■まるで母親のように
僕は学生の身分だから、先生と寝るためのラブホテル代なんて出せそうもなかった。そのため、自分の住んでいるアパートでいいかというと、もずく先生は快諾してくれた。
「場所なんかどこでもいいよ。その辺のしげみだって、僕はかまわない」
もずく先生の言葉は、本気なのか、冗談で言っているのかわからない。じゃあ、そこの、駐車場の植え込みでしましょうかと言ったら、本当に始めそうだ。
僕の部屋はいつもきれいにしてある。ミヤナがいつ来てもいいように。(来てくれたことはないけど)先生は僕の部屋に着いても感想を述べず、中に入ると早く暖房をつけるように急かした。
「よいしょ」
暖房が点いたのを見届けると、もずく先生は、まず、眼鏡を外して外套のポケットにつっこんだ。そのあとで、とても気軽に、着ている服を脱ぎ始めた。外套を脱ぎ、トレーナーをたやすく脱ぎ捨てる。下に着ていたホワイトシャツも、するすると脱いだ。
「君も脱がないの?」
「いや、脱ぎますけど」
「あ、脱がせたかった? ごめん、時間がもったいなくて」
「いや、別にそういうことじゃ……」
こういうときに服を脱ぐなら、もう少し恥じらいのようなものが見られてもいいんじゃないか、と僕は思った。しかし、きっともずく先生にとっては、セックスのために服を脱ぐ行為はごく自然なものなのだろう。陰毛が知らないうちに抜けて、下着にくっついていることと同じくらい。
もずく先生は、どんどん脱いでいく。僕がようやくコートを脱いだころ、もずく先生は黒のボクサーパンツと靴下だけになった。もずく先生は右足から長い靴下を抜くときに、少しバランスをくずした。
もずく先生の体は、特別きれいなものでもなかった。どちらかといえば、貧相だ。白くやせ細っていて、凹凸もない。僕もあまり、自慢できる体ではないけれど。
もずく先生が僕に手を伸ばす。その腕は細くて頼りなく、アニメのフィギュア人形を思わせた。蛍光灯の白い光のせいで、余計にそう見えてしまうのかもしれなかった。
僕はいつだったか、友達といったアニメショップを思い出した。お店に入ってすぐ、ガラスの棚があって、そこにアニメのフィギュアたちが並んでいたのだ。そのフィギュア人形はどれも腰が細く、手足が長かった。もずく先生は、そんなフィクションの世界に住む人たちと体つきがよく似ていた。
あの日、僕はそのオタクの友達を心のどこかでバカにしていたんだけれども、今こうやってもずく先生を買い求める僕と、あの友達はそう変わらないような気がした。もう、僕は彼のことを馬鹿にできない。
もずく先生の肌は、塩化ビニールの臭いがしそうだった。それぐらい、白くて、細かった。そして、つるつるとしていた。ほくろやシミはあったが、目立った傷も、大きな痣もない。
僕はその手を取った。外気にあたったせいか、氷水で冷やしたみたいにつめたい。
「君の手、あったかいなー」
先生が、僕の手を拝むようにして挟み込み、ほう、と吐息をかけてきた。湿り気を帯びた風が、僕の手の甲にかかる。
「さむいね。君もはやく服を脱いでよ」
「はい」
もずく先生がスプリングをギシギシきしませながら、ベッドにのぼった。僕はよくベッドの上でカップラーメンやおでんを食べるので、ところどころシーツにスープをこぼしたシミがついていた。そんなことを気にせず、もずく先生は、薄い布団の中に入ってしまった。布団とベッドのすき間から、おいでおいで、と、細い腕を伸ばして僕を招く。
「はやく布団に入って。さむいから、あっためてよ」
僕は請われるまま、もずく先生と一緒にベッドに入った。もずく先生の肌は、毛もうぶ毛程度しか見当たらない。アジア圏の男の子は、肌がすべすべしているからオジサンに人気がある、という話をどこかで読んだ。きっと、もずく先生もそういう理由で、なめらかな肌をしているのだ。
「君、体温たかいね。ありがたいな」
「そうですか」
