第8話 霧の世界

「陽菜ちゃんッ!」

「舞さん」


 舞が息を乱して駆け寄ってくる。


「陽菜ちゃん、ケガはない?」

「はい……大丈夫です」


 舞が陽菜の手に触れると震えが伝わってくる。

 顔面蒼白で放心状態の彼女を見てどれだけの恐怖と衝撃があったか雄弁に物語っている。

 本当は今朝の件で陽菜を叱ろうと思っていた舞だがそんな姿を見てしまっては怒るに怒れなかった。


 ――――それにしても昨日から今日に踏んだり蹴ったりです!


 旧校舎の調査員が行方不明になっている時点で舞の心の中ではある疑念が浮かんでいた。

 この学園に陽菜を狙う幻想種が潜んでいるのではないかと。

 根拠はあった。

 勇人の話から今回の幻想種がロキであることはわかっていた。

 姦計に長けた神であるロキが彼女の行動を把握してないはずがない。

 変身魔法があれば学園関係者になりすますなど容易だ。

 大規模な結界なり儀式なりの準備も暗示があれば一般人は誤魔化せる。

 嫌な予想が当たってしまったことに舞は内心焦っている。


「あ、そうだ。千鶴ちゃん!」


 陽菜は思い出したかのように立ち上がると撃たれた千鶴の元に駆け寄る。


「千鶴ちゃんッ!」

「待って、陽菜ちゃん」


 陽菜が仰向けで気絶している千鶴に触れようとするのを舞が手を使って制止する。

 撃ったのは特製のゴム弾だ。

 基本的に殺傷能力はないが脳震盪のうしんとうを起こすぐらいの威力はある。

 だが、それも常人ならばの話だ。

 舞はじっと千鶴の体を目視する。

 胸が規則的に上下していることから正常に呼吸はしている。

 頭部を打ったが出血はない。

 だ。

 舞の見立てと同時に千鶴が飛び起きる。

 それと同時に陽奈と舞に襲いかかる。


「陽奈ちゃん、下がって!」


 千鶴は陽奈の方を狙っている。

 舞は二人の間に割って入り身構える。

 千鶴の身長は陽奈に近い。

 身長百五十にも満たない舞とは十センチ以上違う。

 女性同士とは言え体格差としてはかなり大きなものがある。

 しかし、舞と千鶴には荒事のプロと素人という違いがあった。

 舞は考えなしで突っ込んでくる千鶴の足をすれ違い様に引っ掛ける。

 前のめりになっていた千鶴はそのまますっ転んでしまう。

 舞はうつ伏せで倒れた彼女の体に覆い被さり両腕を後ろで組ませ無力化させた。


「ウアァッ!アアアアアアアアッ!!」


 千鶴は拘束から逃れようと暴れ回る。


 ――――――まずいですね。


 このままでは拘束が解けてしまう。

 そうなる前に舞には確認すべきことがある。

 暴れる千鶴に四苦八苦しながら体に触れる。

 千鶴の髪の毛をかき上げ、首筋を見る。

 そこには獣か何かの噛み後がくっきりと残っていた。


 ――――――やっぱり。


 舞は懐からお札を取り出すと後頭部に張り付ける。


「ア……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 張り付けたお札から電撃が流れ千鶴を苦しめる。


「陽菜ちゃん、こっちへ!」


 素早く離れた舞は陽菜の手を取り出口に向かって走り出す。


「でも、千鶴ちゃんが——————ッ!」

「————大丈夫ッ!あれでは絶対にケガしないし死なないからッ!!」


 それもそうだ。

 舞が使ったのは組織から支給される拘束用のお札だ。

 幻想種には十全の威力を発揮するが、今の千鶴は幻想種によって侵されているだけだだ。

 半分は幻想種で半分は人間の状態の彼女にはお札の効果は半減している。

 今離れなければすぐに追いつかれてしまう。

 舞はポケットから携帯端末を取り出す。

 普通立っているはずのアンテナが全くなく圏外の二文字が画面に出ている。


 ————予想通りですね。


 この不自然な霧、様子のおかしい生徒、首筋の噛み後。

 間違いなく幻想種による攻撃だ。

 しかし、こうなることは組織からすれば想定済み。

 舞は片手で端末を操作する。

 特定の操作で現れたのは『緊急救援』の四文字だ。

 迷わず押すと端末は起動する。

 これは組織と同じ端末を持っている人間に自動的に送信される機能だ。

 最大の特徴は相手が地球にいれば確実に位置情報付きで信号が届くということだ。

 それは幻想種の結界も例外ではない。

 ただし、これは自分の信号を一方的に送るだけで電話等のような相互の連絡は取り合えない。

 だから、相手には何が起きているかわからないという欠点があるがそうも言ってられない。

 こちらは一分一秒を争う状況だ。

 なんでもいいから救援が欲しい。

 できれば神威かむいだ。


 ————そう言えば空木さんはまだ端末を持っていましたね。


 陽菜の護衛辞職等で端末を回収し忘れていたのを思い出す。

 ならば、勇人からの救援の可能性は十分に期待できる。

 その為にはどうやって少しでも長い時間を稼ぐかだ。

 舞は走りながら頭をフル回転させこの状況を脱する手を考え始めた。


 ******


 霧に閉ざされた翼ヶ原学園。

 その一角にある旧校舎の屋根の上。

 そこに二人の男が立っている。

 男達の視線の先には陽菜達がいた。


「――――ふむ」

「おいおい、やるじゃねえか」


 英国紳士風の男のアルカードが口ひげを整え、隣にいた銀髪の男のヴォルフは舞に称賛を送る。

 陽菜を襲った千鶴はベースは人間だ。

 しかし、彼女は既に吸血鬼アルカードによって支配されている。

 この時点で力士並の膂力を得ている。

 それを彼女より華奢な舞が抑え込んだのだ。

 流石は幻想種を専門にしている組織に属しているだけのことはある。

 いや、空木勇人の相方を務めているということか。


「ヴォルフよ。ロキから連絡がありましたよ」

「お、なんだって?」

「竜がこちらに向かっています。一時間以内には着くようです」


 アルカードの言葉を聞いたヴォルフはピクリとなる。


「そいつは本当か?」

「えぇ。確かです」

「そうか、ようやくだな。オレ達の悲願が叶うのは!」


 ヴォルフはニヤリと猛獣の牙を露わにする。

 幻想種として生まれた時から己の願いは決まっている。

 民話を超え神話となりこの世界に君臨する。

 そうすることでこの世界に己の存在を爪痕として残せる。

 多くの人間達が忘れてしまった自らを超える圧倒的な強者のことを知らしめることができる。


「ところで、アルカード。お前の方の準備はどうなってる?」

「問題ないです。後十分もあればこの学園の人間全員我が眷属となるでしょう」


 獰猛な笑みを浮かべるヴォルフには確固たる自信があった。

 この霧の結界は疑似的に夜のある状況を作り出す。

 そうすればこちらの能力は百パーセント以上引き出せる。

 十分にいや絶対に勝てる。

 勝利を確信し後は座して待つだけだ。

 邪悪な笑みを浮かべた二人は悠然と学園で起きている惨劇を見つめていた。


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