる匂いが鼻元に立ち込める。台所の方に目をやると、滝の背中とかちかち動く菜箸が見えた。動きにつられて腰を上げ、その猫背に近づき抱き込む。強くなる旨そうな匂いの正体は肉じゃがだ。

「やだー彼氏が彼女に作ってもらいたいランキング堂々一位の肉じゃがじゃないですかー。滝くんポイントたっかーい」

「それ、最近世代交代して一位がカレーになってるらしいぞ」

「まじでか。というかそういうのチェックしてる滝くんいじらしくて、俺の中で滝くんのキュンポイント加算されまくってる」

「それ貯めたら商品と交換できんの」

「俺の愛をプレゼントしちゃう」

 冗談三割本気七割で告げると、一瞬滝の身体が強張る。

「気色悪いので退場」

「そんなに全力で嫌がらなくても」

 ちょっと振り返った滝のジト目に抱いた肩から上体を少し離す。ほんの少しのその隙間が、俺と滝にとって丁度いい距離なのだと知りながら、俺はもう一度滝の背に自分の腹をくっつける。

「えーもう仕方ないなぁ。じゃあポイント貯まったら、滝の好きなプレイでシよ。メイド服はどっちが着る?」

「勝手に他人の部屋漁んな」

「あんなとこに隠す方が悪い。見てもらいたいって言ってるようなもんでしょ」

 軽く笑う。昨日使った後放置したのか、はたまた隠したこと事態を忘れていたのかは知らないが、まぁどっちにしろ悪いのは滝なんだし、このネタでしばらく遊んでも文句は言えまい。

「わかった。じゃあお前の晩飯は無しということで」

「勝手に部屋を漁って誠に申し訳ありませんでした」

 その場に正座して床に頭をこすりつける。こんな旨そうな匂いを前にして男のプライドなんて何の役にも立たない。綺麗に丸まっているはずの俺の背中にドスっと衝撃が走る。間違いなくこれ滝に踏まれてるわ。

「今後二度と俺の部屋を漁るなよ。特にクローゼットの中の使ってない鞄の中とかテレビ台の下とか」

「もちろんでございます旦那様。あーでももしよろしければそのまま私めの背中をグリグリしていただけないでしょうか。そうすれば、さっきマットレス下で見たメイドさんのことは綺麗さっぱり忘れましょうぞ」

 なんて、まぁ滝なら引くかなぁと思いつつ、口を滑らす。冗談も程々にしとけって俺自身思うけれど、口から出たもんはしょうがない。半分は本気だし。

 上から深いため息が降ってきた。

 あ、やばい。

 呆れられた。

 慌てて顔を上げようとしたところで、背中に乗った重みが少し増す。

「お前、ほんと変態な」

 ちょっと笑った声音に安心して滝を見上げる。菜箸を持ったその姿にまたキュンポイントが上がってしまった。あーネットで探したら男でも着れるサイズのメイド服って売ってんのかねー。

「おら配膳しろよ。召使い」

「はいはーい」

 立ち上がって食器が並ぶ戸棚に近づく。すっかり俺専用になった茶碗と滝の愛用している茶碗に指をかける。その陶器の冷たさで、さっきまで自分の中を占領していた気持ちの悪さが意味もなく渦を巻いた。

「なぁ、俺と滝って友達なの?」

 さりげなさを装って茶碗を食卓に並べながら、冷蔵庫から作り置きのコンニャクの唐辛子炒めを取り出す滝に問いかける。

「いや、主人と召使いだろ」

「まさかそのネタを引っ張ってくるとは」

「もしくは主人とペット」

「どうやっても滝の方が立場が上だと」

 セフレとか、そんな言葉を予想していた分、なんとなく肩透かしを喰らった気になる。召使いとペットで納得しているっていうわけでは全然ないけれど。

「ま、友達ではないな」

 ぼそっと呟いた滝の言葉は、聞こえないふりをする。

 俺は、滝にどんな言葉を期待したんだろう。

 恋人?

 愛人?

 家族?

 どれもこれも、綺麗で優しくて愚かでウザったい。

 価値のある宝石を美しいと評価しなければいけないような、そんな薄気味悪さに腹の奥が燻るのだ。


「いただきます」

 やわらかい牛肉に、芯まで茶色くなったジャガイモ。同時に口に押し込むと肉汁とホクホクの舌触りが脳内に向けて幸せホルモンを大量に送り出す。

「ああ、うまい」

「そりゃあ何より」

「さすが俺の彼女」

「はったおすぞ」

 ジャガイモが溶けきる前に湯気の立つ白米を投下する。醤油と砂糖の最強タッグに白米が参戦することによって生まれるシンフォニーは俺を天国に連れてってくれるんだなぁ。

「なぁ、さっきの話なんだが」

「え?俺が地球滅亡する日に最後に食べたいのは滝の作った肉じゃがだぜって話?」

「それはいいけど、そうじゃなくて。俺とおまえは友達じゃないって話」

「あぁ、そっち」

「そこしかねぇわ」

 滝はわざとらしく一呼吸置いて、肘をついた。マナー違反になるんだろうが、そこを指摘するほどの正義感は持ち合わせていない。

「俺とおまえ、でいいんじゃねぇの。色々考えてはみたけど、いい言葉って意外と思いつかねぇし。別に型に入っておかないと不安ってわけでもないんだろ」

 こともなげにそう言った滝は、いつもの生気の薄い瞳で俺の内側を抉り取る。

 型に入れられることが怖いんだろ?

