16
ポルクスという少女の人生に転機が訪れたのは彼女がまだ八歳の時だ。
彼女の両親は盗賊だった。彼らは魔神が封印されているという地下迷宮に忍び込み、迷宮を守るガーディアン・姫宮宗司に捕まった。
ポルクスの両親は警察に引き渡され、身寄りを失った彼女は宗司に引き取られる。
姫宮星観という名を与えられ、彼女の新しい人生がスタートした。
「星観ちゃん、そのお菓子どうしたいんだい」
ある日、家の縁側でチョコレートを食べている星観を見つけ、宗次がそう話しかけた。
家に置いてあるお菓子の中にそんなものがあった記憶はない。
「コンビニにあった」
星観は悪びれずそう答えた。
彼女にお小遣いの類を渡した覚えはないし、購入したとは考え難い。だから宗司はすぐにその答えに辿り着いた。
「盗んできたのかい?」
うん、と星観は頷き祖父の顔を見て不思議に思う。
どうしてそんな悲しそうな顔をしているの、と。
窃盗や無銭飲食、ポルクスは今までそういったことが当たり前の家庭で育った。
まともな倫理観や道徳観を誰からも教わることもなく今日まで過ごしてきた。
宗司に引き取られ彼に育てられる中で、一つ一つそういった当たり前の価値観を彼女は学んでいくことになる。
やがて成長するにつれ星観は昔の自分が如何に異常な環境で育ったのかを理解し始めた。
盗賊の家で育ったことなど自分の人生の汚点。誰にも知られたくない。
自分にとって感謝すべき親は姫宮宗司ただ一人なのだ。そう思うようになった。
星観はやがてガーディアンとして戦う祖父に憧憬の念を抱き始める。
自分もガーディアンとなって祖父の跡を継ぎたいと。
だがそれは叶わない夢だった。どれだけ練習を重ねても星観は聖霊を召喚できなかった。
そんな彼女を見守りながら宗司は優しく告げる。
「いいんだよ星観ちゃんは、無理しないで星観ちゃんのやりたいことをやりな」
彼は星観にガーディアンになれとは一言も言わなかった。
当然だ。聖霊術師の血筋でも何でもない彼女は絶対にガーディアンになれない。それがわかっているから無駄な希望は持たせたくなかった。
数年後、宗司は病に体を蝕まれ静かに息を引き取った。
病院のベッドで静かに眠る祖父の亡骸に星観は泣きついた。
優しくて尊敬する祖父を失った悲しみは勿論ある。だがそれだけでなく彼女には一つの夢があった。
自分が聖霊を召喚できるようになって、宗司が生きている内に認めてもらうこと。
星観ちゃんなら立派なガーディアンになれる、そう言って欲しかった。
だがその夢は永遠に叶わなくなった。
やがて涙が枯れた頃、彼女はポケットに手を入れハンカチを探す。
そこで一枚のカードに指が触れた。
それは遠い昔、自分の両親から貰ったカードだ。何も描かれていない白紙のカード。何に使うのかもわからないが何か大事な物なのかもしれないと思い常に持ち歩いていた。
ポケットからカードを取り出しそれを見る。いつもと何も変わらない白紙のカードだ。
星観の頬を伝う涙がそのカードに落ちた時、それは起こった。
ベッドに横たわる宗司の胸元から黄金に輝く光の柱が生み出される。
その光は星観の持つカードに吸い込まれ、弾けて消える。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
恐る恐るカードを見るとそこには黄金のタテガミを持つ獅子の姿が描かれていた。
見間違える筈もない。祖父が愛用していた黄金の聖霊、金銘獅子雷獣だ。
そうして星観は初めて聖霊を操れるようになった。聖霊術師としての方法ではなく盗賊としてのやり方で。
彼女は表向き雷獣を自分の聖霊ということにして、ガーディアン・スクールへ入学した。
目標はガーディアンとなって祖父が担っていた地下迷宮の守護者を継ぐこと。この地下迷宮を守る役目は誰にも譲る気はない。
