孤島の影(改訂完全版)
冴吹稔
日子島 1994年6月
「おーい」
立花が急に立ち上がり、海岸の方へ向かって叫びながら手を振った。
私は驚いて作業の手を止めた。近くの草むらにいたアホウドリが、立花の大声に驚いたのか、よたよたと斜面を歩いて離れていった。
「どうしたんだ、急に大きな声を出して」
「浜辺に人がいる」
立花は手を額にかざし、足元から続く斜面の南に広がる、白い砂浜を懸命に見つめていた。
「まさか」
私も立ち上がってそちらを見た。
夏の盛りにはまだ遠いが、そろそろ日差しが厳しい季節。それも昼の二時過ぎだった。照り付ける太陽と海面からの反射のせいで、海岸の方はひどくまぶしく、立花が見ているものがどこにあるのか、なかなか分からない。
これだろうか、とようやく見当をつけたときには、その黒い小さな影は照り返しの一番きつい位置に来ていた。
光の中でにじんだようになって判別が難しかったのだが、それは確かに白い砂の上を、西から東にゆっくりと移動しているようだった。
「おーい!」
立花がまた呼びかける。だがその影はこちらに気づいた様子はなかった。目測する限り、浜辺までは五百メートルくらいだろうか。
「……おかしいぞ。今この島には、俺たちしかいないはずだ」
「そういえばそうだ」
立花はにわかに落ち着かない顔になって、腰の保冷ボトルから水を一口飲むと呆けたような声でつぶやいた。
――じゃあ、あれはいったい誰なんだ?
「分からん」
私にはそう答えるしかなかった。
「双眼鏡を置いてくるんじゃなかったな」
「……たかだか八倍だ。この距離じゃさほど役に立たないよ」
それほど遠くのものを見つけたのだから、立花の目の良さも相当なものだが。
砂浜は途中で崖の向こうへ回り込んで、その先は私たちがいる場所からは見えなくなってしまう。浜辺の人影はいつの間にか視界から消えていたが、果たして崖下まで歩きついたものかどうか、どうにも分からなかった。
* * * * * * *
私、橘川雄二が親友の立花信彦とともに日子島に出かけたのは、1994年の初夏、梅雨入り前のことだ。
きっかけは春休みに入る前に、資料室の古い文書を整理したことだった。そこには戦前の地質学者が記した、伊豆諸島とその近辺の鉱産物についての覚え書きが含まれていて、その中に日子島についての記述があったのだ。
私たちは当時、都内の大学に籍を置く院生だった。私は地質学、立花は植物学と専門はちがったが、よく一緒に行動していた。
教授の監督下からするりと抜け出し、フィールドワークと称して遠方へ物見遊山に行くようなことを頻繁にやっていたせいで、私たちはそれぞれの研究室で厄介者と目されていた。
ありていに言って、ろくでなしである。土地バブルはすでに崩壊していたが、世の中の空気はまだその名残を漂わせていて私たちにもさほど危機感はなく、バカ学生丸出しで親の金を頼みに勝手放題をしていたというわけだ。
私たちはその覚え書きに飛びついた。
ほとんど調査の行われていない離島があり、そこには長い年月にわたって生態的に隔離された生物や、本土では希少とされる鉱物が発見できる可能性がある。
運が良ければこれを契機に、気の利いた論文の一つも書くか、一儲けのタネにできるかもしれない――そうした可能性に思い至り、周囲にはほとんど秘密裏に準備を進めてきたのだった。
日子島は伊豆大島から東南東へおよそ六十キロ。北緯三十四度五分、東経百四十度度〇二分あたりに位置する孤島である。
正式に日本の領土となったのは、1978年のことだ。その二年前に米ソが相次いで設定した排他的経済水域――いうところの200海里問題に絡んで、1912年の発見以来ほとんど忘れ去られていたこの島が、再調査されることになった。
