第6話 ネオン街

「諦めたかな?」


 閉まりかけのドアの前で少女は呟く。

 まばらのホームには自分を追っていた男の姿はなくホッとする。

 新しいボディガードだと祖父は言っていた。

 しかし、それはあくまで昼の自分のための用意された人間だ。

 自分のような不良品には関係ない話だ。

 そうこれで清々した。

 動き出した電車の車窓を見ているとギョッとなった。

 反対側にさっき振り切ったはずの男、空木勇人が手すりにもたれ掛かるように立っていた。

 まるで、幽霊か何かのようにいつの間にかそこにいたのだ。


「アンタ、どうやって?」


 すぐに近づき少女は勇人に問い質す。


「なに、走って乗り込んだ。それだけだ」

「嘘よ」


 あり得ない!

 百歩譲って走って追いついたとしてもこの大柄な男を自分が見逃すはずがない。

 別のドアから入ってきた可能性もない。

 一応この駅は階段は二ヶ所ある。

 少女が登ってきた階段とは反対側にあるが、勇人は自分と同じ方向の階段に足をかけていた。

 既に発車予告音が鳴っていたあの状況で反対側の階段から登る時間的余裕は皆無だ。

 だが、現実に目の前の男は同じ電車内にいる。

 人間技とは思えない事を起こしてだ。


「アンタ、一体何者?」

「空木勇人。お前の護衛で化け物だ」


 男は自嘲も自慢もなく淡々と事実だけ述べた。


「化け物?アンタ本気で言ってるの」


 少女が怪訝そうな顔をするのは無理もない。

 自分のことを化け物と呼ぶのはとてつもなく自意識過剰な人間ぐらいだ。

 ただこの男からはそういった類の人間には感じられなかった。

 嘘をついているようにも感じられないし、さっきのこともある。

 逃げるのは難しそうだ。


「で、アタシを連れ戻す気?」

「自発的に行ってもらえば助かるがお前はしないだろう?」

「そのつもり」

「なら、好きにしろ。俺はあくまで護衛だ。お前がどこに行こうがついていくだけだ」


 まあ、自分から危険に首を突っ込むのは勘弁して欲しいがな。

 率直な言葉を述べる勇人に少女は目を丸くする。

 今まで少女が会ってきた天津家の関係者は彼女に対して戸惑いや敬遠、または説教してくる人間のどれかだった。

 こんな風に自分の意向を聞いてくれる人間などいなかった。


「本当にいいの?」

「何がだ?」

「どうせ、高島から連れて帰れとか言われていると思うけど……」

「俺が言われたのはお前のことを頼むと言われただけだ。それ以上のことは言われていない」


 どうやら、嘘はついてはないようだ。

 ただ、彼は意図的に高島の意図を無視している可能性がある。

 あの高島がそのままなんてあり得ない。

 表には出してはないがプレッシャーみたいものをかけたに違いない。

 だが、彼はそれを微塵も感じさせない。

 空気が読めないのか空気を読まないのか。

 とにかく、ここは彼のお言葉に甘えよう。

 帰ってから何かあっても責任は勇人に向くだろうし。

 そんな打算的なことを思っていると勇人は口を開く。


「で、これからお前はどこに行くんだ?」

「ゲーセン。あのさ、お前じゃなくてアタシには天津菜月って名前があるの。だから、菜月って呼んで。間違っても陽菜とは呼ぶなよ」

「へいへい、わかったよ。菜月」


 菜月。

 勇人に自らの名を呼ばれたことに彼女は今まで感じたことのない安らぎを覚えた。


            ********


 同じ電車に乗ってから菜月はおとなしくなった。

 逃げるのは難しいことと勇人に対して少しだけ警戒を解いたからだろう。

 その証拠に先ほどより近い距離にいても特に何も言ってこない。

 ただし、スマホをいじりながらこちらのことをチラチラ見ていることから、少なくとも勇人の様子は気になるようだ。

 それについて勇人としては特段気にすることはない。

 好悪の感情など意味がないからだ。

 そのような感情など護衛である以上余計なものなので必要ない。

 強いて言うならこちらの言うことを聞いてくれる相手は楽できる。

 今の状況で言えば、屋敷に戻ってくれることが理想なのだが、ここまで来てそれは期待できないだろう。


「次で降りるよ」


 次の停車駅を告げるアナウンスが流れると菜月は口を開く。

 菜月が降りたのは都心の歓楽街だった。

 時刻は七時になろうとしていた。

 歓楽街だけあって行きかう人の種類が違う。

 昼間陽菜といた繁華街は老若男女が入り乱れており健全で穏やかな雰囲気だった。

 しかし、今いる歓楽街は全く違う。

 年齢層は若者から中年という感じだ。

 駅前にはサラリーマン思しき人々が多いが、中には若干いかがわしい人間が見受けられどこか忙しなく危うい雰囲気を感じる。

 少なくとも学生のいるべき場所ではないことは確かだ。


「とりあえず、ご飯にしよ」


 菜月は慣れた様子で歩き出す。

 こいつ、何回来ているんだ?