どんな手を使ってでも、それが自分の物でない偽りの力だとしても。
彼女にはそれしか残されていないのだから。
間一髪だった。海岸沿いの洞窟に逃げ込みながら俺は息を整える。
俺が星観の元に辿り着いた時、カストルの攻撃が星観を襲うところだった。
すぐさま俺はサイレント・アサシンを召喚し、星観の影を操った。
サイレント・アサシンは対象を影の中に引きずり込み、近くへワープさせる能力を持つ。
そうして俺は星観を連れて命からがらカストルから逃げてきたわけだ。
しかし星観が紫の魔方陣から雷獣を召喚したのを見た時は驚いた。
そしてカストルの気配を察知するために起動していた心言領域のお陰で、図らずも星観の心の声を聞くことになる。彼女がかつて盗賊の家で育ち、その後姫宮宗司に引き取られた記憶が俺の中にも伝わってきたのだ。
洞窟の奥から星観がすすり泣く声が聞こえてくる。
「知られたくなかったです。誰にも」
星観の呟きが静まり返った洞窟内に響く。
俺が星観の心を覗いてしまったことで彼女をさらに傷つける結果になってしまった。
偶然とはいえ彼女の秘密を知ってしまったことは申し訳なく思う。なんとかフォローしないと。
俺は星観へと近づき、その頭に手を置く。そしてできるだけ優しい声音で話しかけた。
「なあ星観、お前の気持ちも多少はわかるつもりだぜ。お前を見てると昔の凛音を思い出すよ」
「凛音を?」
彼女は不思議そうな顔を見せる。
「ああ、凛音もお前と同じだ。家族を失って俺の家に引き取られた」
それはもう十年も前のことだ。
当時、悲しい事件で家族を全て失った凛音は来る日も来る日も泣き続けていた。
彼女の心の傷はきっと想像もできないほど深い。新しい家に馴染むのも時間がかかるだろう。俺は仕事で家を空けがちな両親の分まで彼女の孤独を埋めようと努力した。
好きな食べ物を作ってあげて、欲しいものを買ってあげて、時にはちょっと強引に遊びに連れていったりもした。
その甲斐あって、少しづつ彼女が一人で涙を流す頻度は減り、俺にも心を開き始めた。そんなある日のことだ。
こーへーのお手伝いがしたい、と控え目に彼女は言った。
いつも家事を一人でこなしてて大変そうだから、と。
凛音の方からコミュニケーションをとろうとしてくれたことが嬉しくて俺はそれを快諾した。
一緒に料理を作ろうと俺は提案する。
台所へ行って野菜の皮剥きをお願いし、俺はその横で野菜を切ることにした。
だがすぐに凛音が震えていることがわかった。彼女は俺の持つ包丁を見て怯えていた。
後から知った話だが凛音の父親は包丁で刺されて亡くなったらしい。
包丁は彼女のトラウマを呼び起こすものだったのだ。
すぐに俺はお手伝いを中止する。凛音は申し訳なさそうに俯いていた。
大丈夫だよ。料理なんてできなくても。俺はそう励ます。
でもこーへーはいつも頑張ってるのに、私は何もできない、と彼女は沈んだ顔を見せる。
俺の真似なんかしなくていい。そう俺は言った。
家の事を手伝えなきゃ家族の一員になれないと思ってるならとんだ間違いだ。
何もしなくたって凛音はとっくに俺達の家族だ。ここに居ていいんだよ。
俺の偽らざる本心を伝えた。
「なあ星観、なんでお前はガーディアンになりたいんだ?」
「それは」
その問いに星観は戸惑った顔を見せる。そこには一言で言い表せない想いがあるだろう。
自分を拾ってくれた爺さんへの恩返しと言えば確かに聞こえがいい。でも爺さんの聖霊を自分の力と偽ってまでガーディアンに執着する理由はそんな単純じゃない筈だ。
だから俺は言う。その言葉が彼女をしがらみから解放すると信じて。
「爺さんの跡を継がなきゃ家族として認められないなんて思ってるならそれは大間違いだ。どんな道を歩こうがお前は姫宮宗司の孫、姫宮星観だ。きっと爺さんもそう思ってる」