 言外にそう問われているような気がするのは、期待しすぎだろうか。

「キュンポイントが一気に限界値まで貯まったんだけど、滝なんかして欲しいことある?」

「急だな」

「いつものことでしょ」

「……メイドプレイ」

「やっぱあれ好きなんじゃん。じゃあ決まりねー。次の泊りまでに服調達しとくー」

「クローゼットにある使ってない鞄の中」

 いつもとそう変わらない声音で告げる滝に今度は俺の方がわざとらしい間を作って肘をつく。

 ほんの少しだけ湿り気を帯びた目に滝からの期待が見え隠れして、口の端が引きあがるのを感じる。この眼の中に自分の価値を見出すのは悪いことなんだろうか。

「滝の、へんたい」



 例えば、そうとは見えないが育ちが良いところ。肘をついて食事する俺を見て少しだけ非難の色を見せる眼。

 例えば、他人に見下されることで安心しているところ。下手に出て相手を優位に立たせることで緩む唇の端。

 どれだけの人間が、そのことに気付いているのか。

「あ、のさ、ベッドまで待てねぇの……」

「むり。これ着るの意外と手間取ったし。お預けは充分じゃん」

 そう言いながらメイド服のプリーツをひらひらと持ち上げて見せる。長風呂から出てきたと思ったら、急に押し倒してきてこの言い分。俺にそれ関係ねぇし。と思わなくもないが、言ったところで状況が改善することはないのも知っている。諦めて畳の上に完全に背をつけた。見上げた先の眼は碌でもないことを思いついた餓鬼のように細められる。

「それにベッド以外の場所でするのって、何かイケナイことしてる感じで、凄く興奮する」

 実際問題、今からする行為は世間様に顔向けできそうにない程度に生産性も無く、純粋でもない。こいつが言いたいのはそういう世間体の話ではなくて、育ちの良さ故のアブノーマルに対する憧れなのだろうが。

「今日は、お前が挿れんの?」

「そのつもりだけど、やっぱ滝がシたい?」

 下げられる目尻。この顔でセフレになった女たちの母性だのなんだのを擽るのだ。

「……いい」

「女の子に抱かれるみたいで興奮してる?」

 唇をだらしなく緩ませながらスウェットに手を伸ばしてくるコイツはきっと、イエスと答えて欲しいんだろう。自分が求められていると無意識に錯覚したがっている。イエスと答える口を持っている人間かどうかさえ、こいつは区別がついていない。

「も、そういうのいいから、さっさと」

 こいよ。



「はっ……」

 スカートの端が内腿にあたって、むず痒い。内腿から足の付け根に這うようなピリピリした痛みが走る。フチが限界まで広げられ、体内に自分でない何かが押し込まれる生々しい感触から意識が逸らせない。声が押し出されそうになって、犬歯に下唇を噛ませて息を詰める。ニヤニヤと見下ろすこの男は、腰の動きを止める気はない。こいつの動きと共に打ち付けられる背中を捩じって、畳にしがみ付く。藺草の匂いが鼻に押し込まれ、口の中にまで広がる。噎せ返そうとしても今口を開けば何が出てくるか分かったもんじゃない。うまく噛みあわせられそうなものが見当たらず、仕方なく手を口元に運ぶ。同時に耳元でドンっと鈍く響く音がした。

「いっ」

 捩じっていた体を無理に元に戻されたせいで肩を畳に打ち付けた衝動が素肌にダイレクトに伝わってくる。

「なに…」

「滝こそ何やってんだよ」

 低く響く声が腹の上に降ってきて、体の芯が震える。

「何で手噛もうとしてんの?」

 こいつが何を言いたいのか掴めない。

「滝の手は、綺麗なものを作れるんだよ。噛んで痛めたりしたらどうすんの」

 この間抜け、真顔で何を言ってるんだろうか。

「噛むくらいなら声出せばいいじゃん。俺は滝の声聞きたいし、そんなんで萎えたりしないって。いつも言ってるじゃん」

「そんなことするくらいなら舌噛んで死ぬ」

「滝が恥ずかしがり屋さんなのはわかってるつもりだけど」

 敵の鳩尾に狙いを定めて踵蹴りを繰り出すがあえなく往なされる。

「……ちっ」

「本気で悔しそうな顔するのやめて下さい」

 俺の髪に手を突っ込んで地肌を直接撫でる手つきがどこか緊張しているように思うのは、夢の見すぎだ。

「自分の大事な手を傷つけるのはやめようよ」

「じゃあ中の抜けよ」

「えー……」

 不満を堪えもせず口に出しながら、ゆっくり腰を引いていく。ぶつぶつと声出せば言いだけじゃん、と言っているのを聞き流しながら、お前が萎えない保障も俺自身が萎えない保障もないだろうと頭の片隅で思う。

「じゃ、今日は手で」

 異物感がなくなったのを確認して背を起こし、目の前のメイドを思い切り押し倒す。

「うっわ、ちょ、なに」

 相手が驚いている合間に乱れたスカートの中に手を突っ込み、自分がさっきまで広げられていたところと同じ場所を探る。

「たきっ、なんかしゃべっ、うぁ」

 探り当てたそこに指を沈みこませる。すんなりと受け入れられたところを見ると、一応こちら側の準備もしていたらしい。長風呂はメイド服のせいばかりでもなかったのか。

「たき、なんでそんな急に乗り気なわけ?」

 プロでもなんでもない自分の指のために必死になって怒るメイド服姿の坂本に興奮した、なんて、俺も大概変態だ。

「あ、ねぇ滝」

 すこし余裕が出たのか、また餓鬼のように目を細め、スカートのフリルを持ち胸元まで一気に手繰り寄せる。

「どう?」

 ベッドの下に隠しておいた本と同じポーズを見せびらかすコイツはきっと、これからも気付かないだろう。



 あの本もその服も二か月前から元の場所に用意してあった、なんて。いまそうやってメイド服を着て組み敷かれている誰も見たことない坂本に興奮している、なんて。


「このっ変態」

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