リレー小説

小雪杏

第1話その壱《五月雨 安》

目を開けると、辺りは薄暗かった。鳥のさえずりが聞こえる。背中越しに感じる地面は、どう考えても自分が寝ていたはずの布団の感触とは全く異なっていた。


 ――ここはどこだ。


 視界は深い緑と爽やかな青で埋め尽くされている。そろそろと顔を横に向けると、すぐ側に茶色い何かが生えていた。


「……たけのこ?」


 ほんとにここはどこだ。なんでたけのこなんだ。鉄筋の家の床にたけのこなんて生えるのか、私の部屋は二階だぞ。いや、違う。ツッコむべきは多分そういうとこじゃない。

 起き上がって辺りを見渡す。どうやら私は竹やぶの中にいるようだ。目を凝らしても、360°、見渡す限り遥かどこまでも竹が並んでいる。出口はあるのか。というか、私はどうしてこんなところにいて、どうやって帰ったらいいんだ。あー、頭が痛い。


 しかしこんなところで座り込んでいても何も始まらないから、出口を探しに行こう。そう思って立ち上がったら、足元で声がした。


「いらっしゃい」

「へ?」


 見れば、さっきまでたけのこしかなかったところに猫がいた。後ろ足で立って、私を見上げている。


「ご注文は?」

「注文?」


 出会い頭にこんなことを聞かれても、なんて答えたらいいのかなんて分からない。あ、でもここ暑いし、なんか冷たいもの食べたいな。そんなことをよく回っていない頭でぼんやりと思い、私は猫に訊ねた。


「アイスクリームはありますか?」

「…………シャーベットでよろしければ」

「じゃあそれひとつ」


 すると、どこからともなくオレンジ色のシャーベットが乗った器とスプーンが飛んできた。私の前でふよふよと浮かんだままになったそれを恐る恐る受け取る。猫を見れば、彼(彼女?)は私をじっと見ていた。


「い、いただきます」


 シャリ、と音を立ててシャーベットを頬張る。爽やかな蜜柑味のそれは、火照った体と疲れた頭によく効いた。私が食べ終わると、器とスプーンはまたふよふよと浮いてどこかに消えていった。

 猫を見る。何か言いたげにこちらを見ているが、ここは私から会話の糸口を提示するべきなのだろうか。考えた末に、私は口を開いた。


「えと、ここはどこですか?」

「おや、やはりご新規の方でしたか。これは失礼」


 猫はそう言って恭しくお辞儀をした。何故かその姿に違和感がなくて、私はしゃがみこんで猫と目線を合わせる。


「ここはお店なんですか?」

「そう、ですし、そうでない、とも言えます」

「……どゆこと?」

「お客様のご要望によって小生のすることは変わるもんですから」


 なるほど、何でも屋ということか。


「まぁ、先程のような注文は初めてだったので少々面食らいましたが」

「……私、何か間違えました?」

「いえ、構いません。たまにはああいった刺激のある方がいいですし」


 彼の口ぶりからすると、どうやら、ここは飲食店ではなかったようだ。じゃあ何を頼めばよかったんだろう、と私が考え始めたのを察したようで、猫はにゃあと鳴いた。


「小生はお客様のご要望を叶える手伝いを、できる限り致します。なんなりと、お申し付け下さい」

「……なんなりと、ねぇ」

「あ、その前に、お客様のお名前を教えて貰えませんか?」

「名前?」

「はい。名前は、その方の人生を物語ると言っても過言ではありません。ですから、名前を教えて貰うことで、お客様の過去や願望が具体的に小生に伝わり、小生のできることの幅が大きく広がるのです」

「へぇ」


 よく分からないが、つまりは名前を教えたらこの猫がパワーアップするということだな。それなら悪くない。乗りかかった船、毒を食らわば皿まで。何を注文したいかの心当たりもできたし、さっさと言ってしまおう。


「五月雨安。五月の雨に、安心の安です」

「承りました。それでは五月雨様、ご注文はお決まりでしょうか?」

「はい」


 さっき彼は「ご新規」と言っていたから、きっとまた違う注文をしに来ることができるのだろう。なら、お金持ちになりたい、とか、超能力が欲しい、とか、自分の中にあるそういう願望はこの際無視して。


「会いたい人がいるんです」

「どなたですか?」

「……言わずともわかってるんでしょう? 何のために名前教えたと思ってるんですか」


 猫が妖しく目を光らせていたので、これは何かを試されているに違いないと思った。私の言葉が正解かどうかはわからないけど、もし彼の思惑と違って「やっぱやーめた」なんて言われたらどうしよう。

 猫は、少し沈黙してから破顔した。


「流石でございます。ここに呼ばれるだけのことはある」

「じ、じゃあ!」

「はい。五月雨様のご要望、叶えて差し上げましょう」


 そう言うなり、猫は前足を叩き合わせた。人の手ならパンッといい音が出ていただろう。代わりにポンッと音がして、目の前に大きな塊が降ってきた。


「なっ、なにこれっ!?」

「汽車でございます」

「汽車……」


 確かに汽車だ。煙突がついているこのタイプは初めて見た。私がぽかんとしていると、猫は汽車に歩み寄り、慣れた手つきで客車の扉を開けた。


「この汽車は、乗る人の望む場所に連れて行ってくれます」

「線路はないみたいだけど」

「空を飛ぶのですよ」

「それってなんか――」

「――『銀河鉄道の夜』みたい、でしょう。よく言われます。ちなみに私はただの猫ではなく、山猫です。小生この世界を創った人の趣味によるものでございます」

「あ、自分で言っちゃうのね」


 なんだ、そういうメタな発言はダメなのかと思って気を使ったのに。私が無意識につまらなさそうな顔をしたのか、猫、改め山猫は困ったような顔をした。


「申し訳ありません、小生に至らない点があったのでしょうか」

「あ、いや、そうじゃないです大丈夫です」

「そうでしたか」


 山猫はほっと息をついた。なんだ、苦情があったら創造者マスターに怒られでもするのだろうか。まぁ、私には関係の無いことなんだけど。

 改めて汽車を見上げる。竹やぶの中に鎮座する汽車というのは、なかなか見ない光景だ。携帯があったら写真を撮ったのになぁ、と思っているうちに、山猫が「あ」と声を上げた。


「五月雨様、申し訳ありません。小生のタイムリミットが近づいてきております。お早めにご乗車願いますよう、お願い致します」

「わかりました。えーと、その……ありがとうございました」

「はい!またのご利用をお待ちしております」


 深々と礼をする山猫に会釈して、汽車に乗りこむ。中はレトロな雰囲気が漂っていた。後ろでがちゃんと扉が閉まる。私は慌てて、窓際の席に座った。


「それでは、発車致します」


 山猫の声を合図に、汽車はゆっくりと動き出した。

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