言って俺は彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「聖霊術師のフリなんてしなくていいさ。自分らしく生きろ」
「私らしさってなんですか。そんなのわかりません」
拗ねたように涙声でそう返す。
そうだな。俺だってわかんねーや。
だからこれから見つけていこう。過去を振り切った後に。
踏み込みすぎかもしれない。お節介かもしれない。でも俺には彼女を放っておけなかった。彼女に昔の凛音を重ねてしまったから。
さて、まだカストルは竜の大群を暴れさせているだろう。
奴を倒さないと、とは言え星観は戦える状態じゃない。
俺は星観の手に握られた雷獣のカードを掴む。
「お前は休んでな。代わりに爺さんの力、ちょっと借りてくぜ」
「え」
星観は戸惑った顔を見せる。驚くほど抵抗なく雷獣のカードは彼女の手から抜け落ちた。
黄金のタテガミを持つ獅子のカード。そこに俺は誓う。
星観は俺が守る。だから力を貸してくれ、姫宮宗司。
そして俺は洞窟の出口へ足を向けた。
「待ってください。先生無茶です。姉さんはそんな甘い相手じゃない」
後ろから星観の声が届く。
確かにそうだろうな。雷獣を使いこなして戦う星観ですらアイツには敵わなかった。
俺が付け焼き刃で雷獣を使ったところでどうにかなる相手ではないかもしれない。
けどそれでも引けない戦いというのはある。
洞窟を出たところで俺は雷獣のカードを翳す。紫の魔方陣が虚空に描かれ、そこから雷を纏った黄金の獅子が姿を現す。俺はその背に跨がり声を張り上げた。
「いくぜ金銘獅子雷獣! 雷星雲!」
雨雲から雷鳴が響き、幾つもの落雷が連続して降り注ぐ。それらは俺の目の前に落ち、小型の黒雲を生み出す。
階段のように連なった黒雲、星観はこれを足場にして空を飛ぶ銀竜達と戦っていた。
彼女の戦い方を真似させてもらおう。
俺を乗せたまま雷獣は雲へと飛び移り、空を駆け抜ける。
そして人家の密集する辺りまで行くとそこは酷い有り様だった。
無数の銀竜が街へ攻撃を放ち、あちこちで火の手が上がっている。
あたりには悲鳴が響き、島民達は逃げ惑う。聖霊術師達が必死に戦ってくれているが、際限なく現れる竜軍団を相手にしては焼け石に水だった。
凛音を取り戻そうとした俺の行動が紗雪を、星観を、そしてこんなに多くの人を巻き込んでしまったのか。
カストルめ、この落とし前は必ずつけてやる。
俺がそう決意を固めていると上から不愉快な腹話術が割り込んできた。
「あれれー、誰かと思えば幸平くんじゃーん。雷獣に乗って空のお散歩かな」
ぎっと歯を食い縛りそちらを睨み付ける。
銀竜の背に乗ったカストルがこちらを見下ろしていた。
「ポルクスを助けたのはやっぱりアンタなんだ。あの子は何処?」
ポルクス、あのライオンのパペットの名であると同時に星観の昔の名前でもある。
「悪いが選手交代だ。俺の可愛い生徒を苛めてくれたお礼はたっぷりさせてもらうぜ」
そう言い返し、改めてカストルの姿を見る。
普段はフードに隠されていた綺麗な顔と風に靡く銀髪が今は惜しげもなく晒されている。
こいつが星観の双子の姉。その顔立ちは星観とそっくり、と言うには語弊がある。星観を一回り幼くしたという表現の方がしっくり来るだろう。
体格も小学生にしか見えないし、歳の離れた妹と言えば納得できたが双子の姉という風には到底見えなかった。本当に星観と双子なのか? 何か引っ掛かる。
そんなことに思考を割いていると翼竜達が俺を取り囲み、その口から光線を放ってきた。
ちっ。俺は雷獣を操作し、近くの黒雲に飛び移りその攻撃を躱す。
だが止まることない銀色の嵐がしつこく俺を追いかけてくる。
くそっ、こんなもん避けられるか!
