孤島の秘密

 中からぱっと白煙――などということはなかったが、ふたを開けた瞬間かなりひどい埃が舞い上がり、私はむせかえって危うく箱を取り落としかけた。


 埃の正体はすぐに知れた。中に収められていた数本の筆が、もうずいぶん昔に穂先の毛といわず葦でできた軸と言わず虫に食い荒らされて、半分がた糞交じりの粉末状になったものだ。

 埃がおさまると、そこには小さなすずりと墨、残骸と化した筆と、数種類の自然石を磨いた小ぶりな数珠が収められていた。箱の底は側面の高さの半分ほどしかなく、よくあるペン皿のように二重底になっていることがうかがわれた。


 皿を持ち上げる――その下には、何かを包む用途だったらしい、渋紙の束が入っていた。それには何か文字が書かれている。どうやらこの雲水が生前に書き残したものだ。

 どうせ読めないのではないかと危ぶまれたが、紙を広げてみるとそれは変体仮名や草書体を用いたものではなかった。

 楷書で高さや行間をそろえて整然と記された、読みやすいものだ。ふと、立花の普段の字が思い出された。



――文政十一年。吾、伊豆の漁民より伝へ聞くところ、南東海上に島あり。水なく険しく、時折煙上がる。皆忌みて近づかず。



 最初に手に取った紙片には、いきなりそんなことが書かれていた。隅の方に小さく「慈海記す」とあるのは、この雲水の署名だろうか。



――この島には古くより、流れ依り着きたる神在りなん。名をと伝へり。真名書きにては彦神、或ひは日子神と記すか。思へらく、蓋し配流の船破れて流人の其処にとどまりたるを見違へしものならんかと。一昨年おととしには近藤家の不肖(※)あり、古はさらに多かりし事ならん。さらば弔わんとて、大島より船出す――




 伊豆諸島へ罪人を流す際の航路からも外れた、絶海の火山島に無縁仏がある――そうと聞きつけ、僧侶慈海ははるばる海を渡ったものらしかった。

 だが、読み進めるにつれて彼もまた、私たちと同様、この島のおぞましい様相に気づくことになったその様子がうかがわれた。




――島南の磯にて、鳥居を備へたる破船を見出す。聞き及ぶところの補陀落渡海船ならん。公儀にありては異国船打払を布令たりし世上に、猶かくのごとし。あさましからずや。船の内にはすでに生けるものこれなく、ただされこうべを取りて懐に収むるばかり――



――また西に窟屋いわやあり。先人の刻みたる観音菩薩と思しき木像に合掌し、和讃を添えて三人みたりの骨を安らえたり――



――浜に歩むものあり。人に似て人に非ず。肌肉赤黒く爛れあたかも血膿に似たり。恐ろしや、この肉、時に地に滴り毒蟲に変ず。蟲の人を刺さば痛痒き事堪へ難く、悩ます事甚だし。地獄草紙に針口虫とあるは、或ひはこれを謂ふか。――


「え、ちょっと、おい」


 恐ろしいことが書いてある。あのサシガメはやはりまともな自然のものではないのか。立花はそんなものに刺されたのか。その後の展開を求めて読み進めると、慈海はどうやらあの、東側の石の門に着目した様子だった。


――手足に痛み生じ歩くこと難かれども、心頭滅却。石門より参道を経、石段を登りて辛くも火口に至る。ここに神在りし。物言はず、食はず。ただ蠢き、人の念に感じて諸々の妖しきをす也。渡海上人或ひはその他、海難に遭ひし人の無念を受けては如何なるを生ぜしか。亡者、毒蟲はまさしくこれに他なる無し。


 この神、謂はば赤子なり。と奉るは山彦の木魂を返すごときその性を謂ふか。あるいは古事記に見ゆ、伊弉冉いざなみの産める蛭子ひるこ神に通ずるものならんか――



「石段だと……?」



 これまで島で見たものと明らかに矛盾した記述だ。春に資料室で見つけ出した覚書の中では、火口は過去の噴火による砕屑物と溶岩で埋もれてしまっていることが記されていた。

 だが、慈海は「時折煙上がる」と書き残している。つまり文政年間には日子島はまだ火山活動が終わっていなかったのだ。そしてこの手記を信じるならば、僧侶慈海がこの島に来た当時、文政年間にはあの石門は健在で、あそこから火口まで向かう道があったことになる。


 昼間、私が東側へ向かった時に道を阻んだ岩の連なりは、玄武岩質の溶岩が風化したものと見えた。すると石門と参道は、慈海の訪島の後で起きた噴火によって埋もれ、破壊されたということになるだろうか。


――吾、この窟屋にて禅定すること三日。終に妙計を得たり。島の四方に鳥居を建て、然る後に観世音菩薩を奉らん。島を見立てて渡海船と成さしめ、観音経の功徳をもって日子神を教化きょうげせしむれば、亡者、毒蟲の悪縁を断ち切り、悪趣に堕ちたる衆生をも済度したもうべきもの也――



 私はため息をついた。鳥居や西の祠に関しての想像はほぼ正しかったことになる。

 だが違うのは――それがすでに仏教の範疇をいささか逸脱した、呪術めいた領域に踏み込んでいたこと。そして。


――東、発心門はかの石門をその儘に、南は修行門、西は菩提門として整えたり、されども病勢いや増し、もはや北、涅槃門を整えること能わず。何れの日、何人なんぴとか吾が志を汲み、鳥居を整え火口に降りて、観音経を献じ奉らんことを伏し願うもの也――


 次第に震え乱れ行く字でつづられた慈海の手記は、そう結ばれていた。

 文箱の底には小さな屏風綴じの冊子があり、その表には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」の文字が読み取れた。

 

「あんた、これを俺に伝えたくて出てきたのか……」


 傍らの干からびた遺体に話しかける。

 日子神とやらの力が慈海の伝える通りなら、その執念に呼応して私の前にひと時、生前の姿を現す事を叶えたのだしてもあながち不自然には感じられない。


 だがどうしろというのだ。火口はすでに埋まってしまっている。よしんばこの、島全体を覆う呪術の完成に手を貸すとしても――私はその「赤子のごとき」神に会うためにどこへ行けばいいのだろうか?





(※)文政九年に起きた「鎗ヶ崎事件」と、翌年の近藤富蔵の流刑を指す。近藤富蔵は八丈島最後の流人であった。

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