第33話
階段を二つ降りた地下二階。廊下を進み、普段隊員が曲がらない道に入る。
大きく真黒な扉。見慣れたその扉には、郡司の者にしか開けられぬよう、異能によって多重のセキュリティーが施されている。
扉の奥は、郡司家の仮居住スペース。本宅は別にあるが、郡司胤蔵、佐也加、冬鷹、雪海はほとんどこの場所で寝泊りをしていた。
風呂トイレ、小さなキッチンスペース、各人の部屋、と進んだ最奥。そこにはまた黒く大きな扉がある。
「ここが、雪海ちゃんの部屋なの?」
扉を潜り訝しむ怜奈に、雪海は意を決した顔で頷く。
「……怜奈ちゃん、あのね、……実は隠してたことが――聞いてほしいことがあるんだ」
「え? う、うん、どうしたの?」
「あのね……じつは私――、」
何から話し始めれば、どう説明すればいいのか判らない様子の雪海は、何度も言葉を詰まらせた。だが、自分と兄の過去、施された人体改造、『郡司』になった経緯、部屋の必要性などを一つ一つ語っていった。
「――だからね……怜奈ちゃんの前にいるこの私は、本当の私じゃないんだ」
そう言うと雪海の身体が一瞬で溶け、水になり床を流れてゆく。
次の瞬間には、プールから姿を現した雪海がプールサイドに上った。
「これが本当の私――って言っても違いが判らないよね?」
雪海は無理に笑ってみせた。
冬鷹でさえ見分けが付かない。他者から見ればどちらも同じかもしれない。
だが、雪海が『本当の私』だと言うならば、それが冬鷹にとっては絶対的な基準だった。
同じ気持ちになってくれたのか、怜奈も首を振った。
「確かに……どこが違うのか判らないけど…………でも、怜奈ちゃんなんだよね?」
「うん。その……隠していてごめ――ッ!?」
怜奈は雪海に抱き付いた。
「やっと会えた」
雪海は一瞬驚きに目を見開いていたが、すぐにそっと抱擁を返す。
「ごめんね、隠してて」
「ううん、謝る事ないよ。それにね、私も隠していた事があるの。聞いてくれる?」
隠していた事――その言葉に、皆が静まるのが判った。
やはり〝実験〟と関係が――。という思いが冬鷹の胸に湧く。
雪海は「何?」と優しく尋ねた。
「うん、えっとね、何から話そうかな」
雪海は言葉にせず、ただじっと待っていた。
「うーんとね、……あ、でも、うん。まずこれは言っておかないとね」
ごめんね。
それと、ありがとう。
明るく、朗らかで――しかし、不思議と冷たさも感じる言葉だった。
「……え? なんのこ――」
雪海の言葉が唐突に止まる。
――いや、違う。雪海自身が止まっていた。
「なっ!? 雪海! ――ッ!?」
冬鷹は雪海に駆け寄ろうとした。しかし、足が動かなかった。
氷――ッ!?
足が床に氷漬けにされている。まさか――と顔を上げた。
「良いコのフリって大変。ずっと続けてたら全身凝りそうだわ」
怜奈はお下げのリボンを解き、手首に巻き付ける。その顔は笑っていた。
だが、それまでの健気な少女の笑顔ではない。興奮と歓喜を抑え込んだような満面の笑みを浮かべ、解き放たれた長い黒髪を軽やかにほぐす。
「大人しくしてね。動けないとは思うけど、まあ下手な真似はしないで」
明るく告げる怜奈の手が、紹介するかのように雪海の背にあてがわれる。
「雪海をどうするつもりだッ!?」
「
「ふざけんな!〈ゲイ――、」「甘い」
突然、足に突き刺すような激しい痛みが走り、冬鷹は倒れ込んだ。隣では英吉も足を抑える様にしゃがみ込む。
「〈黒川〉〈
「な、なんで――、」
「そんな事知ってんのかって? そんなの、調べたからに決まってるでしょ。と言っても私じゃないと、その辺の凡人に見つけられるような『穴』ではないけどね」
怜奈は部屋を見回しながら淡々と語る。
「ついでに郡司冬鷹、アンタの〈アドバンスト流柳〉についてもある程度調べは付いてる。その性質上、他の異能がなきゃ意味がない。アンタは〈異能具〉以外の異能を使わないから、装備を使えなくすればいい――へえ、なるほどね。そうとう〈水氣〉に関する魔術が進んでるのね。勉強になるわ」
「怜奈ちゃん、アンタいったい何者なの?」
恐る恐る尋ねる杏樹に、怜奈は尚も調子を変えず答える。
「『ただの苦労してる女子中学生』よ。少しばかり天才なところがあるけどね。自分で言うのもなんだけど――あー、まあ、でも基本的な方向性は想像通りね。用意していたので十分だわ」
「さっきからぶつぶつと、いったい何を、」
「あー、うるさい。もう済んだから。それにそろそろ時間だし、あ、別れを言えば? この状態でも雪海には聞こえてるはずだから」
そう言いながら怜奈は氷で大きなパラソルを造り出す。その下に雪海と収まった。
それと同時に、地面に
プールが慌しく揺れ出した。
――次の瞬間、プールの大きさを太さとした、巨大な一本の
空間ごと震わす衝撃。天井が崩れ、瞬く間にできる瓦礫の山。
「やっぱ『氷』は〈水氣〉と相性いいわね。予想以上のおかしな出力になったわ――と、そうそう、別れは済んだ? って私が邪魔しちゃったか。でもごめん、タイムオーバー」
鳴り響く警報のなか、怜奈は余裕を感じさせる落ち着いた笑みを向けてきた。
「やめろッ! 雪海を、」
「やめない。雪海は連れてく。それじゃ」
淡々と告げながら、怜奈は自ら呼び出したアイスゴーレムの肩に座る。アイスゴーレムは凍りついて動かない雪海をもう一方の肩に乗せると、氷柱の根元を殴りつけた。
樹木の皮を剥がす様に氷柱の一部が壊れると、中は空洞になっていた。その中に二人と一体は消えてゆく。
「待てッ! 雪海ッ!」
「待つわけがない。無力な兄は黙ってなさい」
「雪海いいいいいいッ!」
冬鷹は叫ぶ。何度も何度も叫び続けた。
しかし、数十秒後にはその声が萎れていく。
雪海が攫われた。
もう妹に声が届いていないと、心が理解してしまった。
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