「雷星壁!」
星観の真似をして電撃の防護壁を展開、敵の攻撃を受け止める。
だが殺しきれない衝撃が雷獣の体をよろめかせる。
くそっ、防戦一方かよ。
気付くとカストルは遠く離れた位置からこちらを見下ろしていた。俺達の間には無数の銀竜が飛び交っている。
あの中を突っ切ってカストルに接近することは出来るか?
リスクは大きいが一刻も早くこいつを倒さないと街への被害は際限なく広がり続けるばかりだ。やるしかない。
「雷星雲!」
黒雲を呼び寄せ、カストルまで届く道を作る。そして雷獣は雲でできた道を駆け上る。
この戦力差、長期戦は不利だ。一気にカストルを叩く!
しかし当然彼女の回りには何十体もの翼竜が控えている。
奴等の集中砲火を雷星壁で防ぎ、反撃の雷星光で何体かの竜を焼き払って強引に中央突破を試みる。だがカストルに近づけば近づくほど、竜の数は増える一方だ。
正面からの一斉掃射を雷星壁で凌ぎつつ前進していく、その時背後で何かが光った。
肩越しに振り返り、それが後ろに回り込んだ銀竜の攻撃だとわかる。
クソッ、死角からの攻撃かよ。相手は上下左右前後どの方向からでもこちらを攻撃できる。死角なんてどこかにできるに決まってる。
雷星壁は今正面の攻撃を防ぐのに使ってる。ここは避けるしか。
雷獣の進路を左に動かそうとする。そこで背後から飛んできた光線が雷獣に衝突した。
なんとか直撃は避けられた。けどその衝撃で雷獣の体は大きく傾き、俺はその背から投げ出される。
やべえ。
一瞬の浮遊感、そのすぐ後に重力に従い俺の体は地上へと落ちていく。
この高さから落ちれば間違いなく死ぬ。
それを理解してなお、俺の中には恐怖よりも悔しさの感情の方が大きかった。
こんなところで俺は死ぬのか? 星観を守ると誓った。凛音を絶対に見つけると託された。それらを何も叶えられないまま?
落下を続ける中、俺のポケットから一枚のカードが飛び出し宙を舞う。
そこに描かれたのは白き翼を持つ神秘的な鳥の姿。
心言霊鳥シムルグ。紗雪から託された聖霊。
俺の脳裏に紗雪と最後に交わした言葉が蘇る。
――今まで話せなくてごめんなさい。でも私は信じてます。せんせー、貴方なら凛音さんを助けてくれる。
紗雪は俺を信じてくれた。俺が凛音を救うことに願ってシムルグを託してくれた。
だが兄貴は俺のシムルグを見てこうも言った。
――心言霊鳥シムルグ、お前はその聖霊の本当の力を引き出せていないようだ。
俺には紗雪の様にシムルグを使いこなせない。彼女の期待に何も応えられていない。
そんなんじゃ紗雪を届くわけねえんだよ!
俺は地上へ向かって手を突き出す。
望むのはただ一つ。力が欲しい。大事な人達を守る為の力が!
そんな俺の願いが共鳴したのか、シムルグのカードが淡く光った気がした。
そして俺の中に知らない記憶が割り込んでくる。
それらが再び集まったなら、神の力は今こそ覚醒する。
俺の手から黄金の輝きが生み出される。
自分が何をやろうとしているのか理解できない。それでもなんとなくわかることがある。この手を伸ばした先に俺の求める力があると。
中空に黄金の魔方陣が描き出され、俺はその上に着地する。
「なっ、何をする気!」
カストルの驚いた声がどこか遠く聞こえる。
聖霊術師の描く赤い魔方陣とも、盗賊の描く紫の魔方陣とも違う。黄金に輝く魔方陣が扉の形を虚空に描いた。そして俺は儀式の言葉を吐き出す。
「黄金の輝きと共に眠りし真実の記憶よ。今こそその扉を開き、原初の姿と共に覚醒せよ!」
ゆっくりとその扉が開かれる。そこから眩き光の奔流が溢れ出し、上空にいた雷獣を呑み込む。きっと俺の姿も黄金に包まれ、カストルからは見えなくなっているだろう。
俺を包む光はそのまま急浮上し、カストルの頭上へと躍り出る。
そして光が弾け飛び、俺達の姿が露わになる。
「真の姿を現せ! 神翼霊獣シムルグ・キマイラ!」
俺が乗っている聖霊の姿を見て、カストルは驚愕に目を見開く。
雷の如く黄金に輝く獅子、今まで空を飛ぶ力を持たなかったそいつの背には真っ白に輝く一対の翼が伸びる。
「こんな、馬鹿な! シムルグと雷獣が合体した?」
信じられないものを目の当たりにして目を見張るカストル。
彼女の反応は尤もだ。俺自身も驚いている。聖霊同士の合体、そんなものは俺だって聞いたことがない。なのにできてしまった。自分の知らない筈のことを。
シムルグの力は心の声による対話。ひょっとしてみんなを守りたいという俺の心の声に聖霊達が応えてくれたのだろうか?