 勇人は少し疑問に思ったが考えるのはやめた。

 そんな思考に気づいていない菜月は彼を一軒のラーメン屋に案内した。


「いらっしゃい。お、なっちゃんじゃねぇか」


 店に入ると威勢のいい声を出す五十ぐらいの男が笑顔で出迎えてくれた。


「おっちゃん、久しぶり」


 店内には二十程のカウンター席だけあり、調理場にいる店主が一人で切り盛りしているのがわかる。

 菜月は迷わず一番奥の席に座るといつものと注文を告げた。

 その隣に座った勇人はメニュー表を手に取る。

 中にはラーメンと餃子、ご飯ものとオーソドックスものが文字だけ書かれていた。

 普通のラーメン屋だな。

 勇人は店主にラーメンを注文するとセルフサービスの水を取りにいった。


「なっちゃん、隣の兄ちゃんは彼氏か?」

「違うよ、ボディーガード」

「なんだ、つまらん」


 素っ気無い菜月の態度に店主は残念そうに麺を茹でる。

 勇人は無言で水を出すと菜月は礼を言ってから受け取り一口飲む。


「いいでしょ、ここ。アタシの行き着けなんだ」


 勇人は改めて店内を見回す。

 カウンターだけの狭い店内に天井につるされたテレビ、コンクリートの床に真ん中に穴の開いた丸イス。

 壁には昭和のアイドルのポスターが貼られている。

 掃除はちゃんとされているが、年月を感じさせる汚れもいくつか見受けられる。

 一昔前の食堂を体現した店内だ。


「まあ、趣はあるんじゃないか?」

「うん、このレトロな感じが好き」


 勇人の率直な感想に菜月ははにかんだ笑みを浮かべる。

 それ以上会話する気のない勇人は素っ気なく返答した。

 それからラーメンができるまでの間、菜月はスマホをいじっていた。


「へい、ラーメンと超盛りラーメンお待ち」


 超?

 勇人は出されたラーメンに目を向ける。

 シンプルなしょうゆスープに細麺、めんまにチャーシューともやし、キャベツ。

 ちょっと具の多い普通のラーメンだ。

 では、超とは?

 勇人が隣に目を向けると言葉を失った。

 そこにはダチョウの卵並みにつまれた野菜があった。

 山のような野菜が麺とスープを覆い隠し、脇に添えられた幅一センチぐらいの肉が三つと、どこかのメガ盛特集に採用されそうなレベルだ。


「いただきまぁす」


 それを速いテンポでリズミカルに食べる美少女の姿はテレビの収録と間違えそうな光景だ。

 しかも、彼女はいつものと言っていたということはこれを何度も食べているということだ。


「なっちゃん、相変わらずいい食いっぷりだねぇ」


 店主も慣れた様子で感心している。


「ん、食べないの?」

「いや……」


 勇人は目を逸らしとりあえずラーメンを食べることにする。

 うん、美味い。

 美食家ではない勇人は具体的な味の説明は出来ないが、こういったシンプルであっさりした味付けは好みだ。

 決して味わって食べようとかゆっくり食べようとかそんなに考えていなかったが、勇人が半分ぐらい食べている時点で、菜月は既にスープまで飲みつくしてしまった。


「ごちそうさま」


 おい、流石に早過ぎないか?

 健啖家というより暴食にしか見えない。


「な、何よその目は?」

「あぁ……食べすぎは体に良くないと思うぞ?」

「仕方ないでしょ。あの家じゃこんな風に思いっきり食べれないだからさ」


 言葉を選んだつもりだがどうやら彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。

 どうやら、天津家では食事にもなんらかの作法があるようだ。


「面倒だな、上流階級は」

「そう、嫌になっちゃう」


 菜月は苦笑いを浮かべため息をつく。


「昼間のアタシはどうやって乗り越えているのかな?」


 頬杖をつく少女の目にはどこか遠くにいる別人を見ているような気がした。

 しばらくの沈黙が続くと、店主が菜月に話しかけてくる。


「そう言えば、なっちゃんは今日はなんか予定あるのか?」

「今日はゲーセンで大会」

「おう、勝てそうか?」

「ん~わかんない。とりあえず、出る相手次第かな?」


 それから、とりとめのない世間場話が続く。

 家族や友人、近況といつまでも続きそうな中で勇人は食事を続ける。

 ようやく、食事を終え箸を置くと菜月は立ち上がり会計を告げる。

 お金を支払い店を出ようとする勇人を店主が呼び止める。


「なあ、護衛の兄ちゃんはあの子の味方でいてあげてくれよ。あの子、根は明るい子なんだけど、家での居場所がないせいでちょっと捻くれちまったようなんだよ」

「……善処しよう」


 居場所がない……か。

 それは見ればわかることだ。

 彼女にとってあの家は陽菜の家なのだ。

 使用人の態度があれなら主である総一郎との関係も良好とは言い難い。

 まあ、猫かわいがりしている可能性もあるが。

 ただ、それを彼女の方が煩わしく思っているのは確かだ。

 だからと言って俺にやれることはないんだけどな。

 他人の家庭事情に口出しできるほど勇人はあの家のことを知らない。

 知っていたとしてもそういうの専門家を紹介してやるぐらいしかできないのが実情だ。

 そんなことを思いながら外に出ると菜月の姿はなかった。

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