第5話『いなり寿司』

 時は五月に突入した。ゴールデンウィーク?


 何もなかったよ。唯一、出掛けようとした施設が爆発して臨時閉鎖したし。


「ねぇ」


 一瞬、それが俺に向けられた言葉だと気付けないで視線をパソコンから外すのが遅れた。


「こんちゃー。もしや見えてない??」


「うわっ」


 顔の真横に顔があった。椅子から転げ落ちそうになった。


 伏見狐子先輩だ。金髪で濃いめの化粧をした派手めな見た目の先輩だが特に他の部員のような変な設定とか聞いてないの先輩だ。


「やほー、見えてる?」


「見えてますよ、幽霊じゃあるまいし」


「や、たまにあるんだよね。幽体離脱」


 ねーよ。


 つい言いかけた言葉を飲み込む。多分聞き間違いだし。


「あれ、気が付くのに時間掛かっちゃう癖に戻んないと大変な目に遭っちゃうから嫌なんだよねー」


「そ、そうでしょうね……」


「……あ、やば」


「やば?」


 伏見先輩はそこで猛烈に目を泳がせた。


「ふ、普通の人は幽体離脱したりなんかしなかったよねー嘘嘘、冗談だよ」


「……」


 うん。


 伏見先輩も普通じゃないな????


「うん。フツー幽体離脱しないもんねジョーシキじゃんね。うんうん」


 頻りに頷いてますが伏見先輩。誤魔化せてるとでも?


 いやまあ、幽体離脱だったらそれほど超常的でもないというか、あり得ない範囲ではないと思う。普通ではないが。


 まあ落ち着け俺。


「そうですね、幽体離脱なんて相当にヤバい状況ですよ」


「そーなんだ?」


「伏見先輩?」


「えっ、そうだよねー! 幽体離脱なんてする状況ヤバいヨネー」


 ダメだ、目が泳ぎまくっている。水泳部員も真っ青な泳ぎっぷりだ。


 混乱した様子の伏見先輩──の頭に。


「え」


 なんか、けものっぽい耳が生えてるんだけど。三角っぽくてピーンと立ってる耳だ。


「えっ、て何? 幽体離脱しないのが普通なんでしょもしかしてあーしを困らせようとしてない? ねえ?」


 俺に詰め寄る伏見先輩は俺が見てるものに気が付いていない……?


「おーっす狐子ー!! 部長が来たぞー」


 と、そこでパソコン室の入り口を蹴破って入ってくるのは我らが部長。モゴモゴとマスクの下からも元気そうである。というか、やっとマスクしたのかこの人。


「っ!! こんちゃー部長!!!! あーしってフツーだよね!?」


「えっ」


 伏見先輩が部長に詰め寄った。部長は一目伏見先輩の頭を見て、それから困ったように俺を見た。いや、見られても困るんですが。


「えっと……あー」


 そんなに俺と伏見先輩の耳を交互に見ないで。


 俺が首を横に振りまくると、部長が天井を見た。それからぶつ切りに言う。


「狐子、は、フツー、だよ?」


「だ、だよねぇー!! そーだよねー!! やっぱ部長分かってるじゃーーん!!」


 ひゅんと引っ込んだけも耳。部長に抱きつく伏見先輩。


「お礼にこれあげちゃう!!」


「何これ」


 何処からともなく伏見先輩の手の中に現れた容器。そのなかには何か入っていた。


 それは──


「いなり寿司。これねー、結構高いんだよー?」


「あはは」


 部長の乾いた笑いが部室に悲しく響いた。



 最初に伏見先輩のことを普通って言ったかもしれないが、前言撤回──どうみても普通じゃねぇや。


 俺は頭を抱えて窓の外を眺めた。なんというか少し帰りたくなった。五月病かな。


「…………どこの女子高生が虚空からいなり寿司出すんだよ……」


 俺の嘆くような呟きは、後から現れた櫻井さんと先輩二人が騒がしく会話を始めたからか聞かれなかったようだ。


「えー! 狐子先輩ネイル詳しいんですねー!! 今度教えてくださいよー」


「おっけー! いいよいいよお安いごよーだよ!!」


 聞こえてくる会話は楽しそうだった。ネイル……正直お洒落に関してはよくわからない。


 だが、伏見先輩はこうしていれば普通に女子高生だ。さっきのは見間違いだということにギリギリできる。


「というか手傷だらけじゃーん!? どしたん!?」


「あっ、いや、これはちょっとずっこけまして」


「愛奈ちゃん運動神経良いのに珍し──」


 俺は完全に後ろの会話に耳をそばだてていた。だからだろうか。


「ふー」


「ふわひゃぁ…………っ!?!?!?」


 息を吹き掛けられた。耳の後ろに。


「ぷっはは……っ……ずずっ、危ない危ない。君の反応、面白すぎてくしゃみしちゃうところだった」


 下手人は部長だった。


「し、心臓に悪いからやめてもらえるとたすかります……」


「えーやだー」


 ふくれて抗議する部長。平時なら可愛いと思うだろうが今の彼女は花粉症である。マスク装備。それはそれで可愛いです。


 マスクは顔を覆い隠すが可愛いは隠せないんだな。この世の心理。俺は納得した。


 それとして、部長は一言だけ。


「狐子ちゃんて実は狐なんだけどバレたら学校止めなきゃだから気付いてないフリしてね?」


「普通って何でしょうか」


「???」


「いえ、わかりました」


 首を傾げる部長。俺は色々諦めてもう一度窓の外を見た。


 サッカー部が、野球部が、陸上部ほか運動部が普通に練習をしているのが見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る