まあ細かいことはどうでもいい。大事なのは俺はまだ戦えるってことだ。
飛行能力を持ち空を自在に駆けるカストルのカトプトロン・アペイロン。そいつに対抗するにはこちらも空を飛べるようになるしかない。
「これで条件は互角。ここからが本当の勝負だ!」
そう言って俺は啖呵を切る。
『先生! 聞いてください!』
そこにシムルグ・キマイラの展開した心言領域に星観の声が響く。
地上を見ると洞窟に置いてきた筈の星観が木にもたれかかりながらこちらを見上げていた。
「ポルクスッ!」
カストルもそれに気づき、憎悪を滲ませた声でその名を呼ぶ。何故こいつは自分の妹をこんなに目の敵にしているのだろうか? ふと、そんな疑問が脳裏をよぎった。
とはいえ丸腰の星観を攻撃されては困るので、俺は先手を打って仕掛ける。
キマイラが咆哮し、その背中の羽に電流が集まる。
その両翼をはためかせると、電撃を帯びた無数の羽根がカストルへ向けて射出される。
「
雨の様に降り注ぐ光の羽を回避することは不可能だろう。カストルもそれに気づいたようで翼竜達を自分の頭上へ集め盾代わりにして雷の羽を受け止める。
「よそ見すんなよ。お前の相手は俺だぜ」
雷槍雨で何体かの翼竜を消し飛ばしたところで俺はカストルにそう告げる。
だがすぐに彼女の周りには今倒した数の倍近い翼竜が集まってくる。
くそっ、ホントにキリがないな。どっから沸いてくるんだこの竜軍団は。
そう毒づいていたところに星観の心の声が届く。
『聞いてください先生。カトプトロン・アペイロンの本体はその両翼に鏡を持っています。二つの鏡に自分の姿を映すことでそれは合わせ鏡となり、自分の分身を無限に生み出す。それが相手の能力です』
『なるほど、分身能力ね。分身能力の弱点と言えば本体を倒すってのが王道だよな』
『ご名答です。カトプトロン・アペイロンの本体が持つ鏡の翼を破壊することができれば、その鏡によって生み出された幻想体も消滅します』
なるほど、それはいい情報だ。分身体をいくら倒しても無意味、狙うなら本体を叩けと。
『で、その本体はどいつだ? 今カストルが乗ってる奴か?』
『そんな簡単な話なら苦労はしないんですけどね』
カストルはこの戦いの中で、攻撃を受けそうになった翼竜を乗り捨て、別の竜に飛び移る事をしていた。カストルが乗ってるとか、カストルの近くにいるとか、そんな理由で本体を特定することはできなさそうだ。
そんなやり取りをしているとカストル率いてる竜軍団がすぐに俺を取り囲んでくる。
戦うしかないか。俺も迎撃態勢に入る。
銀竜達が光線を放ち、俺は雷星壁を生み出しそれを防ぐ。
こちらの体力は有限、だがあちらは無限に分身体を生み出し攻めてくる。
やはり本体を見つけなければ勝ち目はない。だがどうやって?
