第10話 メガネ

 改めて知ったことだけど、街には本屋が三軒もあった。街に住む人口から考えると本屋が三軒あってもおかしくはないけど、どの店も売本がとても少ない。

 店主に「売本だと商売にならないのか?」と聞いてみたところ、そもそも商品が無く、稀に入ってきても貸本と比較して高額過ぎて殆ど売れないそうだ。

 確かに、読書するだけならわざわざ本を購入する必要はないよな。

 なら販売価格を落としたらどうなるだろう? いや、それだけではあまり効果は見込めないと思う。商品の充実無くして、購買層が増えることはない。

 まずは、売本自体の認知度を上げないと……。


 ん? 本屋のリサーチなんて突然どうしたんだって?

 無地の冊子を買うついでにと思って情報収集してきただけなんだけど、思った以上に厳しかったよ。

 儲けだけを考えるなら、魔術師ギルドに売ってしまった方がいい。

 しかし、作成コストの関係から商売にならなかった書写本。俺ならば量産することができる。

 真っさらな流通経路ならば、アウストラ商会も噛んでない。だからこそ本屋にも書写本を供給したいんだ。

 本格的にやるのなら、魔術師ギルドに協力を仰ぎたいところだが……明日、にゃんこ先生に書写本を持って行った時に相談するか。魔術師ギルドにとっても悪い話ではないはず。


 そんなこんなで、無地の冊子を百部ほど持って宿屋に戻る。

 ゆっくり回っていたから太陽が真上に来ようとしていた。


「おかえりなさいませ」


 宿の扉をくぐった俺に気が付いたエステルが、元気よく挨拶をしてくる。

 

「ただいま」

「沢山のお荷物ですね。お部屋でお仕事をされるのですか?」

「うん、昨日と同じ感じでと思ってるよ」

「でしたら、後でお飲み物をお持ちしましょうか?」

「ありがとう。助かるよ」


 ◆◆◆

 

 現在手元にあるのは三冊。残り七冊をちゃっちゃっとやってしまおうじゃないか。

 部屋に戻った俺は、さっそく書写に取り掛かる。

 二冊書き終えた時に部屋の扉を叩く音と共にエステルの声が。

 

「お飲み物をお持ちしました」

「ありがとう。中まで持ってきてもらえるかな?」

「では、失礼いたします」


 俺は急ぎ机の上に乗っている冊子やらを机の端っこに寄せて、ドリンクを置くスペースを作る。

 エステルは俺の動きがとまるまでじっと待っていてくれて、俺が顔をあげるとにこやかにほほ笑んでドリンクをコトリと机の上に置く。

 

 ん? ドリンクを置いたエステルが両腕を腰の後ろで組んで首を傾け、もじもじとしている?

 

「どうしたの? エステル」

「い、いえ……」


 そうは言うが、目が泳いでるぞ。


「そ、そっか」


 突っ込んではいけない気がしたから、ワザとらしく体の向きを変えドリンクに手をつけた。

 しかし、エステルは部屋から出て行こうとしない。

 

「あ、あの。ストームさん、これ!」

「ん?」


 エステルは目をギュッとつぶって、両手を前に突き出す。

 彼女の手には手のひらくらいの大きさがある包み紙が握られていた。

 

「これは?」

「ど、どうぞ! あ、あの時のお礼です!」

「ありがとう。さっそく開けていいかな?」

「は、はい!」


 俺にプレゼントを渡すのがよほど恥ずかしかったのか、エステルは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。

 俺はそんな彼女の態度に微笑ましくなって、久しぶりに胸が暖かくなるのを感じていた。

 

「お、おお。メガネだ」

「名を変えてとお聞きしましたので、姿を変えるのによいかと思いまして」

「ありがとう、エステル! ちょうど、ゴーグルでも買おうと思っていたんだ」


 椅子から立ち上がって、エステルからもらったメガネを装着してみる。

 黒ぶちの度無の洒落たメガネで、これならゴーグルと違ってつけていても怪しい感じはしないだろう。むしろ、賢そうに見えるような気がするぞ。

 