もずく先生は確かに冷たい。冷たいけれど、ずっと触っていたくなるような冷たさだった。ジャム瓶の底みたいな、フローリングの床の冷たさみたいな。決して不快ではないほどの冷たさだった。
「こういうのの順番ってわかる?」
「わからないです」
「わかんなくていいよ」
もずく先生は、僕のうすい胸板に手を入れて、撫でまわした。
「結局のところ、あったかければいいんだよ」
僕ともずく先生は、布団をかぶった亀みたいにごそごそさぐりあった。なんだか、僕も気が楽だった。とりわけ、もずく先生の前ではカッコつける必要がなかったから。
もずく先生は、ミヤナじゃないから。
僕はちゃんと勃起ができていた。それが確認できて、僕はとても安心した。
僕のちんぽは、リトマス試験紙だ。あるいは、ダウンジングマッシーン。自分の一部であるはずなのに、反応するかしないのか、その判断を僕以外の誰かにゆだねているようなところがある。それはきっと、ちんぽの妖精とか、小さめの鬼とか、スピリチュアルな何かだ。けして、アドレナリンの分泌量によって変わるものではない。
もずく先生は、僕のペニスを奥深くまで口に入れた。先っぽにこりこりしたものを感じたけれど、たぶん、喉の骨じゃないだろうか。僕がびびって腰を引くと、もずく先生は腰をつかんで離さなかった。くぐもった声で何か言っていたけれど、何を言っているか全然わからなかった。
先生の細い指が、僕のペニスを手こきしてくれる。先生の指は、女の人のように細かった。白い指が自分のものに絡まるのが、とても気持ちがいい。
先生は、探し物でもするように、僕の体のあちこちを擽った。ときどき、指で何か体に絵を描いていた。それは丸だったり、四角だったり、わけのわからない記号だったりした。
先生はニコニコ笑って、犬の下あごを撫でるみたいに、僕を可愛がってくれる。これじゃあ、どっちが「ネコ」なのかわからない。
僕のペニスはあっという間に限界を迎えようとしていた。そのことを報告すると、もずく先生は言った。
「最後までする?」
最後って、何ですか?
そう言う前に、僕は射精してしまった。
こんな、セックスとも呼べないようなものが、僕ともずく先生の初めてのセックスだった。先生は、過保護な母親のように僕に尽くした。僕はほとんど関与していない。
もずく先生は、最後までしなかったから、と、代金を割引してくれた。五千円だった。こんなに値引きをされてしまうと、もう五千円分が気になってくる。
「最後」って、何だよ。
後日、僕はミヤナに改まって、クリスマスデートに誘った。ちょっと遠出をして、イルミネーションを見ようと提案したのだ。本当のことをいうと、光る電飾の集合にあまり興味は湧かなかったけれど。
ミヤナは「いいよ」と快諾してくれた。ミヤナとセックスの約束はしなかった。正確に言うならば、しなくて済んだ、ということだろう。
それから、年明けに、もずく先生をもう一度呼び出した。
「久しぶりっていうほどでもないよね。どうしたの?」
雪が降りしきるなか、先生と僕は狭い歩道で横に並んで歩き、差したビニール傘をぶつけ合いながらしゃべった。
「最後まで、してほしくて」
「おやおや」
もずく先生は、出来の悪い子どもを見るみたいな目をして、僕を見つめた。その視線は、決して嫌なものではなかった。どこか慈しみを含んだ、それでいて、どこか物悲しい、そういう視線だった。
僕はもずく先生を家まで連れて帰り、もう一度してもらった。ひととおりこなした手順をたどるのは簡単だった。雪の上についた足跡を踏みつけていくようだった。もずく先生の服をぬがせ、肌を合わせ、ちんぽをしゃぶってもらう。もずく先生は男なのに、何回も勃起ができるのは、自分でもすごく不思議だった。頭なんか、天然パーマでくるくるしているのに。大して鍛えた体でもないくせに。手術をしておっぱいがついている、そういうわけでもないのに。
「僕のお尻に入れるのは、べつに平気なの?」