『星観、このままじゃジリ貧だ。なんとか本体を見つける手がかりはないのか?』
『もう少し持ちこたえてください。私も考えますから』
苦し気にそんな返答が帰ってくる。
こっちは目の前の竜軍団を捌くのに精一杯だ。倒しても倒しても無限に湧き出る翼竜達。こいつらの相手をしながら本体を探すなんて到底できない。
心言領域を使ってカストルの心を読もうにも奴に接近することすら今や難しい。
姫宮星観は頭を悩ませていた。
一刻も早くカトプトロン・アペイロンの本体を見つけなければ幸平が危ない。
だが、一体どうすれば? 彼女は知恵を振り絞って考える。
カストルは星観にとって双子の姉だ。もし、根っこの部分で性格や考え方が自分と似通っているとしたら? 自分だったら大切な物をどこに隠すだろう?
星観は頭の中に、自分の大事なものを思い浮かべる。
その時、彼女の中に在りし日の記憶が蘇ってきた。
その日の朝、星観のルームメイトである涼風凛音はいつもより早く起きて制服に着替え部屋の出口の前に立った。
物音で目を覚ました星観は、寝惚け眼を擦りながらそんな凛音の背中を見る。
凛音はこちらに背を向けたまま、星観に言葉を投げかけた。
「ねえ星観、静佳と紗雪のこと宜しくね。静佳はすぐ無茶するし、紗雪はああ見えて傷つきやすいし、あの子達を任せられるのアンタしかいないから」
何故突然そんな風に言われるのか星観にはわからなかった。その言葉はまるで、凛音がいなくなるみたいではないか。
「じゃあね星観、あの子達を守って。アンタならきっとできるから」
最後まで星観の方を振り返ることなく凛音は扉に手をかけ、外へと姿を消す。
「凛音!」
すぐさま星観は彼女の後を追った。だが部屋を出たところで凛音の姿を見失ってしまう。
凛音の聖霊は隠密行動に長けた能力を持つ。本気で彼女が姿を隠せば、見つけることは不可能だと星観もわかっていた。
そしてその日以来、凛音が部屋に戻ってくることはなかった。
あれ以来、星観は凛音の言葉を守り続けてきた。静佳はきっと凛音を助ける為にもう一度地下迷宮に行こうとするだろう。だがそれは断固として阻止する。
もう二度と大切な人を失いたくないから。
どれほど静佳から嫌われようが憎まれようが、絶対に彼女を地下迷宮に入れない。静佳と紗雪を守ることこそ凛音から託された願いだから。
そして星観は答えに辿り着いた。自分だったら一番大切な物をどこに隠すか。
『私の本当に大事な物は』
心言領域を通して、星観の思考は幸平にも伝わっている。星観の心の声が彼女の出した仮説を幸平に届ける。
『本当に大事な物は戦いの場に連れてこない』
それが彼女の結論。それは俺にとって考えもしないことだった。
今俺が戦っている大量の翼竜達、この中に本体はいないという。
『けどこいつらとんでもないペースで分身体を補充してるぜ。間違いなく分身を生み出す親玉は近くにいる筈だろ?』
『ええ、その通りです。分身体に戦わせながら、本体はどこか安全なところに隠れている筈です』
安全なところ、そこはどこだろうと考えながら星観は空を見上げる。
上空を覆う暗雲、それはカストルがここに来た時からずっと地上への光を遮っている。
俺もあの時のことを一緒に思い出してみる。確かあの時は、最初に一匹の翼竜が黒雲の中に入っていって、そのあと雲から大量の分身体が出てきた。
『あの時です!』
そこで星観はある可能性に思い至る。ここまでくれば俺も同じ可能性を考えた。
あの時、カトプトロン・アペイロンの本体は雲の中に潜り込み大量の分身を生み出した。
俺達は雲から出てくる翼竜の相手をするのに手一杯ですっかり忘れていた。
もし、本体が今もなお雲の中に残っているとしたら?