「エステル、こんないい物を、嬉しいよ! 何かお礼をさせてくれないかな?」

「い、いえ、あの時のお礼ですし……」


 戸惑うエステルの肩をポンと叩き、俺はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「あの時はお礼に『ステータス鑑定』をしてくれたじゃないか。だからさ、今度は俺の番だよ」

「で、ですが……」

「お金のことなら心配しないでくれ。これでもなかなか稼いでいるんだぜ」

「で、でしたら、街の外のお話を聞かせて欲しいです。私は街の外に出たことがありませんので……」


 消え入るような声で希望を言うエステルはとてもいじらしい。

 俺はつい彼女の頭を撫でた後、ハッとして慌てて彼女から手を離す。


「ご、ごめん」

「い、いえ……」


 気まずい雰囲気が流れる。

 俺は頭をかき、誤魔化すように声を出す。

 

「エステル、じゃあ、食事でもしながら魔の森の話でもしようか」

「は、はい」

「都合のいい日を後で教えて欲しい。連泊中はエステルに都合を合わせられるから」


 エステルはペコリとお辞儀をして、僅かに頬を赤く染めたまま部屋を辞したのだった。

 

 ◆◆◆

 

――翌朝

 深夜までかかり、予定していた十冊の書写本を完成させた。やろうと思えば更に数冊の書写本を作ることもできたけど、余りやりたくはないんだ。

 トレーススキルは俺の意思に関わらず「実行」すると自動で身体が動く。

 つまり、俺が眠っていようが勝手に書写を行ってくれる。しかしだな、これをやると起きた時に体が痛くなるんだよなあ。寝違えた時の感覚に似ていると言えばいいのか。

 寝ころんでいてもできる作業ならともかく、椅子に座ってやる作業は夜通しやるに向いていないってことだよ、うん。

 

 リュックに書写本を詰め込んで魔術師ギルドに向かう。

 にゃんこ先生に取次を頼むと、彼はすぐに顔を見せてくれた。

 

「どうしたのかね? 何か本に不備があったかな?」

「いえ、書写本が完成しましたので持ってきたんですよ」

「ん?」


 にゃんこ先生は髭をピクリと揺らし、俺の顔を凝視する。

 そんなつぶらな瞳で見つめられると、照れてしまってモフモフしたくなっちゃうじゃないか。

 俺は彼から目をそらし書写本を一冊、リュックから出す。

 一方のにゃんこ先生は、書写本と俺の顔を交互に目をやり口をパクパクとさせている。耳もピクピクと動いて俺の心をくすぐる……。

 そうだ。中身もちゃんと見せとかないと。

 にゃんこ先生に見えるよう斜め前に書写本を傾けて、パラパラページをめくっていく。

 あれ? 反応がない。

 

「ミャア教授?」


 何か重大なミスをしていたのかと不安に思い彼に呼びかけたが、指で書写本をさして指先を震わすばかりだ。

 

「ストームくん!」

「はい」

「ストームくん!」

「は、はい……」

「本当に書写本が完成しているではないか!」

「え、ええ、まあ……」

「慣れた者でも二週間はかかる作業なのだが……まさかたったの二日で……」


 どうしよう。実は十冊ありますとは言い出せない空気なんだけど……。


「急いでやったもので、ちゃんと出来ているか不安なんで見てもらえますか?」

「う、うむ」


 ペラペラとページをめくるにゃんこ先生のむちっとした指先に吸い込まれそうになりながら、彼のチェックが終わるのを待つ。

 

「完璧だ。ストームくん。これなら売り物になるよ!」

「それはよかったです!」

「もしよければ、もっと書写本を作って欲しいのだが、本が不足していてね。これだけ早くできるのならぜひお願いしたい」

「そ、そのことですが……」


 俺はおずおずとリュックを開き、次々と書写本を積み上げて行く。

 五冊目を置いたところでにゃんこ先生が泡を吹いて倒れてしまった……。

 俺はこの隙ににゃんこ先生をナデナデしてもいいのかなあとか場違いなことを考えながら、彼が起きるまで待つことにしたのだった。

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