もずく先生は、僕の目をまじまじと見てそんなことを聞く。僕が平気だ、と答えると、そう、とそっけない返事をして、そのお尻の中に、あっという間に僕のペニスを吸い込んでしまった。もっと苦しそうな表情をするとか、もっと声を出すとか、ためらいを見せるとか、そういうことを期待していたので、僕はちょっと拍子抜けしてしまった。
もずく先生は、僕の腹の上で、お尻にペニスを刺しながら、深く息をしている。呼吸のたびに、薄い腹の膜がへこへこ上下するのが見えた。無駄な肉もなければ、筋肉もなかった。あんパンのてっぺんみたいに、へそのくぼみがあるだけだ。
「よいしょ、よいしょ」
もずく先生は、気の抜けるような掛け声を出してピストンを始めた。もずく先生のお尻が、僕のペニスをもくもくと吸い上げる。お尻の中は、そこまで気持ちよくはない。これなら、口でしてもらったほうがよかったな、と僕は思う。しかしまあ、これはこれで、いいか。もずく先生は、僕の気持ちを読んだのか、くすくす笑った。
「悪くはないでしょ」
「うん」
もずく先生は、けなげに、献身的に腰を上下させた。僕はその姿に、ミヤナの姿をオーバーラップさせた。ミヤナが汗をかきながら、グロテスクな女性器に僕のペニスを一生懸命出し入れさせるのだ。その虚像は、目の前のもずく先生の姿と上手に重ねることができない。どこをどうしてもはみ出したし、ずれてしまう。ジグソーパズルのピースを無理やり組み合わせてしまうような違和感が残った。その後で、後背位も試したけど、大して変わりはなかった。膝がシーツとこすれて、痛かった。
僕の中には、気持ちが二つある。
こういうものかっていう気持ちと、まあまあいいかもしれないなっていう気持ちだ。
シャワーを浴びた後で、もずく先生にそのことを伝えると、先生は笑った。
「そんなものだよね。大したことじゃないんだよ。だから世界の人口は七三億人もいるんだし」
そのコメントが適切なものなのか、そうでないのか、僕には判断しかねた。
僕は、僕の知らないところで行われた、七二億と九九九九万九九九九回の性行為について、思いをめぐらせる。ちゃんと計算するなら、一回の出産で双子が生まれる場合もあるし、多くの場合において、カップルは避妊をしてセックスするだろうから、単純に人口イコール人類の総セックス回数と計算することはできない。七二億と九九九九万九九九九回という数は、「少なくとも」という数にしかすぎない。
僕は七二億と九九九九万九九九九回、あるいはそれ以上ピストンを重ねた、人類のペニスについて、シリアスに考える。もしもそのピストン回数をひとつのペニスに集約したら、一万回を過ぎたあたりで、摩擦熱で先端が燃えだすだろう。そして、それはきっと聖火リレーのように、ごうごうと燃え盛る。
まさに、生命の神秘だ。
それからも僕は、もずく先生に電話をかけては、お金を渡してセックスをするようになった。最後までしたり、しなかったりするけど、一万円を取られてしまう。もずく先生に払った金額を考えると、結構な額になる。学生の身分でありながら、いっちょう前に風俗狂いだ。親が振り込んでくれた仕送りをコンビニのATMで降ろすたび、罪悪感が背筋をのぼった。
もずく先生は、そのことについて僕に何か言ったことはない。もうやめたら? とか、ちょっと、呼びすぎだよとか、そういう忠告をしてくれる気配もない。僕が上客だから、機嫌を損ねたくないというのもあるんだろう。
しかし、それ以上に、もずく先生はそういうことを「どうでもいい」と思っているようなところがあった。
もずく先生は、僕のことを、ただの棒にしか思っていないのだ。頭と手足がついていて、口が利けて、決まった額のお金を払ってくれる棒。お尻に詰め込める棒。
人が聞いたら、ひどい話に思うかもしれない。だけど、僕にはそれが心地よかった。僕という人格を認めていない。認めてくれない。それでいい。期待なんて、してくれないほうがいい。
こんなふうに僕は、もずく先生の予言通り上客になった。
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