『あの黒雲の中に突っ込んで本体を倒して来いってか?』
今考えたことは単なる憶測だ。正しい保証は全くない。
雲へと飛び込めば翼竜達も追いかけてくるだろうし、視界の悪い中で戦う羽目になる。
リスクを挙げればキリがない。だが上等だ。乗ってやるぜ。
『優秀な星観ちゃんの推理だからな。信じてみる価値はある』
『こんな時に持ち上げられましても』
星観の苦笑が返ってくる。
さてと、俺は周囲に集まってきた銀竜達を見渡す。
こいつらを一体一体相手にしてられねえ。いくぞ、シムルグ・キマイラ!
純白の翼を羽ばたかせシムルグ・キマイラは飛翔する。
目指すは空を覆う黒雲。
すぐに下方から翼竜達が追いかけてくる。そして次々に口から光線を吐き出し俺を襲う。
頼む、キマイラ。
俺がキマイラにしがみつくと、キマイラは体を回転させ、縦横無尽に空を飛び攻撃を躱す。まあ乗ってる方はたまったもんじゃないがな。ジェットコースターもビックリなレベルで振り回されたわ。
だがこれで黒雲へと突入できる。それを見てカストルも焦った声を出す。
「早く奴を仕留めろ! とっとと消し炭にしてやれ!」
雲の中に入ると案の定視界は最悪だった。
数メートル先も見通せない。だが少し進んだところにそいつはいた。
見慣れた銀竜が雲の中を泳いでいる。このまま進めばすぐにかち合うだろう。
ぱっと見では今までの分身体との違いは無さそうだ。こいつが本体である確証はない。
けどもうすぐ雲の中に竜の大群が飛び込んでくる。
こいつを攻撃し、分身体を消せなければそこで終わりだ。
「やるぞシムルグ・キマイラ! 雷槍雨!」
キマイラの翼に電流が走り、それを一振りすると無数の羽根が放たれる。
それらは真っ直ぐに雲に潜む竜へと迫る。
いけええええええ!
そして羽根は銀竜の片翼を貫き、その余波が周囲の雲を切り裂いた。
雲が晴れ、青空が戻ってくる。同時にガラスの割れるような音とともに銀竜の悲鳴が響いた。見ると銀竜の片翼から鏡の破片がパラパラと落ちていく。
銀竜は俺から逃げるように急降下する。下を見ると今まで暴れていた分身体が動きを止め、その体が徐々に透明になって消えていく。
やったのか?
「馬鹿な、私の翼が」
呆然とするカストル、彼女の乗っていた竜もその存在が薄まり消える。
足場を失ったカストルは空中に投げ出される。そこにカトプトロン・アペイロンの本体が駆けつけカストルを拾った。
「よくも、よくも私の翼をおおおおお!」
怨嗟の声をこちらに向ける。俺はそれに言葉を返す。
「俺が憎いか? 奇遇だな、俺もお前らが憎くてたまらねえよ。紗雪を奪ったお前ら四皇帝が!」
「紗雪? あの女か。アンタにあの女は救えない。アンタはここで潰す!」
その言葉に違和感を覚える。紗雪は兄貴に殺されたんじゃないのか? それにしてはこいつの言い方はまだ助けられる可能性があるように受け取れる。
ひょっとして紗雪は生きてるのか? それを確かめたい。
「うあああああ!」
我武者羅に叫びながらカトプトロン・アペイロンがこちらに迫ってくる。
チャンスだ。心言領域の中に入ってくれればアイツの心を読むことができる。
「紗雪は俺の手で絶対に助ける!」
彼女の名前を出すことでカストルの中に紗雪をイメージさせるよう誘導する。
そして俺もシムルグ・キマイラとともに銀竜へと突進する。
そこに星観の歌声が響いた。
霊唱、聖霊を強化する聖歌。それが届くとシムルグ・キマイラの纏う電気が黄金に輝く。
黄金と白銀、カトプトロン・アペイロンとシムルグ・キマイラ。二つの光が空中でぶつかり合う。
その瞬間、俺の中にカストルの心が流れ混んでくる。
暗い部屋の中で、椅子に縛られ静かに眠る紗雪の姿が見える。
紗雪は解剖されてなんかいない。まだ生きてるんだ!