調査はひとまずの実りをもたらした。この島があることで、日本の経済水域は東側へ大きく拡大した。だが、位置を再確定し標識を立てたあと、なぜかこの島は再び忘れ去られたかのようにその後の消息が途絶えていた。
調布の空港からまずは伊豆大島まで、小型のレシプロ旅客機で約三十分――そのころはまだドルニエは就航しておらず、ノーマッドとかいう機体だったように記憶している。大島からは漁船をチャーターして一時間ちょっとの旅だ。
「あンたらもよくよく物好きだぁ。わしらは爺さんのそのまた爺さんの代から、あの島には近づくなーて言われてる……今の世の中だで、めったなことはねえて思うっけが、長居はしねえ方がいいずら」
島へ向かうときに乗せてもらった漁船の船長は、半端にあちこちの方言が混ざった口調でしきりに私たちに訓辞を垂れた。
私たちは取り合わず何本目かのスーパードライをあおっていた。学部生時代に夏の行楽で慣れていたせいで、船の上でのビール三昧などいかほどのこともなかったのだ。
「なんぞたちの悪い毒虫がいるって聞くでな。かきむしらねえように気を付けてなあ。また明後日の朝、迎えに来るで」
そう言い残して船長は漁船とともに引き返していった。私たちはミネラルウォーターの大きなボトルを6本ずつ、それに簡易テントや調査機材などの大荷物を抱えて、島に残った。
* * * * * * *
朝方に島について、すでに六時間ほどになっている。半ば射幸心、ヤマッ気にとりつかれたいい加減な『調査』だったが、いざ作業を始めると、私たちとて学問の徒の端くれではあった。
この島の自然は確かに隔離された手つかずのものだ。それは古い時代の火山活動の痕跡を植物が覆い隠していく、興味深いプロセスの途上にあった。私たちは夢中で手を動かしていた。
「考えてたんだけどさ」
「うん」
「さっき浜辺歩いてたやつ、近くの島か、銚子港あたりからたまたまここまで来てたんじゃないかな。例えばほら、サンゴの密漁とか」
「うーん。まあ宝石になるようなサンゴは深海だろうけどなあ」
その場は一蹴したものの、私としても何かつじつまの合う説明を見つけたような気になれれば、正直そのほうがよかった。
立花はシマホタルブクロの特異な変異型を見つけてやや興奮気味で、写真を何枚も撮り、標本を採取するのに忙しそうだった。
「……これはもしかすると、この島の固有種かもしれないな。見てくれ、この花の大きさ――何か、えらく大きな昆虫がいるんじゃないか?」
ホタルブクロという植物は、受粉に来る昆虫に適応して花の大きさが生息地ごとに異なるのだという。立花が手にしているものは、袋の口が直径二センチ近くあり、長さも四センチほどとまるでカブトムシかスズメバチでも待っているような、途方もないものだった。
私はと言えば、先ほどの出来事以来どうも気分がすぐれず、適当に岩盤の露頭をタガネでひっかいていた。とにかくリン分を含んだ堆積物があれば、かつてこの島がリン鉱石の産地として期待されたという記録が、裏付けを持つことになるはずなのだ。
日が傾くと、私たちは島の中央近くにある岩山のふもとへ戻った。そこには78年に建てられた観測小屋が朽ちかけながらも残っており、持ち込んだテントと組み合わせればどうにか夜露をしのげる格好だった。
カセットコンロでお湯を沸かし、カップ麺を作って食った。長袖長ズボンで一日中歩き回ってくたびれた体には無論それだけでは足りなかったが、あとはチョコレートやビスケットといった高カロリーの菓子類でごまかせばいいのだ。
「まあしかし、とことん何もない島だな。自然以外は」
「この規模の小島じゃ仕方ない。しかし本当に灯台一つないんだからなあ」
懐中電灯以外は大した照明器具を持ってきていない。日が暮れるともう本当に、できることなど何もなくなっていた。
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