俺とカストルは一瞬の交錯の後、すぐに距離をとる。
背後から銀竜が再び絶叫した。
奴に残された片翼、今の衝突でそちらの鏡も砕け散ったのだ。
「おのれ、おのれええええ! 私のカトプトロン・アペイロンを、よくもおおおお!」
憎悪に濁ったカストルの声が届く。対照的に俺の心は希望に照らされていた。
「ありがとよ、お前のお陰で紗雪の無事がわかった」
だったら俺は戦い続ける。紗雪を取り戻すまで!
ポケットから黒い拳銃を取り出す。二つの劇鉄を持つ特殊な銃、デュアル・バースト。
右の劇鉄を下ろし鉛玉を放つ準備を整える。それを見てカストルは激昂した。
「そんなオモチャで、私のカトプトロン・アペイロンを倒せるとでも?」
「オモチャなんかじゃないさ」
星観の霊唱が耳に心地よい。力が無限に沸いてくる感覚。
雷獣の持つ雷の力が俺の銃に宿る。
「
銃の引き金を引くと、そこから黄金の輝きが解き放たれる。
それを見てカストルは絶句した。
「なっ!」
視界を埋め尽くすほどの黄金の太陽がカトプトロン・アペイロンへと迫り、白銀の翼竜を呑み込んでいく。
「馬鹿な、馬鹿なあああああああ!」
黄金に呑まれカトプトロン・アペイロンは蒸発する。
聖霊を失ったカストルは絶叫とともに空中に投げ出された。
今ならアイツの正体がわかる気がする。アイツは盗賊だった頃の星観自身、カトプトロン・アペイロンの力で生み出された幼き日の星観の分身体。
落下と共にカストルの体は粒子となって消えていく。そしてその右手に嵌められていたライオンのパペットだけが残った。
「あーあ、折角便利な体だったのになあ」
主を失ったパペットがひとりでに喋り出す。
「楽しかったよ幸平くん、もう遊べないのが残念だ」
その言葉を最期にライオンのパペットが発火する。
落下を続けながら炎は勢いを増し、パペットの全身を呑み込んだ。
結局アイツは何者だったんだ?
気付くと一枚のカードが空を舞っていた。銀色の翼竜が描かれたカード、それは風に弄ばれながら地上へと吸い込まれ、カードを追ってきた星観にキャッチされた。
俺も彼女の傍へ着地すべく降下を始める。
カトプトロン・アペイロン。本来星観の物だった筈のカードを見つめながら彼女はポツリと呟いた。
「あのぬいぐるみは盗賊だった両親がどこかから盗んできたんです。まさかまさかあんな恐ろしい物だったなんて」
星観の認識をねじ曲げ、存在しない筈の双子の姉を生み出した。持ち主に災いをもたらす呪いのパペットってところか。
地上近くまで来ると、俺はキマイラから飛び降り星観の傍に着地する。
よく見ればお互いボロボロだな。
「わりい星観、結局夢幻の鍵は奪われちまった」
だが兄貴達の行く場所はわかる。夢幻の鍵を手に入れたなら次に奴等が目指すのは間違いなく地下迷宮だろう。
「夢幻の鍵も紗雪も、絶対に俺が取り戻すから」
決意と共に俺は誓う。それを聞いて星観は力なく微笑んだ。
「お願いします先生、私はもう」
その言葉は最後まで言い切られることなく、星観の体がぐらりと揺れる。
「星観!」
反射的に俺は彼女の体を支える。
星観は苦しそうな息を吐き出しながら俺の腕に収まった。
ちくしょう、やっぱりどこか怪我してたのか。
あれだけ激しい戦いを繰り広げたのだ。考えてみれば当然の事だった。
早く病院へ連れていかないと。
そう思って星観を抱き抱えると朦朧とした様子で彼女は言葉を雫す。
「信じてます先生、紗雪ちゃんを助けて」
こんなボロボロになっても自分のことじゃなく紗雪の心配を。
改めて俺は思う。こいつらは平和な日常に帰してやりたい。
その為に俺は戦わなきゃいけない。彼女の手を強く握り、俺はその願いに応える。
「ああ、約束する。みんなで一緒にガーディアン・スクールに帰ろう」
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